疑惑

「世にも妙な物語 '23秋の特別編」の感想を。2か月更新さぼったんでマジメにやります。

 

永遠のふたり

草彅剛主演。時間を止める装置を発明したにも関わらず、その功績を認められず教授殺しの疑惑をかけられている主人公(草彅)。周囲を包囲した警察と警部(江口)が突入するも、そこには誰もおらず、白骨化した二人の死体が。残されたスマートフォンには、主人公が時間を止める装置を使い、死ぬまで時間が止まった世界で生き続けていたことが分かる。さらには時間を止める装置が解除されると同時に謎の破壊兵器が動き出すようになっており、それを止めようとした警部が時間を止めるボタンを押し、なんとか兵器は止まる。しかし今度は警部が永遠に止まった時間の中に取り残される。

 

とまあ、あらすじを書いてみたら一応の体裁は整っている感じがするんだけど、映像で見たら激つまんなかったんですよこれ。話の展開があまりに唐突すぎるし。主演草彅で二番手江口洋介ですよ。にもかかわらず地獄のありさま。しかも演出脚本は「世にも」の演出家として名を馳せた共同テレビ星護。星の軽妙な演出が上滑りしていた感もあるのだが、それにしてもどうやったらこんなに酷い作品になるかね、と疑問でならない。

 

「次回の世にものキャスティング、(旧)ジャニーズの○○さんが入ってますけど、これ放送当時に大丈夫になるやつですかね?」

「うーん、もしかしたらヤバいかもしれないな。なんならお蔵入りになりかねない。そのうえ撮影したことがバレたなら「いまだに忖度か」とか言われかねないぞ。現にジャニーズからは毎回じゃないけど、まあまあ出てるしな」

「じゃあどうしますかキャスティング」

「そうだな、世にもはキャスティングに忖度してませんとアピールするためにも、辞めジャニ使ったほうがいいんじゃないか」

「例えば?」

「草彅剛なんてどうよ。「罠の戦争」も良かったし」

「なるほど、それいいですね。でもこの流れでいきなり草彅さん使うのちょっとあからさまって感じじゃないですか」

「じゃあ草彅を使うもっともな理由を作ればいいじゃないか。草彅のドラマといえば「いいひと。」とか「僕の生きる道」とか、草彅とゆかりのある星護がいるじゃないか。星護に撮らせて草彅出しちゃえばいいじゃん。あの星護が世にもに復帰!主演は関係性も深い草彅剛!的な感じでさ」

「うーーん、まあ、それでいいなら…」

 

てな会話があって無理やり星護に脚本まで書かせて短時間で撮らせたんじゃないか疑惑。じゃないと、とてもじゃないけど放送に耐える出来じゃなかったと思うんだけど。そう思ったのは自分だけで、古の「世にも」ファン(自分もなんだけど)は「星護演出は神」とかでもなったのかなあ。まさか。

 

 

地獄で冤罪

北村一輝主演。事務所で夜中一人仕事に追われる弁護士の主人公(北村)。誰もいないはずの部屋から自分を呼ぶ声がして、探してみるも誰もおらず。しかしよくよく話を聞いてみると、先日死刑になったばかりの男が地獄から地獄での裁判の弁護を頼みたいとの話。仕方なく弁護を引き受け調べていくうちに、それは自分が犯人を目撃しながらも通報せずにいた事件で逮捕された男であることを思い出す。地獄で裁判にかけられていたのは男のほうではなく、「冤罪であることを知りながら何もしなかった」ことに対する主人公への地獄裁判であり、そのまま有罪となり地獄へ。

 

「世にも」のメジャー分類(と勝手に自分が呼んでいるだけ)の「自分が」パターンです。それ以上でも以下でもない。

 

走馬灯のセトリは考えておいて

西野七瀬主演。生前のデータを入力することで、亡くなった人間のクローンのようなロボット「ライフキャスト」を作る仕事をしている、父親と二人暮らしの主人公(西野)。魂のないロボットを作ることに疲れ、仕事を辞める決意をしていたところに新しい仕事が入る。それはかつてバーチャルアイドルとして活動していた黄昏キエラのライフキャストを作ってほしいという依頼だった。依頼主は実は2代目の黄昏キエラであり、初代は活動の最中に亡くなっており、その彼女が成し遂げたかったことを果たすためにこの依頼をしたことが分かる。ライフキャストは完成し、願いであったお別れライブも終了。実は主人公の父親もライフキャストであり、仕事を辞めたら父を処分しようと考えていたが、考えを変え、そのまま仕事も続けることに。

 

SF小説が原作なので、骨子がしっかりしており、CGもガンガン使うし、内容に応えるためこの1本だけやたら力入りすぎてる感。人の生き死にに関わり、その思いを伝えるというのはアニメ「ヴァイオレット・エヴァーガーデン」にも通ずる中身で、関係者がその気なら連ドラ化だってできなくはない感じ。すんのかなあ。

 

 

トランジスタ技術の圧縮

溝端淳平主演。分厚い雑誌「トランジスタ技術」を保管のため圧縮することに命を懸ける男の戦い。アイロンを用いて背表紙ののりをきれいにはがすことで圧縮をする「圧縮の神」を師匠に持つ主人公(溝端)と、元々は圧縮の神の弟子でありながら、雑誌をむしることでページを圧縮する手法に変わった男との一騎打ち。最初のうちはむしりの圧倒的なスピードに後塵を拝す主人公だったが、秘技の炸裂と相手のミスが重なり形勢逆転。話は一件落着に思えたが、そこに現れたのは同じように分厚い雑誌「LEON」を持ったジローラモだった。

 

大いなるバカ枠。実在する雑誌トランジスタ技術を圧縮するというだけの徹頭徹尾バカ。原作が実在するのもバカだし(逆に原作が存在しないとこんな話絶対に作れない)、やってることもバカだし、そしてオチもバカ。感服いたしました。

 

 

個人的には「トランジスタ技術の圧縮」が頭5個飛び出していて、秀作の「走馬灯のセトリは考えておいて」、凡作の「地獄で冤罪」、そして大問題作の「永遠のふたり」と、色々な意味で見所の多い回だったなと。特に「永遠のふたり」は「TVer」で見られるうちに見ておいたほうがよい。傑作選として絶対再放送されないから。

 

年内、まだまだ更新するつもりだよ!いや本当に。

模試でやれよ

今年の高校生クイズは、こちらの低いハードルをさらに下回ってくる、なかなかの酷さでしたね。

 

自分が「高校生クイズ」にもはや何の期待もしていないことは、ここを長い間読んでくれている方なら既にご存じかと思います。参考資料となる過去の記事を並べておきますね。

nageyarism.hatenablog.com

nageyarism.hatenablog.com

元来こうあるべきだった「青春イベントとしての高校生クイズ」は、かつての「知の甲子園」という超絶くだらないコンセプトで裾野を焼き払われ、そのツケが現代に回ってきて一般の参加者はもはや皆無に等しい。地方予選という概念が成り立たないから地方予選を廃止、そしてチーム編成も3人1組から2人1組となり、さらには個人参加もOKという、もはやアイデンティティの欠片もない状態のくせに「40回目」とか、そういう都合のいいことだけは言うんだな、という状態。LIONもさぞお嘆きのことであろう。スポンサーは去年撤退。そして去年からまた開き直って「知の甲子園」的な出題になり、偏差値とクイズを混同させるクソバカ演出ですね。もういいところが本当にひとつもない。福留功男も草葉の陰で泣いているだろう。死んでないな福留。

 

もうこれも何百回と言ってるけども、クイズ知識偏重でベタ問重視の大会はあってもよい。これは言い続けている。しかしそれをTVショウとして、そして「高校生クイズ」の名前を冠してやるのは、もはや犯罪的だと言ってよい。過去に対する愚弄である。もはや「東大王」のほうが全然「高校生クイズ」だ。個人的には「新しいカギ」の「高校生クイズ何問目」を正式な「高校生クイズ」として迎えたいところではあるが、クイズの本流からいけばもう「東大王」が「高校生クイズ」でも仕方ない。でも自分が知っているキラキラしていた高校生クイズはもうどこにも存在しない。

 

クイズのための知識、ベタ問はまあある程度は仕方ないと思う。あったほうが出場者の努力が報われて盛り上がるんだろうな。けど「それだけ」なのはダメなんだって。「こんなこと知っているなんて凄い!」なんてウソもう通用しないんだって。クイズ研究会がクイズのため「だけ」の知識をため込んでいることだってもうバレている。それは知識が凄いんじゃないの。それのための対策をしているってだけのこと。本当に知識が凄いってのは、想定されていないジャンルのムダな知識をちゃんと覚えているかってことなの。今年TIFに出場したアイドルのグループ名を片っ端から答えさせたほうがよっぽど「高校生クイズ」なんだって。オールナイトニッポン55周年特番のパーソナリティをできるだけ答えさせてみろって。8000M級の山より多く解答できるのかって。

 

そして何より酷いのが計算問題。それは模試でやれって話だから。百歩譲って出題することは構わないよ。けど、その答えに対して、何も説明解説がないなら出題するなって。高校生がただ計算できるだけを見せつけることで何を表現したいんだよ。出題する以上は視聴者にも分かりやすく解答に至る計算の行程を説明しろよ。できないなら出題するなよ。平成教育委員会見たことあるのかよ。

 

あと許せないのは、個人参加ね。個人参加を認めたならば、個人参加のメリットをせめてつけてあげるべきだった。今回個人参加した人たちに認められたのは「一緒に参加してくれる人がいなかったんだね」ということだけ。酷!あまりに酷!来年は廃止な。

 

自分だって鬼じゃない。褒められることがあるなら褒めてあげたいさ。けど褒めるところがないのに褒めるのはできない。無理。答えが「みなみかわ」になる問題を出題してみろってよ。答えが「ポン貴花田」になる出題してみろよ。できないならもうやめちまえ。

 

please kick anyone quickly

みなさん、マナシン見てますか。そう、「真夏のシンデレラ」ですね。

 

夏のこざっぱりした恋愛ドラマだけど主演の森七菜ちゃんが鎖骨の一つ見せやしねえ!日焼けもしねえ!登場人物長袖着すぎ!来生たかお!(50代以上爆笑)でお馴染み「真夏のシンデレラ」です。

 

この夏は「VIVANT」やら「最高の教師」やら、やたら考察ぶりたいドラマが流行っておりますけども、考えるだけで鼻水出ちゃう、というあなたにマナシンはぴったり!考察する必要一切なし!なんならドラマのあらすじなんて追わなくても大丈夫!都合よくできたカップルがその場に応じてイチャついたりそうでなかったりを繰り返すだけの単純なお仕事です(役者さんはちゃんと頑張ってます。たぶん)。「7話の最後のキスシーンエロかったよね」という、何の考察要素もない感想で十分です。

 

それはともかく、マナシン、8話から山崎紘菜さん出てるんですよ。

 

山崎紘菜さんといえば目力が強いラグビーの女神であり、あるいは東宝系の映画館に行けば数年前まで必ず出会えたお姉さんであり、そして最近でいえばNHK朝ドラ「舞い上がれ!」で舞(福原遥)の同期のパイロットでお馴染みの超絶美人お姉さんです。アルピー平子も驚く美人、それが山崎紘菜

youtu.be

 

そんな山崎さんがマナシン出てるんですが、これがまあしょうもない役でして。主人公の一人である間宮祥太郎の大学の同期で、今は同じ会社で働いている皐月さんという人なんですけども、まあこれがどう考えても間宮大好きっ子じゃないっすか。そして自分の超深い考察の結果を大発表してしまいますが、「ただの当て馬」なんですよ。今これ書いてる最中に9話放送されていて、しかも見ていないんですが(ちゃんと後ほど録画で見ます。リアルタイムでは見ない)、たぶん当たってます。だったらもうちょい早くからその存在を匂わせておけよ、とか思うのですが、堂々の8話から登場。遅い。

 

背も小さく童顔の森七菜に対して、スタイル抜群で顔も大人びている山崎さんは対照的な存在として当て馬にされるのです。自分はマナシンのことを本当に楽しく見ているのですが、この山崎紘菜の起用法に関してだけは「いやいやいやいや」と思ってしまったのですよね。正しい意味での役不足だと思います。真夏のシンデレラではない本物の東宝シンデレラ(特別賞)をなめないでほしい。

 

これを書いているオジサンは気持ち悪いことに、もう10年も前から山崎さんのことを追いかけているのです。ちゃんと自分のブログで自白している。当時から「目力強い」って書いている。

nageyarism.hatenablog.com

そんな10年前からストーキング応援している自分も、彼女が出演している全ての映画やドラマを見ているわけではありません。むしろ見てない作品のほうが多いくらいでしょう。だからこそ自分が見ているドラマに唐突に出てきた山崎さんが、こんなすっとこどっこいな役回りをされたのでは、すげえ損した気分になるわけですね。彼女にはもっとやるべき役、やるべきことがあるように思えるのです。

 

全力で回し蹴りしてほしい。

 

この際どんな役でもいい。マナシンでの完全当て馬でもいい。けど、最後に間宮祥太郎に全力で回し蹴りをかましてはくれないか。

 

こんなこと書いたら「ただお前が蹴られたいという願望を書いているだけじゃねえか」と思われるかもしれない。違う。自分は蹴られたいのではない。山崎さんが誰かを回し蹴りしている姿を見て興奮したいのだ。どちらかといえば性癖として「蹴られたい」よりこじれていることは否定しない。

 

山崎紘菜の顔とスタイルから繰り出される回し蹴りは絶対に興奮する。でも蹴られたいわけじゃない。蹴られたら蹴ってる姿がちゃんと見えない。寸分の狂いもない完璧なフォームで繰り出される回し蹴りの軌道を愛でたいのだ。だからマナシンでこの後完全に恋に敗れる(もしかしたら9話でもう敗れているかもしれない)としたなら、最後に間宮に一発かましてやくれないか。そうしたら自分はその映像を抱えたままこの文章もろとも消えます、永久に。1か月ぶりにする更新じゃない。

 

大宣伝

どうも、ハトヤです。今自分が気になる番組は3位「VIVANT」2位「真夏のシンデレラ」、そして1位は「キタに恋した!」通称キタコイです。

 

おそらくこれを読んでいる数少ないテレビ巧者の方ですら「なんだよそれ」的なことになっていると思いますが、無理もありません。北海道ローカルの番組です。

 

「キタに恋した!」通称キタコイは北海道のTBS系列であるHBCが制作している30分番組です。北海道出身のモー娘。OG飯田圭織がMCで、「道民目線で気になる話題のスポットや誰かに話したくなるディープな世界を東京で探す!」(HPより抜粋)という番組です。まあ飯田さん16で上京してもう20年以上東京に住んでいるので、とっくに道民目線ではないような気がしますけども、細かいことはいいんです。

 

この紹介文だけ見れば、「よくある地方ローカル局の番組」って感じがしなくもないのです。しかし地方ローカル局の番組であれば、「東京で活躍するタレントが地元をめぐって紹介する」みたいな番組に普通落ち着くのです。なのにこの番組の違うところはなぜか北海道のテレビ局制作でわざわざ謎に東京のスポットを道民に紹介してくれるというところ。もう番組のコンセプトからまあまあどうかしています。

 

しかし早々にネタバラシしてしまいますと、この番組はHBC制作と言いながら、おそらくほとんどアップフロントグループが作っている広報番組みたいなものです。制作協力クレジットに「アップフロントワークス」とちゃんと出ていますが、95%製作費出しているとウソを教えられても納得するくらいの感じ。そもそも飯田MCなんて番組普通の発想では思いつかないし(大失礼)、そこにゲストで登場するのは北海道出身のハロプログループアイドル。もうハロプロを信仰の対象としなくなって長いので、グループ名こそ知っているもののメンバーの名前はおろか出身地までは全然知らないこともあり、今現在こんなに北海道出身者がいるのだなと驚く。そしてみんな水着写真集出してますね。ハロプロの伝統芸よ。

 

そんなわけでこの番組、「北海道民に道民目線で東京紹介してやるぜ」という建前のもと、「ハロプロのアイドルがサクっと東京でロケ番組やるからファンはTVerで見ろや」という超ヌルい感じで制作されています。そもそも制作しているHBCが北海道で見られることを前提にして作っているとは思えない。理由はいくつかあって後述したいと思いますが、放送時間帯もそのひとつ。制作局のHBCでは土曜深夜1時という正直誰も見ない時間帯で放送していますので、録画をしてまで毎回欠かさず見ている道民は自分だけです(断言)。てことはもうTVerで全国にいるハロヲタに向けてやっているとしか思えんわけですね。

 

だから全国のハロヲタTVerでもって見ているのかと思ったら、全然そんなことない。さっきTVerでお気に入り登録数確認したら3000人弱でした。さすがにハロプロ好きは世の中にもうちょっと存在していると思うのです。ただ番組の存在が知られていないだけなのかもしれない。

 

このままでは超絶面白番組「キタコイ」が道民からもハロプロ好きからも見られていない番組になってしまう。これはよくない。というわけで私元ハロプロ信者である道民ハトヤが完全なるおせっかいでこの番組の魅力をプレゼンします。自分の願いはこれを読んで興味を持ったニヤニヤしながらいっぺんTVerで見てほしい。ただそれだけ。悪意などあるわけがない。

 

(余談。はてなブログが有料記事販売を始めたのでここから有料にしてみようと思ったのですが、間違いなく誰も金を払わないので、またの機会にします。しっかし自分のブログ記事有料にしたら誰が読むんだろうか。興味はある)

 

注目ポイント①「オープニング」

この番組のオープニングは元モー娘。で札幌出身の佐藤優樹(まさき)のソロ曲「ロマンティックなんてガラじゃない」が流れます。もちろんハロプロ広報番組なのでそれくらいは全然許容範囲です。しかし恐ろしいのは「歌詞がテロップで出てくる」ところです。札幌に住んでもいない飯田さんが北海道から飛行機で東京に飛んでくるアニメーションから始まるオープニングですが、この曲の歌詞のテロップが出てきます。

 

初見の方はまずここに度肝を抜かれます。オープニング曲が流れるのはまあよしとしても、そこに番組と1ミリも関係のない恋愛ソングの歌詞が堂々と出てくるのはかなりシュールです。ちなみに番組開始当初はこのテロップは出ていませんでしたので、数回番組を流したあとでアップフロント側が「歌詞のテロップ出してくんねえかなあ」と真顔でHBCのスタッフに詰め寄ったことが容易に想像できて、ここにも味わいがあります。

 

注目ポイント②大先輩OG飯田と後輩アイドルとの距離感

これはもう仕方ない話なのですが、MCの飯田に対して登場する後輩アイドルの「どう振舞ったらいいのか分からん」感がヒシヒシと伝わってきてよろしいです。そりゃあモー娘。の初期メンバーである大先輩飯田に対して、20前後の後輩アイドルができることなんて「愛想笑い」の一択しかありません。猫ひろしじゃなくても「縦社会!縦社会!」と言いたくなります。ちなみに番組中には飯田が進行上の場所やものに関して後輩アイドルにクイズを出す「かおりんクイズ」なるものが存在しますが、タイトルも飯田本人もアイドルも全部見てられなくて最高です。

 

あと飯田の進行とは別に、HBCのアナウンサーと後輩アイドルの2人だけで、その日紹介したスポットの近くにある別スポットを紹介するコーナーもあるのですが、その時の後輩アイドルのイキイキのびのびした感じが、より飯田との距離感を感じさせるギミックになっているという悪い構成です。これは本当に番組が悪い。

 

注目ポイント③「もう道民無視してますやん」

これもオープニングテロップと同じタイミングで発動したはずなのですが、いつの間にか「北海道の番組なのに、北海道のことを札幌出身モー娘。OG(現在旦那が日ハム所属により北海道在住)の紺野あさ美がわざわざ北海道のことを紹介する」という謎すぎるコーナー「紺野あさ美の北海道通信」が登場しました。これには鼻水吹きました。

 

先日の放送では、北海道民ならば夕方ワイド番組などで何回もこすり倒されている「生ノースマン」を紹介。ちなみに「ノースマン」は北海道民ならば誰でも知っているお菓子で、その生クリームが入ったバージョンを北海道では今売っているんですよ、という紹介。道民みんな知ってる。ノースマンそのものの紹介も含めて、もうこれ道民向けというより完全に道外でTVer見てるハロヲタ向けじゃねえかよ、と。あくまで建前として道民向けは装えよ、という香ばしい感じ。紺野がねじ込まれたのも、やはりアップフロント側が「どうせ紺野北海道に住んでいるから、北海道レポーターくらいやらせてやってくんねえかなあ」と真顔で詰め寄ったんだと思います。

 

 

というわけで、30分番組にも関わらず見所がたくさんすぎて、とてもじゃないけど1.5倍速以上じゃないと見る気がしないのですけども、以上のような点を念頭に置いて楽しむと、「テレビって素晴らしいな」と思えるんじゃないかと思います。自分はこういう番組を失くしちゃいけないと割とガチで思っています。普通に面白いだけの番組だけが面白いわけじゃあない、というのがテレビの本当のいいところ。みなさんTver登録してほしい。

 

 

記憶にない人

世にも奇妙な物語」23夏の特別編の感想を。これは義務です。誰にも課されてませんが。

 

お姫様クラブ

鈴木保奈美主演。かつては裕福だったものの、今は結婚して家計をやりくるするパート主婦の主人公(鈴木)。そこに小さい頃所属していた「メンバーは皆お姫様扱いされる」というお姫様クラブの主催者が訪れ、主人公の娘をクラブに勧誘する。誘われた娘よりも、当時の思い出が忘れられず張り切る主人公だったが、自分が姫様扱いではないこと、そして娘がクラブを気に入らなかったこと、さらには舞踏会の音楽を聴くたびに記憶がフラッシュバックしてきて、どんな場所でも踊りだすようになる主人公。この症状を止めるべくクラブの主催者に「大人向けの会はないのか」と相談するも、「2000万円必要だ」と言われる。その金額の大きさや、自分のことを慕う娘のこともあり、諦める決心がつくも、その翌日夫が心臓の発作を起こす。薬を飲ませれば助かったはずだが、夫に2000万円の保険金がかかっており、そのまま放置して夫は亡くなる。その保険金で主人公は念願のお姫様扱いをされるのだった。

 

今回唯一の原作あり。平凡な日常から逸脱していき、そしてその逸脱を保つために主人公自身が逸脱していくという「世にも」の王道。原作はホラー漫画だそうで、さすがによく出来ているなあと思います。

 

ちなみに娘役は新津ちせだったのだけど、毎回毎回「この娘はどこかで見たことがあるなあ」と思い、分からず、クレジットを見て「ああ新海誠の娘のパプリカ」って思うところまでが1セットです。栗原類はすぐ分かるのになあ。

 

小林家ワンダーランド

中川大志主演。昔は仲が良かったはずなのに、会話もなくなった家族のことを悲しく思う主人公(中川)。そんな中父親から重大な話があると言われ、それは会社をクビになった父が自宅をテーマパークにするという提案。半信半疑でオープンするも大盛況に驚く。しかし近所にもっと豪勢な自宅テーマパークが出現するとともに、人気に陰りが出始める。リニューアルをするも効果なし。最後に取った手段は、完全ネタバレなしで主人公をチェーンソーで切り刻むという「ホラー系アトラクション」だった。

 

今回の1位。バカ系と思わせておいて最後に急角度でホラー系に落とし込むやり方は見事。ちゃんと伏線張ってたし。今回も女の先輩役の名前が途中まで思い出せなくて、「あれだよ、グラビアの、篠原じゃなくて、えーと、篠田じゃなくて、そうだ、篠崎愛!」で勝利宣言。決して篠崎愛の乳がしぼんでいなかったことに対してではない。

 

視線

池田エライザ主演。出来の良い姉を事故で亡くしたことが原因で、母親にちゃんと顔を見てもらえないことに苦しむ主人公(池田)。ある日目薬を点すと周囲の人の視線が全て自分に向くようになる。恐怖におびえるも、視線を外した男から「それは目薬のせいであり、3時間しか効果が持たない。そして見られているように錯覚しているだけ」という情報を聞く。そして男に「他人から見られていることは幸せだ」という話を聞き、母親と会う時に目薬を点し、顔を見てくれなかった母親がこちらを見ているように錯覚することで、少しづつ笑顔を取り戻す主人公。ある日母親と食事をしている最中に目薬の効果が切れる。慌てて目薬を点そうと思うが、容器が壊れ中身は空に。恐る恐る母親を見るも母親はちゃんと主人公のほうを見て話をしていた。母親は母親で主人公を見て会話することが怖かったものの、目薬の効果で笑顔で会話をする娘を見て、自分もそのようにしようと踏ん切りがついてのことだった。後日目薬なしで歩く主人公が一斉に視線を集める事態に。それは目薬の切れた男が主人公をナイフで切りつけようとしている事件現場だった。

 

最初の「ホラーか?」から目薬の仕組みが分かり、そして母親との和解の感動系で着地すればいいものを、最後にまた目薬の仕組みを教えてくれた男が出てきて、そして池田エライザが最後に視線をこちら(視聴者)に向ける、というのは完全に蛇足じゃなかったか。オチがもうちょっとうまく着地すれば佳作だったのになあ。目薬の仕組みを教えてくれた男は「シガテラ」の主人公を演じている醍醐虎汰朗だってことにはさすがに分かった。

 

西畑大吾主演。中古カメラを購入し、虹を撮影しようとカメラを覗いていると、制服姿の少女が見えるも、そこには誰もいない。カメラを覗きながらその少女が進む方向についていくと、そこには少女にそっくりの女性が。その女性はカメラに写っていた少女の姉であり、カメラの中の少女はそこで亡くなっていた。二人はやがて結ばれ、長い時間が流れる。妻となったその女性も亡くなり、主人公はまた独りに。ある虹の日にカメラのファインダーを覗くと、そこにはまた在りし日の少女の姿が映っていた。

 

……というストーリーだったと思うのだが、途中退屈すぎて半分意識が飛んでいたので正しいかどうか分からない。自分の中ではこんな話だったということにしておきます。さすがに奥田暎二くらい分かるよバカヤロー!(「らんまん」も出てたしな)

 

 

原作ありきではなくオリジナル3本持ってきたことは評価していいやつです。あとストーリーテラーパートにあのちゃん出てきたのもよかったですね。「世にも」の住人つう感じしますから。なんならタモリ引退後の2代目ストーリーテラーはあのちゃんでもいい。いやそれは言い過ぎだな。でも中途半端な役者がやるならあのちゃんのほうがいいや。というわけでまた次の世にもで。

 

 

かもしれないヒロスエ2023

「あー、不倫してえなあ、結婚してねえけど」という挨拶でお馴染み、ハトヤです。まあ結婚してなくても相手方が人妻なら不倫はできるんですけども、細かいことはいいんです。

 

なんだかんだ仕事が忙しくて、たまの休みはゆっくり身体でも休めていればいいのに、ついうっかりHDDの整理とかしたくなるんですよね。録画は放っておくと勝手に溜まっていく仕様ですから。

 

すると自分のようなうっかりさんは、つい「かもしれない女優たち2016」とか見つけてしまうわけですよ。タイトルから分かる通り、2016年放送。つまりは7年HDDに寝かしていたものですね。

 

なんで今これを見る気になったのか。「ブラッシュアップライフ」で脚本家としての地位が5ランクくらいあがったバカリズムが手掛けた作品であるから、という理由がないわけではないけど、そりゃもうひとえに「広末涼子が主演のひとり」という理由に決まっている。見るなら今しかねえ、と田中邦衛ばりに叫びましたよ。

 

そんでもって見た。バカリズムの脚本の巧みさは既に(というか脚本家になったときから)出来上がっていた。広末涼子井川遥斉藤由貴という3人の女優が売れていないという別の世界線を生きる「かもしれない」を描きながら、ストーリーを見事に収斂させていく手腕は、素直に見ていて面白い。

 

広末涼子は「ビーチボーイズに出演しなかったことで、売れ損ねた女優」であり、30代(2016当時)独身という設定。女優として売れていなくても早々に結婚はしてたんじゃねえか、とか思ってしまうけども、それはどうでもいい。物語の最後には井川遥の結婚相手になる藤木直人(という名前の俳優ではない社長)と二股をかけているんじゃないか疑惑が持ち上がる(不倫じゃない)あたりも、2023泣かせである。

 

最終的に広末は「こんまり」こと近藤麻理恵よろしくお掃除コンサルタントになる未来が描かれる。シェフと不倫する未来ではなかった。どうせならドラマ内で不倫していて謎にバカリズムが持ち上げられるという現象が起きてげんなりしてみたかったが、そうはうまくいかない。まあ広末涼子という人間は根っからのアイドルであり女優であり、そして不倫しちゃう人というのは、ターニングポイントを間違ったところで揺るがないとは思うのだが。

 

それよりも7年越しに見てしまったもんだから、余計なところが気になって。ひとつは竹内結子が健在だったこと。これが一番泣けてくる。竹内結子は「かもしれない女優たち」の1作目の主演。今回もゲスト出演という形で登場していたのだが、本当に惜しい女優を失くしてしまったのだなあという感慨。

 

そしてふたつめは「バカリズム夏帆愛」である。「架空OL日記」「ブラッシュアップライフ」と、バカリズム脚本の「何気ない会話の何気ない風景」を体現する存在として、絶対的信頼を置かれている夏帆。「かもしれない女優たち2016」では、斉藤由貴の(「かもしれない」の世界で経営している)バーの常連である夏帆本人として登場。ここでも見せるのはバーのオーナー斎藤と客の夏帆が見せる「何気ない会話」だった。時系列としては「かもしれない女優たち2016」「架空OL日記」「ブラッシュアップライフ」の順番なのだが、もしかしたらこのドラマが後のドラマにつながってくるのか。それとも単なるバカリズムの好みなのか。まあどっちでもいいんだが。

 

3つめは斉藤由貴の存在。不倫報道では広末に比肩するどころかその上を行く斉藤由貴。このドラマが放送された翌年に自身3度目の不倫報道がなされ、それを認めるもやっぱりちゃんと生き残っているのが斉藤由貴。「あの時不倫報道がなければ…」の「かもしれない」もどこ吹く風の存在だ。もしかしたら広末はこの時斉藤由貴に不倫の薫陶を受けていたのかもしれない。自分で書いておいてなんだが、不倫の薫陶てなんだよ。

 

HDDに寝かせたドラマは思わぬ気づきをもたらすことがある。最近TVerが便利すぎてドラマを寝かせることを極力しないようにしてきたけども、やっぱりここぞというドラマ(に限らず全ての面白そうな番組)はちゃんと自前で確保しておかなきゃいけないと思いましたとさ。

 

そうだ、HDD整理するなら「世にも」見なきゃ。つづく。

ファンキー一門

オリラジ中田の例の動画、見ていないけどなんか書けそうな気がするので書いてみました。本来なら「見てから言え」と言われて当然なのですけど、あんま見る気にならない。再生回数回すことでバズったと思わせたくない。思わせないことが大事だし。そしてもう一度言いますが、見なくても書けるなあと思ったので。

 

言ってること自体はよく分かるのです。ひとりの人間に大きな責務を負わせすぎると、それが本人の意図するしないに関わらず権力を持ちすぎることになるし。ただまあ「請われているからやっている」という側面を無視してはいけないと思うんですけどね。また、業界全体が依存しすぎているというのは、前回「ラブメイト」の件について書いた時にも同じような話をしたし、主張そのものが大きく的外れってことはないと思うのです。

 

しかし、その議論のゴールに「もっと俺を褒めて」があるものを、どうして首肯できようか。

 

「お笑いって色んな観点があってもいいじゃん、ていうか自分はそういう笑いをやってきたつもり。だから自分も同じくらい褒められたいし、褒められてもいいはず。てかもっと褒めろ」って言ってる動画だと自分は思っています。見てないから違うかもしれないけど、最近絶不調の村上くらい確信もって歩いてます。違ったらごめん。違ってても謝らないけど。

 

大御所への提言みたいな言い方してますけども、最終的に誘導したいのは「俺はもっと褒められるべきだし褒めてほしい」でしかないもの。途中まあまあ正しいこと言ってるとは思いつつも、それが「自分をほめて」の材料でしかなかったら、誰がそんなものに賛同するかい。

 

世の中には自己評価と他人の評価がマッチングせずに苦しんだりもがいたりする人がいます。自分は性格が悪いので、そういう様を見てほくそ笑むのを生業としているのですが、その最たるところにおられる人物を知っています。そう、ファンキー加藤です。

nageyarism.hatenablog.com

nageyarism.hatenablog.com

詳細は過去の文章を読んでほしいのですが、簡単に言えば、ファンキー加藤という人間は「けっこう凄いことやってるのに、自己評価がもっと高いので、結果他人に褒められたくて仕方ない」という人です。ファンキー加藤のやっていることはこんなとこでブログ書いているようなテレビ批評家気取りくんに比べれば1万倍凄い。世間からもある程度認められている。しかし自己評価はその1那由多倍くらい高いので、結果貪欲に名声を取りに行く様が最高にアレだ、という感じ。何度もいうが、凄いのは凄いんですよ。

 

もう、オリラジ中田は完全にファンキー一門ですよ。知ってたけど改めて今回の動画でそう思った。やっていることは確かに凄いんですよ。早くから売れて、何度もヒットを飛ばし、そしていまやYouTubeで大儲け。それが好き嫌いはともかくとして(これはファンキー加藤も同じ)、凄い人です。そこは間違いないんです。けど、自己評価がファンキー加藤以上に高い。ガチでパーフェクトヒューマンという立ち位置ですよね。あれが面白くなくなっていったのも、「あれ?この人本当に自分のことパーフェクトヒューマンだと思ってるんだな」となんとなく世間が気づき始めたときからですよね。認めないだろうけど。

 

だからこそチャンネル登録者数が膨れ上がっても、満たされない。そこに松本人志を超える名声はないからですよね。でもね、仕方ない。やっていることでいけば松本クラスとまでは言わないが、それなりに名声を得ていいレベルなんだけども、それを決めるのはあくまで他人だから。他人はそこまでのもんだと思っちゃいないっつうことなのよ。

 

奇しくもファンキー加藤の宿敵アンタッチャブル柴田は、かつて品川庄司の品川にこう言い放った。

すごい才能を持っているのに全然羨ましくないし、憧れない。」

nageyarism.hatenablog.com

自分はこの発言が忘れられないとともに、自分のひとつの指針になっている。このブログでも何度も書いている。凄いことは認めつつも憧れなくていいんだな、ということ。そしてファンキー一門の人は、この「凄い=憧れる」が当然の図式としてあるから、自分の「凄い」を突き詰めていくんだけど、それが他人からして「憧れるもの」であるかどうかは、また別なんだってことにもうこれは気づかない。気づいていても核心に触れるのが怖いから見て見ぬふりをしている。

 

他人から評価される、憧れられるっていうのは、その実績だけじゃあないんですよね。詰まるところ「人」を見ているんじゃないのかい。だからこそ、そこが圧倒的に「足りてない人」は、どこまでいっても自分の評価と他人の評価が一致することはないんだと思います。

 

憧れや評価は強制するもんじゃない。こっちには憧れる自由がある。