ファンキー加藤のことをまだ何にも知らない

FUNKY MONKEY BABYSファンキー加藤モン吉の二人で「FANKY MONKEY BΛBY’S」(読み同じ)として再結成。

 

自分はこのニュースを見たとき「さすがファンキー加藤だな、ブレてないな」と思いました。しかし世の中には「失望した」とか「ファンやめます」とか、おおよそファンだったとは思えない人間たちからの、ムダな批判を浴びている。嘆かわしいことである。

 

ファンキー加藤という人間を理解しているならば、この再結成に関して失望なんてことはあり得ないのである。ファンではないがウォッチャーではある私ハトヤからすれば、こんなに必然で当然でしかない再結成までの流れは、様式美であるとしか言えない。

 

今回の再結成に関して一番多く聞こえる(と思う)意見は「3.11を自分の都合のいいように利用したというものだ。多くの方が犠牲となった3.11の地震津波。これを利用するなんてことは本来であれば許されないことであろう。しかし自分は言いたい。声を大にして言いたい。

 

ファンキー加藤って、そういうやつじゃん。

 

そもそも、そのことが分かっていない奴が批判をしていることがおかしい。ファンキー加藤はそういうやつなのだ。そういう奴であることを無視して、そういうことを批判するのは「お前今更そんなこと言うの?」というレベルでしかない。もちろんそのこと自体が許せない人ってのはいるんだろうけど。もっともファンキー加藤のファンでない人からすればそういうものかもしれない。

 

しかし「ファンモンのファン」を名乗っておきながら、今回の再結成とかファンキー加藤の不倫にかこつけて批判しているような人間は、それはもう「愚か」でしかない。ファンキー加藤よりも愚かである。なぜならファンキー加藤(あるいはファンモン)のファンでありながら、ファンキー加藤の本質を理解しもせずに応援をし、そしてファンキー加藤の本質に少し触れただけで「ファンやめます」とか「失望した」言い出す。オマエは何を見てきて今までファンだったのかと。何も見えていなかったくせに、その自分の過失を棚に上げてファンキー加藤を批判している自分の愚かさをまず呪え、と言いたい。

 

今回の再結成に関するファンキー加藤のコメントを見てあなたはゾクゾクしないか。自分はゾクゾクする。

<ファンキー加藤>
心の奥のほうにずっと仕舞い込んでいた大切な思い出が、3月11日に解き放たれて、現在進行形の強い想いとなりました。
もう隠しません。
そのまま、自分の気持ちのまま、モン吉と2人で歌ってみようと思います。
ソロとしてのファンキー加藤を、そしてグループとしてのファンモンを、引き続き宜しくお願い致します。

自分なりに要約すれば「互いにソロ活動はジリ貧だったけど、『音楽の日』での再結成が評判良かったから、いや本当は評判良くなるだろうと分かっていたので、3.11にかこつけて再結成しちゃいます!また売れたいという気持ちはもう隠せない!」である。ここまで清々しく自分の欲望を再結成の活動コメントに込める人間を、自分はファンキー加藤以外に知らない。嫌悪感はまるでない。ニヤニヤしかしない。

 

今回の再結成における一連の流れは、徹頭徹尾ファンキー加藤そのものでしかない。しかしあろうことにファンキー加藤をファンとして眺めてきた(らしい)人間が「失望した」とか言っているようだ。とはいえ自分が見ているのは日本の底辺ヤフコメでしかないので、ファンを名乗っているだけの人間なのかもしれないが、仮にも本当に今までファンだった人間が今回の再結成において「失望した」とか言っているのであれば「私は今までファンキー加藤のことを何も理解せずに応援してきた恥ずかしい人間です」と白状しているようなもんであり、何を居丈高にそんなこと言っているのかと思う。ファンキー加藤に嫌悪感を抱く前に、自分のしょうもなさを恥じろよ。そしてファンキー加藤ファンキー加藤であることを楽しめよ、と思う。

 

自分なりにファンキー加藤を褒め殺していると思うのだけど、みなさんがどう思うかは任せた。もとい知った事ではない。