ひとでなしとなじられて

何が起きたのか、芸能界は結婚ラッシュです。

 

11月22日がその数字にちなんで「いい夫婦の日」というのは割と知られた話。なもんで、それを狙ってか、はたまた総理の陰謀か(少なくとも首相経験者が言う話じゃあない)ここ数日で立て続けに結婚、結婚、また結婚のニュース。令和元年のうちに、という気持ちもはたらいているんでしょうか。

 

壇蜜さんの「ついに人妻か!」的な驚き、メイプル超合金安藤なつの「年齢不詳感はあるけどそりゃけっこういい年齢」という収まりのよさ、さらにはオードリー若林の「ラジオスターとしての矜持」、そんでもってイモトアヤコの「全員から祝福される最高の結末」まで、ありとあらゆるパターンが出てきた。まだ他にもいたような気がするが、たぶん気のせいだろう。川村ゆきえとか髭ダンの人とかのことだね多分。

 

30代後半独身男性結婚の予定なし、という独身貧民の自分からすれば、この手の話題は「苦虫強制噛ませ的な話」である。いや誤解なきように言えば、これで自分が「日々婚活に励んでいる結婚必死系男子」であれば本当に「悔しいです!」的な話になってしまうんだろうが、自分のような「阿部寛の1000倍くらいスペック低いけど結婚する気がない男」からすれば、他人の幸せは素直に「よきかなよきかな」なのである。もちろんふとした瞬間に絶望的な寂しさが襲ってくることはあるが、それは結婚することによって失われる色々と引き換えにするものなので、仕方ないと割り切っている。結婚したらこんなところで超絶しょうもない文なんて書いている暇ないですからね。

 

社会的に面倒なことといえば「子育て」という共通の話題がない大人からは「結婚しないの?」と言われ続けること。もうこれも仕方ない。いい歳の大人は大抵の場合「結婚」「子育て」が共通の話題になる。自分のような「普段何をしているのか得体の知れない人間(=ただ家でテレビを見ているだけ)」と共通の話題なんてあるわけがない。そりゃあそうなる。一方で自分も「結婚して子育てしている人と話すことなんてそんなにない」わけで、自然とそういう場からも遠ざかってしまいます。まあ元々社交性なんてものは持ち合わせてないんですけども。

 

個人的には何の不平も不満もないのだけど、「次の世代を育て、社会に貢献する」という意味では著しく社会に貢献していないという負い目は常にある。税金が所帯持ちより高かろうが、同じだけ、いや他人以上に働いていても絶対に手にすることのない「家族手当」がつかなかろうが、社会の一員として諦める所存だ。とはいえ全ては「年末調整すげえ楽」と相殺されてチャラになると言ってもいいだろう。哀しきサラリーマンである。

 

だから個人としては他人の結婚に「いやあ、めでたいなあ」と思いつつも、その一方でどこかの地面を這うように「お前は結婚もできないひとでなしだな」という意識が自分の中に入ってくる。自分ではそれでいいと思うのだが、社会の中にいる客観的な自分がひとでなしとなじってくるのだ。

 

そりゃこの歳で「このご時世に日がなテレビばっか見てる」「ももクロちゃんを愛してやまない」独身なんてのは、人間としてどうかしているとしか思えない。30過ぎて独身のやつなんてどこかしら欠陥があるなんていう言説も、自分に照らし合わせてみれば、あながち間違いではないとすら思う。

 

先日仕事が忙しくてヘトヘトになっているとき、高校時代からの友人にLINEで「疲れてきたらススキノのメンズエステのHPを見ると頑張れる気がする」なんて軽口を送ったら「いや俺は娘の写真見るけどね」と返されて、オレ島康介が「何も言えねえ」と呟きましたよ。20代の頃ババアと出会い系でセックスしていた友人の吐く言葉じゃない。思ったけどそう返しはしなかった。だからここで書いてしまった。まあ友人はそんなことで怒る人間ではないので別に返してもよかったのだが。

 

それはともかく、「芸能人の結婚」は自分がいかにひとでなしかを再確認させてくれる装置であるように思う。みんな結婚してんのに、オマエはいつまでも独身だな、と。ススキノのメンズエステ行きたいけど結局HP見て止めるマンだもんな、と。オマエがひとでなしであることはよく分かった。たぶん読んでいる皆さんがそう思ったであろうこのタイミングで、ようやく言える言葉はこれじゃないかな。

 

 

 

有安さん、結婚おめでとう。幸せそうだから引退してもいいかもね。もうあなたの芸能人としての活動は見るに堪えないよ。堂本剛の比じゃないくらい正直しんどいね。なんだいあのクソすぎるインタビュー記事は。全てが「自分に都合のいい言い訳」じゃないか。残った数少ないファンはそんなことを聞きたいわけじゃないだろ。無論殆どの一般人はあんな長くて空虚なインタビュー読まないわけで、つまるところ誰にも向けていない言い訳の記事。本当にあなたは自分のことしか見ていない。そのくせ周りからどう見られているか自分が見えてないんだ。

 

あなたがインタビューで語っている

「実際にライブで見てもらったり、私が発信していく、表現していくもので感じてもらうしかない」

という言葉は、あなたが思っている以上に重たい。実際ライブで見て発信したものを感じ受け止めたファンが次々とあなたから興味を失っているんじゃないのかい。

 

自分は緑推しとしてあなたの脱退に関する「嘘」を好意的に「方便」として受け止めた。あなたがそこまでして抜けたかったももクロでは出来ない、ソロとしての熱く滾る何かがあったからこそ、抜けるという決断をしたのだと思っていた。しかしそんなものは存在せず、ただ年上の精神科医との歌手ごっこをするための、ただの「嘘」だった。それを自分はソロになってから「あなたが発信していく、表現していくもの」で感じたのだ。これ以上まだ何を感じさせるというのか。どんな自信があるのか。それをできればクソみたいなインタビューではなく、作品で感じさせてくれないか。

 

元推しが結婚のはなむけとして贈る最後の言葉。

 

 

 

ひとでなしは素直に結婚も祝えないんだよな。これだからひとでなしは。

思い込み

先日見た「世にも奇妙な物語・秋の特別編」の感想を。

 

鍋蓋

杉咲花主演。ぱっとしないOLの主人公は、自分の端末に届く「おすすめプレミアム」というサイトから届くおすすめ商品を購入することで人生が好転していく。しかしその好転していた人生が同僚によって崩されていく。おすすめ商品に殺害をほのめかす商品が並べられ、主人公は包丁で殺害しようと実行に移るも相手に阻止される。その阻止した道具とは自分も最初にオススメされた鍋蓋だった。

 

これは「世にも」定番フルコースです。「世にも」ってどういう番組ですかと尋ねられれば「これ見て」と言える令和時代のスタンダード世にも。「世にも」の大定番である「日常から少しズレた現象」「自分だけかと思いきや相手も」「何か大きなものによる実験」というフルコースを満たしています。さらには監督の「杉咲花ちゃんに悪いことやらせたい」欲まで出ちゃってますから、もう贅沢すぎてお腹いっぱい。確かに杉咲花ちゃんには何か変わったことやらせたいですよね。

 

恋の記憶、止まらないで

斉藤由貴主演。かつての売れっ子も年齢を重ねヒット曲が出ない主人公。ライブをやっても昔の曲ばかりで誰も食いつかない。そんな中頭の中にふと浮かんだメロディと楽曲「恋の記憶」がちょっとしたヒットとなる。しかしその曲はかつて自分が出演した番組のCMとして流れたものの、出演していた歌手が亡くなったため一度放送されたっきりお蔵入りになったCMの楽曲そのものであった。罪の意識にさいなまれるも、誰もその音源を知らないことから無視することに決めた主人公。しかし自身もCMの撮影を行うときにその幻を見るようになる。そして自宅で流れるかつてのCMの幻影を見て、その歌手が亡くなった原因も「他人の曲を使用したことによるもの」だったことに気づく。「恋の記憶、止まらないで」の歌詞が「この曲、盗らないで」に聴こえて。

 

これも素晴らしい。「世にも」のホラーエッセンスが存分に注入された力作。他人の曲を知らずに使っていたものの、その盗用していた曲もまた盗用されていたものだった、という「自分も」系であり、かつホラー系の期待も裏切らない。また楽曲のタイトルがダブルミーニング(というか単なるダジャレ)になっているところもファン心をぐっと掴む。

 

コールドスリープ

ムロツヨシ主演。現代では治療法が確立されていない病気による余命2週間と宣告された剛腕社長の主人公。命が助かるには治療法が開発されるまでコールドスリープで眠るしかない、と言われコールドスリープに入ることに。体力的な問題から目を覚ますことが出来るのは4度まで。1度目は息子の結婚、2度目は息子の逮捕、そして3度目は息子が自分と同じ年齢になる誕生日。「そんなことで起こすな」と思った主人公だが、そこで知る事実とは。

 

これまたよく出来ている。ムロツヨシを主演に据え置き、そしてコールドスリープという「世にも」ではよくある設定からコメディに寄せてくるのかと思いきや、なんとまあ直球の感動作よ。スタッフロールの後ろでエピローグ的な展開が流れるのも泣かせる。

 

ソロキャンプ

板尾創路主演。大きな仕事が終わると自分を見つめるために誰もいない山奥でソロキャンプに興じる主人公。一人で山奥で過ごす至福の時間を邪魔するように突如現れた男。自分の話を喋ったあと、ナイフを盗んで自害する。するとまた次は女子高生、次は老婆と現れては死んでいく。医者である男が見ていたのは自分が見殺しにした患者たち。彼ら彼女らの幻影を見て谷底に落ちる。一命を取り留めたものの、手術室で聞こえてきた声は「たぶん無理だろう」との声。今まで自分がしてきた「命に真剣に向き合わない」ことに向き合うことになった。

 

ホラーでありながら「因果応報」を思わせる内容。昔の「世にも」はこういうの多かった気がしますよね。そして最後にちょっとだけ毒が効いているやつ。これも悪くなかった。

 

恵美論

白石聖主演。日本史、ならぬ主人公恵美の歴史や生い立ちが学ばれる「恵美論」があったら。そしてその「恵美論」を真面目に勉強する学生と恋におちたら

 

今回のコメディ担当。ただエンドロール後にもう一本やるのはあんまり好きじゃないなあ。中身は可もなく不可もなく。今回は他の4本が良すぎたのと最後にオマケのように入ってきたことがちょっともったいなかった。箸休め的に3本目くらいにあったら良かったのになあ。

 

………お気づきだとは思いますが、この感想は自分が先日見た「秋の特別編」の感想です。数日HDDに眠っていたのを先日見たもので、感想もついでに書いた次第です。みなさんの記憶が不安になったのであれば申し訳ない。ただ、それは「奇妙な世界」への扉の第一歩かもしれませんし、ただこれを書いている人間の性悪さかもしれません。それでは、ごきげんよう

 

 

 

思い込み

先日見た「世にも奇妙な物語・雨の特別編」の感想を。

 

さかさま少女のためのピアノソナタ

玉森裕太主演。ある日主人公は図書館で古びた血染めの楽譜を見つける。そこには「絶対に弾いてはならない」と書かれており、実際に演奏し間違えれば指を怪我し二度と演奏が出来ない体に。しかし演奏をしている間は時間を止めることが出来る。ある日その曲の演奏をしはじめると屋上から投身自殺を図った同級生が空中に。主人公はどうにかその同級生が救えないかと思案する。

 

「曲を演奏すると時が止まる」「曲に失敗すると二度と演奏できなくなる」のメリットデメリットがよく分からないですよね。オチにも使われる「逆に演奏すると時間が戻る」も含めて、なんだか上手いこと出来ているのかそうでないのか判断に困る作品。最後に救った同級生が同じ曲を弾いたら今度は二度と演奏できなくなった同級生が飛び降りてくるのは完全に蛇足じゃない?

 

しらず森

吉田羊主演。自分が幼いころよく遊んだ森に自分の息子を連れて行く主人公。そこで息子は神隠しに遭ってしまう。離婚寸前の旦那と一緒に息子を探すが、そこでタイムカプセルに書かれた自分からのメッセージを基に、息子の救出を試みる。

 

タイムトラベルからのちょっとした感動ストーリーは王道。週刊ストーリーランドかと思いました。この後の「人間の種」とちょっと中身がかぶっているのは気にしないでおこう。しっかし吉田羊はシングルマザーとかシングルとか多いですよね。やっぱりそういう風に見えるんだろうか。

 

永遠のヒーロー

郷ひろみ主演。科学の発達により怪人と正義のヒーローが普通に存在する世界で奮闘するヒーローの主人公。離れて生活する一人娘のために奮闘するも、その存在が架空であると知り、自分の存在意義を失う主人公。そんな中存在しない娘からの電話により、衝撃の事実を知る。

 

世にもでは王道の「逆に」パターンである。やっぱりこの構図は話として美しく、そしてオチも美しいですよね。せっかくの郷ひろみ主演でヒーローモノなのに、結局郷ひろみはスーツアクトしない(そりゃそうだ)ってのはちょっともったいないような気はします。あと最後のスタッフロールで山寺宏一が声の出演ひとり10役は便利使いしすぎと完全に笑わせにきている。さすが。

 

大根侍

浜辺美波主演。好きな先輩にブリ大根を作ろうと思い、大根を買って帰ろうとする主人公。しかし帰りに大根を腰に差す男と大根がぶつかってしまい、そのまま決闘へ。

 

今回のバカ枠。超絶かわいい浜辺美波に珍奇なことをやらせたいスタッフのスケベ心と、超絶かわいく当時絶賛変な恰好で不倫中の小手伸也に珍奇なことをやらせたいスタッフのごく真っ当な意識のぶつかり合いによる珍作品。これが(広瀬)アリスだったらこんなことはならずに、超絶真剣なコメディとして成立してしまうのでアリス最高と全然関係ない感想をぶちこんでおく。

 

人間の種

木村文乃主演。プロポーズをされて踏ん切りのつかない主人公。自らが母親を間接的に死なせてしまったというトラウマがあった。そんな折花屋でみつけた「幸せの種」を花壇に植えたら、種から人間が生えてくる。その植物は自分の母親を名乗り、主人公の気持ちを動かしていく。

 

タイトルだけ見たらホラーでも不思議じゃないんだけど、れっきとした感動作。前述の吉田羊じゃないけど、木村文乃も軽不幸の女性を演じることが多いような気がします。嫌いじゃない。

 

タモリパート

タモリの語りパートには佐藤二朗が出演。疑心暗鬼の強盗犯が自分を刺して死んでしまう、というストーリーを各話ごとにうまく繋いでいる。超忙しいんだろうけども、佐藤二朗でやっぱり一本見たいな、という気にさせられる。主演あったっけなあ。たぶんないと思うんだけども。

 

前回に引き続きストーリー5本。うちコメディチックな「大根侍」は話を前後編に分けて最後に放送。この構図「引っ張り」の効果があるのかもしれないけど、あんまり好きじゃないなあ。引っ張る内容じゃないのだからなおさら。

 

 

 

………お気づきだとは思いますが、この感想は自分が「先日見た」6月に放送された「雨の特別編」の感想です。半年間HDDに眠っていたのを先日見たもので、感想もついでに書いた次第です。みなさんの記憶が不安になったのであれば申し訳ない。ただ、それは「奇妙な世界」への扉の第一歩かもしれませんし、ただこれを書いている人間の性悪さかもしれません。それでは、ごきげんよう

 

 

 

思い込み

先日見た「世にも奇妙な物語・秋の特別編」の感想を。

 

脱出不可

坂口健太郎主演。目覚めたら監禁されている主人公。そこから脱出するには3つのパスワードを入力するしかない。その部屋はネット配信されており、視聴者の力も借りながらパスワードを発見しては解読していく。しかしパスワードを解読していくにつれ、自分がなぜ閉じ込められているか、そして何を意図しているかに気づかされていく。

 

始まったときは「安っぽいSAWが始まりましたよ」と思ったんだけど、終わってみたら激安すぎてびっくりした。いやあまあ脱出ゲーム的な要素とネットの怖さ的な要素をリミックスして中学生に脚本書かせたらあんな感じになるんでしょうけど、いい加減「奇妙=投げっぱなしでもあり」ってことではないというのは徹底してほしい。一発目の子供だましは困る。

 

あしたのあたし

国仲涼子主演。平凡な毎日を送る主婦の主人公。しかし突如スマホに送信されてきた自分の明日の予告動画「あしたのあたし」の通りに日々が進行していく。配信が最終回となった翌日、動画の煽りにある「予期せぬ結末」とは?

 

今回の秀作。ドラマの予告編あるあるを交えつつ、コメディ路線を進みながらも最後にシニカルに終わるという、いかにも「世にも」な作品。1本目のショボさとの落差に耳キーンとなるやつね。国仲涼子のくたびれ感は嫌いじゃない。

 

幽霊社員

佐野史郎主演。社内でも存在感が全くないいわゆる「幽霊社員」の主人公。大きな仕事を目の前に亡くなり、成仏ができない「幽霊の社員」の思いを託され、仕事に奮闘する。

 

これも「世にも」テイストたっぷりで、起承転結がしっかりしているところにオチもよく出来ている。演出がさすがの星護よ。佐野史郎と「世にも」は本当に相性がよい。「バカばっかりだ!」という名作がありましてですね、ええ。

 

マスマティックな夕暮れ

玉城ティナ主演。黒魔術書に書かれた数学を解読するために不良が数学を学んでいく、というお話。説明が雑。元はヨーロッパ企画の脚本。

 

まあ、テレビ界では理系の出番はないですから、こんなもんだと思います。不良が勉強して数学が出来るようになるだけの話。突飛な展開も何もない。エセ理系の自分が気になったのは「動物の血液を薄めてできる水溶液」の問題よ。血液はコロイド溶液なので水に混ぜても水溶液にはならんでしょうよ。まあいいんだけどさ。こういう煩いこと言うから理系の出番はないのだ。

 

クリスマスの怪物

川栄李奈主演。クリスマスイブにIT社長と食事をする主人公。そこでクリスマスの思い出として過去にイジメによって大怪我を負った同級生の話をするが。

 

分かりやすいホラー枠。サンタさんの赤い服は返り血なんだよ、くらいのホラーかと思いきや、IT社長のサンタさんとは発想は面白い。けど話の中身は凡庸。まあこのくらい分かりやすいほうが初心者は楽しめるかもしれません。おじさん何せ30年見てますからねえ。

 

 

久々に丸々5本というスタンダードスタイルの放送。5本もあれば佳作も駄作もそりゃあある。それなりに楽しめてますよ。次の「雨の特別編」も早いとこ見なければ。

 

 

 

 

 

 

 

………お気づきだとは思いますが、この感想は自分が「先日見た」昨年放送された「秋の特別編」の感想です。1年間HDDに眠っていたのを先日見たもので、感想もついでに書いた次第です。みなさんの記憶が不安になったのであれば申し訳ない。ただ、それは「奇妙な世界」への扉の第一歩かもしれませんし、ただこれを書いている人間の性悪さかもしれません。それでは、ごきげんよう

 

 

所詮は

なんだか「ひるおび」と「ミヤネ屋」でオリンピックのマラソンを札幌でやる事に関し、北海道マラソンのコースを引き合いにして札幌のコースをバカにしたような発言があったとかなかったとかで。中でも北海道マラソン優勝経験者の千葉真子あたりがかなり言いたい放題言っていたとか。

 

まああくまで関東ローカルの「ひるおび」と関西ローカルの「ミヤネ屋」ですから、そこで言いたい放題言っていても所詮僻地の、津軽海峡を渡った遥か遠くの北海道まではこんな情報は届くまい、とでも思っていたんでしょう。情報の発達した世の中ですら、極北の地までは届くのに最低1年、そうなりゃオリンピック終わった後だと考えていても不思議じゃないわけですね。お東京様とかお大阪様に住まわれる貴族芸能人なんてのはそんなもんです。

 

しかし残念ながら札幌市民でもある自分の耳にこの情報が入ってきてしまったということで、個人的には「ひるおび」も「ミヤネ屋」も田中義剛ばりに「あたしゃ許さないよ」ということになります。関東ローカルだろうが関西ローカルだろうが、聞こえてしまったものを無視するわけにはいきませんからね。

 

でもまあ人の悪口ってのは聞こえていないところで言うのが楽しいのであって、そういう魔がさすことはあることだし、あんまり強く責められないとは思います。相手に言うつもりもないのに聞こえてしまった、しかも誰かが余計なことして密告されたなんてことでモメるのもよくある話だしね。ええ。

 

え?両番組とも北海道で放送されてんの?半年遅れとかじゃなくて?リアルタイムで?

 

 

 

 

 

所詮はキー局の番組は「関東ローカル」だし、ミヤネ屋なんかは「関西ローカル」でしかやってないという非常に分かりやすい例だよこんなもん。関係者全員北海道に取材しに来たらカニの甲羅ぶつけてやるからな。二度と来るなよ北海道。

 

 

あたしゃ認めないよ

田中義剛が「踊る!さんま御殿」にて「ケンミンSHOWで北海道代表として呼ばれない」と嘆く。

 

最初にこのトピックを知ったのはネットの記事で、「ほう、それは確認しなければ」と思いネットで探して当該部分を確認した。確かに言っている。「青森は(高校を卒業するまで)18年間住み、北海道は(それ以降の人生)40数年住んでいるけども、いまだに北海道の代表で呼ばれない」と。

 

「当たり前だ!」と感情的に叫んだ北海道民は数知れないだろう。たぶん。

 

自分は5年前に今は亡き番組「ソロモン流」で取り上げられた義剛をこんな風に説明している。

北海道民にとっての田中義剛とは何か。それは「一応道民なのに道民扱いされない、したくない“逆名誉道民”」に他ならない。地場産業を盛り上げて北海道に多大な貢献をしているにも関わらず、道民から尊敬もされず、親しみも持たれない。それが田中義剛という男。

今改めて読み返してみても、あまりに身も蓋もない紹介であるが、しかしこれ以上他に説明しようがない。書いた自分が言うのもなんだが、酷い紹介だ。ちなみに続きはこんな感じなので、ヒマな方はどうぞ。

nageyarism.hatenablog.com

「ケンミンSHOW」が義剛を北海道代表として呼ばないのは単に「義剛を北海道民として呼ばなくても他にいくらでもいる」からに過ぎないだろうが、それを抜きにしても「義剛を北海道代表とは、あたしゃ認めないよ」という浅香光代ばりの道民は、道外の方が思っている以上に多いと思う。

 

道外の方からすれば「なんでそんなに義剛を道民扱いしないのか」と思うかもしれない。義剛の主張する「北海道に40数年住んでいる」ことを考えれば、それはもう殆ど北海道民ではないか、と。そう思われても不思議じゃない。しかしはっきり言う。そんな考えは義剛に「何の興味も持っていないから、どうでもいい」と同義であり、義剛に何の興味もないから言える戯言に過ぎないのである。

 

道民は少なからず「義剛と一緒にされたくない」と思っている。それは花畑牧場の生キャラメルを代表例とした義剛の商売にゲスい感じを指して「北海道民“は”あんなにゲスくないよね」と思ったり(実際北海道民はそこそこゲスいと思いますけど)、訛り丸出しで牧場経営していて「THE北海道」感を出していることに「北海道がみなあんな感じだと思われたくない」と思っていたり(もちろん訛っている人もいるし道東では酪農は基幹産業なんだけども)と、さまざまな理由から道民の「北海道アレジャナイ」を一身に背負う存在が義剛なのである。つまりは「非道民の誤解を全て体現している」ともいえる。あるいは単にゲスいオッサンだともいえる。嫌われる理由があらゆる角度にある。

 

ただそこには北海道民の「田舎者と思われたくない」というコンプレックスも内包しているのかもしれない。道外の人間から北海道民が義剛のように映っているかと思うと、それはもう嫌悪の対象でしかない。北海道はその広さからたくさんの有名人を輩出している。そもそもアイヌが住んでいた土地に入植してきた北海道民には「歴史上の偉人」がいるわけではない。だからこそ現状のスターが北海道の誇りなのだ。しかしそのスターを差し置いて「そもそも北海道の人間ではない」義剛が北海道代表みたいなツラをされると、これはカチンとくる。間違っても「北海道の人間だ」とは言いたくないのである。嫌いな道民はひとりもいないと言っても過言じゃない大泉洋はえらい違いだ。

 

ただ、義剛が北海道を愛し、北海道に住み続け、北海道に税金を納めていることは紛れもない事実である。出身は青森八戸といえど、そろそろ義剛を道民として受け入れる度量が北海道民にも必要なのでは?

 

………そんなことを考えながら自分は「さんま御殿」を見ていた。すると「オホーツクのホタテは流氷で運ばれたプランクトンを食べて育ちとても大きい」と発言した清水宏保(スピードスケート金メダリスト)に対し、義剛は

 

「ほぼロシアからの密漁だって聞いた」

 

と発言。そりゃね、義剛だって本気でこんなこと思っていない。東北VS北海道という構図のバラエティを盛り上げるための発言であることは百も承知している。しかしこうやって義剛はまた北海道民から嫌われていくんだなあとしみじみ感じた秋の夜。一生ケンミンSHOWに北海道代表で呼ばれることはないでしょう。これを読んでいる道外のみなさんは、北海道でうっかり義剛を北海道民扱いしないように。夜中に襲われますよ。

 

 

ニセモノであるから

「ノンフェイクション」という番組がテレ東で放送されましてですね。

 

ドキュメンタリーとして追いかける対象の中に、ひとつだけ(一人だけ)フェイク、つまりニセモノが混じっているという番組。今回放送されたのは「メンズ地下アイドル」がテーマ。3人の男性地下アイドルのうち一人だけがニセモノ。ケンコバ市川紗椰がVTRを見るという立場なのだけど、特にクイズ形式になっているだとかそういうことではない。見て感想を述べる。「ハイパーハードボイルドグルメレポート」の小籔と同じ立場。

 

でまあ、番組の感想としては「ただニセモノが混じっているだけ」なのは「面白いのかそうでないのかよく分からない」である。

 

今回のドキュメンタリーはフェイクも含めて全て本物のドキュメンタリー監督である岩渕弘樹が担当。だから本物もニセモノもドキュメンタリーとして普通の映像に仕上がっている。それゆえ本物はもちろん、ニセモノも「それなりのドキュメンタリー」に仕上がっているのだけど、番組の意図が「当てさせる(あるいは騙す)こと」ではないせいか「ヒントとなるものが題材の雰囲気でしかない」のである。

 

たとえば格付けチェックであれば「その道の巨匠」と「駆け出し」が撮影することで、その違いに気づくか?というコンセプトになる。しかしこの番組は両方とも同じ人が撮っているし、本当にただ単に「題材そのものが本当かウソか」なのだ。しかもヒントはなし。見終わったあと「騙された」という感じにもならず、かといって「これが嘘でよかった」という深刻な感じでもなく、ただ単に短編のドキュメント2本+フェイク1本を見せられたという感じ。まあそういう意図なのだろうけど、自分は思ったよりそこに面白さを感じなかった。

 

 

原因のひとつとして、「このドキュメンタリーの中にフェイクが混じるという構造そのものに何かしらのフェイクが混じってくるのではないだろうか」とかなり過剰な期待をして見てしまったこともあるのかもしれない。例えば「フェイクのアイドルはおらず、監督がフェイクだ」「最後のVTRでケンコバが別人に変わっている」「市川紗椰のユアタイムの1年間がフェイクだ」なんていう十重二十重のトリックがあるのではないか、くらいのことを見ていて漠然と考えていた。でもそういう仕掛けは当然ない。

 

そもそも自分の見込み違いとして「フェイクだと分かるようにフェイクを作っていたわけではない」ということ。例えばフェイクドキュメンタリーで自分が強烈にハマった「放送禁止」シリーズはそのドキュメンタリー内に「真実」が見え隠れするようにヒントが散りばめられている。それを見つけるのが楽しみであったりする。しかし今回「ニセモノが混じっている」んだけど「ニセモノを当てること」が主眼ではないため、ドキュメンタリーの中身に仕掛けがあるわけではなく、単純に「素材が架空で役者」というだけ。それが「そうやってドキュメンタリーって作れるじゃん」という皮肉であるともいえるんだけど、自分には「単にニセモノ混ぜて作ってみよう」レベルまでの意気込みしか感じなかったんだよなあ。惜しい。もっと企画を練りに練って、現実とフェイクの境界線が見えなくなるまでこちらの頭をゴチャゴチャにしてほしかった。

 

まあ来週の「熟女セクシー女優の私生活」は見ますけどね。バクシーシ山下監督とかフェイク混じってなくても見るよ。むしろフェイクいらないじゃん。企画的にはそういうことじゃないと思うんだけど、そう思われてしまう時点でちょっと失敗しているんじゃないかとは思う。

 

 

 

 

「フェイク」ついでに「クレイジージャーニー」打ち切りの件を再度。「やらせと演出の境界線」という論点で是か非か語られている感じがちょっともどかしい。「動物を置くくらいのことは演出の範疇じゃないか」だとか「川口浩探検隊が許容されてなぜ今回のはダメなのか」とかいう意見を見たり聞いたりして、「うーん」と思う。賛同できない。前書いたものと意見はあまり変わってないので置いておきます。

nageyarism.hatenablog.com

 

前にも書いたけども、加藤先生がこの「演出」を知っていようといまいと(知らないわけがない、という追撃記事が出たけどもあまり話題になってないのか)、加藤先生の信用は少なからず傷ついたと思います。無邪気な顔して捕まえていたけど、本当は知っていたんでしょ?と。それがタレントなら「演出」「仕事」で済ませていいのかもしれないけど、学者の加藤先生がやると意味合いが少し変わってくるような気がするんです。一応建前は「珍しい爬虫類を自らの手で捕まえる」なんだし。

 

そしてここを再度強調したいのだけど、信用を損なうのは加藤先生だけではなく、全てのクレイジージャーニーとして出演した人たちなのだ。これを許すわけにはいかないだろう。調査によって「(加藤先生の企画内では)他に同じような演出が見つからなかった」となっているが、裏を返せば「全部のクレイジージャーニーを調べているわけではないので、そこにはまだ何かあるのかもしれない」となるだろう。最悪加藤先生が演出に加担していて、加藤先生「のみ」の信用が落ちるのは仕方ないかもしれない。しかし「クレイジージャーニー」に出演していたという理由で、あらぬ疑惑のまなざしを向けられるように「してしまった」ことそのものは、視聴者ではなく今までの出演者に対する大きな裏切りになる。

 

これが「加藤先生の生き物バンザイ」という単独番組であれば「それくらいの演出はいいじゃん」と思ったかもしれない。けどバラエティといえども、人生をかけた生き様を映す「クレイジージャーニー」であれば、やっぱりダメだよなあと自分は思う。