中居とフジテレビの件

中居正広が芸能界を引退。

 

昨年末から年始にかけて中居のスキャンダルが報道されてから、あれよあれよという間にこの事態。中居の示談を引き起こすこととなった行為は1年半前の話であり、それを示談で済ませてからややしばらく時間が経っていたので、本人もフジテレビもこんなことになるとは露にも思ってなかったんだろうなとは思う。

 

報道の真偽を含め、内容は諸所で確認していただきたい。自分は「目にした報道の中身からこんなこと感じてます」を記しておきたい。「なんかひっくるめて全部悪い」みたいなのは本当にしょうもないので、観点を分けて書いてみたい。

中居の当該行為について

週刊誌の報道では本当かウソか分からないことも多く散見されるが、ひとつだけ間違いがないことは「中居が女性と示談を済ませていること」だ。だからもう中居に関しては「(9000万円かどうかは分からないが)示談で済ませなければいけないようなことをした」わけで、その行為が示談をしたからといって全てチャラになるわけではない。示談の中身としては「これ以上当人同士でもめることも口外することもしないし、中居が芸能活動続けても問題ないですよね」ということだったんだろう。それがうっかり中居側が公表した「芸能活動を続けられるようになりました」につながったんだと思う。「お前が決めるなよ」ではなく「示談内容としてそうなったんです」のつもりだったんだろうが、あれが完全に余計な一言だったとはやっぱり思ってしまう。そして「ああ、やっぱりこういうこと以前からやってるからこういう運びになるんだろうな」ってのを見ている人にうっすら感じさせるのには十分だったということ。個人的にはここが大きいような気がしている。初めての対応じゃねえな、と。出てないだけで似たようなケースがあるんだろうな、と。

 

そして地味に中居の首を絞めたのが「示談しちゃったから自分の口からはこの示談を済ませた件の内容について、何も言えることがないこと」なんだろう。この件に関しては週刊誌に書かれたい放題。でも示談したのは自分。

 

そして個人的に一番大きいのは「いい歳こいて示談沙汰になるようなことしてんのか」ではありますよね。ダウンタウン松本のように「事実無根なので戦う」というポーズすら取れない。もう示談しちゃってる。事実としては動かしようがない。ここは大きいと思うんです。「事実ではないんだけど示談でお金払いました」ってことにはならないから。だからまあ、その内容についての本当の詳細は不明ではあるけど、「示談していたこと」が全てなんじゃないかなあと思います。

 

フジテレビの何が悪いのか

中居が行為を及ぼした相手が当時フジテレビの女性社員であったことも疑いがない。まあ少しでも報道を目にした方がそれが誰か、というのはほぼ100%知っていると思うのだが、そこは本人が公表していない以上は書くべきではないだろう。もっとも示談が成立している以上本人は言わない言えないのだろうが。

 

でまあ、本来なら「中居が女子アナを狙ってやった個人間のこと」となる。例えば女性が中居から持ち掛けられた食事に自ら進んで応じて、その後こういうことになった、というのならこれは個人間の問題である。「企業と仕事の得意先とのトラブル」という側面があるので、こう簡単に割り切れないことは承知しているものの、大雑把に見ればそういう見方になる。

 

でも中居と女性がそういうことになった前段階として、「フジテレビ側の人間が中居と結託して二人だけになるようなシチュエーションを作り、そこでそのような行為に及んだのではないか」という疑惑が持ち上がったのだ。これはあくまで週刊誌報道であり、事実として確定しているものではない。「性上納」だなんてこの上なく下品な言葉で説明されている。

 

個人的には「まあ、あったんだろうなあ」と思っている。前述したように「中居側がこの手の示談に慣れている」であろうことが推察でき、その理由は「前例がいくらでもある」からだろう。となれば、このようなシステムがどこかに構築されていてもなんら不思議じゃない、ということ。これらはあくまで自分の「感じたこと」であるから、事実かどうかが分からない。なので、この件が事実だったとするならば、中居が悪いのはもちろんのこと、この当該フジテレビ社員というか中嶋優一も中居ほどではないにせよ、やっぱり責められるべき人間なのだとは思う。ただ、あくまで一番悪いのは中居。ここはやっぱり外しちゃいけない部分だと思う。

 

で、ここからがフジテレビ本体の話。まず「このようなシステムが出来上がっている(という仮定)にも関わらず、フジテレビがそれを黙認していたのではないか」という疑惑。ここは「なあなあになっていたんだろうな」と思う。それこそジャニーズ問題と同じ。みんな知ってるけど、ほっかむり。大なり小なり差はあれど、みんな経験していること。触れてもいいことない。だからやりたい放題が横行する。そんなところだろう。だからまあ「こんな風になっていることに誰も声を上げない」ことに関しては、自分はあまり責める気になれない。これを責められるのはよっぽど正義感の強い社会経験のない人間なのではないかと思う。

 

フジテレビとして「女子アナを積極的にタレントにあてがいなさい」という方針ではなかったのだろうが「そういうことになったらそういうこと」とは思っていたんだろう。某有名風俗街の性行為が「自由恋愛」という「てい」であるのと同じである。しかしフジテレビがそれを早々に認めてしまったら酷いことになる、という判断があったんだろうな。ジャニーズ問題を他人事ではなかったにも関わらず散々他人事として報道しておいて、いざ自分事となったらこの有様。そりゃあ報道機関としての資質を疑われていても仕方がない。

 

ただ、話が社長に上がってきたときに、話を大事にしようとせず処理に動いたのも、会社の論理としては当然の判断なのかなと思う。もちろん被害を受けたほうはたまったものではないのだが、「それで事態が丸く収まるならば、そうしてほしい」と処理するのは理解できない話じゃない。だって今まではそれで済んでいたわけだから。隠密裏に処理できるのであればそれに越したことはなかった。間違いじゃないと思う。しかしそれで済む時代じゃなかった。ここに尽きる。出た以上それなりの対応をするしかなかったのだが、それが完全に後手だった。

 

「社員を守る」と「事実を隠蔽する」は紙一重であり、フジの一連の動きは全て「事実を隠蔽する」に見えてしまった。仕方ない。最初に社員を犠牲にして会社を守るという判断をしてしまったのだから。決して被害者をないがしろにしているわけではないのだが、自分が社長なら同じことしていたんじゃないかという気はするもの。もちろん自分が同じことしそうだから許す、ということでは全くなく、「自分でもそういう判断になったんじゃなかろうか、という想像をめぐらすこともなく、よくもまあそんなに責められるわな」とはちょっとだけ思うのよ。それだけの話。

 

ただ、最初の判断はともかく、そこからのフジの判断は「まさにオールドメディア」という対応でしかなかった。内に閉じた記者会見を散々批判してこなかったか?説明責任を果たすということの大切さを述べてこなかったか?まさか「自前で説明するのがこんなに大変だったとは」とか言い出すんじゃなかろうか。

 

フジテレビに関しては「会社がそういう仕組みを黙認していた」かもしれないことも当然悪いのだけど、個人的には「その後の対応があまりにあまりだった」ことが傷口を広げた原因だと思う。そう考えるとジャニーズはまだ潔かったのかもしれない。まあきっかけはジャニーズにいた人ですけどね。

 

中居の引退はやりすぎなのか

twitterでもちょいとつぶやきましたが、芸能人の引退は「引退しまーす」と名乗るだけで、ライセンスを返上するとかそういう類のものは一切ない。中居の場合は個人事務所を畳む方針なので、少し意味合いも違ってくるが、基本的には「復帰しまーす」と言えばいつでも復帰できるもの。もちろん本人が復帰宣言をしても仕事がなければただの人。それは引退にも言えることで、引退を宣言しようがしまいが、仕事がなくなればそれは「事実上の引退」であるから、個人的に芸能人の引退宣言はパフォーマンスでしかないと思ってます。それを宣言するも撤回するも自由の世界なので。

 

だから「週刊誌報道が中居を引退に追い込んだ!」という感情は間違いではないが、冷静に捉えれば「週刊誌報道のネタになるような示談をした中居が、結果的に仕事がなくなり事実上の引退状態になったため、会社の廃業等を含め一つのけじめとして引退を宣言した」というだけの話だと思う。厳しい言い方だけど、「引退させられた」わけじゃないと思うんですよね。真相は知らんよ。もしかしたらもっと強大な力がはたらいた可能性はあるから。でもこの畳み方、幕引きの仕方が自分には「示談をしたときと同じような思考回路」に見えてしまうわけです。だから、中居の引退に関して、自分でも驚くほど感慨がない。「ああ、最後までこういう人だったんだな」と。

 

誤解してほしくないが、別に中居が嫌いだったわけではない。司会者としてタレントとしてSMAPとして偉大な功績を残してきたのは疑いがないし、なんなら被災地に寄付金まで出して社会貢献までしている。現場での人当たりもよかったんだろうし、中居の「よい面」を見れば、それはたくさん惜しまれる声が出るのは分かる。自分だって様々な番組で楽しませてもらっていた。でも、悪いものは悪いのである。よい面が全てを帳消しにするわけではないのだ。

 

 

もし中居が松本と同じように「事実に違いがある。戦う」と言ったならば、自分は応援していたかもしれない。しかし中居は示談している。枝葉に違う部分はあるんだろうが、大枠で違わない。だからやっぱり自分は「ダメだな」と思っちゃう。中居擁護の意見に「示談しているものを、週刊誌の未確定情報でなぜ蒸し返す」というのを見るが、自分は逆だ。「示談しているからこそ、大枠の行為が確定事実として残っているからこそ、もう擁護のしようがない」なのだ。スタートが示談なんだもん。

 

さいごに

なんやかんや長くなってしまったのだけど、何度も繰り返し書いているが「中居が大金を積んで示談していたことが動かしようのない事実である以上、もうこの件で中居が出来ることは何もないし、自分の中でイメージが回復することもない」のだ。だから中居の引退に関しては「まあ、しゃあないな」である。もちろん悪いイメージのまま芸能活動をするという選択肢があり、それを妨げる理由もないので、そうであるなら別に批判はしない。「スーパースター」と「女子アナ示談おじさん」を同居させて仕事できればの話ではあるが。

 

また、フジテレビは色々なミスがあったことは言うまでもないのだが、「報道機関でありながら、報道機関としての責任を全く果たさなかった」ことは、性上納システムが完成されていたかもしれないことよりよっぽど問題のように感じた。

 

 

 

なんにせよ、ここ数週間テレビの在り方がつまんないですよね。個人的に感じる一番大きな罪はこれです。

 

あと、あくまで個人的な意見であり、反論とか感情論とか欲してませんので。

 

ああ「世にも」よ

世にも奇妙な物語24冬の特別編」の感想を。

 

フリー

清野菜名主演。web広告を作る主人公(清野)。締め切りに追われ、怪しげなフリー素材のおじさんを使うと、そこから素材のおじさんにつきまとわれるようになる。調べていくうちに、そのおじさんが仕事の対価を支払われずに失踪したことが分かり、無念を晴らすべくおじさんに対価を支払わなかった会社を告発。おじさんは現れなくなるが、そのまま主人公もフリー素材の世界に閉じ込められてしまう。

 

最終的に自分も「その世界」に取り込まれてしまう系は「世にも」の王道。しかし肝心のホラー部分がまあ大して面白くもなく、そして「おじさんが急に現れるのが怖い」は完全に「水曜日のダウンタウン」のそれであり、なんか小さく悪くまとまった作品になりましたな。

 

第1回田中家父親オーディション

アンガールズ田中主演。仕事で毎日帰宅も遅く、家族サービスもままならない主人公(田中)。ある日帰宅すると、家族から「父親オーディション」の開催を告げられる。オーディションの開催を不服に思いつつも、参加することで自分の家族に対する努力が足りなかったことに気づく。オーディションの結果合格し安堵するも、直後に家族の新メンバーオーディションを告げられる。

 

これも「なんか面白くなりそうだったけど、さほど面白くもなく、そしてオチも大したことない」という非常にがっかり仕様。アンガールズ田中が主演というのはよかったんだけど、そこでもう満足してしまったんだろうな作る側は。

 

City Lives

佐藤勝利主演。密着ロケで「街」を訪れた佐藤(本人役)。「街」とは都市に擬態する動物であり、佐藤と密着スタッフは「街」の機嫌を損ねたのか、街の中に取り残されてしまう。取材している中で街が今まで見たことない動きを見せたことで、街そのものが死んでしまうかもしれない措置をとることになったが、佐藤は街が佐藤の音楽を欲していたことに気づき、音楽の力でもって街と共鳴し、無事脱出することに成功する。

 

いやー、これはなんだろうな。「街そのものが意志を持ち、変化しつづける」という比喩をファンタジー的に仕上げて、映像も良かったのに、オチが酷い。なんで佐藤が本人役でなければならなかったのかの答えでしかない。ちょっとうまくやれば傑作だったのかもしれないだけに、これはもったいない。佐藤が悪いわけではないのだけど、フジテレビがよくやる「何かに忖度したやーつ」じゃないのか。

 

調べてみると、どうやら元々はフジテレビが深夜で連ドラとして放送されたもので、今回はその続編的な立ち位置らしい。どうりで設定やCGが作りこまれているわけだ。じゃあそっちを放送してくれよ。たまにこういうことやるけど、「知らん!」とおいでやす小田ばりの声が出る。

 

ああ祖国よ

尾上松也主演。原作は星新一。アフリカのよく分からない国に宣戦布告された日本。テレビ局がその宣戦布告をスクープし、その番組を担当することになった主人公(尾上)。最初はなんだかよく分からない状況を番組にしていたが、次第にテレビ局がバラエティノリを暴走。政府の対応もひどく、最終的には賠償金1億ドルを支払うということで決着。これで万事解決と思いきや、また別の国が宣戦布告を仕掛けてくる。

 

星新一が1969年に上梓した作品。「金で解決すりゃあいいと思っている」「平和ボケしていて、当事者意識が全くない」「テレビは無責任に数字が稼げればいいと思っている」など、当時の日本の状況の皮肉の塊のような作品であるが、その皮肉が現代においてもっと酷い状況になっており、なんなら「無責任に他人の新居を報道して怒られる」というもっとも酷いかもしれないテレビ局がドラマとして流す地獄のような時間。星新一も「おいおい、55年後はこの時よりもっと酷いのかよ」と思っているんじゃないか。そういう意味で価値はあるような気がするが、制作側がどんな気持ちで作っていたのかを「世にも」でドラマ化してほしいわ。自分なら発狂しそう。

 

まあ「世にも」なので、どんなものが出てきても見ますけども、年末のクソ忙しいときにわざわざ時間割いて見るほどのもんではありませんでしたね。あとタモリに「来年は35周年ですね」とか言わすなよ。長くやってることに価値を見出すなって。それをタモリに言わすなって。がっかりすることの多い年末でした。たぶん年内の更新もこれで最後。もっと景気のいいネタで終わりたかったなあ。よいお年を。

 

再スタートだ

M-1グランプリ2024」を敗者復活から。

Aブロック

十九人

キャラが浸透してくれば、なんだけど。

 

今夜も星が綺麗

声がいい。

 

フースーヤ

20年後いい歳のオッサンがやってたら腹ちぎれるほど笑うな。それをTOKYO COOLとも言うのだけども。

 

ドンデコルテ

実際はちょっとモテてそうなんだけどなあ。

 

ダンビラムーチョ

ふざけてるよねえ。いいよねえ。

 

金魚番長

さすが首席。もう一皮むけるとすぐ決勝行くよ。

 

カベポスター

さすがの実力。とはいえこの手のネタは自分の都合よく進み過ぎるからなあ。

 

金魚番長が勝ち残り。

 

Bブロック

カラタチ

こういう漫才がもっと市民権を得ていい。

 

ナイチンゲールダンス

面白いよねえ。けど面白くて何か物足りないと思ったりするんだよねえ。

 

滝音

ツッコミ先行宣言なんだよなあ。

 

マユリカ

キャラが知れていて、それが良い方向にちゃんと出ている人たち。品がない(最高)。

 

家族チャーハン

言い方が難しいんだけど、ボケに対する振りかぶりが大きい気がする。

 

男性ブランコ

今の百倍売れてもいい、というくらいには面白い。

 

豪快キャプテン

去年より格段に面白いと思ったので、来年はたぶんもっと面白い。

 

マユリカ勝ち残り。

 

Cブロック

シシガシラ

個人的今年の敗者復活ベストネタ。ハゲネタではないと言いながら「俺こんなにハゲてたっけ」は面白すぎるのよ。

 

豆鉄砲

なんかちょっと一昔前のネタ見てるような感覚。

 

オズワルド

昔の自分たちが強すぎるのよ。でも忙しいのにちゃんと仕上がってるの凄い。

 

スタミナパン

こんなの笑わないほうがおかしい。めちゃくちゃ面白い。昨年のネタより全然好き。

 

例えば炎

時間切れするとよくないのはハライチに学んでほしい。

 

インディアンス

きむだけラストイヤー。

 

ひつじねいり

ひつじねいりがいたらそこはもう大阪や。

 

インディアンス勝ち残りで、最後は芸人審査員の投票でマユリカが敗者復活。

 

本戦

令和ロマン

渡辺。阿部一二三が引き当てたことで会場にどよめき、とともに異様な雰囲気。審査員が「最初から点数どうすればいいの」と言いたくもなる完成度。ただ見ているこちらとしては「これ超える漫才出てくるの?」と心配になるくらい。もうとにかく「王者すぎる」の一言。あと「刀Y」の齋藤はガチ。

 

ヤーレンズ

おにぎり屋。そりゃまあボケの速射砲が面白くないわけがない。わけがないんだけど、「なんかこうもう一発欲しいよなあ」という気持ちは誰しもが思ったところ。うまく言葉にできない海原ともこと、ちゃんと言語化する塙と石田と柴田と礼二。審査員も素晴らしい。

 

真空ジェシカ

商店街ロケ。なぜ川北がこんなに気持ちよくボケを全て決めてくるのだろうか。そしてガクのツッコミが過不足なく面白いのだろうか。優勝してないのが本当に不思議。

 

ここまで見終わって、この3組で最終決戦決まると思ってました。そのくらい序盤が凄まじかったです。

 

マユリカ

同窓会。ネタもちゃんと面白かったうえに、「大急ぎで負けに来た」というフレーズが全てを回収してくれたので、価値ある敗者復活からの負け。

 

ダイタク

ヒーローインタビュー。毎年敗者復活で面白い漫才を見せてくれていたので、決勝でもちゃんと面白かったです。こちらも毎年「日本で2番目に面白い双子」と書いていたが、今年ピーコが鬼籍に入られたので、これで堂々と日本一面白い双子」と言っていいんじゃないかと思います。

 

ジョックロック

病院。マイナンバーカードのくだりはそりゃ笑う。怖くて面白いもの。ツッコミはあくまでツッコミであり、ボケの強度が弱いというプロの指摘はごもっともでございます。素人のオジサンは素直に面白かったです。やっぱり序盤の3組が異常すぎた。

 

バッテリィズ

偉人。もちろん面白かったのだけど、審査員が絶賛するほど自分にはハマらなかったという感想。ヤーレンズとどっちが上かな、くらいの気持ちでいたら令和ロマン超えてきたのでちょっとびっくりしてしまったよ。

 

ママタルト

銭湯。ママタルトの良さはよく出ていたと思うんだけど、あれだけウケたあとの出番順は損するところが多かったのかなあと。登場シーンは今後ずっと使われる素材。

 

エバース

待ち合わせ。こんなの本来なら優勝してもおかしくない漫才ですよ。特別何かギミックがある漫才ではないのだけど(審査員が巧さは褒めてましたけども)、普通に喋っていることがなぜかしっかり面白いという凄さ。いくらでも見てられる。

 

トム・ブラウン

一気飲みを断る。トム・ブラウンというジャンルで一番面白く、そしてトム・ブラウンという土俵には他に誰もいないという、もはや誰と何を競っているのか分からない状態。万人受けする「漫才」ではないのだろうが、もうそんなのどうでもいいですよね。将来「トム・ブラウン」っていうジャンルが出来ていると思う。今年でM-1はラストイヤー。夢をありがとう。

 

最終決戦

真空ジェシカ

ライブ。今年の個人的ベストネタはエバースか真空ジェシカの2本目、というくらいには好き。なんだよ巨大化するアンジェラアキって。でも、なぜか見えちゃうんだよねえ。

 

令和ロマン

タイムスリップ。昨年もそうだったけど「勝負ネタ」が最初の1本じゃないという恐ろしさ。王者すぎる(2回目)。

 

バッテリィズ

世界遺産。このネタも充分面白いし、1本目を経て手の内が見えている中でのウイニングランでもおかしくないレベル。しかしそのウイニングランをさせてくれないのが令和ロマンだった、としか説明できない。

 

9票中5票を獲得した令和ロマンが史上初の連覇。バッテリィズというその日の最大瞬間風速をはねのけての堂々たる優勝。文句のつけようがない。史上最強と言ってもいいだろう。出続ける限り優勝してしまうだろうから、来年出ないと宣言してくれたのはよかったんじゃないかと思う。そのくらい圧倒的。

 

松本人志不在で揺れたM-1だったけども(あと創始者島田紳助の言葉が冒頭で出てきてちょっとザワザワしたけど)、ふたを開けてみれば「王者が大会の最初から大暴れして、全ての不安を拭っていった」という、令和ロマンが本当に「これまでの全てを終わらせた」大会だったんじゃないかと。20年という区切りの年でもあったので、これで来年は色々な意味で「新しい時代のM-1」として再スタートですよ。なんにせよ今年も楽しかったです。でもそろそろ「もっとみんな審査とか抜きにして気軽に楽しんでもいいんじゃないの」とも思います。「満点大笑い」くらいのヌルい審査でいいのよもう。

 

 

 

出来るけど、やらない

アイドルを本気で応援すると金が要ります。

 

いきなり「恋空」くらい切ナイ書き出しをしてしまったのですが、これは紛れもない事実ですね。ライトに推す分には可愛いお姉さん(あるいはお兄さん)を見てキャッキャしてれば済む話ですが、本気で推すとなれば、これはもうお金がいくらあっても足りない。なにせアイドルは水物。アイドルの中の人にも生活があるわけで、運営側に、そしてアイドル本人にお金が循環しなければ活動自体立ち行かない。だからこそアイドルを本気で推して本気で「自ら継続させる」くらいの強い気持ち、強い愛がオザケンばりになければその推すべきものが消えてしまう。そういう存在です。

 

だからまあ、アイドルに関して「札束が飛び交うことで何かが決まる」というのは、文化としてある土壌だとは思います。もちろんアイドルに限らずではあるんですけども。

 

今オジサンが注目しているアイドルであるところのラフ×ラフさんはフジの大型音楽番組「FNS歌謡祭」の出演権をかけてTIF(東京アイドルフェスティバル)が主催している勝負に参加しています。ここで勝つと出演権がもらえるというやつ。でまあ、色々審査対象はあるのだけど、現在「YouTubeの応援動画の再生回数を競う」ということをやっているのですね。

 

で、最初のほうは北海道を中心に活動しているアイドル「タイトル未定」とトップを争うように動画の再生回数が並んでいました。twitter上でも「応援してください!」と動画のリンクが貼られているツイートが流れてきたり、アイドル本人が宣伝するツイートが流れてきたりと、草の根運動みたいなものが起きていたわけです。まあよくある流れです。ラフラフのメンバーである吉村さんは自分で編集したアピール動画を拡散し、そのアピール動画についたコメントにさらにコメントしたりして、やる気を見せていました。こういうのはほっこりします。

 

じゃあそんなものを見て自分が「羨ましい!もなみん(吉村の呼び名)からコメント欲しい!」となるかといえば、その手は桑名正博セクシャルバイオレットNO.1なのです。この手の投票システムは結局組織の強さが票の数に直結してしまうので、自分は1回2回は見たけども「どうせ何か大きな力とかはたらいて、わけわからんことになるんだろ」と思ってさほど真剣に応援もしていなかったのですね。たけしの挑戦状風に言えば「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」である。ここらへんがもうアイドルを真剣に推す資格も自覚もない。

 

んでまあ完全に他人事として興味本位でその動画再生回数の動向を見ていたら、突然にあるグループの再生回数が急に回り始めたわけです。ははーん何かあったな、と。そうするとラフラフ運営がこんなツイートしたわけですよ。

最初にこれを読んだときは「ん?やる気元気井脇宣言か?」と思ったのですが、どうやらその少し前に「タイトル未定」の運営が「TIF運営に問い合わせたら広告つけて再生回数回しても問題ない、と言ってるから広告つけるよ」という旨を発表。これは「タイトル未定」側が仕掛けたことではなく、他のグループがそういうことをやり始めたので、「それはどうなの」という問い合わせをTIF側にしたら「問題ない」という回答がきたので、「じゃあそれなら負けられないのでやりますよ」という宣言だったようだ。

 

つまりこのツイートは、これらの動きを見たラフラフ運営が「そういうことならうちもやりまっせ」という広告による札束殴り合い参加宣言だったわけですね。そしてこの宣言が出た翌朝、ラフラフの再生回数は50万回以上も増えた。これを書いている11/18の23時時点で1位ラフラフ88万回、2位タイトル未定48万回。ほぼ勝負あり、である。ここからさらなる札束の殴り合いがなければ、であるが。

 

こういう審査方法は「弁えない誰か」がいると、こういう事態になるのは目に見えている。だから自分は真剣にならない。バカを見るからだ。決して誰もルールを破っているわけではない。ここ最近の社会の根幹の問題でもあるが「ルールを破ってなければ何やってもよい」という感覚が生み出した「普通にやってることが報われない感じ」そのものである。「やるからには勝たなければ、出演できなければ意味がない」という気持ちも分かる。それこそ応援してくれた人たちの気持ちを無駄にできないという各アイドルの運営の判が分からないわけではない。

 

しかしアイドルのファン同士が、そしてアイドル本人が草の根的に広めようとしていたものを、札束のチカラでもって全てをなぎ払うサマはやはりどこか滑稽ではある。抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り返していたところに広告でドーン、だもの。身も蓋もない言い方をすれば「本当にそれでいいんだな」である。もし仮にこれで出演権を手にしてFNS歌謡祭に出たとて、出たから、それを手放しで「応援した甲斐があった!」となれるほど若くないって。金のにおいがするんだもの。

 

こうなってしまった原因としてルールをちゃんと決めていなかったTIF側の落ち度を指摘する向きもあるが、自分はあまりそう思ってない。色々ルールを決めたところで、どうせ抜け道を見つけて同じようなことになるに決まっているからだ。これは断言してもいい。この手の投票は結局今回のようなことにしかならない。

 

大事なのは「出来るけど、やらない」という選択肢を取れたかどうかじゃないのか。

 

考え方の問題だ。「動画の再生数を広告使って回してでも応援する気持ちに応えたい、そして勝ちたいし、FNS歌謡祭に出演させたい」というのはひとつの考え方としては理解できる。そして「こんなやり方で勝って出演するFNS歌謡祭は何かの勲章になるのか。ひいてはこの先のアイドル活動に何か影を落とさないのか」という自分のような考え方も、決して少数派ではないだろう。そう思いたい。どちらが正しい、間違っているではなく、この状況をどう捉えるかだ。少なくとも広告を打つという判断を下したグループの運営には、そういう議論があったと信じたい。

 

そういった議論があったうえで広告を打ったのであれば、それはもうそういう方針だからこれ以上言うことはない。自分の気持ちが半歩離れるだけ。そもそも金も出していない自分のような人間は半歩離れたところで何の影響もなかろう。その代わり「同じ土俵に乗ると何か大切なものが失われるのだとしたら、ここで負けてもそれはやらない」という判断を下した側に少しだけ気持ちが引っ張られることはあるかもしれない。もちろん引っ張られたところでそちらにも金は出さないんだから、全てはどうでもいいことである。

 

ま、好きにやればいいのよ。金払ってない人間の戯言だこんなもの。

 

偽老

NHK朝ドラ「おむすび」ですが、そんなに面白くないのだろうか。

 

確かに前作「虎に翼」は素晴らしかった。ドラマの存在意義を見せつけてくれた作品だったと思う。しかしだからといって今作「おむすび」が面白くないのかといえば「まだ判断するようなレベルじゃあない」というところだ。もちろん面白いドラマは最初から面白いのだけど、なにせ半年やる朝ドラを最初の一か月で見限るのはちょっと忍びない。こんな書き方をすれば「今現在は面白くない」みたいな感想なのかと言われてしまいそうだが、個人的には「そこそこ普通」だと思っている。

 

「橋本環奈がギャルになって食育を」みたいな説明だけ見れば「ん??」となる。そして実際始まってからも今ひとつ見ている側の感情がドラマに乗り切らない部分もある。でも、朝ドラ基準で考えればこのくらいのスタートは別に珍しくもないんじゃないかと思う。喉元過ぎれば「ちむどんどん」忘れるとはこのことだ。

 

で、このドラマ。主人公の橋本環奈や悪目立ちするギャルたちが良くも悪くも注目されてしまう。それは仕方がない。しかし自分はそこではないところにどうしても目が行くというか、気になって仕方ない部分がある。

 

宮崎美子ステレオタイプなばあさんっぷりである。

 

宮崎美子65歳。もう十分に「祖母」の役がくる年齢である。しかし実際には還暦超えてビキニカレンダーは出すわ、クイズ番組ではガンガン正解出すわ、粗品に100万貸すわ、相当にアグレッシブババア(完全なる褒め言葉)なのである。宮崎本人はこのドラマで演じているいわゆる「田舎のおばあさん」ではない。

 

にも関わらず、美子がドラマの中でバリバリ老けている。本人はインタビューでその旨話しているので、意図したことが画面から伝わっているのだとすれば、それは役者として正解なのだろう。

――出演が決まったときの気持ちは?
あぁ、いよいよおばあちゃん役が来たのかと。「おばあちゃんです」と言うのも、だいぶ慣れてきました(笑)。佳代さんは、私の実年齢より少し上の設定なので、話し方も意識しています。今は、70代もまだ若いイメージじゃないですか。北村有起哉さんが息子なので私の実年齢よりも少し老けて見えた方がバランスが良いかな、でもまだ先もあるので、あまりに老けてしまうのもなとか、今も手探りですね。あと、ちょっとだけ背が縮んでいる感じも意識しています。子どもって、おじいちゃんやおばあちゃんのこと好きですよね。慕ってくれるところがあるから嬉しいなと思っています。

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でも自分は思ってしまうんだ。今着ている脱いだらビキニを着ているだろうことを。朗らかで優しいばあさんのフリをして、実は全てを見透かしてクイズに答えているであろうことを。今の美子もピカピカに光っているくせに、それを包み隠して老いを装っていることを。

 

で、自分は「これも何かのフリなんじゃないのか」とか思ってしまうわけですよ。ただ優しいだけに見えた美子ばあさんが実は本人同様今後超アグレッシブな役回りになっていくんじゃないかと。これを書いている10/23時点ではそんな気配は微塵もなく、結(橋本)にやさしくおむすびを作ってくれる祖母でしかない。でも1か月後の美子はそんな優しい祖母像をかなぐり捨てている気がしないでもないのだ。

 

これがオッサンのただの妄想でしかないことは承知しているのだけど、そんなことを考えながら見る朝ドラも悪くはない。何が言いたいのかといえば、「老いを装っている美子を見るだけでも朝ドラ愉しいよ」ということ。そのうち「糸島に二度と足を踏み入れることができないようにしてあげようねえ」と優しい口調でチェーンソーを手にする美子が見られる、ことはないだろうが、そのくらいの気持ちで眺める朝ドラもよい。

 

すべての西友にさよならするために

2024年9月、北海道内の西友9店舗が全て閉店する。

 

最初にこの報道を耳にしたとき、衝撃と諦めが同時に走った。自分にとって西友とは「実家」のようなものであった。そりゃ毎日通っていたわけではないのだけど、何か困ったことがあればとりあえず最寄りの西友に行く。そうすれば大抵のことはどうにかなる。小さい頃からずっと傍に寄り添ってくれていた存在、それが西友なのだ。

 

しかし昨今の西友は決して景気がいいとは思えなかった。この報道の前後、明らかに品揃えの迫力がなくなっていたし、夕方そして仕事終わりに寄る夜中、値引きのシールが明らかに渋い。そりゃそういうのばかり狙う自分のような人間も悪いのだけど、この時間でこんなに渋い値段なら他行くよなあ、みたいなじれったさ。だからまあ、無くなると聞いたときは納得半分、諦め半分、そして自分の一部を奪われるような心地悪さ。

 

この気持ちと折り合いをつけるために、自分は9月中に全店舗とお別れすることを決めていた。9月以前に訪れた店舗もあるが、本日できっちり9店舗、全て巡ってきた。詳しく書くと住んでいるところがバレてしまうので書かないけども、かいつまんで感想を残しておく。

 

とある店舗は本当に活気がなくて、「ああ、閉店する店舗なんだなあ」と思わせてくれた。あまりに人がいないので米売っていても誰も気づかない。自宅からは相当離れた場所であったが、思わず米を5キロ買ってしまった。

 

とある店舗は閉店するとは思えないほど活気にあふれていて、お昼どきだったこともありフードコートは満員御礼。本当に地元に愛されている店舗なのだと実感した。

 

数店舗巡ってきて、最後に地元の店舗へ。入っているテナントや作りは他の店舗と似たり寄ったりではあるんだけど、地元ならではの「どこに何があるか全て分かる」感。これぞ実家。まだ最後じゃないけど、ありがとうとしか言えない。

 

数年後、西友がなくなって久しい札幌に自分はまだ住んでいるのだろうか。そして西友に思いを馳せることがあるんだろうか。それは分からない。ただ「あの時自分は誕生日前日に半日かけて何をやっていたんだろうか」と死ぬ前にうっすら思い出せたらいいな、とは少し思っている。

 

 

遅すぎたけど、遅くない

高校生クイズ2024」見ました。

 

なんでしょうね。やればできるじゃねえか。なんで今までやらねえんだよ。そこがオジサンは逆に心苦しいです。

 

今年はシンプルに3人一組に戻り、そしてちゃんと人間ドラマを、青春を感じさせる高校生クイズでした。これを3年前にできていればLIONはスポンサー降りなかったと思います。2択の怖さを見せつけたどろんこ○×、ご当地有利がありつつもなかなか勝ち抜けできない通せんぼ、延暦寺の階段が体力を消耗させるバラマキと「ウルトラクイズ」のエッセンスを盛り込みつつ、吊り橋でのタイマンダッシュ早押し問題なんてのはとてもよい。体力を知力でカバーできるという発想。そして敗者復活における完全なる運での2択もとってもよい。最終的には知力がモノを言い、最後はここまで体力と運で篩にかけられなかった灘が実力で優勝をかっさらうというのは実に美しい。体力と運をねじ伏せて知力でもぎとる栄冠こそ「高校生クイズ」の冠に相応しい。今年優勝の灘チームは本当に誇っていいと思います。

 

最後まで見れば「やっぱり賢いチームが勝つんだな」とは思いつつも、それでも偏差値が高いだけでは勝てないと思わせてくれた。欲を言えば複数チームが結束して戦うパートがあればなお一層人間ドラマが生まれたんじゃないかとは思えど、ここ数年のショボさを考えれば今年の高校生クイズは久々にキラキラしてたんじゃないかと思う。奇しくも「東大王」が今年で終幕するいま、高校生クイズ高校生クイズたるゆえんを見せつけたのではないかと。しかし自分が褒めれば褒めるほど「なんで今までできなかったんだろうね」という感想が首をもたげるが、いいことはいいこととして褒めなければウソだもんな。

 

ひとつ可哀想だったのは、体力系クイズに女性のハンディキャップがなかったというところ。これが本来の「平等」ってやつなのかもしれないけど、高校生男子と高校生女子にはれっきとした体力差があるわけで、そこは「不平等」を「優しさ」でもってカバーしてあげてもよかったんじゃないかなあと。

 

このスタイルが最低5年くらい続けば、高校生クイズ復権があるかもしれない。これが本来の高校生クイズの姿だってことに気づくのが遅すぎた。遅すぎたけども、まだ手遅れじゃない。LIONがスポンサーに戻ると言ってくれる日まで、たくさんの高校生が「出たいな」と思えるようなイベントに返り咲く日まで、自分が死なない限りは見届けたい。あくまで高校生クイズはクイズ大会の皮をかぶった青春謳歌であってほしいものだ、とオッサンは思う。毎年同じことしか言ってないのだけども。

 

(追記:今回の放送、LIONは冠スポンサーではなかったけども、いちスポンサーとしてちゃんと名前は連ねていたのを録画を再確認していて気づいた。単に日テレの火曜の枠スポンサーだったような気もするけども、そこだけ訂正。 9/17)