出来るけど、やらない

アイドルを本気で応援すると金が要ります。

 

いきなり「恋空」くらい切ナイ書き出しをしてしまったのですが、これは紛れもない事実ですね。ライトに推す分には可愛いお姉さん(あるいはお兄さん)を見てキャッキャしてれば済む話ですが、本気で推すとなれば、これはもうお金がいくらあっても足りない。なにせアイドルは水物。アイドルの中の人にも生活があるわけで、運営側に、そしてアイドル本人にお金が循環しなければ活動自体立ち行かない。だからこそアイドルを本気で推して本気で「自ら継続させる」くらいの強い気持ち、強い愛がオザケンばりになければその推すべきものが消えてしまう。そういう存在です。

 

だからまあ、アイドルに関して「札束が飛び交うことで何かが決まる」というのは、文化としてある土壌だとは思います。もちろんアイドルに限らずではあるんですけども。

 

今オジサンが注目しているアイドルであるところのラフ×ラフさんはフジの大型音楽番組「FNS歌謡祭」の出演権をかけてTIF(東京アイドルフェスティバル)が主催している勝負に参加しています。ここで勝つと出演権がもらえるというやつ。でまあ、色々審査対象はあるのだけど、現在「YouTubeの応援動画の再生回数を競う」ということをやっているのですね。

 

で、最初のほうは北海道を中心に活動しているアイドル「タイトル未定」とトップを争うように動画の再生回数が並んでいました。twitter上でも「応援してください!」と動画のリンクが貼られているツイートが流れてきたり、アイドル本人が宣伝するツイートが流れてきたりと、草の根運動みたいなものが起きていたわけです。まあよくある流れです。ラフラフのメンバーである吉村さんは自分で編集したアピール動画を拡散し、そのアピール動画についたコメントにさらにコメントしたりして、やる気を見せていました。こういうのはほっこりします。

 

じゃあそんなものを見て自分が「羨ましい!もなみん(吉村の呼び名)からコメント欲しい!」となるかといえば、その手は桑名正博セクシャルバイオレットNO.1なのです。この手の投票システムは結局組織の強さが票の数に直結してしまうので、自分は1回2回は見たけども「どうせ何か大きな力とかはたらいて、わけわからんことになるんだろ」と思ってさほど真剣に応援もしていなかったのですね。たけしの挑戦状風に言えば「こんなげーむにまじになっちゃってどうするの」である。ここらへんがもうアイドルを真剣に推す資格も自覚もない。

 

んでまあ完全に他人事として興味本位でその動画再生回数の動向を見ていたら、突然にあるグループの再生回数が急に回り始めたわけです。ははーん何かあったな、と。そうするとラフラフ運営がこんなツイートしたわけですよ。

最初にこれを読んだときは「ん?やる気元気井脇宣言か?」と思ったのですが、どうやらその少し前に「タイトル未定」の運営が「TIF運営に問い合わせたら広告つけて再生回数回しても問題ない、と言ってるから広告つけるよ」という旨を発表。これは「タイトル未定」側が仕掛けたことではなく、他のグループがそういうことをやり始めたので、「それはどうなの」という問い合わせをTIF側にしたら「問題ない」という回答がきたので、「じゃあそれなら負けられないのでやりますよ」という宣言だったようだ。

 

つまりこのツイートは、これらの動きを見たラフラフ運営が「そういうことならうちもやりまっせ」という広告による札束殴り合い参加宣言だったわけですね。そしてこの宣言が出た翌朝、ラフラフの再生回数は50万回以上も増えた。これを書いている11/18の23時時点で1位ラフラフ88万回、2位タイトル未定48万回。ほぼ勝負あり、である。ここからさらなる札束の殴り合いがなければ、であるが。

 

こういう審査方法は「弁えない誰か」がいると、こういう事態になるのは目に見えている。だから自分は真剣にならない。バカを見るからだ。決して誰もルールを破っているわけではない。ここ最近の社会の根幹の問題でもあるが「ルールを破ってなければ何やってもよい」という感覚が生み出した「普通にやってることが報われない感じ」そのものである。「やるからには勝たなければ、出演できなければ意味がない」という気持ちも分かる。それこそ応援してくれた人たちの気持ちを無駄にできないという各アイドルの運営の判が分からないわけではない。

 

しかしアイドルのファン同士が、そしてアイドル本人が草の根的に広めようとしていたものを、札束のチカラでもって全てをなぎ払うサマはやはりどこか滑稽ではある。抜きつ抜かれつのデッドヒートを繰り返していたところに広告でドーン、だもの。身も蓋もない言い方をすれば「本当にそれでいいんだな」である。もし仮にこれで出演権を手にしてFNS歌謡祭に出たとて、出たから、それを手放しで「応援した甲斐があった!」となれるほど若くないって。金のにおいがするんだもの。

 

こうなってしまった原因としてルールをちゃんと決めていなかったTIF側の落ち度を指摘する向きもあるが、自分はあまりそう思ってない。色々ルールを決めたところで、どうせ抜け道を見つけて同じようなことになるに決まっているからだ。これは断言してもいい。この手の投票は結局今回のようなことにしかならない。

 

大事なのは「出来るけど、やらない」という選択肢を取れたかどうかじゃないのか。

 

考え方の問題だ。「動画の再生数を広告使って回してでも応援する気持ちに応えたい、そして勝ちたいし、FNS歌謡祭に出演させたい」というのはひとつの考え方としては理解できる。そして「こんなやり方で勝って出演するFNS歌謡祭は何かの勲章になるのか。ひいてはこの先のアイドル活動に何か影を落とさないのか」という自分のような考え方も、決して少数派ではないだろう。そう思いたい。どちらが正しい、間違っているではなく、この状況をどう捉えるかだ。少なくとも広告を打つという判断を下したグループの運営には、そういう議論があったと信じたい。

 

そういった議論があったうえで広告を打ったのであれば、それはもうそういう方針だからこれ以上言うことはない。自分の気持ちが半歩離れるだけ。そもそも金も出していない自分のような人間は半歩離れたところで何の影響もなかろう。その代わり「同じ土俵に乗ると何か大切なものが失われるのだとしたら、ここで負けてもそれはやらない」という判断を下した側に少しだけ気持ちが引っ張られることはあるかもしれない。もちろん引っ張られたところでそちらにも金は出さないんだから、全てはどうでもいいことである。

 

ま、好きにやればいいのよ。金払ってない人間の戯言だこんなもの。

 

偽老

NHK朝ドラ「おむすび」ですが、そんなに面白くないのだろうか。

 

確かに前作「虎に翼」は素晴らしかった。ドラマの存在意義を見せつけてくれた作品だったと思う。しかしだからといって今作「おむすび」が面白くないのかといえば「まだ判断するようなレベルじゃあない」というところだ。もちろん面白いドラマは最初から面白いのだけど、なにせ半年やる朝ドラを最初の一か月で見限るのはちょっと忍びない。こんな書き方をすれば「今現在は面白くない」みたいな感想なのかと言われてしまいそうだが、個人的には「そこそこ普通」だと思っている。

 

「橋本環奈がギャルになって食育を」みたいな説明だけ見れば「ん??」となる。そして実際始まってからも今ひとつ見ている側の感情がドラマに乗り切らない部分もある。でも、朝ドラ基準で考えればこのくらいのスタートは別に珍しくもないんじゃないかと思う。喉元過ぎれば「ちむどんどん」忘れるとはこのことだ。

 

で、このドラマ。主人公の橋本環奈や悪目立ちするギャルたちが良くも悪くも注目されてしまう。それは仕方がない。しかし自分はそこではないところにどうしても目が行くというか、気になって仕方ない部分がある。

 

宮崎美子ステレオタイプなばあさんっぷりである。

 

宮崎美子65歳。もう十分に「祖母」の役がくる年齢である。しかし実際には還暦超えてビキニカレンダーは出すわ、クイズ番組ではガンガン正解出すわ、粗品に100万貸すわ、相当にアグレッシブババア(完全なる褒め言葉)なのである。宮崎本人はこのドラマで演じているいわゆる「田舎のおばあさん」ではない。

 

にも関わらず、美子がドラマの中でバリバリ老けている。本人はインタビューでその旨話しているので、意図したことが画面から伝わっているのだとすれば、それは役者として正解なのだろう。

――出演が決まったときの気持ちは?
あぁ、いよいよおばあちゃん役が来たのかと。「おばあちゃんです」と言うのも、だいぶ慣れてきました(笑)。佳代さんは、私の実年齢より少し上の設定なので、話し方も意識しています。今は、70代もまだ若いイメージじゃないですか。北村有起哉さんが息子なので私の実年齢よりも少し老けて見えた方がバランスが良いかな、でもまだ先もあるので、あまりに老けてしまうのもなとか、今も手探りですね。あと、ちょっとだけ背が縮んでいる感じも意識しています。子どもって、おじいちゃんやおばあちゃんのこと好きですよね。慕ってくれるところがあるから嬉しいなと思っています。

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でも自分は思ってしまうんだ。今着ている脱いだらビキニを着ているだろうことを。朗らかで優しいばあさんのフリをして、実は全てを見透かしてクイズに答えているであろうことを。今の美子もピカピカに光っているくせに、それを包み隠して老いを装っていることを。

 

で、自分は「これも何かのフリなんじゃないのか」とか思ってしまうわけですよ。ただ優しいだけに見えた美子ばあさんが実は本人同様今後超アグレッシブな役回りになっていくんじゃないかと。これを書いている10/23時点ではそんな気配は微塵もなく、結(橋本)にやさしくおむすびを作ってくれる祖母でしかない。でも1か月後の美子はそんな優しい祖母像をかなぐり捨てている気がしないでもないのだ。

 

これがオッサンのただの妄想でしかないことは承知しているのだけど、そんなことを考えながら見る朝ドラも悪くはない。何が言いたいのかといえば、「老いを装っている美子を見るだけでも朝ドラ愉しいよ」ということ。そのうち「糸島に二度と足を踏み入れることができないようにしてあげようねえ」と優しい口調でチェーンソーを手にする美子が見られる、ことはないだろうが、そのくらいの気持ちで眺める朝ドラもよい。

 

すべての西友にさよならするために

2024年9月、北海道内の西友9店舗が全て閉店する。

 

最初にこの報道を耳にしたとき、衝撃と諦めが同時に走った。自分にとって西友とは「実家」のようなものであった。そりゃ毎日通っていたわけではないのだけど、何か困ったことがあればとりあえず最寄りの西友に行く。そうすれば大抵のことはどうにかなる。小さい頃からずっと傍に寄り添ってくれていた存在、それが西友なのだ。

 

しかし昨今の西友は決して景気がいいとは思えなかった。この報道の前後、明らかに品揃えの迫力がなくなっていたし、夕方そして仕事終わりに寄る夜中、値引きのシールが明らかに渋い。そりゃそういうのばかり狙う自分のような人間も悪いのだけど、この時間でこんなに渋い値段なら他行くよなあ、みたいなじれったさ。だからまあ、無くなると聞いたときは納得半分、諦め半分、そして自分の一部を奪われるような心地悪さ。

 

この気持ちと折り合いをつけるために、自分は9月中に全店舗とお別れすることを決めていた。9月以前に訪れた店舗もあるが、本日できっちり9店舗、全て巡ってきた。詳しく書くと住んでいるところがバレてしまうので書かないけども、かいつまんで感想を残しておく。

 

とある店舗は本当に活気がなくて、「ああ、閉店する店舗なんだなあ」と思わせてくれた。あまりに人がいないので米売っていても誰も気づかない。自宅からは相当離れた場所であったが、思わず米を5キロ買ってしまった。

 

とある店舗は閉店するとは思えないほど活気にあふれていて、お昼どきだったこともありフードコートは満員御礼。本当に地元に愛されている店舗なのだと実感した。

 

数店舗巡ってきて、最後に地元の店舗へ。入っているテナントや作りは他の店舗と似たり寄ったりではあるんだけど、地元ならではの「どこに何があるか全て分かる」感。これぞ実家。まだ最後じゃないけど、ありがとうとしか言えない。

 

数年後、西友がなくなって久しい札幌に自分はまだ住んでいるのだろうか。そして西友に思いを馳せることがあるんだろうか。それは分からない。ただ「あの時自分は誕生日前日に半日かけて何をやっていたんだろうか」と死ぬ前にうっすら思い出せたらいいな、とは少し思っている。

 

 

遅すぎたけど、遅くない

高校生クイズ2024」見ました。

 

なんでしょうね。やればできるじゃねえか。なんで今までやらねえんだよ。そこがオジサンは逆に心苦しいです。

 

今年はシンプルに3人一組に戻り、そしてちゃんと人間ドラマを、青春を感じさせる高校生クイズでした。これを3年前にできていればLIONはスポンサー降りなかったと思います。2択の怖さを見せつけたどろんこ○×、ご当地有利がありつつもなかなか勝ち抜けできない通せんぼ、延暦寺の階段が体力を消耗させるバラマキと「ウルトラクイズ」のエッセンスを盛り込みつつ、吊り橋でのタイマンダッシュ早押し問題なんてのはとてもよい。体力を知力でカバーできるという発想。そして敗者復活における完全なる運での2択もとってもよい。最終的には知力がモノを言い、最後はここまで体力と運で篩にかけられなかった灘が実力で優勝をかっさらうというのは実に美しい。体力と運をねじ伏せて知力でもぎとる栄冠こそ「高校生クイズ」の冠に相応しい。今年優勝の灘チームは本当に誇っていいと思います。

 

最後まで見れば「やっぱり賢いチームが勝つんだな」とは思いつつも、それでも偏差値が高いだけでは勝てないと思わせてくれた。欲を言えば複数チームが結束して戦うパートがあればなお一層人間ドラマが生まれたんじゃないかとは思えど、ここ数年のショボさを考えれば今年の高校生クイズは久々にキラキラしてたんじゃないかと思う。奇しくも「東大王」が今年で終幕するいま、高校生クイズ高校生クイズたるゆえんを見せつけたのではないかと。しかし自分が褒めれば褒めるほど「なんで今までできなかったんだろうね」という感想が首をもたげるが、いいことはいいこととして褒めなければウソだもんな。

 

ひとつ可哀想だったのは、体力系クイズに女性のハンディキャップがなかったというところ。これが本来の「平等」ってやつなのかもしれないけど、高校生男子と高校生女子にはれっきとした体力差があるわけで、そこは「不平等」を「優しさ」でもってカバーしてあげてもよかったんじゃないかなあと。

 

このスタイルが最低5年くらい続けば、高校生クイズ復権があるかもしれない。これが本来の高校生クイズの姿だってことに気づくのが遅すぎた。遅すぎたけども、まだ手遅れじゃない。LIONがスポンサーに戻ると言ってくれる日まで、たくさんの高校生が「出たいな」と思えるようなイベントに返り咲く日まで、自分が死なない限りは見届けたい。あくまで高校生クイズはクイズ大会の皮をかぶった青春謳歌であってほしいものだ、とオッサンは思う。毎年同じことしか言ってないのだけども。

 

(追記:今回の放送、LIONは冠スポンサーではなかったけども、いちスポンサーとしてちゃんと名前は連ねていたのを録画を再確認していて気づいた。単に日テレの火曜の枠スポンサーだったような気もするけども、そこだけ訂正。 9/17)

完全試合

お盆休みがそれなりにあったんですけど、マジで誰にも会わなかったです。

 

まあ40代独身のオッサンなので、もはや誰からも誘われるということもなく、はたまた自分から誰かに声をかけるということもなく(今回は本当に誰にも連絡しなかった)、ただひたすら家で溜まっていた録画と溜まっていたTVerのお気に入りと溜まっていた「見たかった動画」と溜まっていたラジオの録音と溜まっていた雑事をこなすだけで日々が過ぎた。これを自分的には「こんなん1年くらい続いても平気な最高の過ごし方」なのですが、傍から見れば「孤独死まっしぐらな可哀想な中年男性」でしかないのでしょう。価値観は人それぞれです。

 

長期休みは録画をつぶす、というのはここ15年くらいのルーティンになっておりますので、今更変わったことでもなく、今年も淡々と録画を消化しておりました。オリンピックがあったおかげで例年ほどたまってはいなかったですけども。あとTVerの使い方が上手くなってきたので、そこまでHDDに負担もかかっていなかったです。誰にも羨ましがられない特技を習得しています。

 

録画をつぶす以外の作業のときはYouTubeSOUL’d OUTをずっと聴いていたわけです。20年くらい前に活動したヒップホップグループ。当時は全然素通りしていたのだけど、もうなんかBGMとして妙に語感のよいラップは作業しながら聞くのに本当によくて。その流れなのかわかりませんが、YouTube先生がオススメしてくれたstillichimiyaの「ズンドコ節」がこれまたよくて。10年前に発表された曲のようですが、寡聞にして初耳。これもとても心地よい。普段から倍速視聴の自分はリズムが早いほうが好みなので、ちょっとスピードを上げて本当に繰り返し聴いた。このお盆休み一番のヘビーローテーションである。しかしまあズンドコ節という曲の懐の深さよ。

youtu.be

 

というわけで今年のお盆は「誰にも会わないことと引き換えにちょっとごきげんな10年前の曲を知る」という過ごし方でした。テレビもそれなりに見ていますが、もう見るものが固定されてしまっていて、さほどここに書くような衝動もないのですよね。テレビブログとしての機能はもうとっくに失われているのですが、それでもたまに書きたいことがあったときのために場所だけは残しておきたい。テレビ批評家気取りとしての矜持。もうそれだけの話です。和田アキ子に謝罪させるのは時代のせいかもしれないが、「みんな時代のせいだと言い訳なんかするなよ」と、とんねるずばりに言ってもいい場所があってもいいだろう。

 

オワコンな人生

こんな歳になっていまだにテレビ見てブログ書いているとか正気の沙汰じゃないですよね、と誰にも言われませんが、たぶんみんな心の中でそう思っているし何より自分で思っているんですよ。

 

でもそれが辞められないのは、「自分が書いた文章が結局読んで一番楽しい」ということに、うっかり割と早い段階で気づいてしまったことにある。

 

自分がブログにテレビの感想とかその時思ったことを書く理由は「後で読み返すと自分がその時何考えていたか思い出せるし、何より自分が考えていたことなので、一番気が合う」からだ。さすがに20代の時に書いた文章とか無駄にとがっていたりして「もっとうまいこと書けたんじゃないのか」とか気恥ずかしくなりはするけども、それでも他人の書いたイマイチ気が合わない文章よりは、自分の書いた自分の文章がいちばん楽しい。日記にでも書いとけよ、なのですが、うっかり公開するという性癖です。

 

だからまあ究極誰も賛同してくれなくても、一番の理解者である自分がしっくりくれば書いてしまう。もちろんさすがに公開がはばかられるようなものは書いてもアップロードはしないけど、書かないと忘れてもしまうので、大抵は何らかの形で公開する。こんなこと書くと大量の没ネタがあるような作家気取りであるが、書き溜めているものなどほとんどない。

 

しかしまあテレビなんてもう誰も真剣に見ていない。テレビに出ているタレントも真剣に見ていないし、一般人は言わずもがなだ。真剣に見ているのは真剣に暇つぶしをしている自分のような変わった人間くらいで、もうテレビが緩やかに崩壊していくのは決定事項だと言ってもいいくらいだ。完全に滅亡することはないだろうが、かつてのような華やかさや権力はもう絶対に戻ってこない。斜陽産業である。仕方ない。

 

でも、テレビを見続けているからこそ分かることってのも、ちょっとだけある。

 

誰とは言わないですけど、選挙に負けたら色んなテレビに出始めた人がいるじゃないっすか。次の「何か」に向けて知名度を売るためだと思います。たぶん本人の意思だけではなく「ブレーン」的な人がいるんでしょう。でも、そのブレーンなのか本人なのかは分かりませんが、手始めに選んだ番組が「オールナイトフジコ」ってすごくないですか。もちろん褒めてない。

 

何をどう判断したらそのような決断になったのだろう。とにかく顔が売れればよかったのだろうか。本人含めて周囲の人間に「そりゃねえわ」って判断できる人間がひとりもいなかったんでしょうね。そこに出演して何かメリットがあると思っているのだとしても怖いが、どう考えても周囲の人間が誰もテレビに興味ないってこと丸わかりで怖い。もし自分が周囲にいる人間で、本当に未来のある人間だと思っているなら全力で止めるもの。「あなたが番組に出て得られるものより、失う目に見えないもののほうが圧倒的に大きい!」ってたぶん言う。でも誰も言ってくれなかったんでしょ。周囲に「それまでの人」と思われているか、誰もテレビ見てないか。3対7で後者かなあと思う。

 

テレビ見てないから山崎怜奈を小娘と侮って喉元切り裂かれるし、テレビ見てないから平気で「オールナイトフジコ」出ちゃう。テレビはオワコンで、こんなテレビしか見てない人間の人生もオワコンである。しかしテレビ見ている人間にしか分からないものは、確実にある。まあそれが人生において必要かと言われれば、全く必要ないのだが。でも自分は気づいてしまったので将来の自分を喜ばせるためだけに、ここに書くだけ。それ以上でも以下でもない。

 

 

そして誰もいなくなった

「オドオド×ハラハラ」が1年で終了。

 

「オドオド×ハラハラ」、通称オドハラはフジテレビでオードリーとハライチをメインに据えたバラエティ番組で、佐久間宣行プロデュースとして鳴り物入りで始まった。にも関わらず半年経って番組の枠移動があり、そして終了。正直に言えば「何だったんだ」である。

 

一方TBSでは「リンカーン」の後継番組を謳い「ジョンソン」が始まった。かまいたち、ニューヨーク、見取り図、モグライダーをメインに据えてはみたもののこちらも1年で終了。今のテレビにおいて新規立ち上げのバラエティがいかに難しいか、そして今のテレビ局に1年以上も辛抱強く待って育てるだけの体力がないことを露呈した。まあまあ悲しい出来事ではある。ただ自分の場合は申し訳ないが「ジョンソン」は本当に1秒も見ていない。これは「面白くなさそう」ではなく、そもそも「リンカーン」からあんまり見ていなくて(さすがに全く見たことがないわけではなかったが)、今更後継番組とか言われてもピンとこなかったというこちらの事情のほうが大きい。

 

じゃあ「オドハラ」も同じような感じかと言えば、こちらはTBSよりももっと酷い有様だったと言える。「飛ぶ鳥を落とす勢いのプロデューサー佐久間宣行」が「オードリーとハライチ」で「フジでゴールデンのバラエティをやる」という、「」内のいずれかに引っかかりがある人であれば「じゃあ見てみよう」となるような期待感を抱かせたものの、「」内の看板を超える中身がひとつもない完全ハリボテでしかない番組だったのだから、これは全ての層からの落胆が大きかった。

 

番組から見え隠れするのは「佐久間が信頼しているオードリーとハライチに任せておけば面白いはずだから大丈夫」という、フジテレビ側の分かりやすすぎる安直。もちろんそうではないのかもしれない。しかしそう見えてしまうほどの安直。この座組を作ったことがフジテレビのゴールであり、ここから何か仕掛けていこうという雰囲気はまるで感じられなかった。

 

そして分かりやすく追い打ちをかけたのが、枠移動後リニューアルして始まった芸能人のお宅訪問。この件に関して言及している人全員が触れていると思うが「なぜあの座組であんな激ヌルバラエティを見なければいけないのか」という失望。twitterにも書いたが「誰が誰のために作っていて、そして誰が見てるのか分からない」という、作り手の志も視聴者の気持ちもどこにもなく、そして肝心の視聴者も誰もいないという「そして誰もいなくなった」番組と成り果て、朽ちる。地獄でしかない。マジで来年の「あちこちオードリーオンラインライブ」でハライチと佐久間P出して、この反省会を2時間やってほしいくらいだ。

 

とまあ、ここまで書けば「戦犯はフジ」っていう論調になる。もちろん自分もフジが相当悪いとは思っていることが上記からでも伝わるだろう。ただ、「じゃあ本当にそれだけか」と言われれば、それも違うだろうと思っている。

 

ネット上の記事では「出演者および佐久間Pは犠牲者か」的な論調のものもあった。これはオードリー、ハライチ、そして佐久間Pの能力を考えたときに、それらが全く生かされずにダメになったのはフジの采配のせいだという考えができるからだ。

 

けども、ここは敢えて言わせていただきたい。「オドハラ」は立ち上げの時から、大して面白くなかったのである。フジも悪いが、フジのせいだけでもない。オードリーとハライチはこの番組に対してちゃんと向き合っていたのかが気になるし、佐久間Pはこの番組の方向性をどう考えていたのかも分からない。なんか、互いが互いを信用しているがゆえに軽く遠慮が入った結果こんなことになったんじゃないのかという疑念が残る。

 

オドハラは一度特番を経てからのレギュラー化。こう書けば「オドハラの特番が好評だったから」となるだろう。実際数字は悪くなかったようだ。理由は簡単。出演者および佐久間Pの固定客がちゃんと見たからだ。これを安直にレギュラーにしたフジはもちろん良くない。もしかしたらレギュラーありきでの特番だったのかもしれない。ここら辺の事情は知らないが、とにかく1度の特番を経て即レギュラー化されるほどの完成度じゃあなかったとただのテレビを見ているオジサンは当時思ったのである。

 

しかし今この座組にはファンがついているし、数字も取れると踏んだフジが安直にレギュラー化した結果、レギュラー化した直後から早々に「なんだかよく分からない番組」になり、もう最初から全然面白くなかったのである。この座組なのに。前述のようにリニューアルされてからはもう全部地獄であったことは否定しないが「最初のほうは面白かったのに」みたいな論調には全く賛同できない。絶対最初から番組見てないだろ。最初からちゃんとつまんなかったわ。ただ、「いつかヒットが出るのかも」という淡い期待だけはかろうじて持っていた人が少なくなかったんじゃないか。なぜならこの座組だから。ファンは期待する。しかしそのファンの期待を木っ端みじんに打ち砕いたのがリニューアルのお宅訪問なのである。これで全ファンが見放した。

 

分かりやすく言えば、最初から100点満点の30点くらいだった番組だったが、リニューアルでマイナス100億点になっただけなのだ。最初からさほど面白くもなかったが、リニューアルしてそんなことが些末に感じるほどの絶望で、もう全てがどうでもよくなったのである。もちろんテコ入れが悪い。しかしこの座組でいておいて、このテコ入れに抗うことはできなかったのか、という気もする。「既に関係者がみんなうっすら諦めていたからこそ、こんな地獄になったんじゃないか」という疑問には、誰か答えてくれるのだろうか。たぶん誰も答えない。

 

別に「誰が悪かったか」なんてことを追及することに意味はない。ただこの番組の惨状をフジにだけ押し付けるのはやっぱりちょっと違う気がしている。「出演者」と「プロデューサー」と「テレビ局」が均等に悪かったことにしておかないと、たぶん次も似たような悲劇が起こる。自分のような腐った屍肉を頬張ることを趣味としているハイエナしか喜ばない。