やっぱそうじゃねえかよ

自分がテレビを長いこと見ていてずっと腑に落ちないもののひとつに「中年のオジサンやオバサンが若者の流行や文化を学ぶ」番組やコーナーがある。

 

昔「クイズ!年の差なんて」という番組があった。ヤングチームとアダルトチームに分かれて、それぞれの世代には常識である知識を出題しあうという内容。この番組の良いところは互いの立場で「こんなことも知らないのか」と言えるところ。どちらか一方を時代遅れとか常識知らずと揶揄するのではなく、世代が違えば常識も違うという「ごく当たり前のこと」を知らせてくれるものだった。若者に鶏肉が何の肉かを聞いてバカにするようなことはないのである。もっとも今は単なる芸能人格付けチェックになってしまったけども、それは今はあまり関係がない。

 

若者世代の流行や常識を学ぶ番組は、基本的に中年世代が若者のことを「学ぶ」わけですから、若者世代が「教える立場=偉い」になるわけで、本来であれば目上である中年たちが「教わる立場=目下」になるのが滑稽だったりする。普段は偉ぶっている大人が「そんなことも知らないのか」になるわけですね。

 

自分はこれがずーっと「なんかイヤだなあ」と思っていました。

 

自分も20年くらい前には「若者」だったわけですが、当時流行っていることとして扱われる内容も「本当に流行っているのかよ」と思うことが多かったですし(まあ実際に東京のほうでは流行っていたのでしょうけども)、それを大人たちが学ぶということに関し「わざわざ大人がすり寄ってこなくていいよ」と思っていました。大人たちが若者に「媚びている」ようで、全然面白くなかったのですね。けどこういうのがあることで大人たちが若者文化を学ぶ「需要」があるのかなあ、とかうっすら思っていたわけです。

 

時は流れ、自分もいいオッサンになりました。そしてオッサンになった今、YouTube発信の流行のコンテンツを若者が紹介し、それを自分と同世代の芸人とかが「全然分からない」とか言いながらヘラヘラして教わっている姿を見ると「あああああああああ」と思います。情けない。なんで若者に媚びながらわざわざオッサンが教わらなければ(そしてそれをテレビで見なければ)ならないのか。そりゃあ流行の先端なのかもしれないけど、それを知ることが必要なオッサンやオバサンはそれほど多くなく(仕事で必要な人はもうそれなりにしっかり知っている)、中途半端な知識をかじったオッサンが職場の若者にその知識を披露した結果、いいことなんてひとつもないことは明らかだ。結論として「学ぶ必要はない」である。

 

てことは、自分が若者だったときに当時のオッサンやオバサンは当然同じことを思っていたんじゃないか。若者のときに「オッサンには需要がある」と思っていた自分がオッサンになったとき、全くオッサンとしての需要を感じていなかった。じゃあ誰が必要なのこれ。

 

今テレビの視聴者が高齢化していて、若者をテレビに呼び戻すことを各局が模索しているという話は聞く。「噂の東京マガジン」が堅調な視聴率をたたき出していたにも関わらずBSに移行したのも、今後必要になってくる若者の数字が取れていないからだ(そんなもん当たり前だろ、とは思うけど)という話を聞いた。だからなんとか若者が見るような企画を、若者にフィットした番組をと考えるのは間違ってはいないだろう。かといって若者文化を扱うことが若者の視聴に繋がるのかはよく分からん。そういうデータでもあるんだろうか。

 

若いときに感じた「これ、オッサンになったときに必要になるのかなあ」は、オッサンになった今「いやあ、なんで若者文化をオッサンになって教えられなきゃいかんのよ」となった。結局自分は若者でもオッサンでも、この手の番組を必要としていなかった。やっぱそうじゃねえかよ。じゃあなんで廃れないの?っていうシンプルな疑問は「流行扱っておけばいいだろ」っていうテレビ局の悪しき怠慢だと自分は思いますけど、どうなんでしょうね。

 

 

パーフェクトゲーム

結婚を発表した有吉弘行夏目三久が、出会いの場となった「怒り新党」(の後継番組である「かりそめ天国」の枠内でその日限りの復活)に出演。結婚の報告と夏目の9月いっぱいでの芸能活動の引退を発表。

 

結婚発表からこの番組放送に至るまで、自分の感想は一貫して「すべては計画通りなのか」である。見事としか言いようがない。おそらくここまでの流れは最初に有吉と夏目の交際がすっぱ抜かれ、否定をせずにシラを切り通してきた(有吉自身から交際を否定することはなかった)時から目指してきたものなのだろう。

 

怒り新党」を一夜限り復活させ、そこで夏目の引退を発表するのは誰が考えたのだろうか。二人で話し合った結果か。記者会見をしなくても二人揃って番組に姿を見せれば不満は出てこない。そしてそこにいるのは芸能リポーターではなく、二人にとって気心が知れまくっているマツコ。有吉に「井上公造か」と言われていたマツコではあるけども、もちろん二人が答えられないような質問はせず、かといって視聴者に物足りなさを感じさせない阿吽の呼吸。アンジャッシュ渡部の時にも思ったのだけども、有吉とマツコの二人は出演者であると同時に「鋭い視聴者」でもあり、テレビの前で番組を見ている人の期待に応えるギリギリの線をちゃんと突いてくる。ここが凄い。

 

細かい打ち合わせなどなくとも、マツコは有吉夫妻が要求するギリギリのコースを投げてくるし、その球をきっちり打ち返す有吉夫妻。「怒り新党」を復活させてまで出演したのは、もちろん「出会いの場所に恩義を感じている」という理由もあるだろうが、それよりも「マツコという信頼できる相手だからこそ委ねて話せるし、ここで話せば他で話さなくてよい」という部分のほうが大きかったんじゃないかと思う。

 

というわけで有吉夫妻もマツコも終始「怒り新党」のペースだった。ブランクはない。「マツコと一緒に住むことはできませんか?」という視聴者のメールに対して「同居はイヤだ」とはっきり言い切った夏目に自分は「ああ、こういう時でもはっきりNOを言う女だったな夏目は」と思ったよ。10年前と何も変わらない。

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「どうせなら(夏目引退の)10月までこの体制でやる?」という有吉の発言を受けて、花束を渡すためにスタンバイしていた久保田アナが涙目になるという最後のハプニング。久保田アナはアナウンサー歴でいうと夏目の2年先輩にあたるが、夏目がアナウンススクールに通っていたとき講師をしていたらしい。妙な縁である。どうか久保田アナには幸せになってほしい。もっとも同世代で独身の自分が心配することではなく、久保田アナにただ望むのは「インフィニットドレスの復活」だけである。

 

有吉夫妻もマツコも久保田アナもどうか幸せに。

 

 

 

ただの俺の話

ご無沙汰しています。もはや誰も読んでいない気もしますが。

 

先日12連勤を終えてようやく休めるなー、と酒飲んで寝ていたわけですね。そうするとあるじゃないですか、「ああ、これはふくらはぎが攣るな」とわかるやつが。いわゆるこむら返りというやつです。ただそういうときは「この体勢を維持すると数秒後になります」っていうサインなわけで、少し足の向きとか体勢を変えてやると、それが緩和されたりやりすごせたりするわけです。経験上わかっているので、足をなるべく「そうならない」体勢にもっていくわけですね。

 

すると、片方の足には「攣らない体勢」であっても、もう片方の足には「攣る体勢」だったりするわけです。そんなわけで逆側の足が攣りましてですね、そこにもんどりうっていたら、もう片方の足も攣るという地獄を味わったわけです。どんな体制してももう痛い。

 

一般的に「こむら返り」は疲れとか水分不足とかで起こることは知っているのです。まあ酒も飲んで疲れもたまっているので、こらいかんと両足の痛みをこらえつつ枕元に置いてある水をがぶ飲みします。もちろん水を飲んだところで速攻で治るようなものでもなく、痛いなあ、苦しいなと思いながら痛みがひくのをやりすごすわけですね。

 

惨め。

 

自分の頭がよぎったのはこの一言でした。なんで自分は2週間近く休みなしで働き、そしてテレビもロクに見ることもできず、守るべき家庭があるわけでもなく、上司の一切タメにならない小言を聞き、ようやく解放されたかと思ったらこの有様。なんだこの仕打ちは。家庭がないのは一切自分の責任であるが、そんな仕打ち受けなければいけない理由なんかあるか。いや、ないんだ。人生は理由もなく理不尽な仕打ちを受ける。それは分かっているが、夜中に両足こむらがえった日には「惨め」の一言が深く突き刺さったわけです。前日に有吉の結婚が発表されたことも多少は関係ある。

 

体力も気力も、限界にきているかなあと日々思う。

 

このまま同じような日々を過ごせばいずれまた夜中に両足が攣り、そして惨めになる。こんな気持ちを抱いたまま残りの人生過ごしていいのか。自分の人生、長く見積もってもそろそろ折り返しにはきている。短く見積もればそろそろ終わってもおかしくない。こんなもやもやを抱えて死んでいいのか、とか悩みは尽きない。

 

仕事をやめても「仕事とそれに関わるストレスがなくなる」だけで、それ以上のことはない。今度は「収入がなくなる不安」と戦うだけだ。どっちがいいのかは分からないが、なんかもう究極の2択なら後者なんじゃないかとすら思う。

 

そんな、ただの俺の話。

 

「俺の家の話」の最終回の録画が見たくてこの連勤地獄を頑張っていた側面は間違いなくある。疲れた体で中途半端に見るのではなく、ちゃんと精神と体力をある程度整えたところで見ようと思っていた。んで、さっき見た。もう放送からしばらく経っているのでネタバレは平気だとは思うが、念のためまだ見ていなくて、これから見る人がいたら気を付けてほしい。

 

 

まず自分を強く褒めておきたい。「俺の家の話」の最終回が放送されてから1週間以上経ってようやく録画を見たのだけども「寿一(長瀬智也)が死ぬ」というネタバレを一切見ることがなく過ごすことが出来たのは本当に偉い。自分偉い。石を投げればネタバレにあたるようなこのご時世、よくもまあネタバレせずに録画を見たもんだと思う。だから録画見ていて寿一が死んだことが分かったときに、本当に「え?」と思ったもの。全然気づかなかった。

 

ドラマは「寿一が亡くなっても、全体としてあるべき形に収まっていく」という姿が描かれた(と自分は思う)。これはまるで「長瀬智也という俳優がいなくなっても、芸能界はあるべき姿に収まっていく」と長瀬本人から言われているような気がした。まるで「自分がいなくても大した話ではない」と言わんばかりに。それが余計に寂しくもある。

 

このドラマはクドカンの脚本でありながらずっと「長瀬智也の話」でしかなく、初回からずっと「終わり」を意識させられ、そして実際に終わったわけだけど、終わりでお終い、ではなく、終わってなお「続く」ことが描かれたのは自分にとっても救いだった。「終わり」は「区切り」ではあるけど、全てが終わるわけではない。ホンモノの長瀬は死んだわけではないけど、遺言みたいなもんだったと自分は思う。まだ頑張れるのか自分は。泣きながら考えた。結論出ないけど。

 

 

仕事の忙しさも一段落したので、両足がつらなければがんばって更新します。とかいって1ヶ月放置するんだよこいつは。

 

ファンキー加藤のことをまだ何にも知らない

FUNKY MONKEY BABYSファンキー加藤モン吉の二人で「FANKY MONKEY BΛBY’S」(読み同じ)として再結成。

 

自分はこのニュースを見たとき「さすがファンキー加藤だな、ブレてないな」と思いました。しかし世の中には「失望した」とか「ファンやめます」とか、おおよそファンだったとは思えない人間たちからの、ムダな批判を浴びている。嘆かわしいことである。

 

ファンキー加藤という人間を理解しているならば、この再結成に関して失望なんてことはあり得ないのである。ファンではないがウォッチャーではある私ハトヤからすれば、こんなに必然で当然でしかない再結成までの流れは、様式美であるとしか言えない。

 

今回の再結成に関して一番多く聞こえる(と思う)意見は「3.11を自分の都合のいいように利用したというものだ。多くの方が犠牲となった3.11の地震津波。これを利用するなんてことは本来であれば許されないことであろう。しかし自分は言いたい。声を大にして言いたい。

 

ファンキー加藤って、そういうやつじゃん。

 

そもそも、そのことが分かっていない奴が批判をしていることがおかしい。ファンキー加藤はそういうやつなのだ。そういう奴であることを無視して、そういうことを批判するのは「お前今更そんなこと言うの?」というレベルでしかない。もちろんそのこと自体が許せない人ってのはいるんだろうけど。もっともファンキー加藤のファンでない人からすればそういうものかもしれない。

 

しかし「ファンモンのファン」を名乗っておきながら、今回の再結成とかファンキー加藤の不倫にかこつけて批判しているような人間は、それはもう「愚か」でしかない。ファンキー加藤よりも愚かである。なぜならファンキー加藤(あるいはファンモン)のファンでありながら、ファンキー加藤の本質を理解しもせずに応援をし、そしてファンキー加藤の本質に少し触れただけで「ファンやめます」とか「失望した」言い出す。オマエは何を見てきて今までファンだったのかと。何も見えていなかったくせに、その自分の過失を棚に上げてファンキー加藤を批判している自分の愚かさをまず呪え、と言いたい。

 

今回の再結成に関するファンキー加藤のコメントを見てあなたはゾクゾクしないか。自分はゾクゾクする。

<ファンキー加藤>
心の奥のほうにずっと仕舞い込んでいた大切な思い出が、3月11日に解き放たれて、現在進行形の強い想いとなりました。
もう隠しません。
そのまま、自分の気持ちのまま、モン吉と2人で歌ってみようと思います。
ソロとしてのファンキー加藤を、そしてグループとしてのファンモンを、引き続き宜しくお願い致します。

自分なりに要約すれば「互いにソロ活動はジリ貧だったけど、『音楽の日』での再結成が評判良かったから、いや本当は評判良くなるだろうと分かっていたので、3.11にかこつけて再結成しちゃいます!また売れたいという気持ちはもう隠せない!」である。ここまで清々しく自分の欲望を再結成の活動コメントに込める人間を、自分はファンキー加藤以外に知らない。嫌悪感はまるでない。ニヤニヤしかしない。

 

今回の再結成における一連の流れは、徹頭徹尾ファンキー加藤そのものでしかない。しかしあろうことにファンキー加藤をファンとして眺めてきた(らしい)人間が「失望した」とか言っているようだ。とはいえ自分が見ているのは日本の底辺ヤフコメでしかないので、ファンを名乗っているだけの人間なのかもしれないが、仮にも本当に今までファンだった人間が今回の再結成において「失望した」とか言っているのであれば「私は今までファンキー加藤のことを何も理解せずに応援してきた恥ずかしい人間です」と白状しているようなもんであり、何を居丈高にそんなこと言っているのかと思う。ファンキー加藤に嫌悪感を抱く前に、自分のしょうもなさを恥じろよ。そしてファンキー加藤ファンキー加藤であることを楽しめよ、と思う。

 

自分なりにファンキー加藤を褒め殺していると思うのだけど、みなさんがどう思うかは任せた。もとい知った事ではない。

 

 

ある仮説

「発見!タカトシランド」は北海道ローカルの番組でして、毎週金曜の19時に放送されています。

 

以前ここでも「タカトシの悪い意味で気を抜いている」と書いたことがある。今はTverで北海道以外にも配信されているので、一応誰でも見ることが出来る。中身は主に札幌(前は札幌近郊も行っていたが、最近はもっぱら札幌近辺)の街ブラ番組であり、札幌人以外は見たところで大して面白くもない。

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でまあ、「タカトシランド」にはタカ・トシ二手に分かれて街ブラをするゲストが必ず二組います。今回放送されたゲストは具志堅用高と種馬マンでした。ん?種馬マン?

 

 

種馬マンと聞いてピンとくる人は30代以上のお笑い好きである。ボキャブラ全盛期を前後に活躍したコンビ「モリマン」のひとり。相方ホルスタイン・モリ夫はその名前と「ガキの使い」における山崎邦正(現月亭方正)との死闘で記憶にある人も多いだろうが、そのセコンドにいた種馬マンまで覚えている人は少ない。種馬マンも名前こそインパクトはあるが、見た目は普通のお姉さん、現おばさんである。

 

 

今ではモリマンは出身地の北海道に戻り、コンビで札幌吉本所属として活動している。コンビで何かすることは少なく、それぞれが自分の活動をしている。だから北海道ローカルのタレントとして目にする機会はままあるわけで、「種馬マンがゲストって誰なんだよ」という意味では全然ない。

 

 

じゃあなぜ自分は「ん?」と思ったのか。普段のタカトシランドは北海道にあまり縁のない芸能人が北海道を歩いていいところを見てもらう、的な観光案内の側面が強い。それはタカトシが北海道のホストとなってゲストをおもてなしするという感じだ。もっともタカトシ側が適当なのでホストのようでホストになってないという裏見所もあるが、基本はそういう感じ(だと自分は思っている)。

 

 

そこにきて種馬マン。札幌出身現札幌在住。どう考えても今の札幌に詳しいのはタカトシよりも種馬マンである。そんな種馬マンが札幌の街ブラの「ゲスト」ってどうなんだ。「ホスト」ならまだしも。違和感しかない。

 

ははーん、代打だな。

 

自分は種馬マンが番組スタートから札幌競馬場近くの店でスープカレーを食べているのを見て、そうとしか思えなかった。

 

 

コロナの手前自由な街ブラが出来ない今、ゲストのアンケートに基づき、スタッフが行先を決めてそこに行く、という形が取られている。札幌在住でスープカレーなんかいくらでも食べられる種馬マンが、最初にスープカレー。ZAZYでなくとも「なんそれ!」と言いたくなる。

 

 

となると、本来ゲストとしてくるはずだった人間がスープカレーを望んでおり、そこに付き合わされたと考えるのが自然だろう。本来出るはずだったゲストが何らかの事情で出演できなくなった。そこの埋め合わせとして、札幌在住で緊急事態でも都合のついた種馬マンが召喚された。これならばいきなりのスープカレーの説明がつく。

 

 

それじゃあ種馬マンは誰の代打だったのか。

 

 

もちろん可能性として男性ゲストの可能性も捨てきれないが、種馬マンを呼ぶ以上元々のゲストは女性だったのだろう。スープカレー店、クマの置物、洗濯の雑貨、これが男性とは考えにくい。

 

 

撮影時期は冬。しかもけっこう雪が積もってからなので、札幌の積雪を考えれば既に2021年になっているはずである(この番組は2~3か月前に収録したものが放送されることも少なくない)。ここがもう一つのヒント。これだけ積雪があれば「天候の関係でゲストが札幌に到着できなかった」的な言い訳ができそうなものである。もちろん積雪じゃなくても、このご時世、北海道にゲストが来れないことに関して言い訳なんかいくらでも出来そうだ。そしてそのことを怪しがる視聴者なんかそんなにいない。にも関わらずその言い訳をしなかった。いや、出来なかったのではないか。

 

 

「女性」「欠席するにあたり名前が出せない」というキーワードから、導き出されるゲストはひとりしかいません。

 

ゆきぽよじゃね?

 

例の報道があってからめっきり姿を見せなくなったゆきぽよ。そりゃそうなんだけど。でまあ、北海道の1日ロケになるこの番組はオファーもそこそこ前から行っているはず。もちろん騒動の前にオファーがあったんだろうけど、土壇場になって「ゆきぽよはちょっと…」となりキャンセル。名前を出すわけにも、そしてロケの予定をずらすわけにもいかず(それはもうひとりのゲスト具志堅がいるから)、結局種馬マンが代打として駆り出された。どうだろうか。

 

もちろん「ハナっから本当に種馬マンをゲストとして呼んでいた」可能性はある。可能性はあるが、もしそうなら自分は「それは何なんw」と藤井風ばりに叫ぶ。最初から呼んでいたことを裏付ける材料としては、石鹸作りが趣味の種馬マンが洗濯雑貨の店を訪れていること。行先としては自然なのだが、公式プロフィールに「趣味石鹸作り」を出しているくらいなので、急ごしらえでスタッフが仕込んだと自分は思っている。

 

また、代打が正しかったとしても本当にポシャったゲストがゆきぽよかどうかは分からない。本当はもっと凶悪な理由で飛んだゲストがいたのかもしれないし、すげえしょうもない理由でショボいゲストが飛んだのかもしれない。事実は分からない。

 

しかし自分の中では「ゆきぽよが飛んだ」というのは仮説であり真実。事実なんてのは自分にとっては大概どうでもいいのである。日々こういうことを考えてテレビ見てますよ。

 

 

 

カンテレしっかりしなさい

今年から趣が大きく変わった「R-1ぐらんぷり」改め「R-1グランプリ」の感想を。

 

出場規則が「芸歴10年以内」に改められたことにより決勝進出者の顔ぶれが大きく変わる。そして審査員も大きく変わり、審査方法もM-1に準ずるような形に。これが大きなアダになるとは。

 

例年のごとくとりあえず見た感想を羅列してから、最後にたぶんみんな言いたいことに関して自分もちょっとだけ書きます。

 

マツモトクラブ

告白。いつも通り巧みな一人芝居。妄想の前フリが職質で綺麗に回収されるのはキレイだけどそれだけじゃお腹がすくの、と「そばかす」ばりな感想。

 

ZAZY

四季。てかZAZYでしかない。天才。圧倒的。

 

土屋

田原俊彦。まあ、いいんじゃないっすか(超適当)。

 

森本サイダー

気になる。言うほど気にならないのが困る。

 

吉住

バケモノ。まあ、そうなるしかないよなあ、というオチ。

 

寺田寛明

和訳。和訳なんだけど、あるある。あるあるなのよ。もっと長文でやればいいのに。

 

かが屋・賀屋

駆け込み乗車。いいネタ。携帯で怒鳴られる描写うますぎ。

 

kento fukaya

3面フリップ。形式は全く違えどZAZYが4面で先にやっちゃう悲しさよ。ネタはがんばってた。

 

高田ぽる子

乳首。カニササレアヤコを決勝に出したときの感じ。

 

ゆりやんレトリィバァ

ツッコミ。ここで「THE W」のカツオやったら圧勝だったな。

 

決勝

かが屋・賀屋

おなら。賀屋の演じる女性はいいよなあ(志村けんが優香を褒めていた口調で)。

 

ZAZY

まさかの白ZAZY。フリップがクリップで留まっているというハプニングも含めてZAZYよ。圧倒的優勝。だと思った。

 

ゆりやんレトリィバァ

ダイエット取材。なんか積んでいるエンジンが違うな、とはやっぱり感じさせられた。個人的には完全にZAZYだったけど、かといって優勝に異論があるわけでもなく。優勝で泣くフリして一重はやると思ってた。たぶん自分含めた見ている人殆どが。しかしカンテレのスタッフは思っていなかったようで、せっかくの変顔が映されないという悲劇。

 

 

「芸歴10年以内」ということを前面に打ち出してしまった結果、毎年「ん?」となりがちなR-1だったのに、例年以上に「ん?」となってしまったラインナップ。これは決勝進出者が悪いんじゃなくて、決勝に通した審査員がよくないと思うんだよな。リニューアル感を出そうとしすぎて欲を出したことが透けて見えるもの。

 

それより一番酷かったのは「時間に追われ過ぎて結局何もかもが中途半端な番組そのもの」でしょう。一番見通しが甘かった「M-1とほぼ同じ構成だけども、M-1よりも放送時間が1時間短いのに同じこと出来るわけねえだろ」感。途中から審査員のコメントがほぼなくなり、点数発表も途中から全員分が一気に出る形に。視聴者投票もシステムがよく分からないまま進み、途中から殆ど意味をなさず。M-1に倣ったはずなのに、なぜここを残したのか。独自色出したかったのか。だったら今まで通りのシステムでよくないか?

 

そうかと思えば優勝が決まった後でゆりやんの1本目のネタをもう一度流される時間が。これは昨年野田クリスタルのインタビューがダラダラ流されるという謎の時間があったことと同じ理由で、地域によってはネタ再放送の前の時間で放送が終わったようだが、そうじゃない地域は謎にネタ再放送を見せられるという時間になったらしい。だから編成上の都合であり「時間調整がおかしい」という批判は本来当てはまらないのだけど、散々それまでへんな構成を垂れ流したカンテレは甘んじて受け入れたほうがいい。

 

一言でまとめれば「M-1の真似しようとしたR-1がネタ以上に痛い目にあった」というだけの話だけど、賞レースとして定着して久しいはずのR-1が「まだこんなグダグダなことやるの?」とは正直思ってしまう。出演者の反省会とか配信しなくていいから、スタッフたちのガチ反省会を配信してくれよ。そっちなら見る。

 

 

春の人事

わたくしハトヤも世を忍ぶ仮の姿ではサラリーマンですから(悪魔ギャグ)、この季節になると人事異動に怯えて過ごすわけです。ブログの更新をサボるのもこのせいです。幸いここ数年は人事異動に怯えることなく過ごしていまして、今年も諸事情で異動はないだろうな、と思っていましたが案の定ありませんでした。

 

しかしテレビで言うところの人事異動、つまりは番組改編の時期はヒヤヒヤします。自分の好きな番組が終わりやしないか、という恐怖ですよね。割と早めに発表されていましたが「サワコの朝」が終わってしまうのはちょっと寂しいです。「WBS」が10時台に上がってくる関係で「ガイアの夜明け」や「カンブリア宮殿」が遅い時間に移動するのは歓迎。基本録画なので何の関係もありませんが、放送時間が遅くなることによって小池栄子の露出が上がるはずなので。そんなことはない。

 

本日3月1日、テレビ業界でとんでもない人事の発表がありました。

 

そう、村井美樹サンミュージック移籍。

 

村井さんといえば最近では「バスVS鉄道乗継対決旅」で鬼軍曹としてお馴染み。村井軍曹である。その村井軍曹が、あろうことか宿敵にしてバス旅レジェンドの太川陽介と同じ事務所に所属になります。これを呉越同舟といわずになんという。「ただのご縁があっての移籍」と言うなかれ。

 

対決旅の魅力はちょっと前に書いたのだけども、なんといっても最大の魅力は「二人がガチで勝負している」ところでしょう。しかし二人が同じ事務所になってしまえば、そこの部分で「事務所で談合しているのではないか?」という余計な疑念を自分だけ抱きかねない。

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もちろんそんな心配は全くないのだが、ひとつ考えられる懸念がある。両リーダーがサンミュージック所属になったことで、今後サンミュージック所属タレントがブッキングされることは必至。とりあえず三拍子あたりが謎にキャスティングされて「なんで?」となってほしい。あるいはYes!アキトだよな。

 

 

というのは冗談であり(いや冗談でもないんだけど)、テレビ的にもラジオ的にもお笑い的にも大きい人事ニュースが。テレ東の佐久間宣行プロデューサーが3月末で退社予定であるとの報道が。

 

他局ニッポン放送でラジオ番組のパーソナリティを務め、抱えている仕事は順調であり、実力的にもテレ東を退社しフリーになってもたぶん生活に困ることはないであろう佐久間Pであるが、常々「テレ東のサラリーマンであること」を前面に出していたことを考えると、この報道には「マジか?」となった。いわば代名詞的な肩書きを捨てることになるのだ。その肩書き(とサラリーマンとしての保障)を捨ててでも「次のステップ」に進むことを決断したのなら、特段驚くことではないのだろうし、その決断の理由は水曜のANN0で語られるのだろう。リスナーこと「乗組員」は待つしかない。

 

テレ東のサラリーマンという制約がなくなり、活躍できる場所が増えるとともに「サラリーマンである」という佐久間Pにとっては「強み」だった肩書きもなくなる。いちラジオリスナーとしては楽しみでもあるんだけど、立場は違えど同じサラリーマンである自分には「サラリーマンがやっているラジオじゃなくなるんだなあ」という一抹の寂しさもある。売れっ子辣腕プロデューサーがその裏側を語るラジオ、という側面は間違いなくあるが、その一方で「サラリーマンとしての佇まい」も感じるラジオでもあった。芸人のラジオでもタレントのラジオでもない、そして同じサラリーマンではあるがアナウンサーのラジオでもない「特殊性」が一部(あくまで要素の一部)失われるのは、素直に惜しい。

 

それと同時に「サラリーマンの自分、このままでいいのか」と身につまされる部分が出てくる。もちろん自分なんかはただのクソサラリーマンではあるけど、「あと10年で死ぬとしたら、こんなことやってる場合じゃないのにな」と日々思う。かといってサラリーマンじゃなくなった途端10年も経たずに野垂れ死にする可能性もある、てかそっちのほうが可能性として高いわけで、無鉄砲に辞めてどうにかなる齢でもない。

 

才能のない人間は会社にしがみつくしかないのかね。しがみつくのは会社よりもテレビでありたい。まあそんなこと言っても何にもならないので、とりあえず自分はサラリーマンとしてあと少しだけ頑張る。そして死ぬ。誰の記憶にも残らずに。