ただの俺の話

ご無沙汰しています。もはや誰も読んでいない気もしますが。

 

先日12連勤を終えてようやく休めるなー、と酒飲んで寝ていたわけですね。そうするとあるじゃないですか、「ああ、これはふくらはぎが攣るな」とわかるやつが。いわゆるこむら返りというやつです。ただそういうときは「この体勢を維持すると数秒後になります」っていうサインなわけで、少し足の向きとか体勢を変えてやると、それが緩和されたりやりすごせたりするわけです。経験上わかっているので、足をなるべく「そうならない」体勢にもっていくわけですね。

 

すると、片方の足には「攣らない体勢」であっても、もう片方の足には「攣る体勢」だったりするわけです。そんなわけで逆側の足が攣りましてですね、そこにもんどりうっていたら、もう片方の足も攣るという地獄を味わったわけです。どんな体制してももう痛い。

 

一般的に「こむら返り」は疲れとか水分不足とかで起こることは知っているのです。まあ酒も飲んで疲れもたまっているので、こらいかんと両足の痛みをこらえつつ枕元に置いてある水をがぶ飲みします。もちろん水を飲んだところで速攻で治るようなものでもなく、痛いなあ、苦しいなと思いながら痛みがひくのをやりすごすわけですね。

 

惨め。

 

自分の頭がよぎったのはこの一言でした。なんで自分は2週間近く休みなしで働き、そしてテレビもロクに見ることもできず、守るべき家庭があるわけでもなく、上司の一切タメにならない小言を聞き、ようやく解放されたかと思ったらこの有様。なんだこの仕打ちは。家庭がないのは一切自分の責任であるが、そんな仕打ち受けなければいけない理由なんかあるか。いや、ないんだ。人生は理由もなく理不尽な仕打ちを受ける。それは分かっているが、夜中に両足こむらがえった日には「惨め」の一言が深く突き刺さったわけです。前日に有吉の結婚が発表されたことも多少は関係ある。

 

体力も気力も、限界にきているかなあと日々思う。

 

このまま同じような日々を過ごせばいずれまた夜中に両足が攣り、そして惨めになる。こんな気持ちを抱いたまま残りの人生過ごしていいのか。自分の人生、長く見積もってもそろそろ折り返しにはきている。短く見積もればそろそろ終わってもおかしくない。こんなもやもやを抱えて死んでいいのか、とか悩みは尽きない。

 

仕事をやめても「仕事とそれに関わるストレスがなくなる」だけで、それ以上のことはない。今度は「収入がなくなる不安」と戦うだけだ。どっちがいいのかは分からないが、なんかもう究極の2択なら後者なんじゃないかとすら思う。

 

そんな、ただの俺の話。

 

「俺の家の話」の最終回の録画が見たくてこの連勤地獄を頑張っていた側面は間違いなくある。疲れた体で中途半端に見るのではなく、ちゃんと精神と体力をある程度整えたところで見ようと思っていた。んで、さっき見た。もう放送からしばらく経っているのでネタバレは平気だとは思うが、念のためまだ見ていなくて、これから見る人がいたら気を付けてほしい。

 

 

まず自分を強く褒めておきたい。「俺の家の話」の最終回が放送されてから1週間以上経ってようやく録画を見たのだけども「寿一(長瀬智也)が死ぬ」というネタバレを一切見ることがなく過ごすことが出来たのは本当に偉い。自分偉い。石を投げればネタバレにあたるようなこのご時世、よくもまあネタバレせずに録画を見たもんだと思う。だから録画見ていて寿一が死んだことが分かったときに、本当に「え?」と思ったもの。全然気づかなかった。

 

ドラマは「寿一が亡くなっても、全体としてあるべき形に収まっていく」という姿が描かれた(と自分は思う)。これはまるで「長瀬智也という俳優がいなくなっても、芸能界はあるべき姿に収まっていく」と長瀬本人から言われているような気がした。まるで「自分がいなくても大した話ではない」と言わんばかりに。それが余計に寂しくもある。

 

このドラマはクドカンの脚本でありながらずっと「長瀬智也の話」でしかなく、初回からずっと「終わり」を意識させられ、そして実際に終わったわけだけど、終わりでお終い、ではなく、終わってなお「続く」ことが描かれたのは自分にとっても救いだった。「終わり」は「区切り」ではあるけど、全てが終わるわけではない。ホンモノの長瀬は死んだわけではないけど、遺言みたいなもんだったと自分は思う。まだ頑張れるのか自分は。泣きながら考えた。結論出ないけど。

 

 

仕事の忙しさも一段落したので、両足がつらなければがんばって更新します。とかいって1ヶ月放置するんだよこいつは。