いやあ、そうだよなあ

志村けんコロナウイルスに感染していたことを公表。

 

海外ではトム・ハンクスが感染したことを早々に発表していたが、日本の有名人で感染を発表したのは志村が初。我々が見ているシムケンがいかに元気だとはいえどもう70歳。体力的にも厳しくなってくる状態でのコロナウイルス感染のニュースは、さすがに「志村大丈夫か?」と心配になる。

 

シムケンが感染しているとなると、シムケンがレギュラーでやっている番組の共演者は大丈夫か、ということになる。このニュースを聞いて真っ先に想像したのは「共演もしていて飲み仲間である千鳥の大悟はもはや感染しているに違いない」だ。世の多くの人もそう思ったらしく、twitterのトレンドには志村の陽性報道とともに「大悟」が入るくらいその結びつきは知られたところ。

 

吉本の発表によればシムケンが発症してからの濃厚接触はなく、隔離もされていないとのこと。それならそれで何よりであるが、もしこれで濃厚接触が確認できたならば、大悟どころか千鳥が、そして大忙しの千鳥と共演していた出演者が次々と隔離・様子見ということになり、えらいことになっていた。いや、えらいことになる可能性はまだまだ大いにある。

 

いま書いた事態は「よくよく考えるまでもなく起こりうること」なわけで、それが実際に起きつつあり、起こった場合どうなるかなんてのは考えるだけで恐ろしい。しかし考えなければいけない事態が来ているということだ。自分も北海道在住で「緊急事態宣言」が出た身ながら、殆ど何も変わらずに仕事していた。普段と何も変わらないからこそあまり実感がなく他人事だったけども、テレビの中に影響が出てくるとそれが急に現実味を帯びるのだから、認識が倒錯している。

 

しかし改めて「シムケンがコロナ感染」という事実を噛みしめ、テレビの中が緩やかに侵されていく怖さ、下手したら誰もテレビの中にいなくなるんじゃないかという怖さを感じた。まだまだ志村の容態も分からないし、芸能人に第2、第3の感染者が出現する可能性も高い。そんなことばっかり考えていても仕方ないが、そうなったときに自分はテレビを見続けることが出来るんだろうか。オリンピックは最悪なくなっても構わないけど、テレビは困るんだよなあ。

 

まあもし全部テレビもダメになったら、自分はももクロちゃんのライブBlu-rayを山ほど見るだけなんですけどね。収入さえ確保してくれるなら、1年くらいは平気で家にこもってられる自信はある。あるけども、もちろんそんなことにならないように早期の収束を願うだけだ。

 

それはプラスじゃないとしても

「A-Studio」が「A-Studio+」にリニューアルされ、鶴瓶のアシスタントの女性がいなくなり、Kis-My-ft2の藤ヶ谷がMCに就任。ダブルMCになるとのこと。なにそれ。

 

「A-Studio」は割と好きな番組で「定点観察番組」のひとつである。誰がゲストに出ても必ず見る番組。「ボクらの時代」「サワコの朝」なんかがそれにあたる。普段の興味趣味の範囲だったら絶対に見ないような人が出ていても見て、自分の狭くなっている興味の範囲を無理やり広げる役目を果たしている。さっきも昨年放送された劇団EXILEの3人が鼎談している「ボクらの時代」を死んだような目で見ていたが、さほど得るものはなかった。それでも構わないのである。

 

「A-Studio」最大の魅力は、タモリに「偽善芸の集大成」といわしめ、爆笑問題のラジオで「B-Studio」というコーナーにておちょくられている、番組最後の鶴瓶のモノローグだ。たまにしか見ない人は「毎回毎回鶴瓶はゲストのいいところを引き出しているなあ」とお思いかもしれないが、なにせ毎回見ている自分には「パターンの引き出しが最近少ない」と映る。自分はそれを責めているのではなく、ニヤニヤして見ているだけだ。だってそれが面白い。そりゃあどんなゲストにも興味を持てというほうが無理な話。

 

それと同じくらい魅力的なのが「なぜか売れていく女性アシスタントたち」だ。もちろんこれから売れつつある女優やタレントを起用しているのだから売れて当たり前なんだけど、1年かけて鶴瓶とのやり取りを見ていく中で、ちょっとずつ好きになっていくのがいい。今自分は完全に上白石萌歌ちゃんが好きになっているし、その前のアシスタントを遡っていくと川栄李奈、emma、森川葵早見あかり山下リオ、波瑠、本田翼、SHELLY、IMALU、小泉深雪と、当時はそうでなかった人も今見ればとても豪華。スターダスト率高め。そして初代アシスタント小泉美雪はこの中では知名度が低いかもしれないが、へいひの(濱田岳)の嫁なので誰よりも将来安泰である。

 

それがあろうことに女性アシスタント廃止でジャニーズ。しかもMCの立ち位置だからおそらく今後しばらく変わることはない。うげー。率直に言って魅力半減である。

 

別にキスマイ藤ヶ谷が悪いと言っているのではない。これが藤ヶ谷だろうが誰だろうが、固定MCでしかも男性というのが悪い。この位置に自分が愛してやまない真剣祐が来ようとも自分はやっぱり「うーん」と言うだろう。そういうことではないのだ。

 

この番組の核は確かに「鶴瓶とゲストのやりとり」ではある。しかしそれは核ではあるけど全てじゃない。「A-Studio」を成立させているもののけっこう大きなパーツに「女性アシスタント」はあったと思うんだけどなあ。まあ今更何を言おうとも番組が変わることはない。今から藤ヶ谷が女性アシスタントに見えるような訓練を自分がすればいいだけの話だ。世界のだいたいのことはこれで上手くいく。

 

 

共通項

情熱大陸」の福原遥がまあ可愛くてですね。

 

福原遥でピンとこなくても「まいんちゃん」と言えば分かる人も多い。NHKEテレで放送されていた「クッキンアイドル アイ!マイ!まいん!」でまいんちゃんとして歌って踊って料理を作っていたのが福原。あの頃から可愛い娘だったけども、今でもちゃんと可愛い。これはけっこう奇跡的なことである。

 

そんな芸歴長めの彼女であるが、まいんちゃんとしての仕事が終わったときには「この仕事を続けていくべきか」と悩んだという。結果今では女優・声優・歌手として活躍しているのだから素晴らしい。それでも現在の順風満帆と思える活動にも本人からすれば不安や葛藤があるのだという。

 

新曲の作詞をまかされた作詞家いしわたり淳治が、福原本人を歌詞のモデルにしようとあれこれ聴いている中、福原は自分の感情をうまく説明できずに涙を流した。話しているうちに自分の内側にたまっていたものが出てきてしまったのだろう。オジサンは不覚にもグっときた。

 

あれ?この感覚?どこかで体験したことがある?

 

まりやじゃね?

 

 

自分の性格をヤフオク風に評価するならば「とても悪い」なので、西内まりやが取り上げられた「情熱大陸」を今でもたまに見返します。当時のまりやは飛ぶ鳥を落としまくる勢いでいろんな仕事に精を出し、事務所のいいなりになっていた時期です。どんな仕事も全力投球!しかし酒飲みながらメシ食べてるときに号泣してしまうんですね。屈指の名シーンです。考えるまでもなく、まりやの限界は当時から徐々に迫っていたわけで、この放送から2年後、ついにまりやは事務所の社長を殴ってしまうわけです。

 

女優がカメラの前で見せる涙にはいくつか種類があって、それはただの「女優としての涙」から「いろいろ限界の涙」まで様々。まりやのそれは明らかに「限界」だったのだけど、福原遥の涙はまりやと同じ種類でないことを願いたい。まいんちゃんのマイン(地雷)は爆発しないようにしてほしい。

 

どうでもいい話であるが、まりやの最後のシングル曲であり、主演ドラマの主題歌だったのについぞどこでも披露されなかった名曲「Motion」の作詞をしたのも実はいしわたり淳治である。この奇妙な符号。信じるか信じないかはあなた次第

 

 

社会に認められる肩書き

社会通念上の肩書きは大事です。

 

自分の場合は「会社員」です。ダメ社員なので会社に対する帰属意識は殆どゼロですけど、雇用契約があり、月給をもらっている立場なので、履歴書に書くとしたらこうなる。「職業は何ですか?」と聞かれればもうちょっと突っ込んだ説明のできる肩書きもありますが、広い意味では会社員です。公務員ではありません。調子こいて「物書きです」とか言ってもいいんですけど、お金が発生していない時点で職業ではないですね。

 

ただまあ所詮肩書きというのは「他人に紹介する自称」ですから、別に「会社員」だろうが「物書き」だろうが「おっぱい大好きおじさん」だろうが「100日後に死ぬことはわかっているのに、そんなにメディアミックスしたら用意周到感が強すぎて叩かれることはよく分かってないワニ」とか書くのは自由なんですよ。ただまあ銀行で融資を受けるときに「おっぱい大好きおじさん」はたぶんダメです。社会通念というのはそういうことです。

 

だから個人的に先日の「アタック25」で「YouTuber」が肩書きのオジサンが登場したことに、自分は軽く衝撃を受けた。

 

アタック25」は素人が参加するゆえ、テロップにて肩書きが紹介される。「アタック25」は予選に参加し、そこから本戦という仕組みになっているので、予選も本戦も参加できる(つまり仕事を休むことができる)比較的安定した職業の人が出場してくることが多い。先生だとか医者だとか公務員だとか。

 

その一方で「無職」だとか「フリーター」だとかいう肩書を見たことがない。時間と知識だけは有り余っている人はいるだろうに、この数十年間一度も見た記憶がないので、おそらく出場していないはずだ(していたら逆に教えてほしい)。仕事を引退したご高齢の方はここにカウントしない。

 

自分はこれを「身元のはっきりしない奴はアタック25の出場資格を満たしていない」と解釈していた。予選参加の段階ではじかれるのか、はたまた予選で高得点をとっても無職やフリーターに機会を与えていないのか、それとも単に無職やフリーターにクイズの実力がなかったのかは分からない。けれどまあ何にせよ「アタック25に必要なものは知識とちゃんとした肩書きだ」と自分は長い間思っていた。

 

しかし令和のこの時代、ついに「YouTuber」という肩書のオジサンが出てきたのだ。自分の中で「YouTuber」なんて肩書きは「無職」に対する「家事手伝い」と同じ程度の言い換えでしかないという認識だ。ヒカキンやキングコング梶原くらい稼いでいればまだしも、そうでもないオジサンが名乗る「YouTuber」は「無職」と言って憚らないに等しい。遂に無職がアタックに出る時代に!時代は変わった!と一瞬思った。

 

ただまあちゃんと自己紹介を聞けば、ムチャやって再生回数を稼いでいるような人ではなく、数学に関する教育系の動画をつくっていて登録者数も10万人を超えているというのだから、おそらくそこそこの収入が発生しているのだろう。だから肩書きとして「YouTuber」は妥当ということになるのかもしれない。さすがにアタック側もまだ「無職」的なYouTuberを出すほど時代は変わっていなかった。そして優勝しちゃうんだから実力的も文句なしだった。

 

そう考えれば地獄のような底辺YouTuber(の説が次回の「水曜日のダウンタウン」で登場するのは偶然だろうか)がアタックに出場することはまだまだ先ということになる。自分の中での底辺YouTuberの象徴であるBUNZINさん(「そんなバカなマン」でバカリズムとの絡みが印象的)が「YouTuber」としてアタックに登場するようなことがあれば、自分はそっとテレビを消したい。

nageyarism.hatenablog.com

 

CM-1

3/13(金)の金曜ロードショーは「トイストーリー2」でした。

 

CMで「トイストーリー2」が流れているんですが、その音楽が「Zurg's Planet」ちゅう曲なんですよね。恥ずかしながら大ヒット映画であるトイストーリーシリーズを1秒たりとも見たことがない自分としては、トイストーリーのCMが流れているというよりは「なんかこれからM-1の決勝でも始まるのか」と思ってしまうわけですね。条件反射って怖い。

 

そんなCMを見たあとで「GU」のCMでFatboy Slimの「Because We Can」(決勝の出囃子に使われているアレ)なんか流された日には「そりゃもう決勝やないか!」とミルクボーイばりに叫んでしまいますよね。単独のCMに罪はないんだけど、同じ時期にM-1的なBGMをCMで流されちゃうと、条件反射で「今は年末だっけ?」と勘違いしてしまいます。

 

というわけで「M-1の出囃子を流すんじゃないよ」という、たぶんテレビを見ていた殆どの人間が思っていただろうことを書いてお終い。

 

 

と思いきや、もうちょっと続きがある。自分の中でここ数年のCM-1グランプリ連続優勝といえばこのCMシリーズですよ。

www.youtube.com川口春奈が出演している「いち髪」シリーズだ。最初のCMでは全裸で踊っていると自分が指摘したシリーズだ。

nageyarism.hatenablog.com

その指摘をCM制作側が知ってしまったため、2作目は完全に着衣。

nageyarism.hatenablog.com

てなわけで今回は絶対にスキーウエアだと思ったのですが、あろうことにまた最後のシーンで全裸です!映ってないものは「脱いでないとは言えない」のですから、これはもう脱いでます。麒麟は来ませんけど川口春奈は全裸で来ます!何度も言ってますが、これでまた次回のCMで脱がなくなったらこの文のせいです。正式に怒られるまでは何度でも書きます。

 

 

 

聞く気がないのに聞かれると思ってんのか

アメトーーク」が面白かったですね。トリオ芸人の2番手3番手芸人。

 

登場したのはロバート(秋山に対する山本馬場)、ジャングルポケット(斉藤に対するおたけ太田)、四千頭身(後藤に対する都築石橋)、ハナコ(岡部に対する秋山菊田)。どのトリオもトリオ間の抱えている問題が浮かび上がってきて、見応えのある回だったと思う。

 

特に四千頭身は「アメトーーク」に出る度に、他の番組では見ることの出来ない後藤のお笑いに対する熱さと苦しさを垣間見ることが出来て面白い。地味に楽しみにしている。今回も都築と石橋の2番手3番手争いに対して風貌と普段のネタからは想像できない鋭いツッコミを連発していた。キレッキレである。いわゆる第7世代で一番野心があるのは間違いなく後藤。

 

さて本来はここを掘り下げてもいいんだけど、なんかこっちを書きたくなったので全然違う方向に持っていく。

 

四千頭身の石橋は、他人に何かアドバイスをされても「でも」と返してあまり言うことを聞かないのだという話題になり「でも橋」に改名したらいいという流れになった。改名うんぬんは正直どうでもいいけど、「でも」の話はちょっとひっかかった。別に石橋に対しては何も思わないんだけど、自分がテレビで見る限り「でも」と他人の話をさえぎって自己弁護しかしない奴が二人思い浮かぶんだよね。フルーツポンチ村上とウーマンラッシュアワーの村本。

 

彼らの特徴は他人の事は言いたい放題言うくせに、自分がいざ責められるとなると全く受け身をせずに、すぐ自己弁護をするところ。これは見ていて本当にイライラする。

 

自分はキングコング西野さんとは最終的に通じ合う部分がないと思っています。しかし彼のことは芸人としてとても好きなのです。なぜなら彼は芸人としての受け身をちゃんとやってくれるからです。「ゴッドタン」で毎年イヤだイヤだといいながら劇団ひとりの尻と自分の顔面をくっつけてくれる。1年に1回だけの話なのだけど、これを見るだけで「いやあ、西野は信頼に値する芸人だよなあ」と思う。絵本作家であり芸人。間違いない。そりゃあ東野幸治も嫉妬する。

 

しかし村上と村本はこの受け身をいっさいしない。出来ないなら出来ないで可愛げがあるのかもしれないけど、「出来ない」と言わずにしない言い訳を延々と繰り返すのです。もっと言えば、最初から受け身を取る気がない。そして話を聞く気がない。そのくせ自分の主張だけは堂々と述べてくる。なんで相手の話を聞く気がないのに自分の話は聞かれると思っているのか。自分にはそれがよく分からない。

 

以前「さんまのお笑い向上委員会」で平成ノブシコブシ吉村が村本に対してマジの蹴りをかましていたとき「もっとやれ」と思っていたことを白状しておしまい。

 

聞いちゃダメ

「プロフェッショナル」に萩本欽一。欽ちゃん。

 

熱心に勉強していた大学を退学し、「あと2年はお笑いに集中したい」との意向を示した萩本を追いかけたもの。2年後80歳となることから、ひとつの区切りだと考えていることは間違いない。

 

番組内容としては「命を削ってまでお笑いに情熱を傾ける男、萩本欽一」的な作りになっており、見ていない人がいたら「そういう内容でした」と伝えることによってほぼ差し支えない感じ。悪い言い方をすれば「番組の構成として何の裏切りもない平坦なもの」となる。

 

もちろん欽ちゃんが仕事の合間にクラクラするのを隠しながら、プロの仕事に徹する姿はこれぞプロフェッショナルという映像にもなっている。舞台裏ではよろめき水を補給し酸素を吸いながら必死にこらえつつも、客前に出たときはそんなことを微塵も感じさせずに「いつもの欽ちゃん」を振る舞う姿は感動すら覚える。

 

そしてインタビュー部分では「欽ちゃんらしさ」も健在。「なんで(そこまでして、その歳になって)笑わせたいのか」という質問に対し「コメディアンにつまらない質問するなよこの野郎」とくさしつつも、「夢がある」と返答。「人が亡くなったときには必ずその人の歴史が流れる。それの新しいのに出会いたい」「(自分が亡くなった時に)それでは新作、彼が遺してった作品を見てみましょう(となりたい)。ご冥福を祈りますではなく、笑っちゃっていいのかという、アナウンサーのニッコリした顔が見たいっちゅうだけ」と続ける。

 

この発言は今回の番組の核になっている。欽ちゃんが自らの死を近いものとして確実に意識しているということ。そして自分の積み上げてきた笑いを次の世代に必死に託そうとしていること。それらを敢えての欽ちゃんの言い回しにすると、このような話になるということ。もちろん額面通りに捉えることも可能だろうけど、古市憲寿ばりに「でも死んだら、欽ちゃんがアナウンサーの顔なんて見ること絶対に出来ないですよね」と言うのはさすがに野暮だろう。

 

ただそれでも「自分の死んだときにコントの新作が」云々の発言はさすがに「ん?」とは思ったんだよな。欽ちゃんが亡くなったとき、NHKは「これでもか!」と言わんばかりに今回のプロフェッショナルでマジメな顔して質問に答える部分を流し、真顔でアナウンサーが「ご冥福をお祈りします」って言うだろう。その素材を提供しちゃってるのは間違いなく欽ちゃん本人なのだけど、そこらへんのツッコミもやっぱり野暮なんだろうか。

 

いっぽう自分がこの放送で一番面白かった部分を挙げると、「仮装大賞」の収録の現場入りするときに、その日共演するANZEN漫才が挨拶に来ていたところ。プロフェッショナルの取材のカメラを紹介し「これ日本テレビのカメラじゃないから」と言われたみやぞんが「え、違うんですか?ソニーですか?」と返し、それに対して「一番(企業名を)言っちゃいけない局だよ」と欽ちゃんがさらに返す部分。

 

みやぞんが「日本テレビのカメラ」を「日本テレビが作ったカメラ」と勘違いしているのも面白いが、その天然ボケ(という言葉も元々はジミー大西に対して欽ちゃんがつけた言葉)に対して「そういう意味じゃないよ」とか「NHKだよ」とか言うのじゃなくて「(企業名を)言っちゃいけない局」と返す、この完璧な受け。みやぞんの狙ってないボケが際立ってしまう場面だけども、何気に欽ちゃんの返しが素晴らしい。番組の構成上はさほど必要ない場面だったように思うが、それでもこのシーンを突っ込んできたのは、作っている側にも同じような気持ちの人がいたんじゃないのかなあ、とは思う。

 

たぶん欽ちゃんの訃報の際には、彼のコントの新作映像が流れることはないだろう。ただ自分はほんのちょっとだけ、みやぞんとのやり取りのシーンは流してほしいかな、とは思った。ただその前に、欽ちゃんの訃報はまだ聞きたくはない。取材中もずっと無理している感じがあったので、コロナ大流行のこのご時世、まずは体調を崩さないようにしてほしい。