桜塚やっくん

「がっかり」ってそんなにダメな言葉かね。

 

池江璃花子白血病公表を受け、桜田五輪担当大臣が次のように述べた。

 

「金メダル候補で、日本が本当に期待している選手なので、がっかりしている。早く治療に専念して頑張ってもらいたい。また、元気な姿を見たい。1人リードする選手がいると、みんなつられて全体が盛り上がるので、その盛り上がりが若干、下火にならないか心配している」

 

至極普通の発言じゃないか。自分はそう思う。

 

「がっかり」という言葉には「相手に対する失望」が含まれる場合が多い。だからこの言葉だけを捉えれば「五輪前の大事な時期に病気に罹って出場出来ないとは、金メダルを期待していた我々日本を失望させたのだオマエは。役立たずめ」みたいな捉え方が出来ないことはない。けど、この文脈は明らかにそうではない。ちゃんと池江選手の体調も気遣っており、そして自分の職責からオリンピックに対する盛り上がりを気にしているだけじゃないか。じゃあこの騒動は何だ。ただの言いがかりじゃないか。

 

もちろん政治家、大臣なのだから言葉を選べという指摘はある。それはそうだろうし、大臣も気を付けなければいけないも確かだ。しかし大臣の本意ではない捉えられ方をされて、それを無暗に騒ぎ立てることは余計に池江選手にイヤな気分をさせるだけではないのか。他人の言葉づかいは指摘するくせに、それが池江選手にとってよいことなのか、ということは一切考えない。はっきり言ってやろう。「がっかり」なのはこの現象そのものだ。

 

こんなんで騒ぐなら、「「がっかり」という言葉の中に、亀頭を表す「カリ」という言葉が入っていて卑猥よ!」と騒いでいるほうがまだマシだ。池江選手は「大臣も気遣ってコメントをくださったのに、その揚げ足を取ろうとして私を利用して騒いでいる人たちにこそがっかりです」というコメントを出してはくれないか。騒いでいた奴どんな顔するんだろうな。カリみたいにパンパンで真っ赤な顔になるんじゃないの。

 

「この文章は最低だ」と糾弾されても仕方ないと自分でも思います。

 

 

いたずらが過ぎる

水泳の池江璃花子白血病を公表。

 

なかなかに衝撃的なニュースだった。来年の東京五輪では金メダルが期待されている女子水泳のホープに降りかかった突然の病魔。こんなもの誰だって「無事完治して、また世界の舞台に立ってくれ」と思う。普段から健康状態に人一倍気を遣うアスリートだったからこそ早期発見できたのが不幸中の幸いと言わざるを得ない。こういうのを「神様のいたずら」と言うのならば、神様はいたずらが過ぎる。少し反省してほしい。

 

しかしまあこういうニュースを目にすると「自分が代わりになれればなあ」と思うようになった。自分より若くて未来がある人間が理不尽な何かにぶち当たったとき、もはや明日死んでもいいような自分の人生を代わりに差し出してもいいのでは、と少し考えてしまう。

 

もし自分に子どもがいたら、その感情はおそらく子どもに向けられていたのだろう。しかし結婚する予定も子どもが出来る予定もない自分は、その若干の後ろめたさを誤魔化すためそんなことを思うようになったのかもしれない。

 

それはともかく、今や白血病は治らない病ではない。東京オリンピックの出場は叶わないかもしれないが、病気が完治すれば次のオリンピックだってある。とにかく、とにかく今は完治することを願うだけだ。こんなマトモな更新誰も望んでいない気はするんだけど、こんなニュースでふざける気にはならんのです。

 

 

うたをうたおう

「帰れマンデー見っけ隊!!」を見ていたわけですが。

 

大雑把に言うと「終わるまで帰れないロケをする番組」だ。もう少し詳しく書けばかつての「お試しかっ!」における「帰れま10」から派生したあれこれ、である。正直終わったり復活したりを繰り返していてもう何が何だかよく分かってない。たぶん誰もちゃんと分かってない。

 

そんなわけで今回初めてマトモに「バスサンド」なるコーナーをちゃんと見た。「バスサンド」というタイトルがついたのは今年になってかららしく、昨年までは「バスごろく」という名称、そもそもは「秘境路線バスに乗って飲食店を見つける旅」という、そのままのタイトル。

 

この企画は「サイコロで出た目のぶんだけバス停を進み、次にバスに乗るためには飲食店を見つけなければいけない」というルール。自分は見ていて単純に「なんで飲食店を見つけないとダメなんだろう」と思っていた。もちろん見ていればそういうルール、というのは分かるんだけど、これが上記の「秘境路線バスに乗って飲食店を見つける」というタイトルの名残だということは、今回初めてマトモに見た自分には知る由もなかった。

 

昨年4月から放送されている企画なので、普段から見ている人にはここらへんのルールは説明するまでもないのだろう。まあ初めて見てもそのくらいは平気。しかし途中で「飲食店は単純に飲み食いが出来るにとどまらず、ちゃんと飲食店登録をしていなければダメ」というルールが出てきた。しかもかなり当たり前のように。さらには「飲食店があっても撮影許可が下りなければダメ」も。まあ言わなくてもみんな知ってるでしょ、くらいのテンションで。

 

こういうルールはもちろん「あっていい」と思う。しかし開始1年も経っていない番組においてこれらのルールが「当然のもの」と扱われているのは、既にもう新規視聴者に優しくないなあ、と。テロップで説明くらい出してもいいんじゃないか、とは思った。ホームページにも何の説明もないし。こんなことでは唐突に「ゴールできなければ女優は全裸になる」とかいうルールが出てきても「ああ、そういう番組なのね」と思ってしまうぞ。

 

それはともかく、好感度の鬼サンドウィッチマンがメインの企画であり、番組そのものは何の不安もなく見ることが出来る。多少の無理があってもサンドの二人がなんとかしてくれる。言ってしまえばサンドの二人におんぶにだっこのような気がしないでもないけど、まあ面白ければそれでいいのだ。

 

ひとつだけ自分が気になったのが「バスに乗っている最中のBGMまわりが雑」ということ。

 

今回は埼玉の山奥飯能が舞台だったので、埼玉出身の歌手の曲がBGMに使われていた。最初に流れたのが星野源の「恋」。星野源であればそれがどんな曲であれそれなりに見えてしまう強さ。ここはまあいい。次に流れたのが大事MANブラザーズバンドの「それが大事」。平成が終わるこの時期に平成初期の大ヒット曲かあ、とは思いながら何の気なしに見ていたのだけど、この曲のタイトルが画面左下に出るとともに、説明として「埼玉県出身(ボーカル)」という、なんという雑な説明。いやまあ間違ってない。けど「埼玉県出身の人の曲を集めたけど、全く興味ないですから」という、下請け会社のディレクターの思いが完全に出ちゃってる。別にいいんだけど、失礼。立川俊之くらい書いてやれよ。

 

そして最後に流れたのが沢田知可子の「会いたい」。バス旅も終盤でゴール出来るのか、とか疲れが見えてきた、みたいなBGMであるべきだとは思うんだけど、今年も海へ行くっていっぱい映画も見るって約束した曲。山に行ってるのにね。もっと他に埼玉出身の歌手でふさわしい曲あっただろう。とりあえず埼玉だったらいいだろう、の気持ちならば、さいたまんぞうの「なぜか埼玉」でも流しておけばいいのに。*1

 

普段見ない番組を見ると、変なところが気になってしまう。それと同時に最近新しい番組見てないなあ、と思った。もうちょっと新しい番組に手を出してみるべきかもしれない。どんな番組でも発見はある。

 

 

 

*1:ちなみにさいたまんぞうwikipedia先生によると岡山県出身らしい

interesting

今更何言ってるのという更新ですが、よろしければお付き合いを。

 

ドラマ「獣になれない私たち」を1週間くらいかけて全部見ました。放送は昨年の10~12月です。全部録画していたのですが、なかなかリアルタイムで見ることが出来ず、早いところ見なければと思って今月の課題ドラマに指定していました。ちゃんと全部見ることが出来てよかったです。そして感想を語りますが、個人的には結構面白かったです。少なくとも同時期に放送された「下町ロケット」よりは面白かった。

 

ドラマが終わってしばらく経っているので、世間的にはどんな感想を持たれていたのかと思って検索してみると、なんだか不評のようで。まあ自分の読んだものが不評だっただけかもしれません。そもそも他人がどう思っているかなんて自分の尺度には全く関係がないです。世間的には面白いとされているドラマだって個人的にはどうでもいいものもあるし、またその逆もしかりです。周りが面白いと思うドラマしか面白くないなんてのは自分の評価をハナから放棄しているに過ぎないような気すらします。まあいいや。

 

自分は最初からこのドラマを「生き方ドラマ」だと思って見ていました。主人公の深海晶(新垣結衣)はワンマン社長の振る舞いに悩まされ、公認会計士の根元恒星(松田龍平)は本意ではない不正に手を染めていることに悩んでいる。この2人(周辺含めて5人)には恋愛の事情は発生するわけですが、それは人間関係の延長線としてのことであり、はじめからそこに主題があるわけではない。あくまで人生というテーマの延長線としての恋愛があるだけ。恋愛が人生の軸足としか思えない人にはどうにもこうにもつまらん話に見えたんじゃないか。

 

人間はそんなに簡単に自分の生きる向きを変えることができない。そしてそれを変えようとするには、色々な事情が色々な要素と絡み合う。それでもなんとか力を振り絞って変えてみようとしても、変わらない、変われないこともあるし、変わったとしてもほんの少しだったりする。そんなことを時間をかけて丁寧に描いたのがこの作品だったんじゃないかと思う。まあ、分かりにくいと言えばそれまでだ。しかし分かりやすいことが正義なのかといえば、自分は最近そう思わなくなった。分かりにくいことを真正面から描いてくれることに、考えさせられ、そしてハッとしたり、グッときたりする。トシちゃんではないが、そういう感情を呼び起こさせてくれるドラマには価値があるんじゃないのか。自分はこのドラマを見て、色々な感情が頭の中を渦巻き、そして色々考えた。それは楽しいことであり、見て「面白い」ドラマだと思えた。

 

ドラマの感想は人それぞれ。面白いとか面白くないはあくまで主観の問題だ。けどこのドラマを見て「話が進まなくて面白くない」とか言っちゃう人とはやっぱり価値観が合わないなあ、とは思ってしまう。見ているドラマは同じでも、見ているものが違うってことになっちゃうわけで。

 

 

凄十

「しゃべくり007」にGACKT。大文字か小文字「Gackt」かどっちの表記か迷ったんだけど、どうやら全て大文字表記に2009年に変更されていたようだ。wikipedia先生は何でも知ってるな。

 

それはともかく、GACKT。歌手として人気があるのは分かるんだけども、やっぱり「謎」の部分が多い。それは「ミステリアス」で片づける部分じゃなくて、「その金の流れはどこから発生するもの?」とかそっちのほう。現在は東南アジア(クアラルンプールとフィリピン)に移住しており、その理由として「仕事をやりすぎて思い出がない」「思い出づくりしよう」と語っているが、「それはただの税金対策なのでは」と思ってしまう。「しゃべくり007」は「ギリギリ007」など攻めたコーナーがある一方で、出演者に対して基本的にウェルカムな番組なので、そこらへんは一切追及されない。スピンドルどうなったか聞けよ、とか見ているほうは思うんだけども。

 

今回の放送を見て分かったことは「やっぱりなんだかよく分からないけど金回りがよく、体をムキムキに鍛えている」ということだけだった。GACKTの芸能活動を批判しているのではなく、もう単純に「やっぱり何してるのかよく分からん」なのである。Mr.シャチホコ風に言えば「あなたは何をされてる方なの」である。

 

そして恐ろしいことに10年前に自分は同じことを書いている。

nageyarism.hatenablog.com10年前にも「しゃべくり007」の感想として、「確かに凄いんだろうけど、何が凄いのかよく分からない人」と書いている。10年も経てば多少分かったりメッキがはがれたりするんだろうけど、同じ。10年「なんだかよく分からない」を維持するのはやっぱり凄いのではないだろうか、と思えてきた。

 

というわけで自分にとってGACKTは2019年現在「なんだかよく分からないを維持し続けることが凄い人」という立ち位置になりました。これこそ褒めてるんだか貶しているんだかよく分からないんだけど、まあいいか。

 

ちなみに同番組には細木数子の後継者の娘が登場していた。今後またテレビに出てくる気なんだろうな。これはまあ結構どうでもいい。細木数子大ブームの時から大して見てないし、そして今後も見ない。これはGACKTに比べたらだいぶはっきりしている。

 

伏線回収

有安杏果が一般男性との結婚を前提の交際を発表。

 

いやあ、正直あんまり書きたくないんだけど、成り行き上これは避けられないよなあ。前回の文章でズバっと区切りをつけたはずだったんだけど、こういう展開が待っていると、黙っているわけにはいかないでしょう。まあ黙ってろと思っている方も多いと思うんだけど、そういう性格。

 

どういう経緯でこうなっているか、有安杏果関連の更新を並べておきます。

nageyarism.hatenablog.com

nageyarism.hatenablog.com

nageyarism.hatenablog.com

nageyarism.hatenablog.com

nageyarism.hatenablog.com

80時間くらい空き時間がある方は読んでいただければ幸いです。

 

さて今回分かったことと言えば

・週刊誌に交際をすっぱ抜かれた(おそらくはずっと掴んでいたのだろうが、芸能活動再開のタイミングを待っていたのだろう)。

・週刊誌でバレる前に自らtwitterで発表することで先手を打った。

・相手は医者。個人事務所の代表でもある人物。

 

ということ。まあ交際云々の事実に関しては、ももクロちゃんを辞めたときから「ない話ではない」とは思っていたので、まあどうでもいいんですよ。そもそもモノノフというのは異常な人種なので、早いとこれにちゃんが結婚してほしいと思ってますから。そこらへんは素直に祝福できる土壌がある。実際有安のSNSには祝福のコメントで溢れている。それはそれで素晴らしいことだとは思う。ガチの方は辛いんだろうけど。

 

じゃあ自分はこの展開の何がシビれるのか、と言えば「昨年の急な脱退劇の全貌が、1年越しに徐々に明らかになっていく」ということ。1年越しで謎解きの答えを見せられているような感じ。自分も含めたアイドルヲタクってのはアイドルの一挙手一投足に「意味」を見い出し、その思いを熱く語る気持ち悪い人種なのです。なので昨年の有安脱退劇にも色々な「意味」を見い出そうとし、そして自分は上記リンクにあるように何も見いだせずただただ「納得できん」となったわけです。

 

しかし1年越しにこれだけヒントが出てくれば、その意味は分かる。いつの段階であるかは知らないが、医者と付き合い始めた有安は金銭的な後ろ盾が出来たこともあり、ソロ活動に移行することを決意し、色々と段取りを決めていく。全ては独立のため。早見あかり脱退のときはカメラの前で全てを詳らかにしていたのに、今回有安の件が全て密室で決まったことも、その場にこの交際相手の陰があったと考えれば納得がいく。残るももクロにダメージを与えず、また有安がソロ活動にスムーズに移行するためには、あのスピード脱退劇しかなかった、というのは1年経った今であれば理解できる。

 

そのような事情を昨年は明かすことが出来なかった。いや、ももクロ側はもちろんのこと有安側だって週刊誌にすっぱ抜かれることがなければ最初のライブが行われる前の段階で発表なんかする気はなかっただろう。個人事務所にそこらへんのアクシデントを無難に乗り切る術はなく、唯一出来ることは「先んじて発表する」だった。それが最善手かどうか、というのは自分が判断できるところではない。

 

そうした全部の事情をひっくるめても、結局有安は何一つ本当のことを語らずにももクロを去った、ということになるだろう。怒っているわけではない。もちろん大前提として「それが(契約上)言える立場にない」ことは分かっているのだけども、素直な気持ちで言えば裏切られた感があるのは否めない。それは「交際していたこと」に対してではなく「そういうつもり」を我々ファンに伝えてくれなかったことを、だ。まあそんな義理はないと言われればそれまでではあるんだけど。

 

でも、それにしたって「何も決めない時間を過ごしたい」って気持ちをモノノフは尊重したんだぜ。急な脱退に対して「それで納得してくれ」と言われたようなもんだ。無理やり納得したさ。けど結局全ては「決めていた」ことだったわけじゃない。そこらへんの気持ちはどうすればいいんでしょう。やっぱり全然終わってなかったですね自分の中で。

 

昨年あった違和感の欠片が、こうして1年後に伏線として回収されていく。ミステリーならば上質だ。しかし上質だから何だと言うのだ。そんな気持ちである。

 

もう書かなきゃいいのに、と自分でも思うけど、でもこういう人間だから。この話題は今度こそこれで終わり!

 

ブログにでも書いとけよ

「スッキリ」でロフトが出したバレンタインの広告が「女性に対する偏見である」との抗議を受けて削除されたという話題。

 

実際に番組で広告が放送されていたので自分も見たわけだけども、特に問題があるようには思えなかった。女性の行動心理を割とシニカルに描いているだけのもので、それが何か差別的な意図がある、という話じゃあない。

 

しかしこういうのに引っかかる奴がいる。まあ思い当たる節があるんだろう。そこで抗議とかしちゃったりして、結果企業がビビってこんなことになる。不毛以外の何物でもない。

 

意見というものは多種多様であり、それをどう受け取るかは個人の自由である。だから自分はこの広告を見て「まあ女性ってこういうもんだよね」という意見を持っていても、他人からとやかく言われる筋合いはないと思っている。憲法で保障されている信条の自由だ。

 

それは広告を打つ側も同じである。どんな広告であれ出すのは自由だ。企業がこのような広告を出したからといって、自分の信条と相容れないとしても、それを理由にその意見を弾圧することは本来許されないのである。個人的にはすっとこどっこいな意見だとは思ったが、「LGBTは生産性がない」という意見も封殺されるべきではないだろう。意見は意見なのだから。

 

一方で出てきた広告に対して意見することは自由だ。だから今回の広告を「イヤだ」と思うのはもちろん自由だし、批判してもいい。しかしそれを直接相手に伝えて意見を封殺しようとするのはどうなんだ。傲慢じゃないか。

 

自分は田中義剛のあらゆる行動を批判する。しかし別に義剛の行動を規制したり封殺したいというわけではない。義剛は義剛らしく振舞ってくれていい。ただそれを唾棄するだけなのだ。自分が気に入らないからといって相手にそれを強要するのはやっぱり傲慢だと思う。

 

自分の気に食わないことは抗議して潰す、ということに快感を覚えているバカ(言ってしまった)が少なからず存在する。成功体験に味を占めているクズがいる。しかしそんなバカやクズがいるから世の中がつまらなくなる。意見があるのはいい。直接言うな。ブログにでも書いとけ。それが本当に共感を得る内容であれば、直接言わなくても相手には届く。今の時代相手に直接届けることが容易になったからこそ、「自分の意見なんてカスみたいなもの」くらいの認識は持ってほしい。カスみたいな意見ほど大手を振るう今は、バカに優しい世の中である。自分はバカに厳しくありたい。自分がバカであるという自戒も込めて、だが。