さよなら2018年

2018年を締めくくるにあたり、やっぱり有安さんのことはもう一回書いておきたいと思っていたわけです。

 

有安さんとは「ももいろクローバーZ」の元メンバーであり、現在は一般人として生活されている方。有安杏果。とはいってもtwitterinstagramは頻繁に顔出しで更新しており、純粋な一般人というわけではないと思うので、まあ述懐するくらいはいいだろうと勝手に思う。

 

有安さんがももクロ脱退を表明したのが今年の1月15日。まだ今年の話題だったか、と思うと同時に、もう1年も経ったか、という気持ちもある。先日ライブビューイングで見た「ももクリ2018」(ももクロちゃんのクリスマスライブ)では「すっかり4人で違和感のないももいろクローバーZ」としてライブを行っていた。自分も純粋に楽しかった。曲を聴けば「ああここは有安さんが歌っていたなあ」とかは思うんだけど、ライブで楽しむぶんにはすっかり4人のももクロ。元推しとしては薄情なもんだなあとは思う。

 

自分は脱退が発表され、その1週間後にそのまま脱退してしまった有安さんに対して「納得できない」という気持ちをずっと引きずっていた。喪失感は大きかった。しかしまあ本人が選んだ道であり、これ以上どうすることも出来ない現状を考えれば「納得できないことを高らかに表明しつつも見守る」という選択肢が最良なのだと思い、その気持ちをブログに書き殴った。有り難いことに賛同もいただいた。

 

事態が動いたのが3月15日。有安さんの誕生日であることは百も承知だったのだけども、どうやらtwitterinstagramが動き出したという情報が入ってきた。あんな唐突な脱退劇で「芸能活動を一回離れたい」と述べていた有安さんが、自分の誕生日というメモリアルデイであるとはいえ、今後の活動を見据えたかのようにこんなに早くまた姿を現すとは思っていなかったので、やはり動揺した。素直に喜ぶ気持ちにはなれなかった。普通にももクロちゃんたちにも失礼だと思った。詳細は当該記事

仁義なき再会 - 投げヤリズム

に譲るが、当時の自分にはあまり理解できないものであった。正直な自分の気持ちを書いたのだけども、なんか気分を害された有安さん推しが少なからずいたようだ。まあ仕方ないだろう。受け止め方は人それぞれだから。

 

それはともかく、SNS開設後の有安さんは日々「女子的」な活動を勤しんではSNSに投稿するという毎日を送っている。もちろんそれは「目に見える部分」の活動であり、他に何をしているかは知る由もない。紛れもなく一般人である。生まれてこの方ずーっと「芸能人」だった有安さんが、このような生活に憧れを抱き、そしてこの1年実行していることは、彼女が脱退時に語った内容そのものであり、それを全うしていることは、いい意味で「ファンに対して誠実」なのかもしれない。

 

では、彼女は2019年に歌うのだろうか。そして自分はそれを楽しむことが出来るのだろうか。

 

 

 

30日の昼、ブログの移転を済ませ、ここまで書いて自分の手は止まりました。もちろんこの「自問自答」の答えは確実に自分の中にあり、そしてそれを書いて2019年はどうだろう、ということを書こうと思っていたわけです。

 

しかし、それが出来なかった。

 

もちろん書こうと思えばそれは書ける話。ただ、それを書いたところで自分には何か来年に対する希望とか期待とか、そういうものを見いだせるまでのものではなかった。これを自分のブログで発表することに何の意味があるのか。いやもちろんどんな文章を書いたところでそこに意味なんか存在しやしないのだけど、自分が書きたいことがちゃんと書けていないと思えてしまったのだ。それは有安さんにも失礼な話だと思った。

 

そんな中、有安さんは年内最後のSNSを更新した。そこには年内一切触れてこなかったももクロに対する感謝が述べられていた。

 

その一言を自分はどれだけ待ったのだろう。

 

もちろん「色々な事情」があるんだろう。しかし有安さんは脱退以降、あまりに語らなさすぎた。そして語らないことが何かを語ってしまっていた。そう受け取っていたのは自分だけかもしれない。自分は穿った見方しか出来ない人間だ。もちろんそんな人間に合わせる必要はない。だからこれは自分の独り相撲だ。分かっている。しかし、この一言が、たった数行、ももクロと彼女を繋ぐこの一言があれば、自分は2019年に進める。間違いなく、救われた。

 

有安さんはスタンスとして、一切触れないでおくこともできたはずだ。触れることが彼女を過去に繋ぎとめると考えるのであればなおさらだ。しかし彼女は書いた。いい意味で、彼女は2018年とももクロに「別れ」を告げたのだ。時間が経ったことで期するものがあったのかもしれない。今の自分は有安さんのこの「別れ」を最大限の肯定で迎えたい。あれから1年、そして9か月、自分はようやくこの言葉が言える。ありがとう。

 

2018年という1年を振り返ったとき、自分はずっと有安さんの幻影に囚われていたのだと思う。しかし有安さん本人がその呪縛を断ち切ってくれた。ここで前述の自問に答えるならば、2019年、彼女は歌うのだろう。歌わないなんてことがあるか。有安さんは「一般人としての生活」が今年は必要だったはずだ。しかし、2019年は歌う人になる。なってくれなければ。

 

自分の2019年はどうだろう。もっと文章を書きたい。