裸一貫か

 

西内まりやが「全裸監督」のシーズン2に出演しているらしい。世間的には興味がなさそうですが、当ブログ的には非常に重要なのでもちろん言及します。

 

西内まりやといえば「所属事務所の社長殴りました」でお馴染みの女優かつ歌手だった人。事務所をやめてフリーになってからはインスタで活動を報告するも、何か活動はしているらしいことは分かるのだけど、何の活動しているかはよく分からないという、叶姉妹と同じ類の人に成り下がっていました。

 

しかしこのたび、どうやら「全裸監督」のシーズン2に出演しているらしいことが発覚。しかもその役は往年の人気女優樹まり子をモデルにした役だという。

 

樹まり子といえば1990年前後に活躍したAV女優。バスト86は今でこそそれほど大きさを感じないが、当時からすれば圧倒的な巨乳。そのスタイル抜群だった大人気女優をまりやが演じるというのだ。本当か。

 

脱いでなければ嘘だろう。

 

前作シーズン1で黒木香役を演じた森田望智(もりたみさと)はヌードもいとわない体当たりの演技で一躍有名になった。シーズン2がどのような脚本になっているかは知らないけども、劇中において重要な役回りだとするならば、それはヌードであることは「必須」だろうし、何ならハードな濡れ場があっても不思議ではない。何しろ樹まり子は当時疑似本番が主流のAVにおいてガチンコでカラミをこなしていた女優。樹まり子が描かれるのであれば、カラミがないわけがない。

 

さて、まりやの本気度はどこまでなのだろうか。

 

事務所と喧嘩別れしている手前、テレビにせよ映画にせよ本格的に女優として復帰するのはなかなか難しい。描き得るコースは海外資本のNetflixで女優復帰し、海外から逆輸入の形で復活することだ。そのためには「全裸監督」での活躍が認められることが最低条件である。そのためにはどんな役でも期待に応えなければいけない。となれば、ヌードはおろか濡れ場があっても果敢にこなしている必要がある。

 

もしまりやが女優復帰を真剣に望んでいるならば、ちゃんと脱ぐしちゃんとカラミがあるはずだ。しかしまりやの覚悟が中途半端であり、自分のヌードに謎の付加価値を見い出して出し惜しみをしているならば、今後二度と復帰することはないだろう。まりやの真剣度と露出は比例すると思ってよい。まあこんなことを書いておいて「一ミリも脱がない」なんて可能性すら自分はあると思っている。そういう女だよまりやは。

 

また、本気度と露出度が比例すると思う一方で「じゃあキューティーハニーやったときにもうちょっと脱いでおけば良かったんじゃねえのか」とも思うのですね。キューティーハニーはまりやが事務所と喧嘩別れする前にこなした仕事のひとつ。サトエリ原幹恵が抜群のプロポーションでこなしたセクシーアニメの殿堂を、なぜかバトルスーツみたいな衣装で一切の露出もなくぬるくこなしたまりや。事務所主導のイヤイヤ仕事だったのかもしれないが、ここで脱げる覚悟があったなら、なぜ数年前にその根性を出さないのか。巡り巡ってまた脱ぐことになっているんなら、ちゃんと数年前に脱いでおけばよかったのにね。

 

もしこの仕事できっちり脱いでいるならば、まさに「裸一貫の再スタート」ということになるのだろう。それならそれで自分も応援はする。しかし自身のインスタで晒している尻の割れ目くらいの露出だったならば「東内まりあ」の名義でMUTEKIからデビューしろよ、という引導を渡すしかない。最後のチャンスだぞまりや。わかってるな。

 

 

JOY

哀しい話題が続いております。

 

世の中は先行きの見えなさと不安さで溢れているのかもしれません。幸いなのか不幸なのか分かりませんが、個人的には仕事がムダに忙しく「仕事やめてえ」はその都度考えることはあっても、「この世からおさらばしよう」とは思わないのです。最近は聴くラジオが多すぎて1日36時間くらいにならねえかな、とも思いますけども。ブログ更新している時間がない。言い訳です。

 

どうしても気持ちが塞ぐ。何か悪い方向に考えてしまう。こういう時に必要なのは「理屈抜きにバカ」な番組ですよね。そう「テレビ千鳥」です。

 

SPで放送された「ノブが米津玄師のLemonを歌う」は昨年のバラエティ第1位だと思っています。そして今回はリベンジと称して「瑛人の香水を歌う」が放送。超絶くだらなくて最高だった。まだ前編で次週いよいよ披露。

 

歌には世の中を平和にする力があると思います。そしてその力は「超絶に上手い歌」に宿ります。一方で「微妙にヘタな歌」にも宿っていると思います。もちろんノブの歌は後者です。絶妙なヘタ加減。笑い以外の何物もでもない。天才です。

 

しかし何より素晴らしいのは「ノブの歌が下手」だけに頼らない番組の姿勢。ノブの歌が下手なだけで十分に面白いのに、そこに畳み掛けるように下らないことの応酬。大悟が引き取った志村けんの愛車に「アイーン」が入っていたとか、最高にくだらない。志村けんはコロナで亡くなったのに、コロナで何か悩んでいることがバカバカしくなってくるようなくだらなさ。「30代のアイーンの角度」ってフレーズの強さに魂が震えてほしい。

 

自分は哀しいことがあったりすると、定期的にこれを見ます。

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HOSHII MONO WAITSUDATTE FUINIOSOU GUZEN

ですからね。

不意に襲う死への憧れには空也的対処がおすすめです。

 

ももクロちゃんチャンピオンカーニバル見るまでは生きなきゃいけないのよ自分は。仕事したくなくなったらまた更新するから、皆さまそれまでお元気で。

 

 

ブルマのおかしみ

「ロンドンハーツ」3時間SPは色々思うところがありました。

 

前半はロンハー恒例の女性芸能人による運動会。一応ガチの運動会ではあるけど、別にみちょぱが4連覇しようが20連覇しようが視聴者のほとんどはどうでもよく、そこにあるエロだとかエロだとか、まあエロい部分を楽しむ現在の地上波の外角低めギリギリを狙った企画であります。

 

しかしそこは百戦錬磨のバラエティですから、そういうところを楽しめる仕様にしつつ、ちゃんとバラエティとしての面白さも担保しているところが素晴らしい。鈴木奈々がしっかり泥にダイブし、朝日奈央がテイク2で喜びを表現したり、女性バラエティタレントが活躍している理由がよく分かる教科書のような内容だった。

 

その中でも異彩を放っていたのが、3時のヒロイン福田のブルマー

 

女性タレントやモデルなどが多数出演するなかで、実は女お笑い芸人の出番は少ない。同コーナー。オアシズ大久保さんがコーナーを退いたこともあり(その役目は磯山さやかが引き継いでいた)、ますます女性芸人の出番はないのかと思いきや、一人奮闘していたのが福田だった。その最たる部分が「三十路でブルマー」だ。

 

そもそも運動会なので、出演者は運動に適した格好を各々する。ただ基本的には運動着にハーフパンツ的ないでたちなのだけど、福田だけが唯一ブルマー参戦だったのだ。いまやブルマ―なんて全国的にAVの中でしか、いやAVの中ですら絶滅危惧種であるブルマ―をはいてくる。しかも30過ぎたおばさんのブルマ―。これは笑う。笑うけど、番組中では「妙に生々しい」と言われていた。

 

たとえばガンバレルーヤのふたりがブルマ―をはいて参戦すれば、それはもう「面白い」のほうにしっかり振り切れるわけだけど、福田くらいの「なんか中途半端な立ち位置」の人が履くブルマ―は、「お、おう…」という気分にさせてくれる。別に嫌悪感はないけど、かといってまっすぐ面白いというわけでもなく、なんなら「生々しさ」がちょっとエロのほうにも振れるし、はっきり言えば「ボケとして成立しているのか難しい」のですね。たぶんそれは本人も分かっていたはず。

 

しかしそこで敢えてのブルマ―は「違和感が確実にテレビに映る時間を増やす」ことをちゃんと自覚してのこと。はじめからこの違和感を狙っている。そう考えると福田は自分が思っている以上に芸人としてストイックで貪欲だなあとなんとなく思えたわけです。

 

「ブルマ―を履いて笑いを取りにいく」は、どう考えても「古い笑い」なのです。少なくともラランドのサーヤが狙いに行く笑いではないです(ラランドサーヤの「セブンルール」やアメトーークでの在り方をラジオで話すあたりの件は機会があればまとめて書きたい)。一応「第7世代」と言われる3時のヒロインがまっすぐ狙いに行く場所ではないのだけど、ロンハー運動会という各々の役割が割としっかり決められている場所で、「武器が何もない」と自覚した福田が古い笑いでもいいからブルマ―を履いてくるというのは、非常に「真摯」ですよね。結果として本来飛び道具でもっとテレビに映るはずのメンバー(ゆめっち・かなで)よりも映ってましたもの。

 

あと「体張った仕事はNG」と公言しているぼる塾、特にあんりがちゃんと泥に落ちて黒豚扱いされながら運ばれていくのを見て「やっぱりこういう笑いがなきゃダメよ」と思いました。体を張る面白さに男も女もないっすね。

 

後半は50TA(狩野英孝)の公式ライバルとして50PA(ぺこぱ松陰寺)が登場。配信生ライブの権利をかけた視聴者投票を実施。結果は50PAに。

 

これはもうひとえに「50TAをどう思っているか」に尽きると思うのですが、お笑いとしては50TAの圧勝でした。「ギリシャの女神(サリー)」はお笑い音楽史にちゃんと残る名曲。

 

しかしこれを「バラエティのアーティスト対決」と見れば、「今人気があるぺこぱのライブが見たい」になるわけで、そりゃあぺこぱ勝ちますよ。50TAをお笑いとして絶賛しても、それはオッサンの見方であり、オッサンは視聴者投票しませんからね。投票するのはいつだって「ミーハー」なファンであり、それは今現在どう考えてもぺこぱの圧勝。悪いことではないが、決して面白いではない。

 

あとすげえ気になったのが、視聴者投票の前に2台のヘリコプターで対決を煽るくだりがあったのだけど、あれはどう考えても「アメリカ横断ウルトラクイズ」の決勝のオマージュ。読み上げられるナレーションもBGMも確実にウルトラをなぞっている。何のためだ。自分のようなクイズとバラエティが好きな30代のオッサンは気付くが、あれは誰に向けてのアピールなのか。少なくともぺこぱ目当てに見ている若者は一人も気付かない。

 

参考:長門VS永田 ウルトラ屈指の名作第13回決勝オープニング

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こういうことが指摘したくてブログやってると言っても過言じゃない。

 

 

さまよう死線

気付いたら10月ですよ。春にはあってないようなものだった「番組改編」の時期であることを、HDの残り時間から実感します。特番時期のHDには負担がかかります。

 

そんな負担かけまくりのHDを楽にすべく、何か知らないけど少ない休みの殆どをHD整理に費やします。何のために休んでいるのか、何のためにHDを減らすのか、もはや何が目的かよく分かりませんが、そういう風に過ごしています。コロナ鬱とは無縁。他人からしたらこっちの生活のほうが鬱になりそうだともっぱらの評判。誰に。

 

ドラマ「恐怖新聞」をまとめて見ました。1話を見たっきり放置していたので、2話から最新話まで一気に。ホラーって割と短い時間で怖がるものなのだろうけど、もう3時間とか見続けると「何が怖いんだかよく分からない」になってきます。ドラマ制作側もさぞ不本意でしょう。

 

主演の白石聖さんはとても美人さんで理不尽に怖い目に遭うわけですが、自分には正月に日村さんとチョップの打ち合いをしたことでお馴染みなので、このくらいの怖い目には遭ってしかるべきだと思っています。鬼形礼を演じている坂口涼太郎にチョップかませば一発で話終わるのになあ、なんて。

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1年ぶりに開催された「オールスター感謝祭」は最後のほうだけチラっと見たのですが、Yes!アキトが森七菜さんに対してギャグ連発するも笑わず、という場面を見ることができたので満足です。呟きにも書いたけど「ダンクシュートキャンセル」はもっと流行っていい。あと森七菜さんはご存じかと思いますが「もりなな」さんであり、「もりななな」さんではないです。しかし「もりなななな~ なななな~ なななな 軟骨~」と自分の内なるジョイマンで勝手に再生されるので、いいかげんどうにかしてほしいです。

 

坂上忍がやってたランキングの番組(正式名称すら調べるの面倒くさい)で声楽家が選んだ本当に歌が上手い女性歌手ランキングみたいなのをやっていて(1位は案の定美空ひばりでした)、「歌が上手いゆえ自分の曲を歌わせてもらえない」でお馴染み島津亜矢さんがKingGnuの「白日」を生で歌っていてめちゃ歌うまかったですが、そのあとで「アルピーチャンネル」で見たアルピー二人による「白日」もそこそこ上手かったのでちょっと笑ってしまいました。みんな「白日」が歌いたいんだね。

 

というわけで全く中身のないただの感想でした。来週は頑張る。

 

 

また

どうも、しばらく更新さぼってましたが、生きてます。なんて挨拶がシャレにならんような事態になってますね。なんだって竹内結子まで自殺しなければいかんのか。

 

全てをコロナのせいにするのはちょっと違うような気もしていますが、ここ数か月で立て続けに三浦春馬芦名星竹内結子とバリバリ第一線で活躍している役者さんが自殺してしまうと、やっぱり時代のせいにもしたくなります。

 

役者さんはどんなに有名な人でも「先の見えない仕事」だと認識している人が多いのでしょうか。予定されていた撮影や舞台があっという間に消えてなくなったときに、将来の不安をやっぱり抱いてしまうのでしょうか。常に明るい未来なんて予見できない自分みたいなもんは「考えてもしゃあないね」と思ってしまう。そりゃふと夜中寂しくなってしまう時はありますが、大抵エロ動画見て寝て忘れます。あるいはバスタオルを巻く神田伯山を思い出して笑います。みんなそうすればいいのに。

 

一連の報道には「お前みたいな人間ばかりじゃないんだよ」と言われている気がします。このご時世では褒め言葉だと受け止めておきます。

 

 

 

 

「お笑いの日2020」を録画して全部見ましたが、全体的に浮ついている感じがして、それが「キングオブコント」まで影響しているような感じがしました。ジャルジャルの優勝には何の文句もないけど、こういうご時世に決勝で見たかったのは、ベストワンのほうで披露されたヘンダーソンのバカコントだったんだよなあ、としみじみ思いました。

 

 

最近見た番組で一番面白かったのはアルピー平子が出ているので見てしまった「ローカル路線バスVS鉄道乗継対決旅5」なのですが、特に説明しようとか書こうとかいう気にはなりません。じゃあなぜここに書いた。知るかよ。

 

 

 

生きてればまた何か書くよ。

 

囲い込み

おじさんがいきなりおじさん的な発言をしますが、おじさんにとっての「YouTube」を一言で表すと「きりがない」なんですよね。

 

それは「見始めると関連動画が気になってずっと見てしまう」という意味でもあり、また「個人で持ってるチャンネルなんて多すぎて全部追いかけるなんて到底無理。子どもじゃねえんだから」という意味でもあります。1日は24時間であり、見ることが出来るものには限界があります。自分の場合は主戦場(=主に時間を費やすもの)は「テレビ」であり「ラジオ」であり「エロ動画」でもありますから、YouTubeにそんな時間かけられねえよ、と素直に思います。追いきれない。エロ動画の時間は最近減ってます。こんなとこで報告することでもない。

 

しかし令和のラジオスター「アルコ&ピース」がYouTubeチャンネル持つとなると話は別ですよね。即チャンネル登録ですよね。バカじゃねえんだから。

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先週いきなり「YouTubeチャンネルやるよ」の予告動画があがり、そして9/18に初回公開。平子家で鯛めしを作るという動画。ラジオリスナーからすれば編集マジックであまりにテンポがよくて「いやいや、編集なしで2時間垂れ流せよ」と思ってしまうのですが、郷に入っては郷に従うべきであり、完全に正しいのです。ただあまりに正しすぎて「じゃあアルピーがこれでハネるのか?」とも思ってしまうのですが、まだ初回だ。方向性を待つしかない。

 

とにもかくにも自分の日々のルーティンの中に「アルピーチャンネル」が入り込んでしまったことに「ああ、また時間が削られる」と思いきや、そこにニヤニヤはしてしまうのですよね。世の中の同世代は子育てに仕事に邁進していることと存じ上げますが、そこに後ろめたさを感じつつも、テレビとラジオとエロ動画と、あとちょっとだけアルピーチャンネルに時間を費やしたいと思ってます。エロ動画の時間はもうちょっと削ってもいいな。ここで報告することじゃない。

 

 

 

……てな感じでアルピーチャンネル初回を見る1週間前(つまり開設が発表されたくらい)から半ば決め打ちの文章を考えていたのですが、少しだけ事態が変わりました。

 

「明石のいんでしょ大作戦!」爆誕

 

これは事件です。たぶん読んでいる人の95%くらいは「?」と思うので、ちょっとだけ説明。

 

「明石のいんでしょ大作戦!」は10月(正確にはプロ野球シーズンの中継終了後)から始まる北海道ローカルのラジオ番組です。いまやradikoで日本中どこでも聴けるので、ローカルという括りは必要ないのかもしれませんが。メインパーソナリティの「明石」こと「明石英一郎」は、このブログでは度々名前が登場する、自分が一番尊敬しているラジオパーソナリティです。昨年まだ濃厚接触可能なときに握手してもらえて本当によかった。

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そんな明石さんも今年の9月に60歳となり定年に。しかし6月末にはSTVの関連会社(札幌映像プロダクション)の専務取締役に就任。同じく昨年定年を迎えSTVラジオの取締役となった木村洋二とともに「エグゼグティブアナウンサー」として活動。二人がパーソナリティを務める昼の15分の帯ラジオ「洋二と明石の無口な二人」はますます面白い。

 

STVラジオには土曜の朝から夕方までぶっ続けで流れる「日高晤郎ショー」というオバケラジオ番組があった。日高晤郎の逝去とともに番組は終了し(正確に書けば逝去してからも「フォーエバー」としてしばらく番組は継続したが)、今は前述の木村アナが「ごきげんようじ」という番組を8時から14時まで担当している。

 

そしてこの秋からは「ごきげんようじ」に続いて「いんでしょ大作戦!」が17時半まで放送されるのだ。これはヤバい。

 

木村洋二明石英一郎という北海道のレジェンドアナウンサーが土曜の朝から夕方までを繋ぐ黄金リレー。両者とも取締役という肩書で社内に残らせ、そして日高晤郎が築き上げた土曜のラジオを託す。これは二人のレジェンドを他社に流出させないという囲い込みであると同時に、「ごきげんようじ」リスナーをそのまま「いんでしょ大作戦!」に囲い込むという恐ろしい計略である。しかし、完全に正しい。

 

自分には土曜の昼ワイドラジオを聴く習慣がないので現状として「ごきげんようじ」は聴けていない。しかし自分の敬愛する明石御大がやるとならば、これはもうradikoで3時間半聴くしかないだろう。誰が何と言おうがこれは義務である。

 

というわけで10月以降の自分のルーティンにはおそらく「いんでしょ大作戦!」が組み込まれます。3時間半は大きい。代わりに「不毛な議論」切ろうかなあ。初回から聴いているラジオなので最後まで見届けたい気持ちもあるが、最近ちょっとキツい。そろそろ交代の時期じゃないかな?とうっすら思う。この話は機会があれば改めて。

 

とにかくラジオが10月からも熱い。こりゃエロ動画の時間をもっと削るしかないな。

 

大人になっちまったな

「私の家政夫ナギサさん」をようやく見終えたわけですね。最終回とSPが残ってました。

 

視聴率がとてもよかったようで、多部未華子さんの株も今更激上がりしているようです。半沢直樹でブレイクとか言われている江口のりこさんの今更感くらい謎ですが、まあ世間の評判というのはそういうもんですね。どうでもいいです。

 

んでまあコメントのほうに「SPと言っておきながらほぼ総集編ってどう思います?」と問われたので、そのことについて書いてみます。

 

個人的には「今年はしゃあないね」と思ってます。

 

文句を言いたい人たちの気持ちは分かるんですよ。あれだけ盛り上がっていたドラマの最終回の翌週に2時間SPぶち込んでくるわけですから、それは新録で最終回「以降」を描いたものであると考える気持ちは分かります。

 

しかし冷静に考えれば「じゃあ最終回って何なのよ」ってことになり、最終回にその「以降」を描けばいいだけなのだから、そんなことが起こるわけがなかろうという当たり前すぎる結論にたどり着くわけですね。ちゃんと最終回と銘打ったのはTBSの「話としてはこれで最後ですよ」という意思表示です。

 

にも関わらず、そんなことを察することも出来ずに文句を垂れ流すのは「恥ずかしい」の一言です。もちろんそんな人は大して多くはないのでしょうが、「ネットの意見」という中身がスッカスカのオブラートに包むことによって、さも「世間の声」みたいになるのがバカらしいです。いいかげん「ネットの少数意見」を摘み上げるのはやめろよ、と思う。バカが増長するきっかけでしかない。

 

ただ、だからといってTBS側に「いやらしさ」がなかったのかといえば、それもまたNOですよね。「総集編でも見る人がいて、それで盛り上がる人たちがいる」ことを知っているからこそ放送するのです。それはコロナ時期に同枠でドラマの再放送を流していたときに「そこそこ需要がある」ことを知ってしまったからでしょう。今までの放送に「未公開シーンあり」とちょろっとだけ未放送シーンを挟み込むことで、そこそこの数字が取れるならそりゃ放送するでしょう。このドラマ撮影もままならない時期に1週つなげるのはデカいのだから。特に次のドラマが三浦春馬急逝によってかなりバタバタしたはずの「おカネの切れ目が恋のはじまり」なのだから、テレビ局側からすれば「当たり前の判断」ですね。

 

そりゃ視聴者にとってみれば「騙された」感は否めません。しかし騙されるほうにも「総集編でも未公開とかちょっとあれば喜んで見ちゃう」という弱みがあるわけで、どっちもどっちです。ちゃんと考えれば総集編であることは分かるのだから、それだけで怒るのは「おいおい」とは思います。かといってテレビ局側のその手法が決して褒められたものではない。ただ、「半沢直樹」が掟破りの「撮影間に合わなくてごめんなさい生放送」をしたことからも分かるように、ドラマ撮影の現場が逼迫していることを鑑みれば、このご時世に手法そのものを責める気にはなりません。テレビ局側の「知恵」ですね。「騙された」という気分になりたくないのなら、少しは考えて調べろよ、とは思う。

 

昔ならこんなこと書かなかったと思うのですが、自分もいい加減オッサンなので、こういうこと書くようになっちまったですね。日テレがfuluに誘導するようになったらその番組のことを全て記憶から抹消するくらいの自己防衛策くらい持てばいいのに、と別の人格が言ってますけど、そういうこと書かないのが大人。