大人になっちまったな

「私の家政夫ナギサさん」をようやく見終えたわけですね。最終回とSPが残ってました。

 

視聴率がとてもよかったようで、多部未華子さんの株も今更激上がりしているようです。半沢直樹でブレイクとか言われている江口のりこさんの今更感くらい謎ですが、まあ世間の評判というのはそういうもんですね。どうでもいいです。

 

んでまあコメントのほうに「SPと言っておきながらほぼ総集編ってどう思います?」と問われたので、そのことについて書いてみます。

 

個人的には「今年はしゃあないね」と思ってます。

 

文句を言いたい人たちの気持ちは分かるんですよ。あれだけ盛り上がっていたドラマの最終回の翌週に2時間SPぶち込んでくるわけですから、それは新録で最終回「以降」を描いたものであると考える気持ちは分かります。

 

しかし冷静に考えれば「じゃあ最終回って何なのよ」ってことになり、最終回にその「以降」を描けばいいだけなのだから、そんなことが起こるわけがなかろうという当たり前すぎる結論にたどり着くわけですね。ちゃんと最終回と銘打ったのはTBSの「話としてはこれで最後ですよ」という意思表示です。

 

にも関わらず、そんなことを察することも出来ずに文句を垂れ流すのは「恥ずかしい」の一言です。もちろんそんな人は大して多くはないのでしょうが、「ネットの意見」という中身がスッカスカのオブラートに包むことによって、さも「世間の声」みたいになるのがバカらしいです。いいかげん「ネットの少数意見」を摘み上げるのはやめろよ、と思う。バカが増長するきっかけでしかない。

 

ただ、だからといってTBS側に「いやらしさ」がなかったのかといえば、それもまたNOですよね。「総集編でも見る人がいて、それで盛り上がる人たちがいる」ことを知っているからこそ放送するのです。それはコロナ時期に同枠でドラマの再放送を流していたときに「そこそこ需要がある」ことを知ってしまったからでしょう。今までの放送に「未公開シーンあり」とちょろっとだけ未放送シーンを挟み込むことで、そこそこの数字が取れるならそりゃ放送するでしょう。このドラマ撮影もままならない時期に1週つなげるのはデカいのだから。特に次のドラマが三浦春馬急逝によってかなりバタバタしたはずの「おカネの切れ目が恋のはじまり」なのだから、テレビ局側からすれば「当たり前の判断」ですね。

 

そりゃ視聴者にとってみれば「騙された」感は否めません。しかし騙されるほうにも「総集編でも未公開とかちょっとあれば喜んで見ちゃう」という弱みがあるわけで、どっちもどっちです。ちゃんと考えれば総集編であることは分かるのだから、それだけで怒るのは「おいおい」とは思います。かといってテレビ局側のその手法が決して褒められたものではない。ただ、「半沢直樹」が掟破りの「撮影間に合わなくてごめんなさい生放送」をしたことからも分かるように、ドラマ撮影の現場が逼迫していることを鑑みれば、このご時世に手法そのものを責める気にはなりません。テレビ局側の「知恵」ですね。「騙された」という気分になりたくないのなら、少しは考えて調べろよ、とは思う。

 

昔ならこんなこと書かなかったと思うのですが、自分もいい加減オッサンなので、こういうこと書くようになっちまったですね。日テレがfuluに誘導するようになったらその番組のことを全て記憶から抹消するくらいの自己防衛策くらい持てばいいのに、と別の人格が言ってますけど、そういうこと書かないのが大人。