合法的縄跳び方のススメ

伊勢谷友介大麻取締法違反で逮捕。また薬物かあ、という感想しかありません。

 

もう薬物で捕まった芸能人に対する感想なんて「勿体ねえなあ」くらいしか出て来ません。沢尻エリカだってピエール瀧だって、その他色々いたかもしれませんが、やっぱりいい役者が薬物で捕まるのは「勿体ねえなあ」しかないのですよ。

 

薬物が役者の色気を添える、なんてことは絶対にあっちゃいけないわけで、そりゃもちろん「ダメ、ゼッタイ」なわけだけど、なんか考えさせられるものはある。それは自分がやってみたいとかそういう話じゃなくて、やっぱり芸能人みたいな人間は狙われているんだろうなあ、と。そういう抑止力になるなら週刊誌みたいなものも必要なのかな、とか思ったりもする。いずれにせよ自分には縁遠い話である。

 

ピエール瀧のときにも書いたような気がするんだけど、薬物の力を借りて楽しくなるってのは、要するに「自分から楽しくなる術を心得ていない」ということだろう。あらゆる快楽を知ってその行き着く先ということなのかもしれない。だとしたらそんな不幸なことはない。そんなことを考えると、自分にはますます不要のものでしかない。

 

だって自分は井上順がタキシード着ながら縄跳びする姿だけでそこそこエクスタシーですもの。

 

 

徹子の部屋」に井上順が出ていたので録画して見たのだけど、井上順twitterやってたんですね。そこで紹介されたタキシード縄跳び(あるいはタキシードでタップダンス)の映像が、これがもう朗らかで見ているだけで楽しい。脳内麻薬出まくりですよ。これを「お世話になりました」と言わずに何と言えばいいのか。

 

これの何が楽しいのか、と言われるかもしれないが、井上順が笑顔でタキシードで縄跳び跳びまくっていることに面白さを感じられれば薬物はいらない。薬物中毒者はみんな井上順のtwitterを見てリハビリしてほしい。

 

 

まさか自分だけ

いま「GU」のCMでマカレナ流れてますね。30代以上は分かると思うのですが。

 

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20代以下の若者は「マカレナ」知らんだろうという魂胆がミエミエ中尾ミエなCM。中条あやみ福士蒼汰がイケてる風に踊っていたところで当時の謎マカレナブームを通過した30代以上は「騙されねえからな」と思ってしまいますね。

 

今を遡ること25年ほど前、1996年に大ヒットを記録したマカレナ。日本では「恋のマカレナ」といういかにもなタイトルをつけられ発売され、小室サウンド全盛の世の中で曲はそんなに売れた記憶はないけど、なんか芸能人が無暗に踊っているという記憶だけはある。

 

そんでまあ中条あやみ福士蒼汰によるコジャレマカレナを見た日にはオッサンは当時のマカレナが聴きたくなってYouTube探すわけですね。すぐ出てきますよ。

 

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当時芸能人が踊っていたように、PVの中でもよくわからんねえちゃんが踊っています。

 

んでまあ自分の記憶にはさほど残っていなかったマカレナ。改めて曲を通して聴いたら、やたら耳に残るフレーズがあった。サビのシメのフレーズ。

 

「アーイ!」

 

これ聴いたことあるなあ。なんだろうなあ。いやもちろんマカレナの曲自体は昔聴いているんだから、その記憶なのかなあと思ったら違うね。これジャングルポケットの斉藤だ。気付いてしまった。イントネーションも同じだもの。

 

しかしこの事実に気づいたと同時に、自分はある不安がよぎった。

 

まさかジャンポケ斉藤の「ハーイ!」がマカレナからの引用であることに気づいてなかったのは自分だけなのでは?

 

可能性はいくつかあって、ひとつは「全く関係がない」。もちろん斉藤がマカレナのこのフレーズを漠然と記憶の中に残していて、無意識に引用していた可能性もあるが、基本的には何の関係もない。となれば自分が気付いていないのは「当たり前」ということになり、自分の考えはただの杞憂である。

 

あるいは「斎藤は元ネタとして認識しているが、世間はそうは認識していない」場合。斉藤が公言しているしていないに関わらず、ここから着想を得ているのであれば、自分の気付きは気付きとしてまっとうなものであり、何も不安がることはない。

 

そして一番怖いのが「斎藤がマカレナから引用しているなんてことは世間の常識であり、そんなもの知らないでギャグとして笑っているんだったら人間やめたほうがいいよ」というレベルで世間が認識している場合。もちろんマカレナを知らない世代は別だが、斎藤と同時代を生きている人間として(実は同い年)そんなこと説明されないと分からないとは人間失格だ、なんてことになってないだろうか。某NHKのキャラクターではないが、ここまでの人生「ボーっと生きてんじゃねえよ!」ということになる。

 

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中条福士が長々と踊るバージョンでは、ちゃんと歌詞つきで「アーイ」まで引用されている。マカレナにとって「アーイ」は必要不可欠で常識であるとしか思えない。となればこれはもう自分だけ気付いていなかった可能性が高い。世間の人たちは斉藤の「ハーイ!」にマカレナの影を見ていたのか。今まで自分の笑っていた「ハーイ!」と世間の人が笑っていた「ハーイ!」には埋めがたい認識のズレがあったということになる。もう何も信じられない。何も信じられないから今「かみひとえ」に出ているYouTuberでバズってる社長の言うことはとりあえず耳を傾けないことにしておく。

 

(9/8 9:00追記 ジャンポケ斉藤の「ハーイ!」はぼる塾田辺さんから授けられたものでした。ますますマカレナ関係ないような気もするけど、田辺さんが知ってた可能性が全然捨てきれないのでやっぱりマカレナ認識されている世界線が正しい気がします。twitterで指摘してくれたてれツイさんありがとうございます。)

 

 

たくらまれてもなあ

「全力!脱力タイムズ」である企みがありました。

 

先週放送されたのが四千頭身後藤の回で、今週放送されたのがジャングルポケット斉藤の回。ゲストの女優は変わったものの、それ以外の内容はほぼ同じ(最後の漫才披露が、後藤のときにジャンポケの残り二人、斎藤の時が四千頭身の残り二人だった)でどう振る舞うかの実験というネタバラシが最後にあった。それを聞いた斉藤が「何のために」と呟いたが、まさに自分も同じ気持ちだった。悪い意味で。

 

番組の進行としては「日本のバラエティを海外に売り込む」みたいな感じで、架空の(だと思う)ネット番組のプロデューサーにプレゼンするというもの。これは「日本のバラエティはこういうこともまだまだできるぞ」という、番組側から視聴者に対する挑戦状みたいなものなのだろう。一応騙していたのはゲストの二人(というか斉藤)だったけども、本当に「企み」を向けていたのは言うまでもなく視聴者にだ。

 

で、これをどう捉えるかってのはなかなか難しいところです。

 

自分の素直な感想からいえば「企みとしての面白さは分かるが、素直に面白いかどうかと問われればつまらない」となる。

 

斉藤回の最後に登場した後藤が「何で全員が両方見ると思っているんですか」というツッコミを入れていたが、これも正しい。どちらかしか見ていない場合は「ただのそういうもの」でしかなく、最低限の面白さは提供されているものの、単独で見た場合それぞれの放送が毎週のクオリティに到達していない気がした。ここが難しい。

 

自分を含めた「よき視聴者」というものはなんだかんだ毎週見ているものだ。こういう企みは「毎回見ている」ことが前提となるが、それは同時に「毎週見ている人たちへのサービス」という側面もある。「一見さんでは分からない」かもしれないが、「毎週見る視聴者に、より楽しんでもらいたい」という考え方は嫌いじゃない。ラジオ的な考え方かもしれない。

 

だから今回の企みは、毎週見る自分のようなファンからすれば「やられたなあ、面白いなあ」となるべきなのかもしれないが、早々に企みに気付いてしまった自分は「うーん、まあ、なんだろうなあ」となる。「よき視聴者」は普段からしっかり見たり聞いたりしているぶん、同じ内容を放送していることにはすぐに気づくのだ。そして同じ内容が続くことに対し、最初の数分は楽しいが、途中から完全にダレる。だってそれはただの「再放送」だから。知ってる知ってる、ってなる。自分だけだろうか。面白いものは何度見ても面白いというけど、その中身が水準に達していなければ、それは「つまらない再放送」でしかない。

 

もちろん今回の場合は後藤と斎藤という違いはある。あるけども基本的に芸人が取り得る行動はそんなに変わらず、後藤と斎藤が違うから(あるいは台本に忠実に動いてくれる女優が違うから)何なのだ、という気持ちにしかならない。せめて中身が「もう一度見たい」と思わせてくれる出来だったならば、と思う。

 

そして自分が必要以上にこの企みにうんざりしたのは、ラジオで「もっと酷い企み」を味わったからだ。「ファーストサマーウイカのANN0」である。

 

ファッサマの企みは「タイムリープ」だった。ある条件を満たさない限り同じことを繰り返す、というやつ。記憶に新しいタイムリープ番組といえば、霜降り明星粗品がR1優勝の賞品である冠特番にて、粗品のこだわりをしこたま詰め込んだタイムリープバラエティを作り、自分を含めた視聴者の度胆を抜いた。あの番組はかなり完成度が高かったけども、ファッサマのラジオでのタイムリープは「最悪」に近いと自分は思っている。以下説明。

 

ファッサマのタイムリープの企みは「この夏やり残したことをやらない限り、同じ放送を繰り返す」というもの。その「やり残したこと」は「中二病の話をする」であり、タイムリープ放送をする前の週にそういう話をフリートークでしていた。これが予め仕込んでおいた伏線(フリ)となっていたわけで、それを回収するというのはそんなに悪い出来じゃないとは思う。しかし最悪なのはこれを「3週にわたってやった」ことだ。

 

タイムリープの繰り返し感を出すには、最低でも2週しなければいけないとでも考えたのだろうか。そのこだわりの甲斐もあってか「繰り返し感」はとても出ていた。そのうえ番組中に流れる曲は微妙に変わっていたり(たとえば「サマーヌード」が「ENDLESS SUMMER NUDE」になったりしていた)、またネタコーナーはちゃんと別ネタに変わっていたりして微妙な違和感を演出していたので、けっこう入念に用意していたであろうことは想像に難くない。

 

しかしそれがなんだというのだ。こんなもん最悪だ。それ以外の部分で大して面白くもない同じトークを3週にわたって聞かされるのは拷問でしかない。さすがに善きリスナーに甘え過ぎだろ。

 

ファッサマで抜くほどの大ファンであれば、同じトークの3週や4週屁でもないのかもしれない。しかし自分くらいの「まあ聞いてます」くらいのラジオリスナーにとっては、ファッサマの同じトークを3回も聞かされるのはただの拷問だった。それでもしかし「何かあるのだろう」と思って聴いていたけども、2週目は「ただの違和感を演出したまま放り投げて終了」だったし、3週目はほとほとうんざりしながら、タイムリープの出口が「中二病の話をする」だったことに心底げんなりして最後まで聴いた。タイムリープを抜け出したことのカタルシスはなく、ただただ「これがやりたかっただけかよ」という失望とともに過ぎた。本人そしてスタッフ的には「してやったり」だったのかもしれないが、自分には「こんなつまらないオチのために3週も使ったのかよ」としか思えなかった。せめてオチでもっと何か想像を超えてくる何かがあれば「うおおおやるなああ」となったのかもしれないが、おもいっきり想像の範囲内。悪い冗談でしかなかった。

 

どうやら次回この放送の顛末がファッサマから語られるようなことは最後に残していたので、これが何か大きな別の理由(たとえばファッサマが3週の間自分に起きたことを話せないような状況になり、それを乗り切るための方策であった、とか)があればまだ許せるものの、これが単なる「タイムリープやってみたかったし、面白かったやろ?」くらいのノリによるものだったのならば、自分は番組が来年3月で終了することを祈るしかなくなるだろう。

 

脱力タイムズにせよファッサマのANNにせよ、企みそのものが悪いとは思わない。しかし企みであることに気を取られ過ぎて、その企みを抜きにしたときの単独の面白さが担保されていないことにより「素直に面白いと言えない」を通り越して「つまらない」となっちゃうのはどうなんだろう。毎回見たり聞いたりしている人たちをうんざりさせるのは何のサービスなのかな、という単純な疑問が残った今週のテレビとラジオ。難しいでさーねー。

 

アイアム記憶喪失中年

最近つい見てしまう番組といえば「アイアム冒険少年」だったりします。

 

様々な企画があるこの番組ですが、メインは「脱出島」。無人島から有人島まで自力で脱出するまでのタイムを競う企画。持ち込んでいいのはひとつのカバンに入る物だけ。それ以外のルールはなく、どんな方法でもよいので短時間で脱出出来れば勝ち。ミスター冒険少年ことあばれる君をはじめとして、今旬の芸能人からクイズ王伊沢まで人選は様々。

 

いろんな芸能人が知恵を凝らして脱出を試みるのも面白いのだけど、あばれる君が自身のサバイバル知識および肉体を生かして、次々とサバイバル能力を高めていく様を見るのは面白い。ネタのあばれる君はあんまり面白くないけど、こういう企画でのあばれる君のタレントとしての様はさすがと言わざるを得ない。

 

あばれる君は「元山岳部主将」という肩書と実績があるので重宝され、番組でもメインとして活躍しているのは納得なのですが、「脱出島」に登場する芸能人の中には「お?これは色々大丈夫なのかな?」と思う人が少なからず登場する。誰とは言わない。

 

自分も子供ではないので、そこで「こんなもんはヤラセだ」と無粋な事は言いません。実際無人島に芸能人が赴き、そしてある程度のカメラの取れ高が出るまでは何かしらやっているんだと思います。カメラ外のことは知らないし、サバイバルにおける「それはどのスタッフが仕込んできたんだよ」と言わざるを得ない謎知識など、往々に胡散臭い部分があるんだけど、それら込みで楽しむのがこの番組だと思ってます。

 

大体この番組を見ているときは酒を飲んでいるのですが、あばれる君がサバイバルする様を酒を飲みながら何も考えずに見ていると、ふと頭に去来するものがあるわけですね。「うーん、無人島で芸能人が奮闘するのを放送するのは発明だなあ」と。「そのうち獲ったどー!とか言い出すんだろうな」と。

 

あれ?

 

「獲ったどー」というキーワードが頭に浮かんでくるまで自分はこれが「ただの黄金伝説のトレース」であることに全く気付かなかったわけです。いや、気付かないというか「黄金伝説」という存在がそもそも記憶から完全に消えていたわけです。「そんなバカな」とお思いかもしれませんが、オジサンという生き物(というか自分)は何も覚えちゃあいないのです。だから二番煎じもいいところな「アイアム冒険少年」を楽しく見ることが出来る記憶喪失中年がここにいるわけです。

 

「アイアム冒険少年」は、「いきなり黄金伝説」が放送されている頃の記憶がない子どもたちとそのご家族が見るようなファミリー番組として充分に面白いです。そして自分のような「いきなり黄金伝説」のことなんて全て記憶の片隅に放り投げてしまった自分のようなオジサンも楽しく見れているのです。随所随所に胡散臭いのも家族向け。子供達は楽しみながら疑うことも番組を通じて学んでほしいものです。

 

どの口が、偉そうに。

 

 

 

 

小銭と傲慢

8/24 日テレ「月曜から夜ふかし」より。

 

Na「次はこちらの男性」

 

男性「さっき募金したの 募金は基本的にする 何でも」

 

男性「100円 200円 無くしたって 全然腹も痛まないし」

 

男性「共存」

 

男性「自分だけ生き残ればいいわけじゃない」

 

スタッフ「(お兄さんは)今日いくら募金したんですか?」

 

男性「今日?25円」

 

スタッフ「え?」

 

男性「25円」

 

スタッフ「25円」

 

男性「小銭見て、いらないのだけ渡した」

 

男性「あとは100円と500円だったから」

 

Na「やはり100円は惜しいらしい」

 

 

 

これね、まあ言いたいことは分かるんですよ。「100円200円募金したところで自分の腹は痛まないし、共存の気持ちが大事だ」と大きなことを言っていた男性が、結局自分の手持ちの100円や500円を募金するのが惜しくて、小銭の25円だけを募金したのが小市民で滑稽だ、つう話。まあ分からないではないですよ。

 

ただ、全国から善意の募金を集める「24時間テレビ」の放送直後にする放送ですかね、とは思いますよ。あろうことか日テレが。

 

テレビ局で働いている人間からすれば、もっと言えばマトモな社会人ならば100円200円の「小銭」くらい募金しろよ、って思うんでしょ。100円200円程度で腹が痛まないって言っているオジサンが100円を渋っているのが面白い、って思っているんでしょ。それはそれでいいよ。そういう価値観を持っている人が多ければ笑いにつながるさ。

 

けどさ、その10円20円の募金の積み重ねで成り立っているはずの「24時間テレビ」の放送直後によくもまあそんなことが言えるな。放送日時知っていて流しているんだろ?それとも善意だけども自分の100円惜しさに小銭しか募金しないような人間はそもそも募金なんかしなくていいとでも言いたいのかな?

 

自分は「24時間テレビ」は基本的に肯定的なんですよ。あれはああいう「祭り」ですから。それが「奇祭」だとしても、その祭りが祭りとして成り立っている以上、誰も祭りの「まっとうな意味」なんて求めてはいない。だから謎にマラソンしようとも、偽善と言われようとも、続けるなら続ければいいとは思っている。

 

しかしその核の部分となる「募金」という観点で、そこに冷や水ぶっかける内容をわざわざ日テレが直後に放送することに何の意図があるのか。内部批判だろうか。それとも、この募金のくだりに対して「何かマズいことしている」という感覚が死んでいるだけなのか。なんにせよ自分は「これはレベル低いわー」と思ったよ。好きな番組だけに何とも言えない感覚になったわ。

 

「小銭でも募金をしてくれる心意気」を日テレが24時間テレビ放送直後にバカにするのか。これを見て「あー、絶対に24時間テレビの募金しないわ」と思った人間、少なからずいると思うんだけど、どうなんだろう。これを傲慢と言わずに何という。おじさんはちょっと怒っているよ。

 

基準

 

情熱大陸」に上白石萌音

 

基本的に「女優が出てきたらそれは見なければいけない」というセブンルールを課している自分ですから、誰に言われるでもなく見るわけです。芸能人がけっこう出ている印象の「情熱大陸」だけども、女優の回が放送されるのは年に数回なのでそんなに大変な作業ではない。

 

映画「君の名は」の声優として、そして今年放送されたドラマ「恋は続くよどこまでも」での好演も記憶に新しい上白石萌音。さも当然のように「見た」感じで書いていますが、両方とも見ていない。ただ「恋は続くよ」のほうはCMと再放送のCMでたっぷり浴びたので、ほぼ見たようなものだと認識している。さすがに「君の名は」くらい見るべきなのかもしれないが、全然興味が沸かないので2050年くらいまでには見ようと思う。たぶん死んでるけど。

 

んでまあ上白石萌音。とても嫌味がない人です。見ていて少し好きになりました。「ナレーションの仕事は子どもが生まれても続けたい」という話になり、番組の最後に自身を褒めちぎる内容のナレーションをさせられていたのが「ひどいプレイだな」と思ったのが申し訳ないくらいに嫌味がないです。幅広い年齢層にファンがいるのも分かる。

 

けどおじさんは妹の萌歌ちゃんのほうが好きです。

 

この一言だけを文にすると「気持ち悪い」の破壊力が半端ないですが、もはや今更そんなことを気にする人間ではないのです。そんなこと気にしていたら10年くらい前には死んでいるはずです。まだ生きているのは「そこらへんの羞恥心はドブに捨てた」からですね。そんなことはどうでもいい。

 

姉と同じように上白石萌歌ちゃんも女優であり歌手です。姉の萌音ちゃんは東宝シンデレラの審査員特別賞ですが、萌歌ちゃんは実はグランプリです。また、姉の萌音ちゃんは152cmと小柄ですが、萌歌ちゃんは163cmと割と大きいです。

 

萌歌ちゃんの出演したドラマで有名なのは「義母と娘のブルース」だとか「3年A組」だとかになるのでしょう。どちらもヒットしたドラマですが見事に見ていない。その代わり視聴率が低くてかなり苦戦した大河ドラマ「いだてん」はもう食い入るように全部見ていて、そこで水泳の金メダリスト前畑秀子を演じていた萌歌ちゃんで自分は完全にファンになるわけです。

 

ただまあヒット作や実績という点では正直姉の萌音ちゃんも妹の萌歌ちゃんも、そこまで差があるわけではないです。今芸能界で活躍する姉妹といえば広瀬姉妹(姉アリス・妹すず)でしょうが、姉アリスがいかに活躍しようとも妹すずのほうが格上であることはあまり異論がないでしょう。広瀬姉妹に比べれば、上白石姉妹はそこまで差がない。まあ今の活躍っぷりからすれば多少姉に分があるのかもしれない。

 

じゃあなぜ自分は萌歌ちゃんのほうが好きなのでしょうか。「好みの問題」と言われればそれはそうなのですが、じゃあその好みがどこにあるかを冷静に考えてみる。すると自分は普段から言ってることがひとつの基準になっていることに気づいたわけです。

 

相撲がとりたいかどうか。

 

一言でいうならばこれに尽きます。広瀬姉妹は完全にアリスのほうが相撲が強そうですし、相撲したいです。上白石姉妹であれば上背もある萌歌ちゃんのほうが相撲が強そうです。それこそ「いだてん」で体重を増やして役に臨んだことも、相撲が強そうというイメージに一役買っている気がします。

 

正直な話ここの部分をほじくっていくと「何か自分の気付いていない性癖を呼び起こしそう」で怖いのですが、現状として女優の好みを「相撲が取りたいかどうか」で判断していることを否定できないのです。女相撲に興味はありません。けど女優の良し悪しを考えるときに、なんとなく「がっぷり組んだらどんな感じか」は考えてしまいますね。書いていて自分でも「なんだこれ」と思っている。読んでいるあなたはなおさら。

 

そんな上白石萌歌ちゃんが先日の「Mステ」で音楽のプレイリストを公開していました。広瀬香美との対決だったようで、最終的には勝利していました。電話がつながっていたのは広瀬香美だったのに。可哀想広瀬香美

 

「令和に逆らえ!夏のジリジリソング」と銘打ったプレイリストの中には広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」が入っていました。当時広末ガチ勢だった自分はこう思いました。

 

MK5をプレイリストに入れるとはお目が高い。しかしMK5はどっちかといえば春の曲なのよ。デートの曲なんだけどさ。夏のイメージがあるのは「大スキ!」のほうじゃないかな?それでもガチ勢のおじさんからすれば夏の曲といえば「summer sunset」一択ですよ。まだまだ甘いよ、甘すぎるよ萌歌さんよぉ!

 

これはキモい。なぜキモいと分かって書いたのか。ただの嫌がらせでしかない。こんなキモい人に好かれるくらいなら山Pに抱かれるほうが絶対にいいですね。とにかくこんなオジサンに好かれないためには「できるだけ相撲が弱そう」になるしかありません。相撲が強そうだともれなくオジサンが好きになります。

 

今年書いた文で一番酷いな。誰かいっそ殺してくれ。

point of no return

山下智久が一定期間の活動自粛に。

 

簡単にいえば「未成年のねえちゃんと飲酒してお持ち帰りした」という話。この手の問題ではいつも登場する「未成年との飲酒」というところが法律的にアウトなわけで、そこを鑑みての「活動自粛」という措置なのだろう。同席していた亀梨和也は厳重注意に。

 

なんかもうどこから処理していけばいいのか分からない案件ではあります。そもそもこの時期に飲酒とかどうなの?というところから言い出す人もいるだろうし、年齢を偽って飲酒していた相手の女性は悪くないのか?とか、そもそも文春が「何かを知っていて」狙い撃ちしたような感じすらあるぞ、とか。いまや誰よりも品行方正が求められるのが芸能人。謎でしかないです。

 

そりゃあ「法律に違反している」という点で分が悪いのは仕方ない。会社も何らかの処分を下さざるを得ないというのが正直なところだろう。手越の件とはまたちょっと違う印象もある。もちろんただのオジサンでしかない自分には報道されている話しか知らないわけで、文春の記事から数日経ってからの処分発表というのは、今まで調査をしていたということだろうし、そこで確認した事実に基づいて処分したのだろう。だから今回の記事は「おおまかに事実」ではあるんだろう。一方で情状酌量の余地もあると認められての結論が「一定期間の自粛」という比較的緩めの処分なのだろうか、くらいの想像しか自分はできない。

 

ただそれでも自分は「自粛しちゃいけない案件じゃないかなあこれは」とちょっとだけ思っている。

 

今回の件の非が「未成年と飲酒している」ことのみだった場合(例えば山下がホテルでとんでもない性癖を披露し、それが後々暴露されるてなことがなければ)の話になるが、「未成年ではない」と相手がウソをついた場合に成人側が取れる防衛策が「身分証明書見せないと飲まない」になるんだろうが、はっきり言ってあまり現実的な話じゃない。なぜなら場は確実に盛り下がるし、誰かの紹介だった場合にいちいち疑っていたのではやっぱりおかしなことになる。それでもこういう可能性がある場合にはプロならすべき、なんてことを言ってしまう人がいるんだから世の中はイヤになる。そもそも身分証は誰かのを借りたり偽造されたりすればそれでお終いだ。相手を陥れる意図があるなら、身分証の偽造なんかは「なおさら有効な策」になるんだろうし。

 

「未成年が飲酒しちゃいかん」という法律は「未成年と飲酒した成人にペナルティを与える」のが目的ではない。大人が未成年に飲酒させないための手段だ。けどこれを面白がって他人にペナルティを与える道具としてぶん殴ってくるなら、ぶん殴りかえす準備はありますよ、という意思表示としての「お咎めなし」ってのは決して悪いことじゃあないと思ったりする。

 

こういうのが積もり積もって最終的に「なんか誰も得しない事態」を生む気がしてならない。それを食い止めるためにも、そろそろ「それは違うんじゃねえの」って声は出てきてもいいんじゃないかと思う。これ以上未成年飲酒トラップを好き放題させるのは単純に怖い。そして何より「本来守られるべき未成年が本当に必要な時に守られないようなことになる」ことこそ危険じゃないの?ってことを大人が言えよな。