さまよう死線

気付いたら10月ですよ。春にはあってないようなものだった「番組改編」の時期であることを、HDの残り時間から実感します。特番時期のHDには負担がかかります。

 

そんな負担かけまくりのHDを楽にすべく、何か知らないけど少ない休みの殆どをHD整理に費やします。何のために休んでいるのか、何のためにHDを減らすのか、もはや何が目的かよく分かりませんが、そういう風に過ごしています。コロナ鬱とは無縁。他人からしたらこっちの生活のほうが鬱になりそうだともっぱらの評判。誰に。

 

ドラマ「恐怖新聞」をまとめて見ました。1話を見たっきり放置していたので、2話から最新話まで一気に。ホラーって割と短い時間で怖がるものなのだろうけど、もう3時間とか見続けると「何が怖いんだかよく分からない」になってきます。ドラマ制作側もさぞ不本意でしょう。

 

主演の白石聖さんはとても美人さんで理不尽に怖い目に遭うわけですが、自分には正月に日村さんとチョップの打ち合いをしたことでお馴染みなので、このくらいの怖い目には遭ってしかるべきだと思っています。鬼形礼を演じている坂口涼太郎にチョップかませば一発で話終わるのになあ、なんて。

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1年ぶりに開催された「オールスター感謝祭」は最後のほうだけチラっと見たのですが、Yes!アキトが森七菜さんに対してギャグ連発するも笑わず、という場面を見ることができたので満足です。呟きにも書いたけど「ダンクシュートキャンセル」はもっと流行っていい。あと森七菜さんはご存じかと思いますが「もりなな」さんであり、「もりななな」さんではないです。しかし「もりなななな~ なななな~ なななな 軟骨~」と自分の内なるジョイマンで勝手に再生されるので、いいかげんどうにかしてほしいです。

 

坂上忍がやってたランキングの番組(正式名称すら調べるの面倒くさい)で声楽家が選んだ本当に歌が上手い女性歌手ランキングみたいなのをやっていて(1位は案の定美空ひばりでした)、「歌が上手いゆえ自分の曲を歌わせてもらえない」でお馴染み島津亜矢さんがKingGnuの「白日」を生で歌っていてめちゃ歌うまかったですが、そのあとで「アルピーチャンネル」で見たアルピー二人による「白日」もそこそこ上手かったのでちょっと笑ってしまいました。みんな「白日」が歌いたいんだね。

 

というわけで全く中身のないただの感想でした。来週は頑張る。

 

 

また

どうも、しばらく更新さぼってましたが、生きてます。なんて挨拶がシャレにならんような事態になってますね。なんだって竹内結子まで自殺しなければいかんのか。

 

全てをコロナのせいにするのはちょっと違うような気もしていますが、ここ数か月で立て続けに三浦春馬芦名星竹内結子とバリバリ第一線で活躍している役者さんが自殺してしまうと、やっぱり時代のせいにもしたくなります。

 

役者さんはどんなに有名な人でも「先の見えない仕事」だと認識している人が多いのでしょうか。予定されていた撮影や舞台があっという間に消えてなくなったときに、将来の不安をやっぱり抱いてしまうのでしょうか。常に明るい未来なんて予見できない自分みたいなもんは「考えてもしゃあないね」と思ってしまう。そりゃふと夜中寂しくなってしまう時はありますが、大抵エロ動画見て寝て忘れます。あるいはバスタオルを巻く神田伯山を思い出して笑います。みんなそうすればいいのに。

 

一連の報道には「お前みたいな人間ばかりじゃないんだよ」と言われている気がします。このご時世では褒め言葉だと受け止めておきます。

 

 

 

 

「お笑いの日2020」を録画して全部見ましたが、全体的に浮ついている感じがして、それが「キングオブコント」まで影響しているような感じがしました。ジャルジャルの優勝には何の文句もないけど、こういうご時世に決勝で見たかったのは、ベストワンのほうで披露されたヘンダーソンのバカコントだったんだよなあ、としみじみ思いました。

 

 

最近見た番組で一番面白かったのはアルピー平子が出ているので見てしまった「ローカル路線バスVS鉄道乗継対決旅5」なのですが、特に説明しようとか書こうとかいう気にはなりません。じゃあなぜここに書いた。知るかよ。

 

 

 

生きてればまた何か書くよ。

 

囲い込み

おじさんがいきなりおじさん的な発言をしますが、おじさんにとっての「YouTube」を一言で表すと「きりがない」なんですよね。

 

それは「見始めると関連動画が気になってずっと見てしまう」という意味でもあり、また「個人で持ってるチャンネルなんて多すぎて全部追いかけるなんて到底無理。子どもじゃねえんだから」という意味でもあります。1日は24時間であり、見ることが出来るものには限界があります。自分の場合は主戦場(=主に時間を費やすもの)は「テレビ」であり「ラジオ」であり「エロ動画」でもありますから、YouTubeにそんな時間かけられねえよ、と素直に思います。追いきれない。エロ動画の時間は最近減ってます。こんなとこで報告することでもない。

 

しかし令和のラジオスター「アルコ&ピース」がYouTubeチャンネル持つとなると話は別ですよね。即チャンネル登録ですよね。バカじゃねえんだから。

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先週いきなり「YouTubeチャンネルやるよ」の予告動画があがり、そして9/18に初回公開。平子家で鯛めしを作るという動画。ラジオリスナーからすれば編集マジックであまりにテンポがよくて「いやいや、編集なしで2時間垂れ流せよ」と思ってしまうのですが、郷に入っては郷に従うべきであり、完全に正しいのです。ただあまりに正しすぎて「じゃあアルピーがこれでハネるのか?」とも思ってしまうのですが、まだ初回だ。方向性を待つしかない。

 

とにもかくにも自分の日々のルーティンの中に「アルピーチャンネル」が入り込んでしまったことに「ああ、また時間が削られる」と思いきや、そこにニヤニヤはしてしまうのですよね。世の中の同世代は子育てに仕事に邁進していることと存じ上げますが、そこに後ろめたさを感じつつも、テレビとラジオとエロ動画と、あとちょっとだけアルピーチャンネルに時間を費やしたいと思ってます。エロ動画の時間はもうちょっと削ってもいいな。ここで報告することじゃない。

 

 

 

……てな感じでアルピーチャンネル初回を見る1週間前(つまり開設が発表されたくらい)から半ば決め打ちの文章を考えていたのですが、少しだけ事態が変わりました。

 

「明石のいんでしょ大作戦!」爆誕

 

これは事件です。たぶん読んでいる人の95%くらいは「?」と思うので、ちょっとだけ説明。

 

「明石のいんでしょ大作戦!」は10月(正確にはプロ野球シーズンの中継終了後)から始まる北海道ローカルのラジオ番組です。いまやradikoで日本中どこでも聴けるので、ローカルという括りは必要ないのかもしれませんが。メインパーソナリティの「明石」こと「明石英一郎」は、このブログでは度々名前が登場する、自分が一番尊敬しているラジオパーソナリティです。昨年まだ濃厚接触可能なときに握手してもらえて本当によかった。

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そんな明石さんも今年の9月に60歳となり定年に。しかし6月末にはSTVの関連会社(札幌映像プロダクション)の専務取締役に就任。同じく昨年定年を迎えSTVラジオの取締役となった木村洋二とともに「エグゼグティブアナウンサー」として活動。二人がパーソナリティを務める昼の15分の帯ラジオ「洋二と明石の無口な二人」はますます面白い。

 

STVラジオには土曜の朝から夕方までぶっ続けで流れる「日高晤郎ショー」というオバケラジオ番組があった。日高晤郎の逝去とともに番組は終了し(正確に書けば逝去してからも「フォーエバー」としてしばらく番組は継続したが)、今は前述の木村アナが「ごきげんようじ」という番組を8時から14時まで担当している。

 

そしてこの秋からは「ごきげんようじ」に続いて「いんでしょ大作戦!」が17時半まで放送されるのだ。これはヤバい。

 

木村洋二明石英一郎という北海道のレジェンドアナウンサーが土曜の朝から夕方までを繋ぐ黄金リレー。両者とも取締役という肩書で社内に残らせ、そして日高晤郎が築き上げた土曜のラジオを託す。これは二人のレジェンドを他社に流出させないという囲い込みであると同時に、「ごきげんようじ」リスナーをそのまま「いんでしょ大作戦!」に囲い込むという恐ろしい計略である。しかし、完全に正しい。

 

自分には土曜の昼ワイドラジオを聴く習慣がないので現状として「ごきげんようじ」は聴けていない。しかし自分の敬愛する明石御大がやるとならば、これはもうradikoで3時間半聴くしかないだろう。誰が何と言おうがこれは義務である。

 

というわけで10月以降の自分のルーティンにはおそらく「いんでしょ大作戦!」が組み込まれます。3時間半は大きい。代わりに「不毛な議論」切ろうかなあ。初回から聴いているラジオなので最後まで見届けたい気持ちもあるが、最近ちょっとキツい。そろそろ交代の時期じゃないかな?とうっすら思う。この話は機会があれば改めて。

 

とにかくラジオが10月からも熱い。こりゃエロ動画の時間をもっと削るしかないな。

 

大人になっちまったな

「私の家政夫ナギサさん」をようやく見終えたわけですね。最終回とSPが残ってました。

 

視聴率がとてもよかったようで、多部未華子さんの株も今更激上がりしているようです。半沢直樹でブレイクとか言われている江口のりこさんの今更感くらい謎ですが、まあ世間の評判というのはそういうもんですね。どうでもいいです。

 

んでまあコメントのほうに「SPと言っておきながらほぼ総集編ってどう思います?」と問われたので、そのことについて書いてみます。

 

個人的には「今年はしゃあないね」と思ってます。

 

文句を言いたい人たちの気持ちは分かるんですよ。あれだけ盛り上がっていたドラマの最終回の翌週に2時間SPぶち込んでくるわけですから、それは新録で最終回「以降」を描いたものであると考える気持ちは分かります。

 

しかし冷静に考えれば「じゃあ最終回って何なのよ」ってことになり、最終回にその「以降」を描けばいいだけなのだから、そんなことが起こるわけがなかろうという当たり前すぎる結論にたどり着くわけですね。ちゃんと最終回と銘打ったのはTBSの「話としてはこれで最後ですよ」という意思表示です。

 

にも関わらず、そんなことを察することも出来ずに文句を垂れ流すのは「恥ずかしい」の一言です。もちろんそんな人は大して多くはないのでしょうが、「ネットの意見」という中身がスッカスカのオブラートに包むことによって、さも「世間の声」みたいになるのがバカらしいです。いいかげん「ネットの少数意見」を摘み上げるのはやめろよ、と思う。バカが増長するきっかけでしかない。

 

ただ、だからといってTBS側に「いやらしさ」がなかったのかといえば、それもまたNOですよね。「総集編でも見る人がいて、それで盛り上がる人たちがいる」ことを知っているからこそ放送するのです。それはコロナ時期に同枠でドラマの再放送を流していたときに「そこそこ需要がある」ことを知ってしまったからでしょう。今までの放送に「未公開シーンあり」とちょろっとだけ未放送シーンを挟み込むことで、そこそこの数字が取れるならそりゃ放送するでしょう。このドラマ撮影もままならない時期に1週つなげるのはデカいのだから。特に次のドラマが三浦春馬急逝によってかなりバタバタしたはずの「おカネの切れ目が恋のはじまり」なのだから、テレビ局側からすれば「当たり前の判断」ですね。

 

そりゃ視聴者にとってみれば「騙された」感は否めません。しかし騙されるほうにも「総集編でも未公開とかちょっとあれば喜んで見ちゃう」という弱みがあるわけで、どっちもどっちです。ちゃんと考えれば総集編であることは分かるのだから、それだけで怒るのは「おいおい」とは思います。かといってテレビ局側のその手法が決して褒められたものではない。ただ、「半沢直樹」が掟破りの「撮影間に合わなくてごめんなさい生放送」をしたことからも分かるように、ドラマ撮影の現場が逼迫していることを鑑みれば、このご時世に手法そのものを責める気にはなりません。テレビ局側の「知恵」ですね。「騙された」という気分になりたくないのなら、少しは考えて調べろよ、とは思う。

 

昔ならこんなこと書かなかったと思うのですが、自分もいい加減オッサンなので、こういうこと書くようになっちまったですね。日テレがfuluに誘導するようになったらその番組のことを全て記憶から抹消するくらいの自己防衛策くらい持てばいいのに、と別の人格が言ってますけど、そういうこと書かないのが大人。

 

 

合法的縄跳び方のススメ

伊勢谷友介大麻取締法違反で逮捕。また薬物かあ、という感想しかありません。

 

もう薬物で捕まった芸能人に対する感想なんて「勿体ねえなあ」くらいしか出て来ません。沢尻エリカだってピエール瀧だって、その他色々いたかもしれませんが、やっぱりいい役者が薬物で捕まるのは「勿体ねえなあ」しかないのですよ。

 

薬物が役者の色気を添える、なんてことは絶対にあっちゃいけないわけで、そりゃもちろん「ダメ、ゼッタイ」なわけだけど、なんか考えさせられるものはある。それは自分がやってみたいとかそういう話じゃなくて、やっぱり芸能人みたいな人間は狙われているんだろうなあ、と。そういう抑止力になるなら週刊誌みたいなものも必要なのかな、とか思ったりもする。いずれにせよ自分には縁遠い話である。

 

ピエール瀧のときにも書いたような気がするんだけど、薬物の力を借りて楽しくなるってのは、要するに「自分から楽しくなる術を心得ていない」ということだろう。あらゆる快楽を知ってその行き着く先ということなのかもしれない。だとしたらそんな不幸なことはない。そんなことを考えると、自分にはますます不要のものでしかない。

 

だって自分は井上順がタキシード着ながら縄跳びする姿だけでそこそこエクスタシーですもの。

 

 

徹子の部屋」に井上順が出ていたので録画して見たのだけど、井上順twitterやってたんですね。そこで紹介されたタキシード縄跳び(あるいはタキシードでタップダンス)の映像が、これがもう朗らかで見ているだけで楽しい。脳内麻薬出まくりですよ。これを「お世話になりました」と言わずに何と言えばいいのか。

 

これの何が楽しいのか、と言われるかもしれないが、井上順が笑顔でタキシードで縄跳び跳びまくっていることに面白さを感じられれば薬物はいらない。薬物中毒者はみんな井上順のtwitterを見てリハビリしてほしい。

 

 

まさか自分だけ

いま「GU」のCMでマカレナ流れてますね。30代以上は分かると思うのですが。

 

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20代以下の若者は「マカレナ」知らんだろうという魂胆がミエミエ中尾ミエなCM。中条あやみ福士蒼汰がイケてる風に踊っていたところで当時の謎マカレナブームを通過した30代以上は「騙されねえからな」と思ってしまいますね。

 

今を遡ること25年ほど前、1996年に大ヒットを記録したマカレナ。日本では「恋のマカレナ」といういかにもなタイトルをつけられ発売され、小室サウンド全盛の世の中で曲はそんなに売れた記憶はないけど、なんか芸能人が無暗に踊っているという記憶だけはある。

 

そんでまあ中条あやみ福士蒼汰によるコジャレマカレナを見た日にはオッサンは当時のマカレナが聴きたくなってYouTube探すわけですね。すぐ出てきますよ。

 

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当時芸能人が踊っていたように、PVの中でもよくわからんねえちゃんが踊っています。

 

んでまあ自分の記憶にはさほど残っていなかったマカレナ。改めて曲を通して聴いたら、やたら耳に残るフレーズがあった。サビのシメのフレーズ。

 

「アーイ!」

 

これ聴いたことあるなあ。なんだろうなあ。いやもちろんマカレナの曲自体は昔聴いているんだから、その記憶なのかなあと思ったら違うね。これジャングルポケットの斉藤だ。気付いてしまった。イントネーションも同じだもの。

 

しかしこの事実に気づいたと同時に、自分はある不安がよぎった。

 

まさかジャンポケ斉藤の「ハーイ!」がマカレナからの引用であることに気づいてなかったのは自分だけなのでは?

 

可能性はいくつかあって、ひとつは「全く関係がない」。もちろん斉藤がマカレナのこのフレーズを漠然と記憶の中に残していて、無意識に引用していた可能性もあるが、基本的には何の関係もない。となれば自分が気付いていないのは「当たり前」ということになり、自分の考えはただの杞憂である。

 

あるいは「斎藤は元ネタとして認識しているが、世間はそうは認識していない」場合。斉藤が公言しているしていないに関わらず、ここから着想を得ているのであれば、自分の気付きは気付きとしてまっとうなものであり、何も不安がることはない。

 

そして一番怖いのが「斎藤がマカレナから引用しているなんてことは世間の常識であり、そんなもの知らないでギャグとして笑っているんだったら人間やめたほうがいいよ」というレベルで世間が認識している場合。もちろんマカレナを知らない世代は別だが、斎藤と同時代を生きている人間として(実は同い年)そんなこと説明されないと分からないとは人間失格だ、なんてことになってないだろうか。某NHKのキャラクターではないが、ここまでの人生「ボーっと生きてんじゃねえよ!」ということになる。

 

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中条福士が長々と踊るバージョンでは、ちゃんと歌詞つきで「アーイ」まで引用されている。マカレナにとって「アーイ」は必要不可欠で常識であるとしか思えない。となればこれはもう自分だけ気付いていなかった可能性が高い。世間の人たちは斉藤の「ハーイ!」にマカレナの影を見ていたのか。今まで自分の笑っていた「ハーイ!」と世間の人が笑っていた「ハーイ!」には埋めがたい認識のズレがあったということになる。もう何も信じられない。何も信じられないから今「かみひとえ」に出ているYouTuberでバズってる社長の言うことはとりあえず耳を傾けないことにしておく。

 

(9/8 9:00追記 ジャンポケ斉藤の「ハーイ!」はぼる塾田辺さんから授けられたものでした。ますますマカレナ関係ないような気もするけど、田辺さんが知ってた可能性が全然捨てきれないのでやっぱりマカレナ認識されている世界線が正しい気がします。twitterで指摘してくれたてれツイさんありがとうございます。)

 

 

たくらまれてもなあ

「全力!脱力タイムズ」である企みがありました。

 

先週放送されたのが四千頭身後藤の回で、今週放送されたのがジャングルポケット斉藤の回。ゲストの女優は変わったものの、それ以外の内容はほぼ同じ(最後の漫才披露が、後藤のときにジャンポケの残り二人、斎藤の時が四千頭身の残り二人だった)でどう振る舞うかの実験というネタバラシが最後にあった。それを聞いた斉藤が「何のために」と呟いたが、まさに自分も同じ気持ちだった。悪い意味で。

 

番組の進行としては「日本のバラエティを海外に売り込む」みたいな感じで、架空の(だと思う)ネット番組のプロデューサーにプレゼンするというもの。これは「日本のバラエティはこういうこともまだまだできるぞ」という、番組側から視聴者に対する挑戦状みたいなものなのだろう。一応騙していたのはゲストの二人(というか斉藤)だったけども、本当に「企み」を向けていたのは言うまでもなく視聴者にだ。

 

で、これをどう捉えるかってのはなかなか難しいところです。

 

自分の素直な感想からいえば「企みとしての面白さは分かるが、素直に面白いかどうかと問われればつまらない」となる。

 

斉藤回の最後に登場した後藤が「何で全員が両方見ると思っているんですか」というツッコミを入れていたが、これも正しい。どちらかしか見ていない場合は「ただのそういうもの」でしかなく、最低限の面白さは提供されているものの、単独で見た場合それぞれの放送が毎週のクオリティに到達していない気がした。ここが難しい。

 

自分を含めた「よき視聴者」というものはなんだかんだ毎週見ているものだ。こういう企みは「毎回見ている」ことが前提となるが、それは同時に「毎週見ている人たちへのサービス」という側面もある。「一見さんでは分からない」かもしれないが、「毎週見る視聴者に、より楽しんでもらいたい」という考え方は嫌いじゃない。ラジオ的な考え方かもしれない。

 

だから今回の企みは、毎週見る自分のようなファンからすれば「やられたなあ、面白いなあ」となるべきなのかもしれないが、早々に企みに気付いてしまった自分は「うーん、まあ、なんだろうなあ」となる。「よき視聴者」は普段からしっかり見たり聞いたりしているぶん、同じ内容を放送していることにはすぐに気づくのだ。そして同じ内容が続くことに対し、最初の数分は楽しいが、途中から完全にダレる。だってそれはただの「再放送」だから。知ってる知ってる、ってなる。自分だけだろうか。面白いものは何度見ても面白いというけど、その中身が水準に達していなければ、それは「つまらない再放送」でしかない。

 

もちろん今回の場合は後藤と斎藤という違いはある。あるけども基本的に芸人が取り得る行動はそんなに変わらず、後藤と斎藤が違うから(あるいは台本に忠実に動いてくれる女優が違うから)何なのだ、という気持ちにしかならない。せめて中身が「もう一度見たい」と思わせてくれる出来だったならば、と思う。

 

そして自分が必要以上にこの企みにうんざりしたのは、ラジオで「もっと酷い企み」を味わったからだ。「ファーストサマーウイカのANN0」である。

 

ファッサマの企みは「タイムリープ」だった。ある条件を満たさない限り同じことを繰り返す、というやつ。記憶に新しいタイムリープ番組といえば、霜降り明星粗品がR1優勝の賞品である冠特番にて、粗品のこだわりをしこたま詰め込んだタイムリープバラエティを作り、自分を含めた視聴者の度胆を抜いた。あの番組はかなり完成度が高かったけども、ファッサマのラジオでのタイムリープは「最悪」に近いと自分は思っている。以下説明。

 

ファッサマのタイムリープの企みは「この夏やり残したことをやらない限り、同じ放送を繰り返す」というもの。その「やり残したこと」は「中二病の話をする」であり、タイムリープ放送をする前の週にそういう話をフリートークでしていた。これが予め仕込んでおいた伏線(フリ)となっていたわけで、それを回収するというのはそんなに悪い出来じゃないとは思う。しかし最悪なのはこれを「3週にわたってやった」ことだ。

 

タイムリープの繰り返し感を出すには、最低でも2週しなければいけないとでも考えたのだろうか。そのこだわりの甲斐もあってか「繰り返し感」はとても出ていた。そのうえ番組中に流れる曲は微妙に変わっていたり(たとえば「サマーヌード」が「ENDLESS SUMMER NUDE」になったりしていた)、またネタコーナーはちゃんと別ネタに変わっていたりして微妙な違和感を演出していたので、けっこう入念に用意していたであろうことは想像に難くない。

 

しかしそれがなんだというのだ。こんなもん最悪だ。それ以外の部分で大して面白くもない同じトークを3週にわたって聞かされるのは拷問でしかない。さすがに善きリスナーに甘え過ぎだろ。

 

ファッサマで抜くほどの大ファンであれば、同じトークの3週や4週屁でもないのかもしれない。しかし自分くらいの「まあ聞いてます」くらいのラジオリスナーにとっては、ファッサマの同じトークを3回も聞かされるのはただの拷問だった。それでもしかし「何かあるのだろう」と思って聴いていたけども、2週目は「ただの違和感を演出したまま放り投げて終了」だったし、3週目はほとほとうんざりしながら、タイムリープの出口が「中二病の話をする」だったことに心底げんなりして最後まで聴いた。タイムリープを抜け出したことのカタルシスはなく、ただただ「これがやりたかっただけかよ」という失望とともに過ぎた。本人そしてスタッフ的には「してやったり」だったのかもしれないが、自分には「こんなつまらないオチのために3週も使ったのかよ」としか思えなかった。せめてオチでもっと何か想像を超えてくる何かがあれば「うおおおやるなああ」となったのかもしれないが、おもいっきり想像の範囲内。悪い冗談でしかなかった。

 

どうやら次回この放送の顛末がファッサマから語られるようなことは最後に残していたので、これが何か大きな別の理由(たとえばファッサマが3週の間自分に起きたことを話せないような状況になり、それを乗り切るための方策であった、とか)があればまだ許せるものの、これが単なる「タイムリープやってみたかったし、面白かったやろ?」くらいのノリによるものだったのならば、自分は番組が来年3月で終了することを祈るしかなくなるだろう。

 

脱力タイムズにせよファッサマのANNにせよ、企みそのものが悪いとは思わない。しかし企みであることに気を取られ過ぎて、その企みを抜きにしたときの単独の面白さが担保されていないことにより「素直に面白いと言えない」を通り越して「つまらない」となっちゃうのはどうなんだろう。毎回見たり聞いたりしている人たちをうんざりさせるのは何のサービスなのかな、という単純な疑問が残った今週のテレビとラジオ。難しいでさーねー。