アイアム記憶喪失中年

最近つい見てしまう番組といえば「アイアム冒険少年」だったりします。

 

様々な企画があるこの番組ですが、メインは「脱出島」。無人島から有人島まで自力で脱出するまでのタイムを競う企画。持ち込んでいいのはひとつのカバンに入る物だけ。それ以外のルールはなく、どんな方法でもよいので短時間で脱出出来れば勝ち。ミスター冒険少年ことあばれる君をはじめとして、今旬の芸能人からクイズ王伊沢まで人選は様々。

 

いろんな芸能人が知恵を凝らして脱出を試みるのも面白いのだけど、あばれる君が自身のサバイバル知識および肉体を生かして、次々とサバイバル能力を高めていく様を見るのは面白い。ネタのあばれる君はあんまり面白くないけど、こういう企画でのあばれる君のタレントとしての様はさすがと言わざるを得ない。

 

あばれる君は「元山岳部主将」という肩書と実績があるので重宝され、番組でもメインとして活躍しているのは納得なのですが、「脱出島」に登場する芸能人の中には「お?これは色々大丈夫なのかな?」と思う人が少なからず登場する。誰とは言わない。

 

自分も子供ではないので、そこで「こんなもんはヤラセだ」と無粋な事は言いません。実際無人島に芸能人が赴き、そしてある程度のカメラの取れ高が出るまでは何かしらやっているんだと思います。カメラ外のことは知らないし、サバイバルにおける「それはどのスタッフが仕込んできたんだよ」と言わざるを得ない謎知識など、往々に胡散臭い部分があるんだけど、それら込みで楽しむのがこの番組だと思ってます。

 

大体この番組を見ているときは酒を飲んでいるのですが、あばれる君がサバイバルする様を酒を飲みながら何も考えずに見ていると、ふと頭に去来するものがあるわけですね。「うーん、無人島で芸能人が奮闘するのを放送するのは発明だなあ」と。「そのうち獲ったどー!とか言い出すんだろうな」と。

 

あれ?

 

「獲ったどー」というキーワードが頭に浮かんでくるまで自分はこれが「ただの黄金伝説のトレース」であることに全く気付かなかったわけです。いや、気付かないというか「黄金伝説」という存在がそもそも記憶から完全に消えていたわけです。「そんなバカな」とお思いかもしれませんが、オジサンという生き物(というか自分)は何も覚えちゃあいないのです。だから二番煎じもいいところな「アイアム冒険少年」を楽しく見ることが出来る記憶喪失中年がここにいるわけです。

 

「アイアム冒険少年」は、「いきなり黄金伝説」が放送されている頃の記憶がない子どもたちとそのご家族が見るようなファミリー番組として充分に面白いです。そして自分のような「いきなり黄金伝説」のことなんて全て記憶の片隅に放り投げてしまった自分のようなオジサンも楽しく見れているのです。随所随所に胡散臭いのも家族向け。子供達は楽しみながら疑うことも番組を通じて学んでほしいものです。

 

どの口が、偉そうに。

 

 

 

 

小銭と傲慢

8/24 日テレ「月曜から夜ふかし」より。

 

Na「次はこちらの男性」

 

男性「さっき募金したの 募金は基本的にする 何でも」

 

男性「100円 200円 無くしたって 全然腹も痛まないし」

 

男性「共存」

 

男性「自分だけ生き残ればいいわけじゃない」

 

スタッフ「(お兄さんは)今日いくら募金したんですか?」

 

男性「今日?25円」

 

スタッフ「え?」

 

男性「25円」

 

スタッフ「25円」

 

男性「小銭見て、いらないのだけ渡した」

 

男性「あとは100円と500円だったから」

 

Na「やはり100円は惜しいらしい」

 

 

 

これね、まあ言いたいことは分かるんですよ。「100円200円募金したところで自分の腹は痛まないし、共存の気持ちが大事だ」と大きなことを言っていた男性が、結局自分の手持ちの100円や500円を募金するのが惜しくて、小銭の25円だけを募金したのが小市民で滑稽だ、つう話。まあ分からないではないですよ。

 

ただ、全国から善意の募金を集める「24時間テレビ」の放送直後にする放送ですかね、とは思いますよ。あろうことか日テレが。

 

テレビ局で働いている人間からすれば、もっと言えばマトモな社会人ならば100円200円の「小銭」くらい募金しろよ、って思うんでしょ。100円200円程度で腹が痛まないって言っているオジサンが100円を渋っているのが面白い、って思っているんでしょ。それはそれでいいよ。そういう価値観を持っている人が多ければ笑いにつながるさ。

 

けどさ、その10円20円の募金の積み重ねで成り立っているはずの「24時間テレビ」の放送直後によくもまあそんなことが言えるな。放送日時知っていて流しているんだろ?それとも善意だけども自分の100円惜しさに小銭しか募金しないような人間はそもそも募金なんかしなくていいとでも言いたいのかな?

 

自分は「24時間テレビ」は基本的に肯定的なんですよ。あれはああいう「祭り」ですから。それが「奇祭」だとしても、その祭りが祭りとして成り立っている以上、誰も祭りの「まっとうな意味」なんて求めてはいない。だから謎にマラソンしようとも、偽善と言われようとも、続けるなら続ければいいとは思っている。

 

しかしその核の部分となる「募金」という観点で、そこに冷や水ぶっかける内容をわざわざ日テレが直後に放送することに何の意図があるのか。内部批判だろうか。それとも、この募金のくだりに対して「何かマズいことしている」という感覚が死んでいるだけなのか。なんにせよ自分は「これはレベル低いわー」と思ったよ。好きな番組だけに何とも言えない感覚になったわ。

 

「小銭でも募金をしてくれる心意気」を日テレが24時間テレビ放送直後にバカにするのか。これを見て「あー、絶対に24時間テレビの募金しないわ」と思った人間、少なからずいると思うんだけど、どうなんだろう。これを傲慢と言わずに何という。おじさんはちょっと怒っているよ。

 

基準

 

情熱大陸」に上白石萌音

 

基本的に「女優が出てきたらそれは見なければいけない」というセブンルールを課している自分ですから、誰に言われるでもなく見るわけです。芸能人がけっこう出ている印象の「情熱大陸」だけども、女優の回が放送されるのは年に数回なのでそんなに大変な作業ではない。

 

映画「君の名は」の声優として、そして今年放送されたドラマ「恋は続くよどこまでも」での好演も記憶に新しい上白石萌音。さも当然のように「見た」感じで書いていますが、両方とも見ていない。ただ「恋は続くよ」のほうはCMと再放送のCMでたっぷり浴びたので、ほぼ見たようなものだと認識している。さすがに「君の名は」くらい見るべきなのかもしれないが、全然興味が沸かないので2050年くらいまでには見ようと思う。たぶん死んでるけど。

 

んでまあ上白石萌音。とても嫌味がない人です。見ていて少し好きになりました。「ナレーションの仕事は子どもが生まれても続けたい」という話になり、番組の最後に自身を褒めちぎる内容のナレーションをさせられていたのが「ひどいプレイだな」と思ったのが申し訳ないくらいに嫌味がないです。幅広い年齢層にファンがいるのも分かる。

 

けどおじさんは妹の萌歌ちゃんのほうが好きです。

 

この一言だけを文にすると「気持ち悪い」の破壊力が半端ないですが、もはや今更そんなことを気にする人間ではないのです。そんなこと気にしていたら10年くらい前には死んでいるはずです。まだ生きているのは「そこらへんの羞恥心はドブに捨てた」からですね。そんなことはどうでもいい。

 

姉と同じように上白石萌歌ちゃんも女優であり歌手です。姉の萌音ちゃんは東宝シンデレラの審査員特別賞ですが、萌歌ちゃんは実はグランプリです。また、姉の萌音ちゃんは152cmと小柄ですが、萌歌ちゃんは163cmと割と大きいです。

 

萌歌ちゃんの出演したドラマで有名なのは「義母と娘のブルース」だとか「3年A組」だとかになるのでしょう。どちらもヒットしたドラマですが見事に見ていない。その代わり視聴率が低くてかなり苦戦した大河ドラマ「いだてん」はもう食い入るように全部見ていて、そこで水泳の金メダリスト前畑秀子を演じていた萌歌ちゃんで自分は完全にファンになるわけです。

 

ただまあヒット作や実績という点では正直姉の萌音ちゃんも妹の萌歌ちゃんも、そこまで差があるわけではないです。今芸能界で活躍する姉妹といえば広瀬姉妹(姉アリス・妹すず)でしょうが、姉アリスがいかに活躍しようとも妹すずのほうが格上であることはあまり異論がないでしょう。広瀬姉妹に比べれば、上白石姉妹はそこまで差がない。まあ今の活躍っぷりからすれば多少姉に分があるのかもしれない。

 

じゃあなぜ自分は萌歌ちゃんのほうが好きなのでしょうか。「好みの問題」と言われればそれはそうなのですが、じゃあその好みがどこにあるかを冷静に考えてみる。すると自分は普段から言ってることがひとつの基準になっていることに気づいたわけです。

 

相撲がとりたいかどうか。

 

一言でいうならばこれに尽きます。広瀬姉妹は完全にアリスのほうが相撲が強そうですし、相撲したいです。上白石姉妹であれば上背もある萌歌ちゃんのほうが相撲が強そうです。それこそ「いだてん」で体重を増やして役に臨んだことも、相撲が強そうというイメージに一役買っている気がします。

 

正直な話ここの部分をほじくっていくと「何か自分の気付いていない性癖を呼び起こしそう」で怖いのですが、現状として女優の好みを「相撲が取りたいかどうか」で判断していることを否定できないのです。女相撲に興味はありません。けど女優の良し悪しを考えるときに、なんとなく「がっぷり組んだらどんな感じか」は考えてしまいますね。書いていて自分でも「なんだこれ」と思っている。読んでいるあなたはなおさら。

 

そんな上白石萌歌ちゃんが先日の「Mステ」で音楽のプレイリストを公開していました。広瀬香美との対決だったようで、最終的には勝利していました。電話がつながっていたのは広瀬香美だったのに。可哀想広瀬香美

 

「令和に逆らえ!夏のジリジリソング」と銘打ったプレイリストの中には広末涼子の「MajiでKoiする5秒前」が入っていました。当時広末ガチ勢だった自分はこう思いました。

 

MK5をプレイリストに入れるとはお目が高い。しかしMK5はどっちかといえば春の曲なのよ。デートの曲なんだけどさ。夏のイメージがあるのは「大スキ!」のほうじゃないかな?それでもガチ勢のおじさんからすれば夏の曲といえば「summer sunset」一択ですよ。まだまだ甘いよ、甘すぎるよ萌歌さんよぉ!

 

これはキモい。なぜキモいと分かって書いたのか。ただの嫌がらせでしかない。こんなキモい人に好かれるくらいなら山Pに抱かれるほうが絶対にいいですね。とにかくこんなオジサンに好かれないためには「できるだけ相撲が弱そう」になるしかありません。相撲が強そうだともれなくオジサンが好きになります。

 

今年書いた文で一番酷いな。誰かいっそ殺してくれ。

point of no return

山下智久が一定期間の活動自粛に。

 

簡単にいえば「未成年のねえちゃんと飲酒してお持ち帰りした」という話。この手の問題ではいつも登場する「未成年との飲酒」というところが法律的にアウトなわけで、そこを鑑みての「活動自粛」という措置なのだろう。同席していた亀梨和也は厳重注意に。

 

なんかもうどこから処理していけばいいのか分からない案件ではあります。そもそもこの時期に飲酒とかどうなの?というところから言い出す人もいるだろうし、年齢を偽って飲酒していた相手の女性は悪くないのか?とか、そもそも文春が「何かを知っていて」狙い撃ちしたような感じすらあるぞ、とか。いまや誰よりも品行方正が求められるのが芸能人。謎でしかないです。

 

そりゃあ「法律に違反している」という点で分が悪いのは仕方ない。会社も何らかの処分を下さざるを得ないというのが正直なところだろう。手越の件とはまたちょっと違う印象もある。もちろんただのオジサンでしかない自分には報道されている話しか知らないわけで、文春の記事から数日経ってからの処分発表というのは、今まで調査をしていたということだろうし、そこで確認した事実に基づいて処分したのだろう。だから今回の記事は「おおまかに事実」ではあるんだろう。一方で情状酌量の余地もあると認められての結論が「一定期間の自粛」という比較的緩めの処分なのだろうか、くらいの想像しか自分はできない。

 

ただそれでも自分は「自粛しちゃいけない案件じゃないかなあこれは」とちょっとだけ思っている。

 

今回の件の非が「未成年と飲酒している」ことのみだった場合(例えば山下がホテルでとんでもない性癖を披露し、それが後々暴露されるてなことがなければ)の話になるが、「未成年ではない」と相手がウソをついた場合に成人側が取れる防衛策が「身分証明書見せないと飲まない」になるんだろうが、はっきり言ってあまり現実的な話じゃない。なぜなら場は確実に盛り下がるし、誰かの紹介だった場合にいちいち疑っていたのではやっぱりおかしなことになる。それでもこういう可能性がある場合にはプロならすべき、なんてことを言ってしまう人がいるんだから世の中はイヤになる。そもそも身分証は誰かのを借りたり偽造されたりすればそれでお終いだ。相手を陥れる意図があるなら、身分証の偽造なんかは「なおさら有効な策」になるんだろうし。

 

「未成年が飲酒しちゃいかん」という法律は「未成年と飲酒した成人にペナルティを与える」のが目的ではない。大人が未成年に飲酒させないための手段だ。けどこれを面白がって他人にペナルティを与える道具としてぶん殴ってくるなら、ぶん殴りかえす準備はありますよ、という意思表示としての「お咎めなし」ってのは決して悪いことじゃあないと思ったりする。

 

こういうのが積もり積もって最終的に「なんか誰も得しない事態」を生む気がしてならない。それを食い止めるためにも、そろそろ「それは違うんじゃねえの」って声は出てきてもいいんじゃないかと思う。これ以上未成年飲酒トラップを好き放題させるのは単純に怖い。そして何より「本来守られるべき未成年が本当に必要な時に守られないようなことになる」ことこそ危険じゃないの?ってことを大人が言えよな。

 

 

ドルドルガバガバ

 

「千鳥のクセがすごいネタGP」が2回の特番で10月からゴールデンでレギュラー化だとか。うーむ。「有吉の壁」に悪い意味で触発されたか。

 

テレビにおける「お笑いブーム」と呼ばれるものは確かにあって、数年に一度の周期でネタ番組が盛り上がったりする。現在は「一段落」のタームであり、「ネタパレ」「もうすぐにちようチャップリン」などのネタ番組がないことはないけども、どちらかといえば下火だろう。そこにきて純粋なお笑い番組「有吉の壁」が数年の特番時期を経てのまさかのゴールデンでレギュラー化。誰しもが「大丈夫か?」と思ったが、特番時期から盛り上げてきたパンサーやとにかく明るい安村が大活躍。番組の躍進が認められギャラクシー賞を受賞するまでに。これはバラエティ界においてはちょっとした事件だった。

 

だから、というわけではないと思いたいが「千鳥のクセがすごいネタGP」がレギュラー化。千鳥の東京進出を分かりやすく出鼻をくじいた「ピカルの定理」以来7年ぶりのフジのゴールデンレギュラーだという。これだけでも不安要素しかないけど、もっと別の最大の不安要素がある。視聴者の誰しもが思っていることをわざわざ言っておく必要はやっぱりあるわけです。

 

この番組はただの「豪華なあらびき団」なのですよ。そこに未来はあるのか。

 

「クセがすごい」という千鳥ノブの言い回しは便利であるけども、それは言い換えれば「あらびき」です。ノブがレフト藤井なら大悟はライト東野。座り位置は逆だけど役目はこの通り。いや、今回の放送でいえばレフト藤井の役割は新木優子だったな。

 

もっとも「意図するところ」は「ネタGP」と「あらびき団」では大きく違う。「あらびき団」の笑いはもちろん「あらびき芸人がやるネタが面白い」こともあるが、それよりもっとどうしようもない人たちを東野藤井のコメントでぶった切ったり、悪意のある編集で晒してみたりと、裏笑いを提供するような「底意地の悪さ」がある。しかし「ネタGP」はさすがにゴールデンでやろうとしているので、芸人の持ってくるネタはいわゆる「あらびき」的なものが多いのだけど、出てくる芸人に力があるので(YouTuberはともかく)、そのままストレートに面白く、千鳥がネタ後に処理をしなければいけないものは「そんなに多くない」(ないとは言わない)のだ。だから裏笑い的なものもあるけど、基本的にはネタそのもので笑わせようとしている。そりゃ出場している芸人の実力が大きく違うのだから仕方ない。圧倒的に正しい。

 

ではこの形式で特番のようなクオリティが続くのかといえばそれは相当怪しく、いつの間にかどうしようもないことになっている、という未来しか自分には見えない。いっそのこと「半年限定」とか最初から謳っておけばいいのに、とすら思う。それともフジは何かとてつもない勝算があったりするんだろうか。あればいいね。やってみなきゃ分からんの精神です。それをヤケクソと呼ぶこともあるが。

 

千鳥は「(ピカルの定理で同じくレギュラーだった)モンスターエンジンが出るまでは続けたい」と話していた。モンスターエンジンが「神々の遊び」を出したら、それこそただの「あらびき団」でしかない。でもそんな最終回を目指して短距離で頑張ってほしい。

 

 

 

 

 

ネガティブシンキングイズグッド

時間が少しできたので「Astudio+」をまとめて見ました。

 

「+」がついた途端にコロナの影響で収録がままならない状態になり、今までの総集編やかつてのアシスタントの近況報告などが放送されていたが、最近は元の状態に戻り普通に放送している。アシスタントに藤ヶ谷太輔が加わり、藤ヶ谷も独自で取材をこなすことにより相対的に鶴瓶の役割が低下。とはいえ最後の偽善芸(タモリ命名)は健在だし、まあ女性っ気が減ったくらいでそんなに違和感はない。

 

というわけで「山口紗弥香」「岡田健史」「麻生久美子」「鈴木浩介」「永瀬廉(king&prince)」「亀梨和也KAT-TUN)」(市川猿之助の回と総集編は以前に見ていたので既に消去済み)と6本立て続けに見たのだけども、6本も立て続けに見るとやはり鶴瓶最後の偽善芸のパターンが尽きていることをしみじみ感じる。もっともこの番組が始まった当初から大した変化はないのだけども、10年も続いていれば「言いたいこと」も尽きる。これは仕方ない。誰もそのことに気づかないフリをし続けているのか実は誰も関心がないから指摘しないのかは分からないけども。ここで自分が指摘したから何だというのだ、という話でしかない。そっとしておく。

 

 

「親バカ青春白書」は、メインがムロツヨシ中川大志ですからほぼ「LIFE!」なんですが、結局は福田雄一ワールドでありやっぱり苦手だ。自分が楽しめる要素が殆どないのです。自分は三谷幸喜が大好きで面白いと思っていますが、その一方で三谷幸喜の(作品および本人の)ノリが受け付けない人たちがいるのを理解しています。それと同様の感覚で、自分は福田雄一の作品が一定の人たちに支持されることを理解する一方で個人的にはあまり得意じゃない。見ていて恥ずかしくなる。だからこそ2話まで見て「ああ、これは見なくていいなあ」と思いました。苦手なものは苦手で仕方ない。ただひとつだけ言いたいことがあるとするなら「ガッキーを巻き込むのはやめろ」ということだけですね。三谷幸喜もあらゆる面で同じこと思われてそうだけどな。

 

 

相変わらず「脱力タイムズ」は面白いのですが、来週の出演者が三浦奈保子と伊沢拓司。まあクイズ回ということなのだろうが、これで伊沢を芸人枠扱いしてくれたら脱力班(というか有田哲平)には流石と言わざるを得ない。まあ最近の伊沢の「多少のことは許される感」は半端なく、自分はもはや「ウルトラクイズ」の名のもと全裸逆バンジーくらいまでならやってくれるような気がしている。今こそ復活だよお笑いウルトラ。

 

そんな一方で松丸兄弟(兄DaiGoと弟亮吾)の「自分はテレビにコントロールされているのではなくコントロールしてますから」感は鼻につきますよね。伊沢くらいテレビ芸人に徹しているほうが好感はもてる。好感は持たないけど。

 

 

「MIU404」に「アンナチュラル」の舞台であったUDIラボが登場し、アンナチュラルの出演者でもあったずん飯尾と松重豊が登場していました。今最も面白いドラマを書く脚本家(といって差し支えないだろう)野木亜紀子脚本で世界線を共有しているという設定によるもの。こういうのは「アンナチュラル」から見ていたファンは嬉しいのだが、あまりやりすぎると自分は「うるせえなあ」と思う。こういうので騒ぐのは熱狂的なファンであり、それが過ぎるとどんどん内向きになっていくのがうっとうしい。

 

ドラマはめちゃ面白い(ご存じかとは思うが「アンナチュラル」もめちゃ面白い)ので、やるのは構わないけどやりすぎないでほしいなあ、とは思う。オッサンだからそう思うのか、自分がひねくれているだけなのか。たぶん後者だな。リハビリは続く。

 

 

※備忘録

これ書くにあたってwikipediaで「MIU404」のページを読んでいて気付いたこと。7話で殺されたケンさんの人(佐伯新さん)、どっかで見たことあるなあと思ってリンク辿ったら「放送禁止6」でシエロに殺されたジャーナリスト古茂田だった。腑に落ちた。

 

二夜連続

3週間放置しておりましたが、なんとか生きてます、という書き出しからする話題ではないのですが、渡哲也が逝去。

 

渡哲也といえば石原プロの社長であり「西部警察」大門部長刑事という立派な肩書きがある俳優。舘ひろしがマイナポイントのCMで存在感を出している一方での逝去の報道は驚きであると同時に「そうかあ」と思った。

 

自分の中での渡哲也は「マグロ」に尽きます。

 

「マグロ」は2007年の新春に放送されたSPドラマ。ドラマそのものは見なかったのだけど、このドラマの宣伝であるCMがテレ朝で鬼のように流れ、「マグロ、撮影快調!」とか「マグロ、二夜連続!」とか、短時間で強烈なインパクトを残した。ちょうどこの頃自分は高校時代の同級生たちと友人宅で麻雀を打つことがあり、何か牌を切るたびに「マグロ、〇〇」と言いながらバカ笑いしながらやっていたものです。本当にしょうもないことなのですが、記憶に残っているのは案外そんなもの。自分の記憶にそれ以外の渡哲也を思い出せと言われても、咄嗟に出てこない。

 

それでも、思い出す何かあるだけマシなのかもしれない。合掌。

 

 

まだ録画を1話しか見ていないんですけど「40万キロかなたの恋」がいろんな意味で面白かったです。どうやら今日最終回らしいんですけど知ったことではない。なんなら「捨ててよ、安達さん」もまだ見終わってないんだから。

 

詳しい設定とかストーリーとかは省きますけど、2点ばかり書いておきたい。ひとつは「吉岡里帆を声だけで起用するということを思いついたやつは変態だなあ」ということ。もうひとつは「宇宙モノは誰がどうやってもコントにしかならない」ということ。

 

吉岡里帆を起用するならどう考えたって「どんぎつね」的な使い方をしたいじゃないっすか。全人類の女性から嫌われていても吉岡里帆が嫌いなんて男はいないのですから。しかしその欲望を最強に抑えて声だけ。いや声が癒しでありエロいということは分かっているんだけど、それでもなお声だけの起用に踏み切ることの出来た人間は「それはもう変態でしかない」という結論にしかなりませんね。「贅沢な使い方」って言い方が出来るかもしれませんが、それは「使用済みパンティを煮出すためにミネラルウォーターを使う」くらいの贅沢な話ですから、いかにムダで変態かってことです。

 

そして宇宙が舞台なわけですが、これはテレ東クオリティだからというわけではなく、もう誰がどうやったって宇宙が舞台のドラマは安っぽいコントにしかなりません。みんな大好き映画「アルマゲドン」を見た自分は「宇宙コントみてえだな」と20年前に思ったわけですが、基本的にはあれ以降ずっと同じじゃないのだろうか。いや自分は映画を本当に見ないのでそれ以降の「宇宙に関わる映画」はもっともっとリアルになっているのかもしれないけど、20年前の全力を注ぎこんだ「アルマゲドン」も2020年のドラマの「40万キロかなたの恋」も、どちらも同程度にコントだったので、たぶん20年でこの差は埋まっていないんだろう。もう自分はそれでいいと思った。

 

なぜなら自分にとって「リアルな宇宙」に触れる機会などまるでなく、リアルな宇宙を描かれてもさっぱり分からないからだ。そしてそれは殆どの人間にとっても同じだろう。自分が最近宇宙に一番近づいた情報が「前澤社長が宇宙旅行の権利を買った」であり、そんなものにリアルな宇宙は全く必要ない。だからドラマを作る側は宇宙に関するリアルを追求できるくせに、あえて我々一般人に合わせて「ショボい宇宙」を演出しているのではないか、くらいに思っている。じゃないとあのコント感は説明できない。

 

一般人にとっての宇宙なんてコントくらいでちょうどいいんだろうな。

 

 

テレビ面白いよ。