逆マジックミラー号なのよ

ナインティナイン岡村隆史のラジオでの発言が軽く炎上しております。

 

簡単に要約すれば「今は風俗行くのも我慢しなければいけない。しかしこのコロナが収束すれば、普段では絶対に出てこないようなレベルの娘がお金が足りないがために期間限定で登場する。今はそれを楽しみに我慢しよう」というもの。岡村からすればいつもの風俗トークをからめた岡村なりの「在宅で頑張ろう」という話なのだが、これが「女性軽視もはなはだしい」と怒りを買っている。

 

確かに発言の要旨だけ捉えれば、あまり褒められた発言ではないだろう。生活に苦しくなった女性が否応なしに風俗で働くことになり、それを悪い言い方をすれば「食い物にしたい」と言っているのだから、そりゃあ反発が起きるのも当然だ。だから発言の中身だけ捉えれば怒られるようなことは言っているというのが自分の認識だ。異論はあろう。

 

しかし一方でこれは「岡村隆史のANN」という媒体での発言だ。これをラジオといういわば「誰でも聴けるものでの発言」と取るか、「DJとリスナーの共犯関係の場所」と取るかによって、捉え方は大きく変わってくる。

 

前者で捉える人は「間違っていない」けども「発言を正しく理解はできない」人だ。一方後者で捉える人は「ラジオの発言を正しく理解できる」けども「間違いに気づかない可能性がある」人だ。以下説明。

 

今回の発言は、岡村隆史という人間が25年かけて作り上げてきた「オールナイトニッポン」という城においてのものである。聴いているのは岡村隆史という人間に心酔している、あるいはそこまでではなくても「ラジオの岡村隆史がどういう人か知っている」人間だ。だから今回の発言も「岡村さんはラジオでそういう事言う人だし、今更何を言っているんだ」と言うだろう。自分も今回の発言単体でいけばそう思う。今回に限らず、ラジオでの岡村はこういう事を言う人間だ。だからラジオを知っている人間は、この発言に対して特別岡村が暴走しているわけでもないし、そこに女性軽視があるわけでもないことを知っている。なんなら風俗嬢に対してリスペクトがあることすら知っている。正しい理解だ。

 

しかし一方で、この理解が正しいからこそ「そういう岡村隆史が持っている思想が危うい」ことに気づかないこともある。「岡村隆史がこういう人間だ」という理解は正しくても、その思想が問題ないかはまた別の話だったりする。間違いを承知しながら、それでもその全てを愛するのは問題ないけども(間違っていることに対して自分なりの折り合いをつけているから)、そうでなければ実は厄介なことでもある。

 

一方でラジオの外側から見る人には、岡村の発言はひたすら女性軽視の発言にしか見えないし聴こえない。それは「ネットの記事を読んだ」レベルでは当然であり、また「今回の放送を聴いた」だけでもまだ足りない。今回の放送だけでは「岡村はどういうつもりでこの発言をこの放送でしているのか」はやっぱりくみ取れない。これが今月から始まった番組であるならまだしも、25年続いているラジオの1回だけを切り取って分かった気になるほうが「どうかしている」のだ。岡村の発言の表層が「どうかしている」と思うなら、今回の発言だけを切り取り批判するのも同じくらい「どうかしている」ことに、本当に冷静に岡村の発言を非難したいのなら気付かなければいけない。

 

ではかくいう自分はどう思っているのか、といえば「今回の発言のみで叩く気にはとてもなれないけど、そもそも岡村さんはそういう思想が根底にあるし、これを含めた岡村隆史の人間の思想はあまり共感できる部分がない」である。

 

自分はテレビも好きだけどラジオも好きな人間なので、ラジオもそこそこ聴いているほうだ。しかしANNの中では一番の古株であり、いまだ驚異的な数字を叩いている岡村ANNは聴いていない。理由は簡単、あんまり面白いと思わないからだ。

 

もちろん「全く面白くない」ということではない。もちろん聴いたら面白いこともあるし、いわゆる「スペシャルウィーク」なんかは聴くこともある。だから全く聴かないわけではない。しかし通常回にする岡村本人のトークには正直あまりピンとこないのだ。その理由は「岡村の社会問題などに対する造詣が薄っぺらい気がする」というもの。もちろんこれは自分の主観であり、異論はあるだろう。けど自分にはそれが「毎回聴くほどのもんじゃない」と思わせる最大の理由である。

 

そんなこともあり、自分は岡村が持っている思想が「あまり自分と相容れるものではない」と感じている。だから今回の岡村の発言も「自分は好きじゃあないけど、まあ岡村なら冗談交じりに言ってしまうだろうなあ」とは思う。風俗がらみのトークも今に始まった話ではないし、岡村本人にそこまで悪気があったわけじゃないことも想像がつく。

 

だから「今回の発言だけを切り取って怒るのはちょっと理解が浅い」とは思いつつも「岡村がそもそも持っている思想は若干気持ち悪い」というのはまた間違っていないとも思う。今に始まったことではなく、岡村の考え方はずーっとこんか感じだ。今怒るくらいならずっと前から怒っておけよ、と思う。

 

 

これは「今のラジオの在り方」を示すとてもいい例なのだと思う。やはりラジオの魅力は前述したように「DJとリスナーの共犯関係」にあるのは間違いない。しかし一方でラジオはradikoの普及、YouTubeなどでリアルタイム以外でも聴けるようになったことから、「個室の狭い関係」であると同時に「個室の中身は丸見え」になってしまっているのだ。いうなれば「逆マジックミラー号」だ。

 

マジックミラー号」は外からは見えないけど中からは外が見える、というシステムで周りの人に見られていると錯覚しながらプレイに興じるというSODの大発明であった。しかしそれも最近はだいぶマンネリ化してきたのだけど、そこに登場したのが「中からは普通の部屋だけど、外側からは丸見え」という、「逆マジックミラー号」である。見られてないと思っていたものが実は丸見えだった、というプレイ終了後に羞恥心が襲ってくるという女性軽視も甚だしい一品(女性にはプレイ内容を説明しています)。これがマジックミラー号史、ひいてはAV史におけるさらなる発明になったのだ。

 

そんなAVの熱い解説はどうでもよく、今のラジオは「自分たちは内側でやっているつもりでも、実は外から丸見え」の状況にある。それは広くラジオの魅力を伝えることが出来るチャンスでもあると同時に、この共犯関係が崩れかねない危うさもある。しかしここまでメディアが発達してしまったのだから、いつまでも共犯関係「のみ」に甘えるのは難しいだろう。その魅力も生かしつつ、「外側に見られている」という意識も必要になってくるのかもしれない。

 

自分はリスナーとして完全に「共犯関係の内側」にいる人間であるし、DJに偉そうに「見られている意識が必要だ」なんて言える立場じゃあない。けどもこういう事件が起きると「せっかくの遊び場を自分で壊さないように気を付けてはほしいなあ」とはちょっと思う。そしてラジオの発言に条件反射的に噛みついてくる人間は「とりあえずラジオとは何かをもう少し学んでからかかってこいや」とも思う。

 

こういう悪良識にテレビは半分壊されかけている。ラジオまで壊されてたまるかよ。

 

お前か!

元モーニング娘。福田明日香ヘアヌード写真集を発売。コロナの混乱に乗じてとんでもないニュースが飛び込んできました。笑いましたけど。

 

福田明日香なんて言われても殆どの人がピンとこない。一番強力な肩書きである「元モーニング娘。」と言われてもやっぱり「?」の人だって多い。もうちょっと詳しく説明すると、モー娘。のオリジナルメンバーの一人であり、4枚目のシングル「Memory青春の光」まで在籍。1年ちょいの活動ではあったが、安倍なつみとともに初期のメインボーカルを担った。「Memory青春の光」のカップリング(もはやこの言葉が死語!)「Never Forget」は福田の卒業ソングとして制作されたもの。ここまでの説明をwikipedia先生を見なくても書けるくらいの人間ではあります。

 

だから初期からモー娘。を追いかけている人間にはちゃんと個体識別がつくわけですが、「LOVEマシーン」で爆発的人気を得たときには既に在籍しておらず、「モー娘。は知っているけども福田明日香は知らない」なんて人がいても全然不思議じゃない。たぶん松岡茉優は知らないんじゃないかと思う。そのくらいのライン。

 

そんな福田明日香ヘアヌード!と聞いて色めき立つ人はどのくらいいるのだろうか。デビュー当時は中学生でしたが、それは20年前の話であり、現在35歳(これはさすがに調べた)。香里奈山田優と同い年(香里奈は学年はひとつ上)。彼女らのヌードであれば多少は色めき立つものの、それでも口を突くのは「10年遅いかな…」だろう。女性が加齢することの価値を否定するわけではないが、ヌードという観点だとやっぱり若いうちに見たいというのは偽らざる本音であり、香里奈山田優レベルですらそう思うのだ。それが福田明日香ヘアヌード。「冗談顔だけにしろ」と言わない理由がない。

 

そもそも、いまどき「ヘアヌード写真集」という媒体に価値があるのだろうか。日本における2大ヘアヌード写真集といえば、宮沢りえ「Santa Fe」と菅野美穂「Nudity」であることは、おそらく異論がないだろう(3大にするとたぶん色々揉める)。写真集を出したときの知名度、そして年齢を考えたときに「衝撃」という言葉以外出てこないのだ。この文を読んでいる人に若者はいないと思うのだけど、もしいたならば広瀬すずが唐突にヌード写真集を出したようなレベルだと思ってほしい。

 

田中みな実の写真集がバカ売れしているけども、色々な意味でこの2冊の足元に及ばないと思う。それは売上や衝撃度(そもそも田中の写真集はヘアヌードじゃない)という側面もあるが、大きな要因としては「ヘアヌード写真集という媒体そのものに価値があった」ということなんだと思う。女優が脱ぐことに正しく価値がつくもの、それがヘアヌード写真集。逆に言えば「それ以外でいまどきヘアヌードに価値がつくことはない」のだ。

 

いまやヘアヌードはおろか色々なものが丸見えになったものが、それはもう容易に見ることが出来るようになった。また、女優は以前ほど脱ぐことはなくなったけども、有象無象の自称「芸能人」がAVに出演することもさほど珍しくない今、福田明日香「程度」(と敢えて書く)の芸能人が、ただのヘアヌード写真集を出したところで、誰のハートと股間を鷲掴むというのか。ちょっと老け顔だった中学生が年相応の老け方になり、もはや何者かよく分からない人のヘアヌード。それはただの投稿写真!マニア向け!

 

ここまでは通り一遍の話。ここからは「元娘。ヲタ」としての実感である。

 

正直「お前か!」という気持ちが強い。メンバーの入れ替えながら名前を残し長い期間活動しているアイドルグループだから、そりゃそのうち捕まるやつや脱ぐやつは出てくる。「捕まる」は吉澤ひとみが一番乗りだったが、脱ぐ(AVに出る)のはこの20年、実はまだ誰も出ていなかった(最終選考まで残った人のAVはありましたけど)。だからこそ「元メンバーで最初に脱ぐのは誰か」というのは、モー娘。史においてはけっこう重要なこと。一歩手前まで来ていた加護亜依後藤真希が本命だったのだけど、大外一気に福田明日香。実に小さくまとまったものである。だからこその「お前か!」だ。

 

誰がこの写真集を買うのか。年増好きか。それとも当時ファンだったオッサンか。いずれにせよ血涙しか出ない。ただ血涙を流しながらも買う人の気持ちが分からなくはない。自分だって小川麻琴さん(自分の元推し)が決意のヘアヌードを出したら、興奮とかは全然しないけど買わざるを得ない気分になるような気がするんだよなあ。

 

どうでもいい話ですが、この文を書いたときのBGMは「ファーストタイム」(娘。の福田明日香在籍時1stアルバム)。久々に聴いたけど「夢の中」良いなあ。

 

 

圧倒的敗北

ドラマ「M 愛すべき人がいて」の初回を見ました。もう自分があれこれ感想を並べるまでもなく、見た人全員が往年の志村けんばりにお茶を吹いていたと思います。失笑と爆笑の波状攻撃。全盛期のシカゴブルズくらい凄かったです。

 

もうね、このドラマに関わった人全員にインタビューして「どんな気持ちでやっていましたか?」って聞いてほしい。三浦翔平に「家に帰ったら桐谷美玲はどんな顔でこのドラマを見ていたのか」は是非聞いてほしい。

 

初回でネタドラマとしてのピークは過ぎてしまった気がするので、この後は粛々と出演者全員の気持ちを慮りながら観察するという作業に移行することになるのでしょう。来年の大学入試の国語の記述は全てこのドラマから出題すればいいと思う。

 

しかしまあ令和のこのご時世にこんなトンマなドラマが放送されること自体、日本のエンタメ界の大きな敗北を感じます。出演者も視聴者も誰ひとり得をしていないこの状況なのに、なぜか放送されてしまうこのドラマ。平成の「大きな力による横暴なエンタメ」の最たるものが令和の最初に露見してしまった。厳しい。非常に厳しい。出来れば平成のうちに退治しておきたかった。

 

これで素直に「これからはドラマもネットが主導する時代かあ」と割り切ることが出来ればいいけど、このドラマはテレ朝と提携しているAbemaが一枚噛んでいるからまた始末が悪い。Netflixの予算を潤沢につぎ込んだハイクオリティのドラマに対して、日本のテレビ局ならびにネット放送局が満を持して発信するドラマがこれでは。予算も少なそう。コロナと同程度に深刻だと思う。

 

放送されているからには「もうネタドラマとして思いっきり嗤ってやるしかない」という視聴者の姿勢は正しい。しかしこんなドラマが作られてしまうというエンタメ界は笑えるレベルじゃないだろうよ。切ない。おじさんは切ない。本当はドラマの内容がもっと切なくあるべきなんだろうけど、ただ切ない。

 

この後放送された「伯山カレンの反省だ!」で芹那と温泉に入り、頑なに乳首を隠し続けるワガママボディ(体重93.9kg、体脂肪率33.6%)の伯山のほうがよっぽど面白かったよ。

 

 

笑えるうちは大丈夫

ドラマ「浦安鉄筋家族」初回を見ました。佐藤二朗主演。

 

原作は少年チャンピオンで連載中(タイトルは変更あり)の看板作品。とか書いてるけど読んだことない。一応ばっちり世代のはずなんだけど、通過せずにここまで来てしまったため、もうほぼ何も知らない状態でドラマを見た。マンガの主人公はくりくり坊主の小鉄らしいが、ドラマは親父の大鉄。まあドラマ的には仕方ないんだろう。でもあんまり違和感はなかった。たぶん原作を知らないから。

 

こういうドラマの評価って難しいところではある。ドラマとして面白いのかといえば「うーん、まあ、こんなもんかな」であるし、原作オマージュがどのくらいなのかというのは自分には分からないし(ここで評価が高いってことは有り得るのかもしれない)、そしてドタバタコメディとして面白いのかといえば「そこまででもないかなあ」である。原作を知らない人間からすれば総じて「こんなもんかなあ」。ゲラゲラ腹抱えて見る内容でも年齢でもないってことだ。本来お客さんじゃない自分が言ってしまえば「しょうもない」で片づけることも出来るドラマではある。

 

でもね、この時期に「しょうもない」と思えるドラマがあるってのは、本来お客さんじゃない自分もちょっと救われるといいますかね。

 

この先行き見えない時期に、正直あんまり笑ってられるようなことがない。暗い話題ばかりだし、国民が皆少しずつストレスをため込んでいて、皆少しずつイライラしている。そんな人からすればギャグ漫画原作のドラマなんて「こんなくらだないもの見てどうするんだ」とか言われかねない。けどいいじゃないか。しょうもないことに怒るのと笑うのでは気の持ち方は天と地ほどの差がある。

 

原作に何の思い入れもないからこその感想だとは思う。だからこそフラットに見た時に「まあしょうもない」ドラマを笑えるうちはまだ大丈夫だと思いながら、たぶん最後まで見てしまうんだろうな。よく考えたらドラマとしてほとんど褒めてないけど大丈夫か。「岸井ゆきのがいつまで女子高生の役をやれるのか」に中身を変えておこうか。前にも書いた気がする。気のせい。

 

 

通常営業だ

「青春高校3年C組」の深夜初回を見ましてですね。

 

元々はテレ東(関東ローカル)の夕方の帯で放送されていたものが枠移動して深夜に。北海道では放送されていなかったものが急に放送されるようになったので(いやまあ見ようと思えば色々見る手段はあったのだけど、そこまでのもんじゃないとは思っていた)一回は見てみようということで見ました。

 

テレ東夕方時代の流れを汲んでいるから、番組にとっては「お馴染みの生徒たち」なんだけど、こっちからすれば「初めて見る生徒たちたくさん」となる。もちろんそれは番組としても重々承知なんだろうけど、かといって今まで応援してくれていた夕方時代からの視聴者を切り離して最初から、というわけにもいかず、そこらへんどうやってバランスを取ればいいのかとっても難しいですよ、というのが番組全体から伝わってくる感じでした。総じて仕方ない。

 

このまま見続けるとなると、関東ローカル時代から応援していた人たちに追いつかなければならない。かといって熱心に応援しようというわけでもなく、なんかどうしたらいいか分からないですよね。どういう温度でこのまま見続けるべきなのか難しいなあ。でもとりあえず1ヶ月くらいは見ちゃうんでしょうね。

 

同じく「映像研には手を出すな!」のドラマがHBC(TBS系列)で放送されましてですね。これも見ました。

 

NHKでアニメで放送された同作は評判が良かったという話を耳にしまして、だったら実写のドラマも面白いんじゃないかと思って見たわけですが、なんだかよくついていけませんでした。主演の人たちが乃木坂46の人たちだから、というわけではないんでしょうけど、世界観が飲み込めないままあっという間に終わったなあと。

 

これはそもそも原作が自分にフィットしていないのか、それともドラマがあまり良くないのか、それを確かめるためにはNHK版のアニメを見るのが一番だなあ、と思いまして、あまりいい方法ではないのでしょうが、ネットの荒波を乗り越えましてNHKアニメ版の初回を見たわけですね。

 

こっちはとても引き込まれました。一言で言えば「面白い」です。

 

ドラマ版の何が良くなかったのか、といえば主人公である浅草さんがなぜああのなか、という部分の説明が薄かったわけで、そこがあるのとないのとではアニメ制作に対するこっちののめり込み方が違うんじゃないのかとは思うのですね。簡単に言えばドラマは必要な部分の取捨を間違ったんじゃないかというだけ。原作を知らずドラマから初めて見る自分がそう思ったのだからたぶんそうなんだと思う。

 

原作をたっぷり知っている人間ならばドラマ版(ひいては実写映画版)はそれなりに楽しめて、そうでない人はけっこう厳しい。そうでなくても楽しめるのは乃木坂ファンだけ。一方でアニメは(原作もなのかな)初めて見る人にもちゃんと引き込まれる要素がある。まあドラマ版もあくまで初回を見ての感想なので、2話以降はそんなことないのかもしれないけど、初回における野球部云々のくだりが必要なかったことを考えても、ここから大きく挽回するとは思わない。あくまで自分の意見ではあるが。

 

ちゅうわけでドラマはこれ以上追いかけなくてもいいけど、アニメ版はネットの荒波を乗り越えながら最後まで追いかける価値があるのかもなあ、とはちょっと思った。緊急事態宣言で何もやることない人は“あくまで正規の方法で”ではあるけど「映像研には手を出すな!」のアニメを見てもいいのかなあとは思います。

 

まあオジサンは古い人間なので、これを書いている間ずっとこれが流れていました。

www.youtube.com

 

大都市圏では緊急事態宣言が出て、テレビもワーワー言ってますけども、こういう時にやっぱり自分は「所詮テレビ局は関東ローカルよのう」と思います。まあ別にいいんですけどね。

 

自分に出来るのは通常営業でテレビのああだこうだを書くだけです。テレビを見る機会が増えるかもしれません。こういう時こそテレビの面白みとおかしみを受け取ってもらえたらな、と思います。たとえば「バイキング」の坂上忍に目くじらを立てるのではなく、その裏でテレワークされまくりでひとり孤独にスタジオにいるナンチャンがちょっと面白いことをやろうとしていること。スタジオに誰もいなければナンチャンははしゃぐ。これがテレビの「おかしみ」であることに多くの人が気付くようになれば、在宅率が上がり、そしてコロナが収束する。

 

今こそ、テレビ見ようぜ。

 

どうせ死ぬなら

いやー、緊急事態宣言ですか。北海道は含まれていませんけども、大都市は行動制限などがかかるんでしょう。2020年が始まったときには思いもしなかったような事態に突入していますね。自分が生きている間にこんなことになるとはねえ。仕方ない。

 

かなり捨て鉢なタイトルになっていますけども、別に絶望しているわけでも投げやりになっているわけでもなく、単にあいみょんの曲のタイトルから拝借しているだけです。ただまあそういう気持ちの話をこのあと書きますけども。

 

テレビ局もこの事態に対応するために右往左往している。TBSとテレ東が2週間の番組の収録を中止を発表すると、続いて日テレもロケとスタジオ収録を休止すると発表。おそらく他局も最終的には追随する形になり、実質バラエティ番組はしばらく休止に追い込まれることになるだろう。さすがにニュースやワイドショーは休止になることはないだろうけども、テレビの娯楽部分が止まることになるのはほぼ間違いなさそうだ。

 

こういう機会に再放送をガンガン流すのは賛成だ。もちろん権利関係があるので、そんなに簡単に昔のものを何でも流すわけにはいかないのだろうけども、こういう機会だからこそ頑張って権利関係をクリアして、昔の面白いものを流すことができるというのは、テレビ局にとって逆にチャンスなのではないかとすら思う。志村けんの追悼番組が軒並み高視聴率なのも、志村けんが国民に愛されていたことはもちろんのこと、仕方なく在宅している人たちの興味をしっかりひきつけていたことが大きいだろう。家にいて興味のあるコンテンツがあれば、まだまだテレビは見られる立場にある。

 

というわけで世間の人はかつてのテレビの名作に目を輝かせながら再放送を見てほしい。自分はその間、今まで録りために録りためていた膨大な録画群をここぞとばかりに消化したいと思う。新しいものが放送されない今、見るものなんぞ再放送がなくとも手前でいくらでも有している。

 

死ぬ間際まで自分はテレビの録画を消化し続けるんだろうな、という不毛な予感はある。でも死ぬ前には「いやあ、もう思い残すことも見てない番組もない」という状態でありたい。見ても見ても新たに見るものが登場する現状ではその状態はとても無理。新たな番組が収録できない今が自分にとってもチャンスとしか言えない。地上波は2週間休んでよし!その間に自分は録画を思いっきり消化する!

 

でもおそらく魅力的な再放送を放送されるとなれば、それも見ちゃうし録画しちゃう。そして結局録画がたまっていくんだ。これはもはや業でしかない。何の業かはさっぱり分からないんだけど。とりあえず地上波のバラエティが止まったら、その間に自分は「デート」「カルテット」「逃げるは恥だが役に立つ」あたりのドラマを消化したいと思う。どれも再放送されそうなラインナップだな。

 

ヒラヒラヒラク秘密の扉

「99人の壁」に不適切演出があったと。

 

「99人の壁」は佐藤二朗がMCを務めるクイズ番組。100人の挑戦者が各人得意なジャンルで問題に挑戦し、残り99人が敵となる。5問勝ち抜けることが出来たら100万円がもらえる。最近では当初のルールからは色々と変わってしまったけども、「99人VS1人」という構図が変わらなければいいのかな、とは思いながら見ていた。

 

そんでまあ、実際は100人の中に解答権がないエキストラが混じっていたとのこと。正確に99人いなかったというわけですね。多い時には20人くらいエキストラがいたのだとか。番組コンセプトを自ら逸脱してしまっているわけで、これは怒られても仕方ないと思う。ただ、番組が終わったりすることはない、との情報。まあそんなもんじゃないっすか。そのくらいの温度の問題だと思う。

 

こういう問題が出てくると「ヤラセ良くない派」と「テレビなんてヤラセばっかりじゃん派」が必ず出てくる。ヤラセ(≒演出)の許容範囲は各人によって違うと思う。自分はわりかし寛容なほう(楽しければいいじゃない)ではあるけれど、「クレイジージャーニー」のやつはやっぱりちょっと違うかなあ、と感じたりもした。だから今回の件も怒る人もいれば自分のように何も感じない人もいるのはごく自然。

 

実のことを言えば、普段から見ている番組なんだけど、なぜかあまり何か書こうという気分にならなかった。自分の心の奥底で「そうであっても不思議じゃあないな」と思っていたんだろう。もちろん普段から「どうせ出演者はエキストラなんだろ?」と疑いながら見ていたわけではない。割とまっすぐに楽しんでいた部類だ。なのにこういう問題が表面化したときに「えーー」とならず「あーー」となったのは、やっぱりそういうことなんだろう。普段顕在化していない意識ってのは、こういうときにはっきりしますね。

 

ここまでが前置きである。どうだーい、うっとうしいだろー?(くまだまさし風)

 

アメトーーク」を見てはっきりしたね。自分はみちょぱみちょぱをちょぱちょぱしたいんだと。

 

アメトーーク」では「実はすごいぞみちょぱ芸人」ということで、みちょぱこと池田美優が女性タレントとしていかに優れているかを芸人たちが力説する回が放送されました。先週の予告段階からとても楽しみで、そして実際録画を酒飲みながら確認して、最初から最後までニヤニヤしながら見ていました。たぶんスタジオに登場したクロちゃんよりキモい感じで見ていたと思います。

 

自分がみちょぱを「手練れだ」と感じたのは、「キングオブコント2018」のアンバサダーとして登場したとき。まだバラエティに出始めの頃で、自分も「ギャルのモデル」くらいの認識しかなかった。おそらくギャルという立場でのかき回しを求められていたはずなのだが、随所に芸人に対する細かなリスペクトが見られ、「ああ、これはいいギャル」だと思ったものです。

 

それ以降自分はみちょぱを「手練れ」だとは思いつつもそれほど意識することなく、単純にエロい目線で見ていたわけですが、まさかこんなみちょぱの芸能人スキルに光を当てる回が放送されるとは夢にも思わず、そのあまりに素晴らしい内容に珍しく「出たい!」と思いました。自分にとってテレビは見るものであり出るものではないので、あんまり「出たい!」とは思わないんですが、これはちょっと出たかった。出てみちょぱのいいところとエロいところを力説したかったです。

 

けどね、こんな風にいかにも「みちょぱの魅力を最初から気付いていたぞ」といわゆる事後諸葛亮的に書いてはいますけども、実際のところみちょぱの話なんて普段はほとんど口にしていないんですよ。普段自分の口から出る(ブログに書いている)事といえば「堀北真希のワキは聖域である」とか「広瀬アリスと相撲したい」とか、頭のおかしいことばかりです。みちょぱに対して言及したことはおそらくないはず。理由はふたつあって、ひとつは「ギャル好きと思われるのがちょっと恥ずかしい」という単純なもの、もうひとつは「実はそこまでみちょぱが好きだって自分で気付いていなかった」ということです。

 

しかし、先週の予告段階でのワクワクと、その放送を実際に見たドキドキが「ああ、自分はみちょぱ好きだねこれは。間違いないわ」と自分の内なるポテンシャルを気付かせてくれたのですよ。変態チックに言えば「新たな性癖の扉が開いた」ということですね。先日吉本を退社したデッカちゃん風に言えば「きーづいちゃった、きーづいちゃった、わーいわい」です。全く必要ない一文を書いてしまった。

 

ちゅうわけで「アメトーーク」は自分の新たな性癖を顕在化させるという罪深いことをしてくれました。なんてことしてくれたんやアメトーークはん……(海原雄山の用意した鮎を食べる京極さん風に)