ヒラヒラヒラク秘密の扉

「99人の壁」に不適切演出があったと。

 

「99人の壁」は佐藤二朗がMCを務めるクイズ番組。100人の挑戦者が各人得意なジャンルで問題に挑戦し、残り99人が敵となる。5問勝ち抜けることが出来たら100万円がもらえる。最近では当初のルールからは色々と変わってしまったけども、「99人VS1人」という構図が変わらなければいいのかな、とは思いながら見ていた。

 

そんでまあ、実際は100人の中に解答権がないエキストラが混じっていたとのこと。正確に99人いなかったというわけですね。多い時には20人くらいエキストラがいたのだとか。番組コンセプトを自ら逸脱してしまっているわけで、これは怒られても仕方ないと思う。ただ、番組が終わったりすることはない、との情報。まあそんなもんじゃないっすか。そのくらいの温度の問題だと思う。

 

こういう問題が出てくると「ヤラセ良くない派」と「テレビなんてヤラセばっかりじゃん派」が必ず出てくる。ヤラセ(≒演出)の許容範囲は各人によって違うと思う。自分はわりかし寛容なほう(楽しければいいじゃない)ではあるけれど、「クレイジージャーニー」のやつはやっぱりちょっと違うかなあ、と感じたりもした。だから今回の件も怒る人もいれば自分のように何も感じない人もいるのはごく自然。

 

実のことを言えば、普段から見ている番組なんだけど、なぜかあまり何か書こうという気分にならなかった。自分の心の奥底で「そうであっても不思議じゃあないな」と思っていたんだろう。もちろん普段から「どうせ出演者はエキストラなんだろ?」と疑いながら見ていたわけではない。割とまっすぐに楽しんでいた部類だ。なのにこういう問題が表面化したときに「えーー」とならず「あーー」となったのは、やっぱりそういうことなんだろう。普段顕在化していない意識ってのは、こういうときにはっきりしますね。

 

ここまでが前置きである。どうだーい、うっとうしいだろー?(くまだまさし風)

 

アメトーーク」を見てはっきりしたね。自分はみちょぱみちょぱをちょぱちょぱしたいんだと。

 

アメトーーク」では「実はすごいぞみちょぱ芸人」ということで、みちょぱこと池田美優が女性タレントとしていかに優れているかを芸人たちが力説する回が放送されました。先週の予告段階からとても楽しみで、そして実際録画を酒飲みながら確認して、最初から最後までニヤニヤしながら見ていました。たぶんスタジオに登場したクロちゃんよりキモい感じで見ていたと思います。

 

自分がみちょぱを「手練れだ」と感じたのは、「キングオブコント2018」のアンバサダーとして登場したとき。まだバラエティに出始めの頃で、自分も「ギャルのモデル」くらいの認識しかなかった。おそらくギャルという立場でのかき回しを求められていたはずなのだが、随所に芸人に対する細かなリスペクトが見られ、「ああ、これはいいギャル」だと思ったものです。

 

それ以降自分はみちょぱを「手練れ」だとは思いつつもそれほど意識することなく、単純にエロい目線で見ていたわけですが、まさかこんなみちょぱの芸能人スキルに光を当てる回が放送されるとは夢にも思わず、そのあまりに素晴らしい内容に珍しく「出たい!」と思いました。自分にとってテレビは見るものであり出るものではないので、あんまり「出たい!」とは思わないんですが、これはちょっと出たかった。出てみちょぱのいいところとエロいところを力説したかったです。

 

けどね、こんな風にいかにも「みちょぱの魅力を最初から気付いていたぞ」といわゆる事後諸葛亮的に書いてはいますけども、実際のところみちょぱの話なんて普段はほとんど口にしていないんですよ。普段自分の口から出る(ブログに書いている)事といえば「堀北真希のワキは聖域である」とか「広瀬アリスと相撲したい」とか、頭のおかしいことばかりです。みちょぱに対して言及したことはおそらくないはず。理由はふたつあって、ひとつは「ギャル好きと思われるのがちょっと恥ずかしい」という単純なもの、もうひとつは「実はそこまでみちょぱが好きだって自分で気付いていなかった」ということです。

 

しかし、先週の予告段階でのワクワクと、その放送を実際に見たドキドキが「ああ、自分はみちょぱ好きだねこれは。間違いないわ」と自分の内なるポテンシャルを気付かせてくれたのですよ。変態チックに言えば「新たな性癖の扉が開いた」ということですね。先日吉本を退社したデッカちゃん風に言えば「きーづいちゃった、きーづいちゃった、わーいわい」です。全く必要ない一文を書いてしまった。

 

ちゅうわけで「アメトーーク」は自分の新たな性癖を顕在化させるという罪深いことをしてくれました。なんてことしてくれたんやアメトーークはん……(海原雄山の用意した鮎を食べる京極さん風に)