小銭と傲慢

8/24 日テレ「月曜から夜ふかし」より。

 

Na「次はこちらの男性」

 

男性「さっき募金したの 募金は基本的にする 何でも」

 

男性「100円 200円 無くしたって 全然腹も痛まないし」

 

男性「共存」

 

男性「自分だけ生き残ればいいわけじゃない」

 

スタッフ「(お兄さんは)今日いくら募金したんですか?」

 

男性「今日?25円」

 

スタッフ「え?」

 

男性「25円」

 

スタッフ「25円」

 

男性「小銭見て、いらないのだけ渡した」

 

男性「あとは100円と500円だったから」

 

Na「やはり100円は惜しいらしい」

 

 

 

これね、まあ言いたいことは分かるんですよ。「100円200円募金したところで自分の腹は痛まないし、共存の気持ちが大事だ」と大きなことを言っていた男性が、結局自分の手持ちの100円や500円を募金するのが惜しくて、小銭の25円だけを募金したのが小市民で滑稽だ、つう話。まあ分からないではないですよ。

 

ただ、全国から善意の募金を集める「24時間テレビ」の放送直後にする放送ですかね、とは思いますよ。あろうことか日テレが。

 

テレビ局で働いている人間からすれば、もっと言えばマトモな社会人ならば100円200円の「小銭」くらい募金しろよ、って思うんでしょ。100円200円程度で腹が痛まないって言っているオジサンが100円を渋っているのが面白い、って思っているんでしょ。それはそれでいいよ。そういう価値観を持っている人が多ければ笑いにつながるさ。

 

けどさ、その10円20円の募金の積み重ねで成り立っているはずの「24時間テレビ」の放送直後によくもまあそんなことが言えるな。放送日時知っていて流しているんだろ?それとも善意だけども自分の100円惜しさに小銭しか募金しないような人間はそもそも募金なんかしなくていいとでも言いたいのかな?

 

自分は「24時間テレビ」は基本的に肯定的なんですよ。あれはああいう「祭り」ですから。それが「奇祭」だとしても、その祭りが祭りとして成り立っている以上、誰も祭りの「まっとうな意味」なんて求めてはいない。だから謎にマラソンしようとも、偽善と言われようとも、続けるなら続ければいいとは思っている。

 

しかしその核の部分となる「募金」という観点で、そこに冷や水ぶっかける内容をわざわざ日テレが直後に放送することに何の意図があるのか。内部批判だろうか。それとも、この募金のくだりに対して「何かマズいことしている」という感覚が死んでいるだけなのか。なんにせよ自分は「これはレベル低いわー」と思ったよ。好きな番組だけに何とも言えない感覚になったわ。

 

「小銭でも募金をしてくれる心意気」を日テレが24時間テレビ放送直後にバカにするのか。これを見て「あー、絶対に24時間テレビの募金しないわ」と思った人間、少なからずいると思うんだけど、どうなんだろう。これを傲慢と言わずに何という。おじさんはちょっと怒っているよ。