思い出したこと

12人の優しい日本人を読む会」を見ました。

 

そもそも「12人の優しい日本人」は三谷幸喜が主宰の劇団「東京サンシャインボーイズ」の代表作の舞台作品・戯曲であり、映画化もされた作品。これを今回舞台出演者のひとりでもあった近藤芳正が発起人となり、オリジナルキャストを中心にリモートで読み合わせをしながら演じるという企画。三谷本人も冒頭の挨拶も含め少しだけ出演している。髭が伸びてマッキー逮捕時みたいになっているが、気にしてはいけない。

 

自分は単なる「三谷幸喜ファン」である。はじめてドラマを面白いと思ったのが「王様のレストラン」であり、以降三谷作品のテレビはおおよそ見ている(ように思う)。ただ舞台は見た事がないし、映画も見たり見なかったり(最新作「記憶にございません!」は見れていない)。だからフリークを名乗るのはとてもおこがましく、自分の手の届く範囲でなるべく見るようにしている、程度のファンでしかない。三谷がドラマや映画の番宣でひょこひょこ番組に登場して割と白い目で見られていても、自分は温かい目で見ている。つもり。気分が落ちているときは三谷が歌っているAKB48の「Beginner」はたまに見る。小沢健二の「流星ビバップ」でもいい。

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それはともかく「12人の優しい日本人」。舞台は見たことがなかったけども、映画版はだいぶ前にテレビで放送されたものを見ていた。だから話のおおまかな流れはかろうじて覚えていたものの、詳しく覚えていたわけではなかったので、「ああ、こういう展開だったなあ」とか思いながら楽しく見ることができた。

 

30年前初演の作品のネタバレを気にする必要もないのかもしれないけども、逆に30年前の作品だからこそ見たことない人が多いような気もするので、ストーリーについては触れないでおく。まだ読む会のアーカイブも残っているので(5月いっぱい予定のようです)、見た事ある人もない人もぜひ見ていただきたい。

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じゃあストーリーに触れずになんの話するのか、といえば「ドミソピザ」の話。

 

12人の優しい日本人」にも登場する架空のピザ屋、ドミソピザ。多くの方はこれが実際にあるピザチェーン店「ドミノピザ」のパロディであることは分かると思うのですが、自分は最初これがパロディであることが全然分からなかったのです。そんなことを今回ふと思い出しました。

 

ドミソピザは「12人の優しい日本人」に限らず、三谷作品の中ではお馴染みの店として登場します。どうやら映画「記憶にございません!」にも登場しているみたいです。手塚治虫作品におけるヒョウタンツギ、「踊る大捜査線」シリーズにおけるカエル急便みたいなものですが、逆にこれらの例が例として通じるのかも正直よく分かりません。まあいいや。

 

自分がはじめて「ドミソピザ」を認識したのは古畑任三郎だったような気がします。一応googleで「古畑任三郎 ドミソピザ」で検索したのですがひっかからないので気のせいなのかもしれません。香取慎吾主演のシットコム「HR」ではひっかかるので、これで認識したのかな?とか思ったり、なんなら「王様のレストラン」にすら出てきたような気もします。ご存じの方教えてください。自分で見返す気力まではない。

 

そんでもってモデルとなったほうのドミノピザ、現在北海道に店舗がありません。正確に言えば数年前までは札幌にあったのですが、つぶれてしまいました。だから古畑や王様のレストランの放送時小学生だった自分が、当時から北海道にほとんど存在していなかったドミノピザの存在を知る由もなく、なんかそういうピザ屋さんの名前を適当につけていると思っていたのですね。

 

三谷作品でドミソピザを見るたびに「ああ、ドミノピザ知らなかったなあ」と思い出すことを、今回改めて思い出しました。ドミソピザのデザインはドミソの音符が斜めに続いているのが、本物のドミノピザのドミノのデザインに似ているのもちょっと笑ってしまうんですね。今回「読む会」でも出てくるドミソピザの配達員役のある方(これは見てのお楽しみ)がちゃんとそのデザインの帽子をかぶっていました。芸が細かいです。

 

たぶんドミソピザのことはまた10年くらい忘れると思います。次の自分が目にする三谷作品は再来年の大河になるですが、鎌倉時代が舞台の大河にドミソピザは出てくることはないと思うので、それよちもっと先の10年後くらいに、またうっかり何かの三谷作品で出てきたドミソピザで同じことを思い出し、そして10年前書いたことを忘れて同じことをここに書いている気がします。

 

GWまとめ

明日から一応仕事なんですよ。仕事になるかどうかは別として。

 

GW休みは一様に「STAY HOME」の大合唱。まあ仕方ないですね。普段から出不精の自分ですが、さすがに何日も休みが続くときは「じゃあちょっとどこか行くかな」と思って外出するわけです。しかし今回は一切それが出来ないとなると、さすがにストレスも溜まってくるんじゃないかと思われました。

 

というわけで、自分がGW中にやったことをまとめてみて、それに対する感想でも書いてみたいと思います。

 

〇テレビに関すること

普段見ている番組が軒並み総集編になっていきました。仕方ないことです。普段から見ている番組なので「総集編=見た事あるやつ」という図式がほぼ成り立ちます。なかには「こんな放送あったっけな?」というのもままあるんですが(正直一度見たものをはっきり細部まで覚えていることはほとんどない)、それでも「これは見たことあるなあ」というのものは、視聴時間短縮のためどんどん早送りもしくは見ずに消去、ということをしていきました。なのでどんどん新しいものが録画されてはいきますが、その新しいものが消化できない、ということはほぼなし。もちろん消化する時間が確保できるというのも大きいです。

 

なもんでここぞとばかりに溜まっていた録画をガンガン消化しました。自分のHDの肥やしとなりがちな番組はいくつかあるんですが、今回は重点的に「ブラタモリ」を消化。半年ぶんたまっていましたが、なんとか2019年の放送は見終えました。HDの容量も残り50時間くらいまで空けることが出来たのは大きな成果。

 

新たに収録される番組がないので、「おっ」と思う番組は特になかったですが、唯一あるとすれば「それって実際どうなの課」の森川葵総集編。普段寝る前に放送してたらなんとなく見てしまう番組のひとつで、録画してまでは見ない番組。今回総集編として放送されたのは「なんでも驚異的なスピードでマスターしてしまう森川葵」とその最新作。笑ってしまうくらい上達の早い森川葵の軌跡は本当に面白くて、これはちょっと録画して見ようかな番組に昇格かも。ちなみに森川葵以外もドラゴンボール芸人やタイムマシーン3号関のNo.1挑戦企画なんかも面白い。

 

〇外出に関すること

不要不急の外出は自粛、ということで、なるべく出歩かないようにはしていました。それでも食料品の買い出しなんかで3日に1度くらいは外出していたように思います。ガソリンの値段が100円を切っていて思わず遠出したくもなりましたけども、ただ給油しておしまい。

 

でまあストレスがたまるかなあと思いきや、大して何も感じませんでした。リモート飲み会の誘いは1件もありません。そもそも飲み会にも殆ど行きませんし、リモート飲み会に誘ってくるような友人もいません。「リモート飲み会の止め時が分からない」とかいう話を見ても「そんなもん黙って回線切ればいいじゃねえか」と思うような人間ですから、そりゃだれも誘わない。つまりは誰からも誘われない状態が常態なので、飲みに行けないストレスもリモートによるストレスも一切無縁。自宅でひとり飲んでるだけ。世間の悩みは自分の悩みではない。本当に自分は社会人なのでしょうか。

 

〇部屋の掃除を試みる

世間のみなさまもヒマにかまけて掃除をしているらしので、自分もやってみようと気合いを入れてみたものの、少しゴミを捨てたくらいで殆ど進みませんでした。これは由々しき事態です。これだけヒマがあったのに片付かないということは、これは永遠に片付かない気がします。

 

ももクロちゃんを見る

GW期間中は21時からももクロちゃんがライブ動画を配信してくれるという非常に嬉しい措置を取ってくれましたので、毎日21時からPCの前に座って酒飲みながらライブ見てました。見た事あるライブ映像でも、全国で3万人前後が同じ映像を見ているのかと思うと、つい見てしまうわけですね。これがGW中唯一他人と繋がっているなあと感じた瞬間でした。裏を返せば、それ以外が殆ど他人と繋がってませんから(びっくりするくらいに知人からの連絡はありませんでした。もう自分が対外的に死んだことにしてもいいくらいです)21時近辺だけは生きてる実感がありました。

 

〇ストレスの程は

はっきり言って「一切ない」である。自宅で食事をするための買い物くらいは買う自由があり、自宅にこもっていてもやることはほぼ無限にある(正直GW前にやろうと思っていたことの100分の1もできなかった)状態で、ストレスがたまることなど一つもなかろう。テレビやラジオ見れているし、普段から他人にあまり会わないし連絡こないし、その事に関して疎外感など感じないし。これで最低限の収入さえあればまさに天国。とりあえず先月の給料はちゃんと出ていた。いまのところ何一つ不満ない。もう社会復帰できない気すらしてくる。

 

簡単に言えば、自分はこの自粛生活にとても向いている。てか自粛している気がしない。なんなら普段の自分の生活が何かを自粛させられているのか、とすら思う。自分はそんなにストイックに生きているわけでは全然ないのだけど、他人からしたらこの生活は自粛生活ってことになるのか。ウソだろ。

 

自分の人生は、他人からしたら何かを自粛した人生ってことに気づかされたGW。何それ。

 

同じ轍

タモリ倶楽部」のオープニングが省略されるという事態に。

 

北海道は「タモリ倶楽部」の放送が2週ほど遅れているので、先日タモリ電車クラブの軌跡に関しての放送(つまりは総集編)だった。だからこの情報はネットニュースで知った。言うまでもなく由々しき事態であるので、ネットの力を借りてオープニングを見たわけだけども、やはりオープニングとしては放送されていない。その日のテーマの後ろで申し訳程度に流れていただけだ。

 

オープニングで指原莉乃にわざわざ「オープニングのお尻はなくなったんですか?」と質問させ、タモリが「3時間撮って20何分しかない」という理由でカットになったんだという話をわざわざさせていた。これは番組側が有耶無耶にお尻をフェードアウトさせるのではなく、タモリに言わせることではっきり「やりませんよ」という意思表示をしたのだ。

 

タモリ倶楽部はここ数年で緩やかに色々なものが失われている。「Short Shotrs」に合わせて軽快に振られるお尻こそがタモリ倶楽部の代名詞。のはずだったのに、数年前からはオープニングの尺があからさまに短くなり、そして今回オープニング消滅。長年ナレーションを務めてきた武田広さんは徐々にフェードアウトしていき増谷康紀さんに(そして今回の放送から女性のナレーションに)。こちらは年齢のこともあるのだろうが、詳しい事情は分からない。そしてこちらもニュースになったが、「空耳アワー」が一時休止に。これはコロナウイルスの影響でVTRが量産できなくなったことも大きいだろうが、それ以前から自作VTR投稿も可能になったりしていたのに、全て止めてしまうのはちょっと解せない。

 

長年続いている番組が、緩やかに変化していくのは珍しいことではない。長いことやっていれば時代に合わなくなっていくものも多い。ネット動画で自分の見たいシーンがすぐ見られるようになった昨今では、番組にオープニングなんて不要だという意見はごもっともだ。タモリが番組内で釈明していたように、オープニングを流すくらいならば本編の尺に時間を割きたいという気持ちも分からなくはない。また、タモリはその手の決まりごとになんらこだわりがないので、番組側から辞めることを請われれば断りはしないのだろう。

 

しかし、タモリ倶楽部のオープニングはやらなきゃいけないものだと思う。だって、オープニングを含めて我々は「タモリ倶楽部」という番組を嗜んでいるのである。若者は若者で好きな場面から見ればいいじゃない。「タモリ倶楽部」のサブタイトルは「FOR THE SOPHISTICATED PEOPLE」、洗練された大人に向けているのである。洗練された大人はあの尻を眺めて番組を迎えるのだ。少なくとも自分はそう思っている。

 

とまあカッコつけて書いてみたものの、何も自分が通ぶって「番組オープニングは大人の嗜み」と言いたいわけではない。自分はこのオープニング省略に既視感があり、そしてそこからイヤなものしか感じないからだ。お気づきの人も多いと思うのだが、「笑っていいとも!」を連想するのだ。

 

「いいとも」は説明の必要がないと思うが、言わずと知れたお昼の顔だった番組。もう終了してから6年も経った。タモリが司会を務めていた番組で、「いいとも」も昔から続いていた番組らしく、オープニングに「ウキウキWATCHING」が流れていた。というよりいいとも青年隊をバックにタモリが歌っていた。しかしある時から(wiki先生によると2000年3月)オープニングを歌わなくなった。これはタモリが「もういいんじゃないか」ということでなくなったのは有名な話。

 

また、同番組の看板コーナー「テレフォンショッキング」は芸能人が電話で次の出演者を紹介するという形を取っていた。初期は本当に出演者の友達を繋いでいたわけだけども、いつしか番宣などで用意されたゲストが紹介されるようになり電話は「形式上」でしかなくなった。誰しもが友達じゃないと知りながらそれを見守る茶番、これを「様式美」と呼ぶか「無駄」とするかは考え方による。「いいとも」側はそれを「無駄」と思ったらしく、2012年にはただゲストを迎えるという形式になってしまった。

 

自分はこれをかつてこんな風に書いた。

おそらく同じことを思っている人が何万人といるだろうが、「面白くなくなったこと」の決定打となったのは「テレフォンショッキングの友達紹介の廃止」だろう。番組が始まった当初はともかく、今までだってそれが本物の友達ではないことは承知のうえで見ていた。しかし、その建前を排した時点で「それでいいのかよ」という視聴者と番組が共犯的に抱えていた「お約束」が壊れたことに失望した人は多かったんじゃないかと思う。自分もそのうちの一人だ。「笑点」が座布団ではなくパネルにポイント表示をされるようになって喜ぶ人はいるのだろうか。分かり易いけどそういうもんじゃない。テレフォンの友達紹介廃止ってこういうことをしていたんだと思う。

nageyarism.hatenablog.com

前述したように、番組が長くなると時代にそぐわない部分を見直すことはある。しかし長年続いている番組でそれをやると、「そういうもの」として見てきたお約束を一方的に壊された感じがして白けてしまうことがあると思う。最近の「タモリ倶楽部」の「空耳アワー休止」も「オープニング廃止」も、どちらもあまりいい方向にはたらいているとは思えない。「空耳アワー」を休止したなら、その分の時間が浮くわけで、新しいコーナーを短くしてもオープニングくらいやればいいのに。毎分視聴率とかのデータとかでこんなことになっているのであれば、そんなもん無視しろよ。

 

いまや番組のオープニングは時代遅れの遺物なのかもしれない。言ってしまえばなくてもいいものだ。しかし「なくてもいいもの」的なことを面白おかしく楽しむのが「タモリ倶楽部」の本懐じゃないのだろうか。アイデンティティを否定することにならないか。どうなんだ。

 

未必の故意

岡村隆史のANN」にて、降板以来出演がなかった相方矢部浩之が登場。公開説教。

 

序盤は岡村の謝罪とともに完全なる御通夜ムード。ちょっと喋っては曲、の繰り返しで「これで2時間持つの?」と思ったけども、途中から矢部が参加。岡村に対する、そしてラジオ全体に対する説教を始める。

 

ちゃんとした中身は実際にラジオ聴くなりしてほしいのだけど、自分が聴いていてピンポイントに心に刺さったのはこの2点。

「岡村の発言が出たのは、本人も含めてリスナーもスタッフも皆がそのような発言が出ても大丈夫という驕りの雰囲気を作っていたから。ラジオを離れた人間(矢部)に言われたくはないだろうが、辞めた人間が客観的に見ればそういう雰囲気になっていたのは明らかだった」

「今まで岡村がそのような炎上にあまり縁がなかったのは“可哀想さん”だからだ(=頭パッカーン(鬱)を患ったことで、周りが気を遣っていたからだ)。しかし一般的に考えてお金も仕事もある岡村は“可哀想さん”ではない」

 

これは素直に「矢部にしか言えないこと」だなあと思った。元々一緒にラジオをやっていた人間として、そしてずっと近くで岡村を見てきた人間の客観的な意見として、ふたつとも実感がこもっている。特にデリケートな鬱の話に踏み込むことが出来るのは本当に近しい人間だけだろう。そしてこれが言えるのはやっぱり岡村隆史に対する「愛」でしかないわな。ラジオを聴いた人間の心を揺さぶるのは分かる。極楽とんぼ山本に対する加藤の関係と一緒だ。

 

そしてその後のコーナーも付き合ってくれたり、締めの「わーわー言うとります」「お時間です」「さようなら」が「ナイナイのANN」であることを実感させたり、昔からのリスナーであればあるほど、この放送が心に刺さったことは間違いない。自分ですらちょっと感動した。今回の騒動も矢部がその場で突っ込んでいたならこんなことになっていなかったんじゃないか、やっぱり岡村のラジオにはバランサーとしての矢部が必要だったのだ、と誰しもが思っただろう。

 

ただまあ、これをそのまま「コンビ間の美談」で終わらせるほど事態は単純じゃあないですよね。自分が今回の問題点として考えていた「ラジオDJとリスナーの距離感」「そもそもの岡村の思想」の2点について検討してみる。

 

「ラジオDJとリスナーの距離感」という話は、矢部の「岡村もスタッフもリスナーも全員悪い」という意見に集約されていると思いますので、ラジオ全体の意見としてはまた別ですけども、今回の件に関して言えばこれ以上突っ込む必要はないでしょう。

 

一方で「そもそもの岡村の思想」に関してはかなり根深い。矢部は説教後半で岡村の人間性そのものにずーっと疑問を呈していた。「女性を敵視している」「逃げ癖がある」など、岡村にとっては本当に耳が痛い単なる説教だ。それを糺すために「結婚してみたらいい」など、かなり突っ込んだ発言まであった。それと同時に「50近いオッサン二人が話すような中身ではない」とも。

 

これは本来ラジオという「公共の電波」でするべき類のものじゃないし(公共の電波云々言ってた奴はこの放送に関して当然そう思っているでしょう、自分は別にやってもいいと思ってますけどね)、矢部がここで説教することは「事態収束のガス抜き、通過儀礼」みたいな側面もある。岡村の人格がこの発言を生み出したのは間違いないけども、一方でこの発言を糺すために性格を変えろ、というのは「今後」の話であり、今岡村が直面すべき問題から少しズレているとも思う。根本的解決には向けているけども、かといって今回の問題に「本当に」怒っている人はあんまり納得しないんじゃないか。だから今回の話を「コンビ愛」で済ますのは、やっぱり自分はあまり納得しない。それはそれ、これはこれ。たぶん矢部も分かっていたはず。

 

そして何より自分が気になったのは「岡村を説教しているようでいて、その岡村を遠ざけ距離を取ることで何もしてこなかった矢部浩之自身の都合のよさ」も露呈していたこと。矢部は随分と前から岡村の根本的な性格にアレな部分があることに気づいていた。それはまさに自分がナイナイのANNを「あまり面白くない」と感じる理由とシンクロするように、である。次から次へと出てくる「あの時こう思っていた」の話は、ひとつひとつ岡村のダメなところをあぶりだす効果はあったが、それと同時に「矢部がその時注意が出来ていれば、この事態を引き起こすことにはなってなかったのでは?」という疑念が自分には生まれた。

 

これはナイナイのコンビの関係性として「元々先輩であり、自分がこの業界に引きずり込んだことの矢部の負い目」があるんだろう。頭パッカーンのときも相当責任を感じていた。一方で岡村が復帰したときは、矢部にテレビの前では謝罪はあったけども、その裏ではラインの1行の言葉しかなく「こっちで謝れることが本当は大事なのでは」と思っていたという。けどその時に言わなかったのである。

 

矢部の岡村の性格に対する違和感は「ラジオ降板」「楽屋が別」など、目に見える形で進行していく。矢部はずっと「岡村に気づいてほしかった」と思っていたんだろうが、口に出すことはなかった。それは矢部なりの気遣いだったのかもしれない。おそらく今回のような事態がなければ、今後も口にすることなく矢部は距離を取りつづけたのではないか。でもそれを今回口にした、ということはやっぱり「それではいかん」と思ったからなんだろう。

 

これも冷静に客観的に見れば「いや、矢部が早いうちに岡村に指摘しておけばこんなことになってないじゃん」となる。芸歴も長くなり周りから注意や指摘されることも少なくなった、と矢部は述べていたが、その指摘を出来た人間が誰よりも自分だってことも分かっていたはずだ。でもそれをしなかったのは岡村に対する遠慮と矢部本人の「コンビの関係を悪くしてまで突っ込むことではなく、自分が避ければよい」という逃げではなかったのか。

 

今回の騒動は「誰よりも岡村を指摘できる状態にありながら、矢部がそれをしなかったことによる起きたコンビとしてのツケ」という言い方もできる。それを自覚していたからこそ矢部は今回ラジオでこういうことを言ったんじゃないか。岡村の問題ではなくコンビとしての問題。矢部が「ナイナイというコンビの危機」と言ったのはこういう意味だったんじゃないかと。考えすぎか。今回の騒動だけを見れば説教そのものが何の解決にもなっていない。しかし今後を見据えた上ではこれ以上の解決策はなかった。そんな風に思う。

 

こういう見方をすれば「矢部も悪い」「いや矢部こそが悪い」という言い方もしようと思えばできる。しかし矢部がそれをしてこなかった、できなかった心境も自分はなんとなく分かる(というかラジオ内の発言でその心境が滲んでいる)。客観的に見て分析は可能でも、それを実行に起こす、起こせるかどうかというのはまた別の話だ。そしてそんなに簡単に理屈通りいかないのが人間だったりする。コンビとしての、人間としての未熟さをさらけ出した二人の人間臭さをこれ以上責めることは自分にはできない。人間のダメさ未熟さを赦せる人間でありたい。

 

もう一度言うが、岡村の発言そのものがこれでなくなったわけでもないし、その通底にある社会問題も解決したわけでもない。説教は美談にもならない。しかし、これ以上何を外野が喚けというのか。「あの発言と思想は気持ち悪かったけど、反省して次で挽回しよう。ドンマイ!」しかないじゃないか。紛れもなくラジオ史に残る放送。

 

 

なにひとつかてない

「東大王」で鈴木光特集。

 

「東大王」は普段見てません。一応クイズ好きは自称しているんですけど、いまいち流行に乗り切れていないのはここらへんに原因があるのかもしれません。「頭のいい人が頭のいい感じで解答を重ねていく」というクイズの面白さの一側面があることは分かっているんですけども、やっぱり好みじゃないんですね。こんなこと書くとまた伊沢嫌いだろって言われそうだな。そんなことはない。たぶん。

 

なのに今回録画をしてまで(リアルタイムで見ることは出来ましたが、録画して1.5倍速で見た方が効率的なので録画することが自分はままあるのです)わざわざ見たのかといえば、そう、鈴木光ちゃんが可愛いからですね。

 

鈴木光といえば東大王メンバーの中でもいちばんの完璧超人である。水上颯もかなり超人的ではありますが、なぜ鈴木光が完璧超人なのかといえば、クイズが強いとか以前に可愛いからです。水上もイケメンの部類に入るけども、鈴木光の可愛さに比べれば日東駒専レベル(失礼)。頭良くてかわいくて英語ペラペラで性格よさそうで実家金持ち(たぶん)。どうやったらこんな完璧超人が生まれるのか。神様は不平等であることを体現する女、それが鈴木光。間違っても岡村さんが相手にされることはありません。コロナ不況でも絶対に食いっぱぐれません。

 

第一「東大王」もチームとしては引退した伊沢や水上の今までの軌跡を振り返ることだってできたはずなのに、そこをやらずに敢えて鈴木光特集をやるということは、そういうことだろうよ。視聴者の股間が東大王、ってことだろ。GWだから何を書いていいわけじゃないってことは分かっているんですけど、キーボードをたたく指が勝手に書いてます。

 

しかしまあこんな完璧超人の鈴木光に自分は何か勝てることがあるのだろうか。まず人生トータル的な話になると絶対に無理。現時点で彼女より上なのはおそらく年齢と血圧だけだろう。なにこの哀しいオジサン自虐。しかし事実だから仕方ない。人間としてのステータスを比べたときに、キレイに彼女の六角形なり八角形なりの中にこじんまりと収まる自信がある。

 

ただ、こと「ジャンル別クイズ」になると、勝てないジャンルがないわけではないだろう。芸術分野を含まない単純な芸能であれば互角にはやれるだろうか。ジャンル絞ってももクロちゃん田中義剛であれば勝てる気がする。そして何より勝てそうなのは「AV」だろうか。単純にエロでもよい。さすがに負ける気がしない。このジャンルで勝ったところで何の自慢にもならないんだけども、もし実現して勝つことができたならば、満面の笑みでガッツポーズをするよ自分は。

 

でも本当に望んでいるのはエロのジャンルで完膚なきまでに負けることだったりする。このジャンルですら勝てないのか、という圧倒的敗北感とそして鈴木光の圧倒的知識量に泣きながら勃起すると思う。

 

こういうことを書くのが通常営業です。どうだい、最低だろ?

 

 

同い年の悲哀

GWという強制自宅待機週間に突入しまして、リアルタイムでテレビを見る時間がいつもより増えています。そうすると普段は殆ど全部飛ばしてしまうCMを見る機会が少し増えるわけですね。本当はテレビを見る人間としてCMもテレビ番組の一部であるからこそ、ちゃんとCMは見なければとは思うのですが、やっぱり録画ではCMは飛ばす。そんなもんだ。

 

そんな中、最近見ていて切なくなるCMがありましてですね。エバラの焼肉のタレのCMなんですけども。まずはご覧いただきたい。

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新CM では、「黄金の味」シリーズに32 年ぶりの新テイストとなる「黄金の味 さわやか檸檬(レモン)」が発売されたことをユーモラスに伝える内容となっています。 

 

てな具合の説明がYouTubeにも書いてあるわけです。確かに一見そんな感じがしないでもないんだけど、自分はこのCMを見るたび、なんか切ない気分になるわけです。

 

そこそこいい歳のオッサンが「漢字が書けるようになりました」と言わされる悲哀。

 

まず断っておくが、嵐の相場雅紀を馬鹿にしているわけではない。さすがに「檸檬の漢字も書けないのか」とはならない。梶井基次郎に傾倒している人ならともかく、漢字で「檸檬」を書けるのは漢検の勉強をしている人かオジンオズボーン篠宮くらいである。

 

しかしよく考えてほしい。焼肉のタレのレモン味の表記が漢字である必要性のなさ(と書いてしまうけども、おそらくいろんな会議があっての決定だろうから、大きく否定はしないけど)と、そして漢字で書いてあるがゆえに「別に漢字で書けなくても死ぬまで困らない」はずのアイドル相場雅紀が、たとえ檸檬という難しい漢字だったとしてもわざわざ「僕は書けるようになりました」と言わされている状況。哀しくないか。

 

何が哀しいかって、単純にアホっぽいじゃないですか。そりゃ相場雅紀というアイドルがアホキャラとは言わないけども、嵐の中では一番庶民的というか親しみやすい位置にいるわけで、そんな相場がこういうCMやるからこそ良いってのは理屈としては分かる。しかし相場雅紀37歳、自分と同い年である。トップアイドルであるがゆえに見た目も若いし老若男女から愛されている。でも37歳。自分がオッサンであるのと同じように、愛されていてもその正体はオッサン。オッサンが「漢字が書けるようになったよ」と報告してくるCM。これは哀しくないか。少なくとも同い年の自分には哀しいし、超切ない。何の罰ゲームだよと思う。

 

たとえばこのCMをKing & Princeの誰か(誰が相応しいかはよく分かりません)がやったとするならばまた話は違う。まだ皆20代前半。漢字が書けるようになったと報告してもまだ「可愛い」が通用するんじゃないか。理想は10代のアイドルであってほしい。難しい漢字覚えて偉いしかっこいいし可愛いじゃないか。誰も損しない。

 

けど相場雅紀37歳オッサンよ。中学生くらいの子どもがいてもおかしくない年齢。そろそろ枕も臭くなる年齢。日本を代表するアイドルといえども、37歳のオッサンが漢字を覚えたことを報告してくるCM。哀しい以外の感想があるか。これが相場のアドリブであればもう頭を抱えるしかないんだけど、どう考えてもCMプランナーの意図に沿ってやったプロの仕事。だからこそ哀しい。

 

この感情は「同い年のオッサン」であるところの自分だったら、と考えてしまうせいなのだろうか。もちろん自分がCMに出ることなんてないわけだけど、それでも自分が同じ立場だったらと思えば、これはかなり恥ずかしい。これまた同い年である深田恭子がビキニで表紙になっている現在発売中のヤングジャンプを買うくらい恥ずかしい。変なエロ本買うよりよっぽど恥ずかしいですね。もっとも同い年でヤンジャンの表紙飾る深田恭子もどうかしてますけど。いい意味で。

 

それはともかく、「相場雅紀の持っているキャラだから許されているCM」ではあるけど、同時に「37歳のオッサンが漢字が書けるようになったことを報告してくるCM」と捉えた場合、やっぱり冷静ではいられない。ファンは可愛いって思ってるのだとしたら、そろそろ陰毛に白髪が混じってくる年齢だと伝えてあげたい。

 

 

真摯な謝罪

昨日書いた記事がなんか知らんですがたくさん閲覧数があってですね、ありがたいことです。昨日今日合わせて3万アクセスですって。誰がそんなに読んでるんだよ、と思う。

 

ハナっからエラそうなこと書きますけども、たくさん読まれることに関して「嬉しいなあ」という気持ちはありますが、それと同じくらい「あー、面倒くせえなー」と思ってます。金にならないし。見ず知らずの奴が謎のマウント取ってきますし。金になるなら我慢できますけど、そうじゃなければただ面倒なだけです。金の介在しない仕事に責任は発生しないとラーメンハゲ(ドラマでは鈴木京香)が言ってます。そういうことです。

 

あまり大っぴらに言うのもどうかと思うんですけど、自分はこの記事に対する「はてなブックマーク」のコメントをちゃんと読んでいます。それは「そういう意見もあるなあ」とか「日本語読めないなあ」とか「こいつは友達になれない」とか色々考えるきっかけになるからです。ごくまれに気づかされることもあります。自分の意見は自分の意見としてそれなりに考えたことを書いているつもりではあるんですが、自分とは違う意見を見たり聞いたりすることでいろんなモノの見方を知るのは大事だと思ってます。もちろんゴミみたいな意見もありますけどね。どれとは言いませんけど。どうせ次の記事なんて読んでない奴らが勝手に抜かしているだけですからね。公共の電波がどうとか偉そうに書いてる奴とは一生分かり合えない。

 

自分の雑な意見に対するご意見ご批判はともかく、たまに事実誤認を指摘されることがあります。これも前にも書きましたけども「事実」と「自分の認識」はズレていてもいいと思ってます。カッコいいことを言えば、自分は自分の意見を「自分の認識」で述べているのであり、事実を基に述べていないときもあるからです。本音を言えば「金もらってないのにいちいちきっちり事実確認なんかしねえよ」である。こういうこと書いてるからダメなんですけどね。

 

とはいえ、「ああ、これはまずい間違いだな」ってことは素直に謝りたいと思います。完全なる自分のミスは即座に謝る。というわけでこれはもう、真摯に謝ります。

 

 

「逆マジックミラー号」ではなく「逆転マジックミラー号」でした!大変申し訳ない!

 

 

いやー、これはマズった。はてなブックマークのコメントの中に「逆マジックミラー号言いたいだけだろ」と書かれていましたが、まさにその通り。やっぱり鋭い人はいるなあと思ったものです。しかし「逆転マジックミラー号だろ」というAVソムリエ諸氏の指摘に「しまった!」と頭を抱えました。これはちゃんと調べて書くべきものだった…。完全なる後悔です。

 

しかし反論しておきたいこともある。

正しくは「逆転マジックミラー号」。プレイ終了後ではなくプレイ途中で突然外から見えるようになって羞恥心を感じながらセックスをするという内容だ。筆者はちゃんと観てないだろ!観てから語れよ!

タイトルを間違ったのは完全なるミスだ。謝罪したい。しかし「観てから語れよ!」は困る!見てる!途中から見えるようになるのだってちゃんと知ってるさ。ぶっかけられた疑似ザーメンがガラス越しに垂れて見えるのが鳥の糞みたいできったねえと思うんだけど、これが逆転マジックミラー号の醍醐味として認識されてるんだろうなあ、とか思ってるって!プレイ終了後に拍手で出迎えられるところで、逃げるように去っていくのが白々しくていいからピックアップしただけなのに…。まあいいや。

 

謝るといえば、ニッポン放送が岡村に先んじて謝罪コメント出してしまいましたね。これは悪手じゃないかと思います。

news.yahoo.co.jp

www.allnightnippon.com

これって岡村本人からの謝罪であれば「本人が反省している」ということになるのだろうけど、ニッポン放送が事態を鎮静化するために岡村の意思を確認せずに勝手に出したのであれば、たぶん番組はこじれる。これは岡村が自身で後始末をしなければいけない問題であり、会社が勝手にしゃしゃり出て謝るべき性質のものじゃあないと自分は思う。これをどう落とし前つけるかがラジオの真骨頂じゃないのかなあと思うのだけど、その機会を自ら台無しにするニッポン放送の見識を疑う。放送してしまった以上、この件は岡村と心中するしかないんだって。それができなかったニッポン放送の中途半端な覚悟は岡村に伝わるし、岡村がどう思うかだよ。これで番組終わったら半分はニッポン放送のせいだと自分は思う。当事者である子どものケンカは先に親が謝っちゃいかんのよ。

 

 

というわけで「言いっぱなしで悦に入っているお前のコメントもきっちり見てバカにしているからな」という最低の告知が本日の更新の唯一伝えたいメッセージです。ブログ向いてないな自分。ハライチ岩井風に言えば「ブックマークのコメントだからって逃がさねぇからな」です。明日からいつものクソみたいな文章に戻ります。さようなら。