同じ轍

タモリ倶楽部」のオープニングが省略されるという事態に。

 

北海道は「タモリ倶楽部」の放送が2週ほど遅れているので、先日タモリ電車クラブの軌跡に関しての放送(つまりは総集編)だった。だからこの情報はネットニュースで知った。言うまでもなく由々しき事態であるので、ネットの力を借りてオープニングを見たわけだけども、やはりオープニングとしては放送されていない。その日のテーマの後ろで申し訳程度に流れていただけだ。

 

オープニングで指原莉乃にわざわざ「オープニングのお尻はなくなったんですか?」と質問させ、タモリが「3時間撮って20何分しかない」という理由でカットになったんだという話をわざわざさせていた。これは番組側が有耶無耶にお尻をフェードアウトさせるのではなく、タモリに言わせることではっきり「やりませんよ」という意思表示をしたのだ。

 

タモリ倶楽部はここ数年で緩やかに色々なものが失われている。「Short Shotrs」に合わせて軽快に振られるお尻こそがタモリ倶楽部の代名詞。のはずだったのに、数年前からはオープニングの尺があからさまに短くなり、そして今回オープニング消滅。長年ナレーションを務めてきた武田広さんは徐々にフェードアウトしていき増谷康紀さんに(そして今回の放送から女性のナレーションに)。こちらは年齢のこともあるのだろうが、詳しい事情は分からない。そしてこちらもニュースになったが、「空耳アワー」が一時休止に。これはコロナウイルスの影響でVTRが量産できなくなったことも大きいだろうが、それ以前から自作VTR投稿も可能になったりしていたのに、全て止めてしまうのはちょっと解せない。

 

長年続いている番組が、緩やかに変化していくのは珍しいことではない。長いことやっていれば時代に合わなくなっていくものも多い。ネット動画で自分の見たいシーンがすぐ見られるようになった昨今では、番組にオープニングなんて不要だという意見はごもっともだ。タモリが番組内で釈明していたように、オープニングを流すくらいならば本編の尺に時間を割きたいという気持ちも分からなくはない。また、タモリはその手の決まりごとになんらこだわりがないので、番組側から辞めることを請われれば断りはしないのだろう。

 

しかし、タモリ倶楽部のオープニングはやらなきゃいけないものだと思う。だって、オープニングを含めて我々は「タモリ倶楽部」という番組を嗜んでいるのである。若者は若者で好きな場面から見ればいいじゃない。「タモリ倶楽部」のサブタイトルは「FOR THE SOPHISTICATED PEOPLE」、洗練された大人に向けているのである。洗練された大人はあの尻を眺めて番組を迎えるのだ。少なくとも自分はそう思っている。

 

とまあカッコつけて書いてみたものの、何も自分が通ぶって「番組オープニングは大人の嗜み」と言いたいわけではない。自分はこのオープニング省略に既視感があり、そしてそこからイヤなものしか感じないからだ。お気づきの人も多いと思うのだが、「笑っていいとも!」を連想するのだ。

 

「いいとも」は説明の必要がないと思うが、言わずと知れたお昼の顔だった番組。もう終了してから6年も経った。タモリが司会を務めていた番組で、「いいとも」も昔から続いていた番組らしく、オープニングに「ウキウキWATCHING」が流れていた。というよりいいとも青年隊をバックにタモリが歌っていた。しかしある時から(wiki先生によると2000年3月)オープニングを歌わなくなった。これはタモリが「もういいんじゃないか」ということでなくなったのは有名な話。

 

また、同番組の看板コーナー「テレフォンショッキング」は芸能人が電話で次の出演者を紹介するという形を取っていた。初期は本当に出演者の友達を繋いでいたわけだけども、いつしか番宣などで用意されたゲストが紹介されるようになり電話は「形式上」でしかなくなった。誰しもが友達じゃないと知りながらそれを見守る茶番、これを「様式美」と呼ぶか「無駄」とするかは考え方による。「いいとも」側はそれを「無駄」と思ったらしく、2012年にはただゲストを迎えるという形式になってしまった。

 

自分はこれをかつてこんな風に書いた。

おそらく同じことを思っている人が何万人といるだろうが、「面白くなくなったこと」の決定打となったのは「テレフォンショッキングの友達紹介の廃止」だろう。番組が始まった当初はともかく、今までだってそれが本物の友達ではないことは承知のうえで見ていた。しかし、その建前を排した時点で「それでいいのかよ」という視聴者と番組が共犯的に抱えていた「お約束」が壊れたことに失望した人は多かったんじゃないかと思う。自分もそのうちの一人だ。「笑点」が座布団ではなくパネルにポイント表示をされるようになって喜ぶ人はいるのだろうか。分かり易いけどそういうもんじゃない。テレフォンの友達紹介廃止ってこういうことをしていたんだと思う。

nageyarism.hatenablog.com

前述したように、番組が長くなると時代にそぐわない部分を見直すことはある。しかし長年続いている番組でそれをやると、「そういうもの」として見てきたお約束を一方的に壊された感じがして白けてしまうことがあると思う。最近の「タモリ倶楽部」の「空耳アワー休止」も「オープニング廃止」も、どちらもあまりいい方向にはたらいているとは思えない。「空耳アワー」を休止したなら、その分の時間が浮くわけで、新しいコーナーを短くしてもオープニングくらいやればいいのに。毎分視聴率とかのデータとかでこんなことになっているのであれば、そんなもん無視しろよ。

 

いまや番組のオープニングは時代遅れの遺物なのかもしれない。言ってしまえばなくてもいいものだ。しかし「なくてもいいもの」的なことを面白おかしく楽しむのが「タモリ倶楽部」の本懐じゃないのだろうか。アイデンティティを否定することにならないか。どうなんだ。