未必の故意

岡村隆史のANN」にて、降板以来出演がなかった相方矢部浩之が登場。公開説教。

 

序盤は岡村の謝罪とともに完全なる御通夜ムード。ちょっと喋っては曲、の繰り返しで「これで2時間持つの?」と思ったけども、途中から矢部が参加。岡村に対する、そしてラジオ全体に対する説教を始める。

 

ちゃんとした中身は実際にラジオ聴くなりしてほしいのだけど、自分が聴いていてピンポイントに心に刺さったのはこの2点。

「岡村の発言が出たのは、本人も含めてリスナーもスタッフも皆がそのような発言が出ても大丈夫という驕りの雰囲気を作っていたから。ラジオを離れた人間(矢部)に言われたくはないだろうが、辞めた人間が客観的に見ればそういう雰囲気になっていたのは明らかだった」

「今まで岡村がそのような炎上にあまり縁がなかったのは“可哀想さん”だからだ(=頭パッカーン(鬱)を患ったことで、周りが気を遣っていたからだ)。しかし一般的に考えてお金も仕事もある岡村は“可哀想さん”ではない」

 

これは素直に「矢部にしか言えないこと」だなあと思った。元々一緒にラジオをやっていた人間として、そしてずっと近くで岡村を見てきた人間の客観的な意見として、ふたつとも実感がこもっている。特にデリケートな鬱の話に踏み込むことが出来るのは本当に近しい人間だけだろう。そしてこれが言えるのはやっぱり岡村隆史に対する「愛」でしかないわな。ラジオを聴いた人間の心を揺さぶるのは分かる。極楽とんぼ山本に対する加藤の関係と一緒だ。

 

そしてその後のコーナーも付き合ってくれたり、締めの「わーわー言うとります」「お時間です」「さようなら」が「ナイナイのANN」であることを実感させたり、昔からのリスナーであればあるほど、この放送が心に刺さったことは間違いない。自分ですらちょっと感動した。今回の騒動も矢部がその場で突っ込んでいたならこんなことになっていなかったんじゃないか、やっぱり岡村のラジオにはバランサーとしての矢部が必要だったのだ、と誰しもが思っただろう。

 

ただまあ、これをそのまま「コンビ間の美談」で終わらせるほど事態は単純じゃあないですよね。自分が今回の問題点として考えていた「ラジオDJとリスナーの距離感」「そもそもの岡村の思想」の2点について検討してみる。

 

「ラジオDJとリスナーの距離感」という話は、矢部の「岡村もスタッフもリスナーも全員悪い」という意見に集約されていると思いますので、ラジオ全体の意見としてはまた別ですけども、今回の件に関して言えばこれ以上突っ込む必要はないでしょう。

 

一方で「そもそもの岡村の思想」に関してはかなり根深い。矢部は説教後半で岡村の人間性そのものにずーっと疑問を呈していた。「女性を敵視している」「逃げ癖がある」など、岡村にとっては本当に耳が痛い単なる説教だ。それを糺すために「結婚してみたらいい」など、かなり突っ込んだ発言まであった。それと同時に「50近いオッサン二人が話すような中身ではない」とも。

 

これは本来ラジオという「公共の電波」でするべき類のものじゃないし(公共の電波云々言ってた奴はこの放送に関して当然そう思っているでしょう、自分は別にやってもいいと思ってますけどね)、矢部がここで説教することは「事態収束のガス抜き、通過儀礼」みたいな側面もある。岡村の人格がこの発言を生み出したのは間違いないけども、一方でこの発言を糺すために性格を変えろ、というのは「今後」の話であり、今岡村が直面すべき問題から少しズレているとも思う。根本的解決には向けているけども、かといって今回の問題に「本当に」怒っている人はあんまり納得しないんじゃないか。だから今回の話を「コンビ愛」で済ますのは、やっぱり自分はあまり納得しない。それはそれ、これはこれ。たぶん矢部も分かっていたはず。

 

そして何より自分が気になったのは「岡村を説教しているようでいて、その岡村を遠ざけ距離を取ることで何もしてこなかった矢部浩之自身の都合のよさ」も露呈していたこと。矢部は随分と前から岡村の根本的な性格にアレな部分があることに気づいていた。それはまさに自分がナイナイのANNを「あまり面白くない」と感じる理由とシンクロするように、である。次から次へと出てくる「あの時こう思っていた」の話は、ひとつひとつ岡村のダメなところをあぶりだす効果はあったが、それと同時に「矢部がその時注意が出来ていれば、この事態を引き起こすことにはなってなかったのでは?」という疑念が自分には生まれた。

 

これはナイナイのコンビの関係性として「元々先輩であり、自分がこの業界に引きずり込んだことの矢部の負い目」があるんだろう。頭パッカーンのときも相当責任を感じていた。一方で岡村が復帰したときは、矢部にテレビの前では謝罪はあったけども、その裏ではラインの1行の言葉しかなく「こっちで謝れることが本当は大事なのでは」と思っていたという。けどその時に言わなかったのである。

 

矢部の岡村の性格に対する違和感は「ラジオ降板」「楽屋が別」など、目に見える形で進行していく。矢部はずっと「岡村に気づいてほしかった」と思っていたんだろうが、口に出すことはなかった。それは矢部なりの気遣いだったのかもしれない。おそらく今回のような事態がなければ、今後も口にすることなく矢部は距離を取りつづけたのではないか。でもそれを今回口にした、ということはやっぱり「それではいかん」と思ったからなんだろう。

 

これも冷静に客観的に見れば「いや、矢部が早いうちに岡村に指摘しておけばこんなことになってないじゃん」となる。芸歴も長くなり周りから注意や指摘されることも少なくなった、と矢部は述べていたが、その指摘を出来た人間が誰よりも自分だってことも分かっていたはずだ。でもそれをしなかったのは岡村に対する遠慮と矢部本人の「コンビの関係を悪くしてまで突っ込むことではなく、自分が避ければよい」という逃げではなかったのか。

 

今回の騒動は「誰よりも岡村を指摘できる状態にありながら、矢部がそれをしなかったことによる起きたコンビとしてのツケ」という言い方もできる。それを自覚していたからこそ矢部は今回ラジオでこういうことを言ったんじゃないか。岡村の問題ではなくコンビとしての問題。矢部が「ナイナイというコンビの危機」と言ったのはこういう意味だったんじゃないかと。考えすぎか。今回の騒動だけを見れば説教そのものが何の解決にもなっていない。しかし今後を見据えた上ではこれ以上の解決策はなかった。そんな風に思う。

 

こういう見方をすれば「矢部も悪い」「いや矢部こそが悪い」という言い方もしようと思えばできる。しかし矢部がそれをしてこなかった、できなかった心境も自分はなんとなく分かる(というかラジオ内の発言でその心境が滲んでいる)。客観的に見て分析は可能でも、それを実行に起こす、起こせるかどうかというのはまた別の話だ。そしてそんなに簡単に理屈通りいかないのが人間だったりする。コンビとしての、人間としての未熟さをさらけ出した二人の人間臭さをこれ以上責めることは自分にはできない。人間のダメさ未熟さを赦せる人間でありたい。

 

もう一度言うが、岡村の発言そのものがこれでなくなったわけでもないし、その通底にある社会問題も解決したわけでもない。説教は美談にもならない。しかし、これ以上何を外野が喚けというのか。「あの発言と思想は気持ち悪かったけど、反省して次で挽回しよう。ドンマイ!」しかないじゃないか。紛れもなくラジオ史に残る放送。