ニセモノであるから

「ノンフェイクション」という番組がテレ東で放送されましてですね。

 

ドキュメンタリーとして追いかける対象の中に、ひとつだけ(一人だけ)フェイク、つまりニセモノが混じっているという番組。今回放送されたのは「メンズ地下アイドル」がテーマ。3人の男性地下アイドルのうち一人だけがニセモノ。ケンコバ市川紗椰がVTRを見るという立場なのだけど、特にクイズ形式になっているだとかそういうことではない。見て感想を述べる。「ハイパーハードボイルドグルメレポート」の小籔と同じ立場。

 

でまあ、番組の感想としては「ただニセモノが混じっているだけ」なのは「面白いのかそうでないのかよく分からない」である。

 

今回のドキュメンタリーはフェイクも含めて全て本物のドキュメンタリー監督である岩渕弘樹が担当。だから本物もニセモノもドキュメンタリーとして普通の映像に仕上がっている。それゆえ本物はもちろん、ニセモノも「それなりのドキュメンタリー」に仕上がっているのだけど、番組の意図が「当てさせる(あるいは騙す)こと」ではないせいか「ヒントとなるものが題材の雰囲気でしかない」のである。

 

たとえば格付けチェックであれば「その道の巨匠」と「駆け出し」が撮影することで、その違いに気づくか?というコンセプトになる。しかしこの番組は両方とも同じ人が撮っているし、本当にただ単に「題材そのものが本当かウソか」なのだ。しかもヒントはなし。見終わったあと「騙された」という感じにもならず、かといって「これが嘘でよかった」という深刻な感じでもなく、ただ単に短編のドキュメント2本+フェイク1本を見せられたという感じ。まあそういう意図なのだろうけど、自分は思ったよりそこに面白さを感じなかった。

 

 

原因のひとつとして、「このドキュメンタリーの中にフェイクが混じるという構造そのものに何かしらのフェイクが混じってくるのではないだろうか」とかなり過剰な期待をして見てしまったこともあるのかもしれない。例えば「フェイクのアイドルはおらず、監督がフェイクだ」「最後のVTRでケンコバが別人に変わっている」「市川紗椰のユアタイムの1年間がフェイクだ」なんていう十重二十重のトリックがあるのではないか、くらいのことを見ていて漠然と考えていた。でもそういう仕掛けは当然ない。

 

そもそも自分の見込み違いとして「フェイクだと分かるようにフェイクを作っていたわけではない」ということ。例えばフェイクドキュメンタリーで自分が強烈にハマった「放送禁止」シリーズはそのドキュメンタリー内に「真実」が見え隠れするようにヒントが散りばめられている。それを見つけるのが楽しみであったりする。しかし今回「ニセモノが混じっている」んだけど「ニセモノを当てること」が主眼ではないため、ドキュメンタリーの中身に仕掛けがあるわけではなく、単純に「素材が架空で役者」というだけ。それが「そうやってドキュメンタリーって作れるじゃん」という皮肉であるともいえるんだけど、自分には「単にニセモノ混ぜて作ってみよう」レベルまでの意気込みしか感じなかったんだよなあ。惜しい。もっと企画を練りに練って、現実とフェイクの境界線が見えなくなるまでこちらの頭をゴチャゴチャにしてほしかった。

 

まあ来週の「熟女セクシー女優の私生活」は見ますけどね。バクシーシ山下監督とかフェイク混じってなくても見るよ。むしろフェイクいらないじゃん。企画的にはそういうことじゃないと思うんだけど、そう思われてしまう時点でちょっと失敗しているんじゃないかとは思う。

 

 

 

 

「フェイク」ついでに「クレイジージャーニー」打ち切りの件を再度。「やらせと演出の境界線」という論点で是か非か語られている感じがちょっともどかしい。「動物を置くくらいのことは演出の範疇じゃないか」だとか「川口浩探検隊が許容されてなぜ今回のはダメなのか」とかいう意見を見たり聞いたりして、「うーん」と思う。賛同できない。前書いたものと意見はあまり変わってないので置いておきます。

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前にも書いたけども、加藤先生がこの「演出」を知っていようといまいと(知らないわけがない、という追撃記事が出たけどもあまり話題になってないのか)、加藤先生の信用は少なからず傷ついたと思います。無邪気な顔して捕まえていたけど、本当は知っていたんでしょ?と。それがタレントなら「演出」「仕事」で済ませていいのかもしれないけど、学者の加藤先生がやると意味合いが少し変わってくるような気がするんです。一応建前は「珍しい爬虫類を自らの手で捕まえる」なんだし。

 

そしてここを再度強調したいのだけど、信用を損なうのは加藤先生だけではなく、全てのクレイジージャーニーとして出演した人たちなのだ。これを許すわけにはいかないだろう。調査によって「(加藤先生の企画内では)他に同じような演出が見つからなかった」となっているが、裏を返せば「全部のクレイジージャーニーを調べているわけではないので、そこにはまだ何かあるのかもしれない」となるだろう。最悪加藤先生が演出に加担していて、加藤先生「のみ」の信用が落ちるのは仕方ないかもしれない。しかし「クレイジージャーニー」に出演していたという理由で、あらぬ疑惑のまなざしを向けられるように「してしまった」ことそのものは、視聴者ではなく今までの出演者に対する大きな裏切りになる。

 

これが「加藤先生の生き物バンザイ」という単独番組であれば「それくらいの演出はいいじゃん」と思ったかもしれない。けどバラエティといえども、人生をかけた生き様を映す「クレイジージャーニー」であれば、やっぱりダメだよなあと自分は思う。

 

 

我慢できなかった

ラグビー日本代表が負けてしまいましたね。

 

ワールドカップ開幕当初は「本当に日本勝てるのかいな」と思っていた大半の日本人の期待をいい意味で裏切り、予選リーグを全勝で通過。試合を重ねるごとにラグビー人気は過熱する。前回のワールドカップで奇跡的に勝利した相手である南アフリカとの試合は、残念ながら力の差を見せつけられる結果となった。そんなに甘くはなかった。

 

とはいえ、国内での盛り上がりは前回ワールドカップ、五郎丸フィーバーを超えた感がある。ラグビー業界にとってみればこんなに喜ばしいことはないだろう。しかしまあこの人気を定着させるには、ナショナルチームがある程度活躍し続ける必要があるわけで、なかなか難しい部分もあるだろう。

 

と、無難な導入を書きましたが、当然にこんなことを書きたいわけではないのですよ。自分が書きたいのは「あの替え歌が恥ずかしいんだけど、みなさんはどう思っているのかな」である。

 

ラグビー日本代表が自らを鼓舞するために歌っていた「カントリーロード」(映画「耳をすませば」の主題歌)の替え歌である「ビクトリーロード」。日本代表を取り上げるVTRでは必ずと言っていいほど「ビクトリーロード」を歌う選手たちの姿が放送されていた。自分は最初の1、2回は「おお、そんな替え歌歌ってるんだな」と特に何も思わなかったのだけど、これが繰り返し聞こえてくるたびに、ちょっとずつ「あれ?これ聴いているとなんだかすげえ恥ずかしい」と思えてきたのだ。

 

こんなことを書けば「ラグビー日本代表を冒涜しているのか!」とかすぐ言われそうなんだけど、もちろん歌っている人たちや歌そのものが恥ずかしいということではない。国籍や背景が違う人たちが「日本代表」という名のもとにひとつのチームとなって戦う、という事情を考えたとき、多少ベタでも分かりやすいこの替え歌は「気持ちを一つにする」という恰好の装置であり、欠かせないものであることくらいは分かる。

 

しかし自分は日本代表ではなく、そしてラグビーにそれほど思い入れがある人間でもないので、繰り返しこのベタすぎる替え歌を聴くたびに「うーん、ちょっと居心地悪いなこれは」と思ってしまったのだ。それが転じて「ちょっとこの替え歌の場になじめない恥ずかしさ」となった。だから「恥ずかしい」の原因は自分自身であり、自分が悪い。決してラグビー日本代表を貶める意図はない。

 

ただ敢えてもう一度言うが、やっぱり替え歌が恥ずかしい。でも、この恥ずかしさの起因が自分にあるということは、自分と同じような理由で同じように気恥ずかしさを感じている人は少なからずいるんじゃないのか?とは思うのだ。そして自分と同じ恥ずかしさを纏う人は、おそらくこの期間中「ビクトリーロード」を聴くたびに「あああああ」という気持ちになり、そして盛り上がっているところにわざわざ水をさすような「ちょっと恥ずかしい」という気持ちを口に出すことなく、ただそっとチャンネルを変えていたはずだ。

 

そういう人々はそんな自分の気恥ずかしさに少しだけ向き合い、そして気持ちに蓋をする。ここで「えー、この替え歌ダサくない?」とか言える人は「恥ずかしい」という気持ちを持ちうるはずがない。だから期間中ずっと恥ずかしかった人たちは、今ちょっとだけほっとしているんじゃないだろうか。

 

しかし自分のようなデリカシーなし人間は、日本が敗退した後にこういう事を言ってしまう。単に我慢が出来ない。いや、そういう我慢をしないようにずっとこの場所でそういうことを書き続けているのだ。あの替え歌が「恥ずかしかった」と思ったあなたはひとりじゃないです。安心してください。いやもしかしたら「自分がひとり」の可能性もあるんだけど、その時は自分だけ恥ずかしかったということで別にいいです。

 

 

「クレイジージャーニー」および「消えた天才」の終了が正式に発表されました。「クレイジージャーニー」に関してはやっぱり「勿体ない」という気持ちも大きいですが、少なくとも現状のフォーマットのまま続けるのには無理があるでしょう。仕方ないけど、これでいいんだと思います。これを糧に「次」につなげてほしいです。

 

地続き

教師間のイジメ問題に関して、他人とはうっすら違う感情を抱いております。

 

大前提として「そりゃあイジメは悪いし、イジメられていたほうはたまったもんじゃない」ことは当然です。被害者のほうからすれば憤懣やるかたないのは誰だって分かること。本来イジメを防止するために奔走しなければならない立場の人間がイジメを行っていたというのは、やはり恥ずべき事態であるとは思う。

 

しかし、この報道の世間の受け止め方が「教師失格の特殊な極悪人がやっている」という感じになっていて、自分はちょっと怖い。だってこれ、「教師」というフィルターを除けば「社会人の同僚に対するイジメ」でしょ?こんなもんどこかしこで行われていることじゃないのか。極悪人じゃなくたってイジメはする。むしろ普通の人間関係からイジメは起きてくるわけで。

 

この一連の報道を見て「被害は我が身に起こりうることだろうし、逆に自分も加害者の立場にならないように気を付けなければなあ」とは思えど、「こんなクズ人間は教師の資格なし!いますぐ名前と顔を出せ!クビ!」とか、とてもじゃないけど言えない。もちろん直情的な感情でたいして考えてはいないんだろうけど。ただそんな考慮もなしに叫んでいる人を見ると「ああ、こいつは将来被害者にも加害者にもどっちの立場にもなりうる人だなあ」と自分は思えてしまう。だって、想像力が足りていないんだもの。

 

誤解をおそれずに言えば、自分だって加害者にも被害者になりうると思う。それは現在進行形で誰かに暴力を振るっているわけでもなく、また集団で激辛カレーを食べさせられているわけでもない。しかし、今後どちらにもならないという確証はない。「今そうじゃないから、今後もそうならない」というのは想像力の欠如で驕りである。自分だって何のきっかけで暴君化するか分からないし、何がきっかけでセクハラメールを打つかは分からないのだ。

 

しかし加害者側を糾弾する人たちは決まって「自分はそうじゃないし、そうはならない」という自信に満ち満ちている。少なくとも自分にはそう見える。まるで、自分はその世界とは全く無縁の人間であるかのように。もちろん教職という狭い世界で捉えれば無縁の人も多いんだろうが、「社会人の人間関係」という世界で捉えれば無縁な人などどれくらいいるのか。

 

その自信はある意味羨ましくもあるけど、一方では物凄く怖い。「自分はそういう立場にならない」という自信があるがゆえに、最終的に「そういう立場になっていても気付かない」ってことにならないか。それって結局、今回のケースと同じじゃないのか。かわいがっていただけ。イジメとは思っていなかった。どこが違うんだろう。

 

念のためもう一度言うが、イジメは悪い。そりゃそうだ。しかし加害者を居丈高に集団で批判するその態度は、結局批判しているイジメと地続きのメンタルじゃないのかね、と自分はうっすら思ってしまう。教師じゃなければいいのかな。そんなことないと思うけど。

 

 

小手伸也爆裂応援宣言

「シンデレラおじさん」こと俳優の小手伸也が文春に過去の不倫をすっぱ抜かれる。うひょー!

 

自分は今日この文春の速報記事を見たとき、思わず職場で小躍りしてしまいました。だって、小手ですよ。昔からの友人みたいに呼び捨てしてますけど面識はないです。それでも、小手ですよ。あの小手が不倫!小手が不倫!もう一度言いますけど小手が不倫!これがわくわくせずにいられるかってんですよ。うひょー!

 

……とまあかなりロマンティック浮かれモードで始めてしまいましたが、少し冷静になります。小手伸也がブレイク前の2017年にtwitter上でナンパして不倫していたらしい。「真田丸」が2016年の話なので、少し注目された頃の話だ。分かりやすく浮かれていたんだろうなあ、小手。そして売れてきた今になって分かりやすく売られる。不倫の是非はここでは不問!分かりやすく売られた小手は可哀想!けど不思議と自分からこぼれるのは笑いのみ。なぜだ!

 

自分がこの小手不倫騒動に感じるのは「おかしみ」しかないのです。そりゃ当事者である小手を売った女とか小手の奥さんとかは別でしょうけど、自分は「45のオッサンの不倫がこうして話題になる」ことでちょっと元気が出るし、何より「小手が不倫している」ことが面白くてしょうがない。若い頃の小手はすさまじくイケメンですが、今の小手は完全なる「いい味出してるオッサン」である。そのオッサンが不倫しているというのは、自分のようなオッサンに「お前も頑張れよ」と言われているような気がしてならないのです。いや不倫しろということではないんだけども、小手くらい色気を持って日々生きろと言われている気がして。

 

小手はこの不倫で叩かれるんだろう。「あんなオッサンのくせに不倫するのか」と叩かれるんです。しかし違う!小手は「あんなオッサンだからこそ不倫する」んです!小手がいい味出しているのは、あの歳であんなオッサンなのに不倫するほどに色気があるからなんですよ。だからこそあの演技ができるしベレー帽が死ぬほど似合うのです(「なつぞら」より)。そんな小手を奥さん以外に誰が責めることができるのか!自分は小手が不倫をせずにつまんない演技をするならば、不倫をしてあれだけの演技が出来るほうが素晴らしいと思う人間です。「不倫は芸の肥やし」とまでは言いませんけど、小手は不倫しているほうが面白いとは思うわけです。誰にも賛同されなくていい。

 

だからこそ自分はここで「小手伸也爆裂応援宣言」をしたいと思います。もし小手がこの件であらゆる場面で叩かれようとも、自分は、このブログでは小手を必要以上に応援します。ただ、もちろん無条件に「小手さん!応援してます!」ではない。「小手!不倫してるじゃん小手!最高じゃん!」と、小手の不倫をあくまで小馬鹿にしながらも愛でもって応援します。そして最後にこの言葉を贈ります!

 

目に見えるものが真実とは限らない。
何が本当で、何が嘘か。
ベートーベンは、本当に耳が聞こえなかったのか。
オズワルドは、ケネディを殺したのか。
アポロは、月へ行ったのか。
小手は、不倫をしているのか。
コンフィデンスマンの世界へようこそ。

 コンフィデンスマンJP 第1話より

 

 

匠の配置

爆報!THEフライデー」にてEXIT兼近が逮捕歴について語る。

 

とはいえ「これは全く知らなかった!」という情報が出てきたわけではなく、今まで流れていた情報を整理したような感じ。逮捕された容疑の詳細について語られることはなかったが、札幌在住の身としては「ススキノでよく捕まっているタイプのやつ」だなあという印象くらいでしかない。

 

自分だってそりゃあ犯罪者に対する嫌悪感がないとは言わない。しかし自分の嫌悪感の源泉は「犯歴を武勇伝的に思っているその性根」であり、逮捕歴はなくてもそういう人間は多い。ただの素行不良を「やんちゃ」と言い換え誤魔化すのが嫌いだ。一方兼近は自分のやったことを美化するわけではなく、「正しく反省」しているように思える。兼近に逮捕歴はあるかもしれないが、いまだに「やんちゃ」したくてたまらない奴らよりよほどマシである。

 

だからまあ今回の番組は「もうこの話題は今後一切なし!これで終了!」というケジメだったのだろう。それでいいと思う。これ以上掘っても何も出ないよ、という意思表示でもあるんだろう。吉本にしては珍しくちゃんとした対応だ。何かを学んだらしい。

 

個人的には文春の記者の直撃が悪意ありまくりな感じで描かれていたのが笑った。いやでも実際あれぐらい悪辣なんだろうし、もっとやったほうがいいよな。それと取材を受ける番組は「爆報」で良かったのだろうか。それこそ同じ日に「金スマ」だってあるんだ。今のEXITならば金スマでいけたはずなのだけど、逮捕の内容が女性受けしないと踏んだのだろうか。でも「爆報」見ている人も大概金スマ見ている層とかぶっている気もするんだけど。そこらへんの謎が残る。

 

本題はこちらではない。こちらではないのかよと言われそうだが、こちらではないのだ。個人的に面白かったのは「この日の番組構成」である。

 

どう考えたってこの日の目玉は「EXIT兼近が騒動を語る」である。だから番組としては極力引っ張りたい。しかし2時間の構成の中で最後まで引っ張ると、前半の内容で飽きられたら再び戻ってくることはない。絶妙なタイミングでこの話題を投入する必要がある。

 

そんな中まず番組が扱ったのは「羽生ゆずらない」である。興味のない人は「誰だよ」となること請け合いのモノマネ芸人だ。もちろん名前の通り「羽生結弦」のモノマネ芸人であるが、現在は改名し本名の「あいきけんた」で活動している。改名は自身の文春報道による世界中の羽生ファン(本物のほう)からのバッシングによるものだとか。自分は「改名した」ということは何となく知っていたけども、詳しい経緯は知らなかった。ていうか知る気もなかった。

 

というわけで最初のVTRとしてはいい感じに小粒で「早くEXITを出せよ!」と適度な飢餓感を煽る感じになっておりました。そしてまだこんな小粒のジャブで引っ張るのかと思いきや、この次がEXITである。あまり引っ張るのは得策ではない、と「ぴったんこカンカン」の安住騒動で学んだらしい。

 

で前述のEXITに関するVTRが流れ、本来の目的はここでお終い。しかし次に持ってきたVTRが「歌姫の元恋人Mの現在!」である。これはねえ、結構ズルいんですよ。もちろん歌姫は浜崎あゆみだ。VTR中では頑なに浜崎の名前は出さないんだけど、BGMが全部浜崎だしVTR見ているスタジオの出演者が「あゆじゃん」って言ってるのに笑う。

 

もちろん「M」はエイベックスの松浦社長のほうではなく、ダンサーですぐ別れたマロこと内山麿我(まろか)。Mであることに間違いない。昔のテレビ番組がよくやってた手法ですよね。別に「M」が「マロ」であることがズルいわけではないんですよ。ズルいのは「絶妙にどうでもいいVTRを持ってきて、EXITの余韻でつい見ちゃう」という点である。

 

これねえ、不思議なもんで自分は全て見てしまったんですよ。「どうでもいいわー」とか言いながら。でもあまりにどうでもいい感じが、EXITの多少重くなっていた余韻を抹殺してくれるんですね。これは絶妙かつ巧み、まさに匠の配置だなあと思いました。

 

もっとも自分は内山麿我に多少の興味があり、過去に「本当にどうでもいい」と思いながらこんなものを書いてしまっている。ヒマすぎて死にそうな方は一読してほしい。

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内山の「まろ」の字は「麿」という「麻」の下に「呂」を書くタイプであるが、どうしても「磨」(「麻」の下に「石」)と間違いやすい。実は今回のVTRの中でも一か所「磨」の字を使っていたテロップがあった。気付いたのは世界で自分だけだろう。

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それはともかく、内山が相変わらず女性にだらしなく現在の妻がキレているという、当人同士以外は全く興味がないやり取りを全国に放送する。どうだい、ワイルドだろ?と言わんばかりのどうでもよさ。これはEXITの事をきれいさっぱり忘れさせてくれました。素晴らしいです。

 

最後は朝ドラ「なつぞら」のモデルとなった奥山玲子さんの話題でしたが、マロの後ではただの付け足しにすぎません。マロで終わると番組そのものが破綻してしまいますが、なんとなく最後にちゃんとしまっていれば「番組っぽい」という体裁を整えるものですね。よくできています。

 

ただの下世話な番組と思いきや、構成の緩急がとても練られている。だてに8年も続いているわけではないな。ていうか8年もやっているのか!とこの一文を書くときに調べたこの事実が羽生よりも兼近よりもマロよりも何より衝撃っていったいどういうことよ。

 

 

増税に寄せて

明日から消費税が10%に上がります。

 

イマドキの子どもは物心ついたら既に消費税は5%とかの世代で、30代半ばのオッサンである自分は、子どもの頃に消費税なんてものは存在しませんでした。北川景子の義理の祖父が「消費税導入しちゃうよーん」と決めた瞬間から、謎に通常の代金から余計に3%ぶんどられるという制度になりました。まだ小さかった自分は「なんか金額が中途半端で面倒くさいなあ」と思ったものです。

 

消費税が10%、つまり代金の1割余計に取られることの唯一のメリットは「計算しやすい」だけにとどまります。100円であれば110円、500円であれば550円と単純明快。5%はまだしも、3%や8%のような煩わしさは消える。しかしすっかりコンビニ払いをpaypayに依存している自分からすれば、もうその計算の煩わしさすらどうでもよいのです。脳の退化は避けられない。

 

ただまあ10%、つまりは1割という数字だけを見れば、国にかなりぶん取られている感は否めませんが、上げ幅でいけば2%、つまり3%から5%の時と変わらないのです。5%になったあの時自分は確か中学生だったと思うのですが(1997年)、そんなに騒いだ記憶がないです。それは中学生という多感な時期において、自分の頭の中は税率より勉強だったのです。ウソです。性欲でした。バストサイズを2cmサバを読むのは「許せん!」と思っていても、消費税が2%上がるのには「ふーん」という感想しかありません。そりゃ国も衰退するよ。

 

 

とまあ前置きはこれくらいにして、全く関係ない話をします。先日「鴻上尚史のほがらか人生相談」の書籍を購入しましてですね。

 

ご存じの方も多いかと思うのですが、作家であり演出家でもある鴻上尚史(こうかみしょうじ)がAERA dot.で連載している人生相談を書籍化したものです。人生相談といえば「相談に答える側がとんちんかんなことを言ってるのを笑う」というくらいしか目的のなかった自分が、「これはためになるなあ」と思って読んでいる人生相談です。ここで読めます。

dot.asahi.com

でまあ、読んでもらえれば素晴らしさは伝わるので、自分があれこれ言うつもりはありません。「ネットで全部読めるなら本なんか買う必要ないじゃん」と言われそうですが、いつ消えてもいいように手元に残しておきたい、くらいには好きだということです。

 

あと最近「笑福亭鶴瓶論」も読みました。「てれびのスキマ」こと戸部田誠さんの本です。だいぶ前に買ってはいましたが、しばらく本の山にうずもれておりました。とても面白かったです。「スケベ」というキーワードから笑福亭鶴瓶という人間を紐解く、とても意欲的な一冊です。

 

この2冊を読んで、「自分はこういう文章が書ける人間になりたかったのかもなあ」とちょっと思いました。お二人とも素晴らしい物書きです。

 

自分がテレビについてあれこれ書き始めたきっかけは「大学生の時分のヒマにまかせて」だったのと、言わずもがな御大ナンシー関の真似事であり、当時流行していたテキストサイトの真似事であり、そして同郷でテレビとラジオとアイドルの求道者であるピエールさんの真似事でもあります。だから言ってしまえば「なんとなく」です。そもそもが「物書きになりたい!」なんて大それた話じゃあないのです。読書量も人並みかそれ以下です。

 

しかしやっぱり「いい文章」を読むと「ああ、いいな!」とW(ダブルユー)ばりに思うのです。笑う人だけが笑えばいいのです。こんなスタンスで書いているからこそとてもではないけども多くの人に読まれる文章にはならないのです。趣味の延長でしかない。

 

批判を承知で書きますが、「一般にウケそうなそれなりのこと」を書こうと思えば、自分は書く能力があるんじゃないかと思います。いやあ傲慢ですね。書きもしないで、実際書けやしないくせに、と言われるでしょう。まあ書いてないから当然ですね。しかし書けるような気はしています。もちろんこれは「気がする」なので実際書けない可能性も大いにあります。その時は素直に白状しますから嘲笑してほしいです。

 

でもやっぱり自分はこういう場所で好き勝手書いているほうがいいです。仕事にすると面倒だし、なにより好き勝手に「おっぱい」とか書けないじゃないですか。あとこんな規模ですらたまーにバカに見つかって絡まれるのに、これ以上多くのバカに見つかるとこれはもう面倒です。自分は駄文を書き連ねるだけの素人でいいのです。だからこそ「素晴らしいなあ」と思うプロの文章には敬意とお金を払うのです。

 

こんな流れで「ではこれからメールマガジンで配信するので読みたければお金払ってねー」とかいう着地点に持ってこれればいいのですが、残念ながらそんなことはありません。更新はまた明日か明後日か分かりませんが、自分が垂れ流すクソブログは増税後も0円で読み放題です。誰か書籍化してください。ウソです。こんなブログ二度と更新しねえよ!

 

なつよ、そしてリーダーよ

NHK朝ドラ「なつぞら」が最終回。

 

後半ずーっと「主人公(広瀬すず)が老けた後は(姉の広瀬)アリスに任せたほうがよかったのになあ」と完全なるアリスびいき丸出しで見ていました。だからといってドラマ全体が面白くなかったわけではなく、後半失速した感は否めないですがなんとか最後まで乗り切ったかなあ、という印象。

 

NHKとしても100作目の朝ドラということで気合い入りまくりで、かつての朝ドラ主演女優を惜しげもなく投入しました。また、出てくる男性はことごとくイケメンばかりで、朝ドラとはいえパラレルワールド感が強かったです。女性のちょいブスさんは登場するのに、男性のブサイクが登場しない世界。戦後ブサイクが殲滅されたイケメンパラダイスですよ。

 

前半のテンションを後半維持できないのは朝ドラあるあるではあります。ある程度長期間の話を描く朝ドラは、話の舞台が大きく変わるのはほぼ必然。それが面白い方向に転がることもあれば、今までの勢いを削ぐこともある。そしてどちらかといえば今回の「なつぞら」は後者だったのかなあと。膨大な登場人物のせいのような気がしています。

 

これは完全に主観ですが「雪次郎の話、いらなかったんじゃねえの」と思ってます。

 

何を指しているかといえば東京に出てきてから「東京で修行する→夢を諦めきれず役者になる→フラれて実家を継ぐ」のコンボ。これ、ストーリーとして裏で進行していてもよかったとは思うんだけど、なつの話と並行して取り上げるようなことじゃあなかったのでは。

 

もちろんこれにまつわる話、登場人物が一切本線に関わってないわけではないので、一概に「全部いらない!」とはならないのだけど、かといって雪次郎メインの話のときには「いやあ、それが見たいんじゃないんだよなあ」と少なくとも自分は見ていてそう思っていたわけです。もっと成分薄めでなつの話をもうちょっと増やしてくれてもよかったんじゃないか。あるいはもうちょい東京編のグダグダが緩和されたんじゃないの、と思いました。まあ朝ドラは難しいですね。次の「スカーレット」もたぶん見ます。戸田恵梨香好きなので。

 

 

TOKIO城島茂さんが結婚しました。お相手の菊池梨沙さんは24歳で、城島リーダーの半分の年齢です。妊娠もしています。

 

年齢差とかできちゃった結婚とか色々言われそうな要素はあるわけですが、よく考えてほしい。48歳のオッサンが自分の半分の年齢のお嬢さんと結婚する踏ん切りをつける(あるいはジャニーズ事務所の首を縦に振らせる)には、こんなもんもう子供を作るしかないんですよ。冷静になればなるほど無理だもの。

 

一流芸能人として50歳近くまで過ごしてきた男性は、ぶっちゃけ今更結婚なんかしなくてもいいわけです。だってもう結婚しない人生でここまで来たのだから。子どもが成人する頃には自分はもう70近い。色々な未来を冷静に考えれば考えるほど、「しない」という選択肢のほうが現実的だ。

 

しかしそれでも子供を作り、「結婚する」という選択肢を選んだのはもうひとえに「ケジメ」でしかないですよね。もちろんそれ以外の要素も複雑に絡み合っての結果だとは思います。ただ、色々ひっくるめてのこの決断、自分には祝福しかないです。

 

というわけで「リーダーの結婚式に山口氏出席、TOKIO5人復活を目論むも山口氏うっかり酒を飲んで大暴れ、すべてが白紙に」まで見えた。