優しさは罪

スマスマの枠で放送された番組「中居正広のこうして私はやっちゃいました!神センス塩センス!」が、結構酷かったです。


呟きのほうにも少し書きましたが、このタイトルから「以前に何かやらかした人が出てくる番組」であることは容易に想像がつくわけで、それは「しくじり先生」のフォーマットであり、また今現在進行形でやらかしている人は「アウト・デラックス」なり「有吉反省会」なりフォロー番組があるわけで、「何をいまさら」感が満載なわけだが、こういうのが「中居が司会をする」というだけで番組として成立してしまうことに不幸がある。


冒頭で「酷かった」と書きましたが、番組そのものは目も当てられないほど酷くはないのです。それは中居が司会をしているから。今の日本のテレビ界で1、2を争う名司会者ですから、中身がどんなにへっぽこだろうと、そこそこ見れる番組に仕上げてしまう。だからこそ番組の内容がどんなにゴミみたいでもリカバリされてしまう。


芹那にしろ坂東英二にしろ、核心をはぐらかすような物言いで、さも「今は大丈夫!」的な話をしようとする。「しくじり先生」は、しくじりを乗り越えたうえでの話になるが、今現在しくじった状態である人間にその開き直りはマズいんだって。世間的に坂東英二は「脱税を植毛という言い訳で誤魔化した人」であり、別に「毛頭ございません」というダジャレで誤魔化した人じゃないんだって。そこらへんの感覚が視聴者と、いや少なくとも自分とは乖離してるなあとやっぱり思ってしまう。


その部分の乖離を認めたうえで坂東英二を起用しているのかもしれないけど、その起用が正解だったと思わせるほどの説得力(面白さ)はないわけで、何の勝算があって坂東なのだか自分にはよく分からないのだ。


失敗を深く抉るわけでもなく、ただ中居が優しく肯定して終わり。中居の心情としては分からないではないのだけど、前述したようにこれだけ似たような番組が乱立しているなかで、「ダメな人をダメなまま甘やかす」という姿勢は明らかに物足りない。「ダメ人間の肯定」という思想を自分は否定しないが、だからといってそれをそのまま番組にして面白いかは別。もう一度「アウト・デラックス」を見直してこいと言いたい。


そんなどうでもいい番組でしたが、最後に一番どうでもいい場面を紹介。


浜崎あゆみの元恋人で元ダンサー(すべてが「元」でちょっと笑う)の内山麿我(まろか、と読む)が出ていた。現在は農園をやっていることを紹介されていたが、今年の4月の渋谷区議会選挙で229票で落選したことは紹介されなかった。なんでこっちの失敗はネタにしないのか。


そんな内山の話題の最中、画面内にボカシがチラつく。

なんじゃこりゃ?と思ったんだけど、すぐさま答えに気づく。

右上とボカシを比較してもらいたい。ボカシのあるほうは静止画像では見づらいが、内山の名前が「磨」になっている。磨製石器の「磨」だ。正しい漢字は右上「麿」であり、これは完全にテロップミス。こんなもんボカシを入れなければ絶対に気づかないのに、下手にボカシなんか入れるもんだから、自分のようなクソ野郎に見つかってしまう。番組の構成も映像処理も雑だ。


ちなみにこのボカシが入る前の映像には

と、しっかり映っている場面もある。当然自分はこの時点で間違いに一切気付いていない。誰かが気を利かせたつもりかもしれんが、結果この有様。そもそも内山の名前の漢字が「麿」だろうが「磨」だろうが、視聴者の大多数にとっては本当にどうでもいいこと。なのに余計なことするから。ただ単にフジの(おそらく)下請けがテロップ間違ったという事実だけが晒されただけとは、ボカシ入れたほうも浮かばれまい。


そしてもひとつどうでもいいこと。気持ち悪い図でもって、自分の気持ち悪い女性関係を披露した内山であるが

「裁判」の字が書けないらしい。そりゃ今植物を栽培しているかもしれんが、こんな初歩的なミス。ここらへん誰もチェックしないのかなあ。彼を区議会議員にさせなかった渋谷区民は賢明というより他ない。