ニセモノであるから

「ノンフェイクション」という番組がテレ東で放送されましてですね。

 

ドキュメンタリーとして追いかける対象の中に、ひとつだけ(一人だけ)フェイク、つまりニセモノが混じっているという番組。今回放送されたのは「メンズ地下アイドル」がテーマ。3人の男性地下アイドルのうち一人だけがニセモノ。ケンコバ市川紗椰がVTRを見るという立場なのだけど、特にクイズ形式になっているだとかそういうことではない。見て感想を述べる。「ハイパーハードボイルドグルメレポート」の小籔と同じ立場。

 

でまあ、番組の感想としては「ただニセモノが混じっているだけ」なのは「面白いのかそうでないのかよく分からない」である。

 

今回のドキュメンタリーはフェイクも含めて全て本物のドキュメンタリー監督である岩渕弘樹が担当。だから本物もニセモノもドキュメンタリーとして普通の映像に仕上がっている。それゆえ本物はもちろん、ニセモノも「それなりのドキュメンタリー」に仕上がっているのだけど、番組の意図が「当てさせる(あるいは騙す)こと」ではないせいか「ヒントとなるものが題材の雰囲気でしかない」のである。

 

たとえば格付けチェックであれば「その道の巨匠」と「駆け出し」が撮影することで、その違いに気づくか?というコンセプトになる。しかしこの番組は両方とも同じ人が撮っているし、本当にただ単に「題材そのものが本当かウソか」なのだ。しかもヒントはなし。見終わったあと「騙された」という感じにもならず、かといって「これが嘘でよかった」という深刻な感じでもなく、ただ単に短編のドキュメント2本+フェイク1本を見せられたという感じ。まあそういう意図なのだろうけど、自分は思ったよりそこに面白さを感じなかった。

 

 

原因のひとつとして、「このドキュメンタリーの中にフェイクが混じるという構造そのものに何かしらのフェイクが混じってくるのではないだろうか」とかなり過剰な期待をして見てしまったこともあるのかもしれない。例えば「フェイクのアイドルはおらず、監督がフェイクだ」「最後のVTRでケンコバが別人に変わっている」「市川紗椰のユアタイムの1年間がフェイクだ」なんていう十重二十重のトリックがあるのではないか、くらいのことを見ていて漠然と考えていた。でもそういう仕掛けは当然ない。

 

そもそも自分の見込み違いとして「フェイクだと分かるようにフェイクを作っていたわけではない」ということ。例えばフェイクドキュメンタリーで自分が強烈にハマった「放送禁止」シリーズはそのドキュメンタリー内に「真実」が見え隠れするようにヒントが散りばめられている。それを見つけるのが楽しみであったりする。しかし今回「ニセモノが混じっている」んだけど「ニセモノを当てること」が主眼ではないため、ドキュメンタリーの中身に仕掛けがあるわけではなく、単純に「素材が架空で役者」というだけ。それが「そうやってドキュメンタリーって作れるじゃん」という皮肉であるともいえるんだけど、自分には「単にニセモノ混ぜて作ってみよう」レベルまでの意気込みしか感じなかったんだよなあ。惜しい。もっと企画を練りに練って、現実とフェイクの境界線が見えなくなるまでこちらの頭をゴチャゴチャにしてほしかった。

 

まあ来週の「熟女セクシー女優の私生活」は見ますけどね。バクシーシ山下監督とかフェイク混じってなくても見るよ。むしろフェイクいらないじゃん。企画的にはそういうことじゃないと思うんだけど、そう思われてしまう時点でちょっと失敗しているんじゃないかとは思う。

 

 

 

 

「フェイク」ついでに「クレイジージャーニー」打ち切りの件を再度。「やらせと演出の境界線」という論点で是か非か語られている感じがちょっともどかしい。「動物を置くくらいのことは演出の範疇じゃないか」だとか「川口浩探検隊が許容されてなぜ今回のはダメなのか」とかいう意見を見たり聞いたりして、「うーん」と思う。賛同できない。前書いたものと意見はあまり変わってないので置いておきます。

nageyarism.hatenablog.com

 

前にも書いたけども、加藤先生がこの「演出」を知っていようといまいと(知らないわけがない、という追撃記事が出たけどもあまり話題になってないのか)、加藤先生の信用は少なからず傷ついたと思います。無邪気な顔して捕まえていたけど、本当は知っていたんでしょ?と。それがタレントなら「演出」「仕事」で済ませていいのかもしれないけど、学者の加藤先生がやると意味合いが少し変わってくるような気がするんです。一応建前は「珍しい爬虫類を自らの手で捕まえる」なんだし。

 

そしてここを再度強調したいのだけど、信用を損なうのは加藤先生だけではなく、全てのクレイジージャーニーとして出演した人たちなのだ。これを許すわけにはいかないだろう。調査によって「(加藤先生の企画内では)他に同じような演出が見つからなかった」となっているが、裏を返せば「全部のクレイジージャーニーを調べているわけではないので、そこにはまだ何かあるのかもしれない」となるだろう。最悪加藤先生が演出に加担していて、加藤先生「のみ」の信用が落ちるのは仕方ないかもしれない。しかし「クレイジージャーニー」に出演していたという理由で、あらぬ疑惑のまなざしを向けられるように「してしまった」ことそのものは、視聴者ではなく今までの出演者に対する大きな裏切りになる。

 

これが「加藤先生の生き物バンザイ」という単独番組であれば「それくらいの演出はいいじゃん」と思ったかもしれない。けどバラエティといえども、人生をかけた生き様を映す「クレイジージャーニー」であれば、やっぱりダメだよなあと自分は思う。