我慢できなかった

ラグビー日本代表が負けてしまいましたね。

 

ワールドカップ開幕当初は「本当に日本勝てるのかいな」と思っていた大半の日本人の期待をいい意味で裏切り、予選リーグを全勝で通過。試合を重ねるごとにラグビー人気は過熱する。前回のワールドカップで奇跡的に勝利した相手である南アフリカとの試合は、残念ながら力の差を見せつけられる結果となった。そんなに甘くはなかった。

 

とはいえ、国内での盛り上がりは前回ワールドカップ、五郎丸フィーバーを超えた感がある。ラグビー業界にとってみればこんなに喜ばしいことはないだろう。しかしまあこの人気を定着させるには、ナショナルチームがある程度活躍し続ける必要があるわけで、なかなか難しい部分もあるだろう。

 

と、無難な導入を書きましたが、当然にこんなことを書きたいわけではないのですよ。自分が書きたいのは「あの替え歌が恥ずかしいんだけど、みなさんはどう思っているのかな」である。

 

ラグビー日本代表が自らを鼓舞するために歌っていた「カントリーロード」(映画「耳をすませば」の主題歌)の替え歌である「ビクトリーロード」。日本代表を取り上げるVTRでは必ずと言っていいほど「ビクトリーロード」を歌う選手たちの姿が放送されていた。自分は最初の1、2回は「おお、そんな替え歌歌ってるんだな」と特に何も思わなかったのだけど、これが繰り返し聞こえてくるたびに、ちょっとずつ「あれ?これ聴いているとなんだかすげえ恥ずかしい」と思えてきたのだ。

 

こんなことを書けば「ラグビー日本代表を冒涜しているのか!」とかすぐ言われそうなんだけど、もちろん歌っている人たちや歌そのものが恥ずかしいということではない。国籍や背景が違う人たちが「日本代表」という名のもとにひとつのチームとなって戦う、という事情を考えたとき、多少ベタでも分かりやすいこの替え歌は「気持ちを一つにする」という恰好の装置であり、欠かせないものであることくらいは分かる。

 

しかし自分は日本代表ではなく、そしてラグビーにそれほど思い入れがある人間でもないので、繰り返しこのベタすぎる替え歌を聴くたびに「うーん、ちょっと居心地悪いなこれは」と思ってしまったのだ。それが転じて「ちょっとこの替え歌の場になじめない恥ずかしさ」となった。だから「恥ずかしい」の原因は自分自身であり、自分が悪い。決してラグビー日本代表を貶める意図はない。

 

ただ敢えてもう一度言うが、やっぱり替え歌が恥ずかしい。でも、この恥ずかしさの起因が自分にあるということは、自分と同じような理由で同じように気恥ずかしさを感じている人は少なからずいるんじゃないのか?とは思うのだ。そして自分と同じ恥ずかしさを纏う人は、おそらくこの期間中「ビクトリーロード」を聴くたびに「あああああ」という気持ちになり、そして盛り上がっているところにわざわざ水をさすような「ちょっと恥ずかしい」という気持ちを口に出すことなく、ただそっとチャンネルを変えていたはずだ。

 

そういう人々はそんな自分の気恥ずかしさに少しだけ向き合い、そして気持ちに蓋をする。ここで「えー、この替え歌ダサくない?」とか言える人は「恥ずかしい」という気持ちを持ちうるはずがない。だから期間中ずっと恥ずかしかった人たちは、今ちょっとだけほっとしているんじゃないだろうか。

 

しかし自分のようなデリカシーなし人間は、日本が敗退した後にこういう事を言ってしまう。単に我慢が出来ない。いや、そういう我慢をしないようにずっとこの場所でそういうことを書き続けているのだ。あの替え歌が「恥ずかしかった」と思ったあなたはひとりじゃないです。安心してください。いやもしかしたら「自分がひとり」の可能性もあるんだけど、その時は自分だけ恥ずかしかったということで別にいいです。

 

 

「クレイジージャーニー」および「消えた天才」の終了が正式に発表されました。「クレイジージャーニー」に関してはやっぱり「勿体ない」という気持ちも大きいですが、少なくとも現状のフォーマットのまま続けるのには無理があるでしょう。仕方ないけど、これでいいんだと思います。これを糧に「次」につなげてほしいです。