あたまが おかしく なりそうだ

役者って大変ですよね。

 

佐藤浩市が映画「空母いぶき」において首相役を演じることになり、「ストレスに弱くてすぐに腹を下してしまう」という設定にしてもらったことが、安倍首相の病気を揶揄しているのではないかと盛り上がっている人がいるらしい。いやあ気の毒だ佐藤浩市

 

もちろん病気を揶揄するなんてのはいけないことだ。しかし首相という甚大なストレスがかかる(であろう)仕事で、その大変さを表現するために「腹を下しやすい」という設定はイコール安倍首相の病気の揶揄に繋がるのだろうか。全く連想しない、と言えば嘘になるんだろうけど、かといって「首相が腹を下しやすい」という設定はこの令和の世の中のタブーなのか。そんなことないだろう。例えば劇中で「あの首相はすぐ腹下すよな、しょぼいよな」とか言ってれば話は別なんだろうけど、ギリギリの決断を下す時に苦悩していることを「腹を下す」という分かりやすいストレス表現で示すことはあるだろうよ。そんなことも許されないか。

 

どうやら原作では嘔吐をしているようで、もちろんストレス表現としてそれでも構わなかったはずだ。だからこそ安倍首相を揶揄しているともとられかねない表現の変更は「悪手」だったのかもしれない。しかし自分はどうにも「考えすぎ」のような気がしてならない。揚げ足取りは政治の常套手段であるが、もはやこういう陰謀論めいた話がどこまで本気でどこまで悪乗りなのか自分には分からない。ただ一つはっきりしているのは、個人的にこういう話はうんざりということだ。本気で言ってるんだとしたら、もうどうかしている。こういうのを見るたびにもう自分は「それよりお前らおっぱいでも見て落ち着けよ」って思う。

 

こんな話をしたいのではない。本当にしたかったのは香川照之の話である。

 

北海道では今「新しい王様season2」と「集団左遷!!」が放送されています。どちらも香川照之が出ている。

 

「新しい王様」はseason2に入りテレビ局買収がメインの話。若き成功者秋葉(藤原竜也)とともにテレビ局買収を目論むファンド代表越中(えっちゅう)を演じるのが香川。「半沢直樹」の大和田常務をさらに下品にしたような「下品で大袈裟な演技のど真ん中」を演じている。いまやあれだけ大袈裟な顔芸や下品な演技でギリギリ成立するのは香川照之しかいない。

 

一方で「集団左遷!!」のほうでは、支店長片岡(福山雅治)を支える副支店長真山を演じている。こちらは「当たり前」なのだけども、普通の人の演技。大袈裟に喋ったり顔芸があったりするわけではない。あくまで普通に演じている。

 

おかしなもので「集団左遷!!」の香川照之を見ていると「あれ、物足りない?んなわけない」と一回確認してしまうのだ。どう考えたって「半沢直樹」「新しい王様」そしてEテレ「昆虫すごいぜ!」の香川照之が「異常」なのであり、「集団左遷!!」の香川は「普通」なはずだ。なのに普通じゃない香川ばかり見ているせいで、普通なことに落ち着かない。

 

まあ見ているほうは「なんか落ち着かないけど、最終的には馴れる」ので問題ない。しかし実際に演じている香川のメンタルは大丈夫なのだろうか。もちろんそこはプロの役者。演技を引きずることも使い分けも造作もないことだろう。しかしあれだけ濃い、大げさなことをやっていたら、ふとした瞬間に「大袈裟」が出てしまうんじゃないか。「新しい王様」で女優Aが婚約した報道を見て踊りまくる香川を見て、自分は「集団左遷!!」でも踊ってくるのでは?とか思ってしまう。

 

香川照之は歌舞伎役者市川中車としての活動もある。歌舞伎の演技も大袈裟と言うと語弊があるが、ある意味「大きな演技」をしなければならない。かといって大和田常務のまま歌舞伎に出ることはないわけで、その切り替えはどうやっているのか、自分には到底考えが至らない。もちろんこの二つのドラマや歌舞伎の舞台を同時にやっているわけではないのだけども(同時にやることもあるだろうけど)、頭がおかしくならないのか疑問でならない。そんなことを考えている自分がなんとなくおかしくなりそうだ。

 

というわけで香川照之を見るたびに頭がおかしくなりそうな自分は、「とりあえずおっぱいでも見て落ち着くか」と思うわけです。更新が滞っているときは仕事が忙しいかおっぱいを見て落ち着いているかのどっちかです。

 

燃えろいい女

長谷川潤が離婚したそうで。おじさんはガッツポーズしました。理由は簡単。結婚できる可能性ができたからです。相変わらず頭が沸いた話をしてますか最近ずっとこんな感じなので勘弁願う。

 

長谷川潤は自分にとって「幸せの象徴」です。モデルとして美しく、そして結婚してハワイで二児の母親として「この世の理想の人生」を体現しているような人だと思っています。正直顔の好みとしては自分のど真ん中ストライクゾーンではないのですが、幸せの象徴である長谷川潤がなぜか大好きなのです。出来れば結婚したかったのです。半分冗談ですが半分真顔です。

 

だから今日離婚が発表されたときに「ああこれで結婚できる可能性がある!」と職場で携帯見ながら思いました。どうかしています。それは分かっているんです。けどそう思ったんだから仕方ない。爆笑問題カーボーイに投稿したいくらいです。

 

人生には理性ではどうすることもできない「理屈じゃない何か」があります。自分にとって長谷川潤が好きだという感情はその類です。うまく説明できないけど結婚したい。

 

おそらくかまいたち山内にとっての絵色千佳もそうなんだろう。

 

今週テレ朝のいわゆる「ネオバラ枠(深夜11時枠)」はネットテレビAbemaTVとの連動企画を行っている。ネオバラ枠の番組がそのまま特別編としてAbemaで放送される。今週の「アメトーーク」は童貞処女の芸人が集まった「夢見るチェリー芸人」だった。これはこれで完全に面白くて笑わせてもらった。

 

しかしこれを超えてくるのが連動したAbema。「AVサミット2019」と題してケンコバをはじめとしたAV大好き芸人がAVについて語り合うという最高な企画。Abema連動否定派の自分ではあるが、これに関してはAbemaで速攻で見た。背に股間は変えられぬ。

 

自分のナンバーワン作品の発表(みんなAV好き過ぎて単体女優の作品が一向に出てこないことにガチ感を見た)から、マイベスト女優の発表。ケンコバがレジェンド女優吉沢明歩、ミキ昴生は鳴物入りでデビューした本庄鈴などメジャーどころを発表するのに対し、やさしいズ佐伯(童貞)が柚木彩華からのまぐろ物産トークなどディープどころを突いてくるなど、AV素人から玄人まで楽しめる内容。

 

ここでかまいたち山内がマイベスト女優として発表したのが絵色千佳(えいろちか)である。愛称はカーチー。

 

AVレーベル「エロチカ」の専属女優としてデビューしたので、それをもじった芸名で絵色千佳。名前はふざけているが、とってもかわいい女優さんで、自分も一時期完全にハマっていた。ブログも頻繁に更新していたが、ある時を境にぷっつり更新が途絶え、そしてブログの記事が徐々に削除されていき、そして消息不明となった。突如とした引退はAV女優あるあるで例えば身バレ(身元がバレる)であるとか、契約上のトラブルであるとか、そんなに珍しい話じゃない。いろんな事情があるのだ。

 

だからこそ引退した女優さんに関しては「事情を詮索せずにそっとしておいてあげる」のが変態紳士の嗜みである。番組内でもケンコバがしっかりと主張している。他の女優さんは写真で紹介されていたが、もちろん絵色千佳は写真なしだった。推して知るべしである。

 

山内もそんなことは分かっているはずである。ここで発表するかも迷ったと言っていた。しかしそれでも山内は発表せざるを得なかった。頭では分かっている。しかし言わずにはいられない。理屈じゃないんだ。山内にとっての絵色千佳は、自分にとっての長谷川潤だ。自分には山内の気持ちがよく分かる。

 

話がとっ散らかったけども、自分が言いたいことは「AVサミットについてならあと5本くらい書くことが出来るよ」ということ。リクエストあれば書きます。ないだろうけど。

 

嫌悪感の源泉

元テレ朝アナウンサー小川彩佳がTBS「NEWS23」のメインキャスターになることが発表されまして。

 

小川アナといえば嵐の櫻井翔との交際もささやかれていた美人さん。元々は「報道ステーション」のサブキャスターをしていたが、ウッチャンの嫁こと徳永有美に押し出されて報ステを追われ、そのままテレ朝と関係の深いabemaTVの報道番組「AbemaPrime」のメインキャスターになるも半年で退社とともに降板。その裏には「NEWS23」のキャスターに抜擢されるからだ、なんて話があったが結果的にはその通りだったということだ。

 

自分はこの話を聞いて「うーん、なんかイヤだなあ」と思ったのだ。完全に感覚である。ではこの感覚が「どこから来たイヤ」なのかをちょっと真面目に考えてみたい。

 

まずは「小川アナの世渡り感」を考えてみる。

 

もはや「終身雇用」「会社に尽くす」なんて考え方は平成どころか昭和の遺物と化しつつあり、「自分の都合のいいところにひょいひょい鞍替えするなんて」という意識は、もはやあまりないと思う。そりゃ働いている立場からすれば、自分が必要とされている以上、少しでも条件のいい職場に行くのは「当然」である。だから小川アナが「報ステ」から「Abema」に異動になったことに対して不満を抱いており、そこにTBSがいい話を持ちかけてきたらそりゃあ会社辞めてそっちに移る。

 

もっともこの考え方の根底には「地上波が花形、ネット番組は左遷」という考え方がある。そりゃあ視聴率で考えればいくら数字が下がっているとはいえ地上波とネット番組では雲泥の差がある。今まで地上波でバリバリやってきた人がメインとはいえネットに異動させられるのは「降格」だとか「左遷」だとか思っても不思議じゃない。さらには今までやってこなかったようなコスプレだとかをさせられていたわけで、イヤだったんだろうなあというのはよくわかる。

 

その一方で「これからはネットの時代だというのに」という気はしないでもない。もちろん現状のAbemaが時代の最先端とは言い難い。ネットテレビというジャンルを開拓しようと、あがいて、もがいている。その為テレ朝はかなりの力をAbemaに注力しているように思える。ここでも書いたけども「しくじり先生」をAbemaで完全版にしてみたり、ネットの優位性はそうじゃねえ、的なこともやっている。

 

だから小川アナがAbemaに投入されたのは「左遷」なんかではなく「期待の表れ」であったような気もするのだ。「報ステ」で知名度もあり、そして何より華やかさがある。そんな彼女をネットTVに異動させることで、一気にAbemaの知名度を上げようとしたんだろう。

 

また「報道番組」という観点では、地上波よりも制約が緩く(と勝手に線引きしているのはテレビ局側だけど)より踏み込んだ報道が出来るというメリットもある。モノノフとして界隈ではお馴染みのテレ朝小松靖アナは長いことAbemaPrimeのメインキャスターであり、小川アナと入れ替わりで地上波「ワイドスクランブル」に異動になった。小松アナで印象的なのは、昨年9月に北海道で起きた地震の際に自ら現地に赴いたレポート。小松アナが北海道出身という事情もあっただろうが、メインキャスターがフットワークよく現地に赴き、そして通り一遍の報道ではなく「本当に報道の在り方はこれでいいのだろうか」的なアプローチをしていたのは印象深い。

 

もちろん良し悪しはある。しかしネットTVという未開の地で「報道キャスター」としてやれることは山のようにあったと思う。そういう場所をいい意味で託されたのに半年で投げ出した、という点では個人的に若干のモヤモヤは残る。

 

次に思うのは「TBSの節操のなさ」だろう。

 

夜の報道番組の数字争いは熾烈だ。NHKを退職した有働アナがそのまま日テレ「NEWS ZERO」のキャスターに就任したのは記憶に新しい。各局は少しでも数字に繋がるような要素や出演者を狙っている。TBSは小川アナに目を付けて「NEWS23」のキャスターを打診したのは、そこまでおかしなことではない。

 

一方でTBSの内部からしたら、そりゃあ面白くないだろう。TBSにもアナウンサーはたくさんいる。小川アナには知名度と華やかさはあるかもしれないが、かといってTBSに同じような逸材がいないのか、といえば「そんなことはないんじゃないか」と思う。同じような路線を狙うのであれば、何も他局から高い金を積んで引っ張ってこなくても出来るだろう。

 

ここに存在するのは「アナウンサーとテレビ局のジレンマ」だ。即戦力のアナウンサーもいるかもしれないが、基本的には会社員。スキルを身に着け一人前になるには相応の時間がかかる。そこに対して投資をするのが会社だけども、一人前になった途端にフリーになられてはたまったもんじゃない。とはいえテレビ局も自局のアナウンサーを「金のかからないタレント」扱いしている部分もありいいように使っているのだから、どっちもどっちなのだ。TBSはこの春にかけて続々と女子アナがフリーになったのも、不信の表れだろうなあ。

 

そんなことも全部ひっくるめた上でもう一度考えてみるが「それでもTBSはやっぱり節操がない」とは思う。

 

そしてこれらを突き詰めていくと最終的に自分はこう思った。

 

報道番組の視聴率をキャスターで取ろうとすること自体がもうなんだか古いし、報道番組そのものをバカにしている気がしてうんざりだ。中身で頑張れよ。

 

 

二律背反

貫地谷しほりが好きだ。尻相撲したい。

 

別に頭がおかしくなったわけではない。頭がおかしいのは元からであるし、ここはこういうことを書く場所だという認識のもと自分は書いているしあなたは読んでいるという相互理解で成り立っています。マトモなテレビ批評が読みたければいくらでも他にありますのでそっち行けばいいんです。

 

話を戻す。貫地谷しほりが好きなのは今に始まったことではない。「スウィングガールズ」の頃からずっと好きなので15年ずっと好きである。「スウィングガールズ」は自分のとても好きな映画で、DVDも持っているくらいだ。自分のDVD持っている映画は数えるほどなので、相当好きだと思ってもらっていい。なんか書いてたら見たくなってきた。

 

当時の貫地谷さんは劇中でギャルの役だったこともあり、実を言うとあんまりピンと来ていなかったんだけども(金八チルドレンであるところの本仮屋ユイカさんにやられてました。今もですが)、NHKの朝ドラ「ちりとてちん」で最高に好きになりますよね。本当に面白い朝ドラでした。一方ユイカさんも主演で朝ドラ(「ファイト」)やってるんですけど、こっちは最高につまらなかったですね。それはまあいい。

 

ではずっと好きな貫地谷さんをいまさらなんで取り上げるのかといえば、

 

「近年の貫地谷さんはいい具合に加齢している」

 

という話である。どうしても女優という生き物は「あんたその年齢でその容姿とか反則過ぎるだろ」という人が多いです。例えば石原さとみは現在32歳ですが、世の中の32歳の頂点に君臨していると言っても過言ではありません。普通の32歳はあんなことにならないんです。もちろん石原さとみからすれば、美しくあることが商売ですから当然といえば当然なのです。しかし一方で劇中で「年相応」な役が与えられても「おいおい、世の中にそんな奴いねえよ」となってしまうんですよね。あれでアラサーと言われても困る。

 

そんな中貫地谷さんは女優としての美しさはありつつも、年齢相応の役が本当に似合う!今放送中のドラマ「スパイラル」では町工場の社長の役をやっているんだけども、これがまた町工場の娘感が出ていて最高だ。今にも潰れそうな町工場を何とかしようと奮闘する「くたびれた」感じ。これは石原さとみには出せない。

 

今年の正月に放送された「釣りバカ」のSPを今更ながら見たわけだけど、そこにも貫地谷さんが「離島の民宿の娘」で登場するわけですよ。釣り船乗ったりして。超似合う。あんな独身の娘がいる民宿はハマちゃんじゃなくても通うだろ普通。

 

年を取れば女優は事ある毎に「劣化」だと言われる。もちろん「本当にそういう人」もいるんだけども(誰とは言わないが)、多くの人は「年を取った」というだけである。それを「劣化」と取るか「いい具合になってきている」と取るか。これはもう主観になるけども、現在の貫地谷さんを後者として受け取れる自分は幸せだと思う。長いこと愛せるよ。

 

とまあ、ちょっといい人ぶって女性のエイジングを肯定するかのような書き方をしているんだけども、単純に「年取って少し肉づきのよくなった貫地谷さんがエロくて好き」というだけの話なのである。おっぱいの大きさが隠しきれない。間違っても本人の目に触れることがあってはならない文章である。そんなものをブログに書いてはいけない。分かってはいるのだ。読まれては困る。

 

しかしこの文章を本人に「プロフェッショナル」のナレーション風に朗読してもらいたいとも思っている。そう、これを「アンビバレンツ(二律背反)」と言うのですね。そしてあなたが思っている「死ねばいいのに」はおそらく「満場一致」です。

 

 

 

改悪に次ぐ改悪

テレ東の大食いはもうダメかもしれない。

 

前回中村有志の正統後継者であったはずの照英をあっさり降板させ、高橋みなみにMCをスイッチ。高橋にはこのタイミングで結婚を発表したこと以外何の落ち度もないが(別に結婚発表も落ち度じゃないけど)、「正統をぶったぎった」という意味では衝撃以外の何物でもなかった。横にファン0人説でお馴染み勝俣州和がいればいいってもんじゃない。たぶんこんなに騒いでいるのは自分だけだろうが。詳しくは過去の文章を参照。

nageyarism.hatenablog.com

そんな大食いも新元号一発目の放送。大食いが始まったのが平成元年であり、「平成の歴史は大食いの歴史」みたいなこと言ってたんだけど、その30年の歴史を全く感じさせないショボい作りに成り下がっていた今回の放送。2点悪態をついてみたい。

 

1点目は「決勝の方式が意味不明」である。YouTubeから探してきたのか知らないが、予選も経ずに出てきた謎の出場者と予選通過者が入り混じった8名から本戦スタート。1回戦から決勝種目ラーメン登場はまだいい。「新しいことやりたい」感は仕方ない。ただまあこの後決勝でもラーメン出てきて「えー」と思うんだけど。

 

んで最終的に勝ち上がった1名(ツインズ小野姉妹の妹)が、「平成四天王」と銘打たれた(誰が打ったのか知らんけど)4名(魔女菅原、ロシアン佐藤、アンジェラ佐藤、もえあず。全然気づかなかったけど佐藤二人いるんだな)のうち一人を指名してタイマンで決勝を戦う。勝ったほうが女王らしい。は?

 

対戦相手指名してタイマン勝負とか「料理の鉄人」かよ。しかも勝ったほうが女王。残された3人は戦うことすらできないのか。後述するけども番組途中に謎の大食いチャレンジコーナーが挟み込まれていて、そこにアンジェラともえあずは登場していたからまだしも、指名もコーナーにも登場しなかったロシアン佐藤ただの置物かよ。座っていただけでちゃんとギャラは発生しているのか気になるところだ。とにかくこの制度、何が楽しいのかさっぱり分からない。

 

タイマンにしたほうが盛り上がると思ったのだろうか。まあ普段通り決勝で3人いても結果タイマン勝負になったりするから、それでも構わないと思ったのかもしれない。しかしなんだろう、この気持ちの盛り上がらなさは。自分だけか。しかも菅原さん返り討ちにしちゃうんだよな。それで「女王」と言われても。いやいや、一人退けただけじゃない。それで女王なのか。いいんだけど。いや、良くないな。つまんねええええ。予選からずっと戦ってきてからこその「女王」じゃないのかい。それでいいなら予選とかいらんじゃん。いらないね。一発勝負で100人くらい全員横並びでやればいいんだよ。

 

そして2点目は「本編の途中に本編とは関係ない大食いコーナーが挟み込まれる」こと。いや企画として大食いチャレンジはやっていいよ。けど、やるなら別枠でやってくれないか。大食い特番の醍醐味は勝負にあるわけで、勝負に何の関係もないチャレンジ企画を間に挟み込まれてもこちらの見る気をコンスタントに削っていくだけだ。第一その大食いチャレンジ、あなたたちが生んだスターことギャル曽根が今日テレの「有吉ゼミ」で毎週やってるんだよ。元祖なのに追随している感があって、げんなりする。

 

少なくとも今まで「元祖大食い」を名乗っていたテレ東に自分が望むことは「真っ当に予選から始まって、闘いの過程をしっかり見せてくれること」である。もちろん「より良いものを」という番組に変化を求めることは大事だ。しかし一方で「これが見たくて見ている」という自分のようなファンがいて、その期待を裏切るような基本は崩さないでほしい。例えば水戸黄門。いくら武田鉄矢が出ていても、水戸黄門水戸黄門なのである。新しい黄門だって印籠全く出さずに鉄矢の説教だけで終わってないでしょ?今回の改悪(改変ではなく改悪と言い切ってしまう)はそういうことをやっているんじゃないのか。

 

照英を降板させ、クラシックスタイルを踏襲せず、余計なコーナーは挟むようになり、平成に築いてきたものを壊すだけ壊して、そこに何が残るのか。少なくとも自分はもう一回同じような感じだったら、もう見限ってしまうかなあ。ただ「大食い」はスターが出現することによって息を吹き返す番組でもあるので、番組存続はある種ギャンブルのようなところもある。少なくとも小野姉妹にそこまでのスター性は感じられず、このままでは番組構成的にもキツい。平成とともに大食いの歴史は終了した。そんなことにならないようにしてほしいが、どうだろう。

 

目くじら立てんなよ

大学の入学式や卒業式のスピーチなんて覚えてない。

 

これが自分の人生において何を意味するのか。答えは簡単。何も意味していないのである。「ああ確かに何か言っていたんだろう」とすら思い出せない。果たしてそんなスピーチは本当にあったのかすら怪しい。入学式は高校の同級生を見つけてははしゃいでいたし、卒業式はもはや何やったかも覚えていない。卒業式に出た気はするけど、それくらいなもんだ。

 

だから近畿大キングコング西野が何喋ったとか、非常にどうでもいい話なのである。どうでもいいと思わないだろうか。自分は思う。その内容が何であれ、このスピーチが人生の糧になる人は極めて珍しい「そういう人」なのだ。自分のように「何の糧にもならない人」が大半(だと思う)のこの世界で、何をスピーチに何喋ったかを真剣に議論してるんだか。バカじゃねえのと思う。

 

キングコング西野は人生を時計の長針と短針に喩え、この二つが重なるときを「人生の幸運」、1時間のうちに一度も重ならない11時台を「我慢の時」と表現する。いかにも、な話ではあるがキングコング西野は「いかにも」な話を並べて自分の好きなことをやっている人なので、そういう話にしかならない。まあ大学を卒業するくらいの年齢であれば西野の話に強烈に感銘を受けるかもしれないし、自分のようにハナクソほじって「おお、やってんなあ」と思うかもしれない。話はそれで終わりである。

 

第一大学の卒業スピーチなんて頼まれたら何喋るよ。キングコング西野だからこんな話でなんとなく成立させてしまうことができるのに、そうじゃなければ何話すよ。まず西野の話の胡散臭さを批判している人は「自分だったら何喋る」って考えてみてほしい。胡散臭い話がいかに耳触りがいいか。別に中身なんてどうだっていいんだって。殆どの人は聴いてないんだから。じゃあなんか自分が悦に入るようなうっとりしたこと喋ればいいんだよ。西野は間違ってない。

 

西野だから悪目立ちしているだけで、そうじゃなかったら殆どの人の記憶の断片にも残らないようなことを、何を騒いでいるのか。大学のスピーチなんぞ聞き流して忘れてやるのが礼儀だろう。「すげえ」とか「胡散臭い」とか言ってやるなよ。西野が「すげえ」ことも「胡散臭い」ことも今更なのに、いちいち目くじら立てんなよ、と思う。

 

じわじわくる

 

ユースケ・サンタマリア離婚していた」というニュースは、けっこうじわじわくるものがあります。

 

4/27に放送された「100まで楽しむつもりです」の中で、「令和に持ち越したくない」という理由で昨年6月に離婚したことを発表。そもそも人生を100まで楽しむためのヒントを紹介する番組で、結婚生活が破綻していることを隠したまま進んでいくことが耐えられなかったという。さらに話が進むと「実は離婚する10年も前から別居していた」ことも発表。

 

ユースケ・サンタマリアといえば草ナギ剛といっしょにやっていた「『ぷっ』すま」を代表に「いいかげんな男」というイメージが強い。なもんでそのイメージに乗っかればそんなに不思議な感じはしないのだけど、「昨年離婚していたことを聞かれなかったので約1年黙っていた」「それ以上に10年の間別居していた」というところに、いい加減で済ますことができないそこはかとない恐怖が後ろからついてくる感じ。

 

近年のユースケといえば「割とやべえ奴」を演じることが多くなっている。自分が見た中では「火の粉」で隣人を精神的に追い詰めていくのが印象深い。今放送しているドラマ「私、定時で帰ります。」でも、普通の振る舞いながら随所に狂気を感じさせるような役を演じている。もはや「どこにでもいるような顔してやべえ奴」はユースケの独壇場と言っても過言じゃないレベル。

 

そこらへんのイメージがオーバーラップして考えると、今回の離婚も色味が違う。もちろん個人的な事情は何も分からない。離婚の、別居のそもそもの原因は何なのかは分からない。しかしその事象が現在のユースケの演技に何かをもたらしていると思ったら、やっぱり何かしらの狂気があるんじゃないかと思えてしまう。そんなことはないとは思う。思うけど、何かがじわじわくるんだよなあ。

 

あと時系列を整理すると、別居後にモー娘。にハマったというのもなんだかじわじわくる。アイドルは疲れた心のスキマに入るものですな。正しい。