死刑宣告ではあるが

「ロンドンハーツ」が深夜に戻ってイキイキしている。

 

あんまり「深夜からゴールデンに行って面白くなくなった」論を唱えたくはないと思っているんだけど、ロンハーが出戻りでここまでアグレッシブにやっているとなると、やっぱりそういうこと言いたくなってしまいますよね。まあそれは「深夜だから」「ゴールデンだから」という制作側の心持ちの問題のような気もするんだけども。

 

今回はダイアン津田とかまいたち濱家が「なんか違う」というテーマ。すごいざっくりしたテーマなんだけど、それでいてこれ以上言いようのないという部分がこの二人の現状を如実に表していて面白い。番組中でも触れられていたがダイアン津田はかつてのFUJIWARA藤本のようであり、何か突破口が開ければどうにかなってしまう感じがする。一方でかまいたち濱家はこの先どうなるかよく分からない。まあ最終的に何かに落ち着くような気はするんだけども、現状で「こうなるんだろうなあ」というのが見えない。まあ自分に見えたことなんてないんですけども。所詮はテレビ見てケツ掻いてる人間ですから。

 

しかし芸人目線でそれを単純かつ明快に分析し一刀両断する男がいる。カズレーザーである。かつては「お願い!ランキング」で身も蓋もなく、かつ的確すぎる人生相談をしていたカズレーザー。あの人生相談の切れ味をここでまた見た気がする。

 

かまいたち濱家に対してどう思うか」という記名アンケートにおいてカズレーザーはこう分析する。

世間は濱家さんを達者な人物だと思っている。しかし現在のバラエティ番組のシステムで“達者”というポジションを担うのは1~2人で十分。“達者”に思われるとそれだけで仕事は増えにくい。一方、ポンコツキャラを演じるほど劣っているとも思えない。

今のところ、詰んでいる。

なにこの批評。いやあ怖い。 何が怖いかというと、何一つ反論する要素がないところ。こんなん言われたら固まるしかないじゃないですか。濱家という人間の能力は評価しつつも、このままではどうしようもないという現状を最後に簡潔に「詰んでいる」という表現で示す。見ていて鼻水吹いてしまった。

 

一見すると全く救いのない死刑宣告のような批評である。言う人が言えば相手が再起不能に陥りかねない。でもこの批評はなぜだか清々しい。それは何一つ「相手を傷つけようといういやらしい目線」がないからだ。自分のようにいやらしい目線で凝り固まった人間には一生出来ない。これはやはりカズレーザーという人間の「フラットすぎる視線」の賜物なんだろう。それに対して「自己防衛のために相手を傷つけることしかしない」奴もいる。まあ自分もその類だし、あの芸人とか、この芸人とか。まあご想像にお任せします。名前出したくない。

 

濱家はこれを聞いて「芸人をやめよう」とは思わないだろう。むしろ「じゃあどうするか」という方向転換のきっかけになる。これは簡単そうでいてなかなか出来ない。もし今後濱家がそれなりのポジションを築いたならば、それはカズレーザーのおかげと言っても過言ではない気がする。

 

一方で他人を完全に貶めているのに圧倒的な笑いで全てを持っていき、結果言われた相手も美味しくするザキヤマは、やはり別の意味での「偉人」である。ダイアン津田に「ただ売れたいだけの人」と言ったのは最高。100年後の紙幣はこの二人でもいいよ自分は。

 

 

福山雅治50歳

集団左遷!!」初回を見ました。

 

日曜劇場お得意の追い詰められた人たちの逆転劇。自分は勝手に日曜劇場の池井戸潤原作ものをシリーズとしてカウントしており、今回もてっきり池井戸原作かと思ったら違った。ただまあテイストはそんなに変わらないので池井戸潤原作にカウントしていいんじゃないか(良くない)。

 

初回の感想としては「福山雅治50歳」というところ。

 

とにかく福山雅治が体を張っている。ドラマの福山といえば「ひとつ屋根の下」のチイ兄ちゃんであり、「ガリレオ」での天才物理学者である。どこからどう切っても「男前」の一言で片が付くような人間。かといってその男前がイヤミなわけではなく、ラジオでは下ネタを嬉々として喋り、私生活では嫁が吹石一恵というちょうどよさ。そして歌手としては「桜坂」「家族になろうよ」など、代表曲も多数。「PERFECT HUMAN」とは福山のためにある言葉だろう。

 

そんなPH福山なのだけど、今回のドラマでは決して「かっこいい人」ではない。閉鎖が決まっている支店の支店長の役。上からの「何もするな」に反発するんだけど、決して「半沢直樹」のように大きく啖呵を切るわけでもない。いや正確に言えばそういうシーンはあったんだけど、その後で「やっちまった」感を出す小ささ。半沢直樹は「そういうコント」だったけども、こっちのほうがまだ身の丈感がある。

 

そしてやたらと走る。支店長で自動車の送迎がないのはまだしも、そんなに走るか、というくらい走っている。そしてその走り姿も50歳とは思えないカッコよさではあるが、かといっていまどきの俳優のように筋肉バリバリついているような走り姿でもなく、本当にそこらへんのオッサンが走ったあとのぜいぜい感が出ていたりする。昔の福山であればそれすらもカッコよかったような気がするが、ちょっとだけカッコ悪い。そこがまたカッコイイ。なんだこの文章。ババアか。

 

そして見た目も心なしか丸くなっている気がする。幼なじみの役として登場するパパイヤ鈴木や赤堀雅秋とは比べようもなくカッコよく若いが、しかし我々が「福山雅治」と聞いて想像する福山像よりはいくぶんふっくらとして、50歳感を出してきてはいる。そこがまたこのドラマにおける福山の泥臭さにプラスされているんじゃないかと。

 

そんなことを考えつつ、人物などの確認でTBSの「集団左遷!!」のページを見たら、最初に飛び込んできたのがこのポスターだよ。

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カッコよすぎんだろ。ドラマの中じゃこんなんじゃなかっただろうが…。ずっちーなあ。なんだこの感想。ババアかよ。もしかしたら自分はオッサンじゃなくてババアなのかもしれない。

 

 

若林の涙

「モニタリング」でオードリー春日が10年越しの彼女にプロポーズしていました。

 

以前から「春日が一方的に狙っている」彼女として有名だったクミさん。実はM1でブレイクする前から付き合っており、ブレイク直後にフライデーに掲載されたときの彼女も実はクミさんだった。春日は彼女を守るためにフラれた風を装って実はずっと付き合っていたのだ。これだけでもちょっとした美談。そのことを知っていたのは「第三のオードリー」ことどきどきキャンプ佐藤光春、通称サトミツだけだった。10年越しの彼女だったことは相方の若林ですら知らなかったのだ。

 

番組は春日がプロポーズすることを発表してから、彼女の理想のプロポーズを探ったうえで、春日がゆずの「栄光の架橋」のピアノ伴奏をして(その伴奏に合わせてゆず本人が歌うという超豪華なサプライズ)、それから教会で手紙を読んでプロポーズ、という流れ。努力の人春日はピアノ伴奏を成功させ、そしてプロポーズに成功。彼女の返事はもちろん「イエス」だった。

 

そこに春日も知らないサプライズとして教会の檀上から登場したのが、神父姿の若林。もちろん春日を驚かせるために登場したのだが、登場した若林はその時点で既に号泣し、鼻水を垂らしていた。そのあまりの若林の号泣っぷりに、先ほどまで涙をこらえてプロポーズを成功させた春日が急に我に返り冷静になっていたのが面白い。

 

春日を驚かせようと思ったのに、逆に若林が号泣してしまった、というのは番組としても予想外だったが面白い展開になった。これはこれでオチとして成立しているのだけど、自分はこの若林の涙に本当に泣けた。いやあこれは泣けますよ。平成最後の美しい友情の涙だったと思う。

 

オードリーもいわゆる「コンビ仲いい芸人」である。中学からの同級生でもある二人はお笑いコンビの相方であり、そして親友なのである。その若林が見せた「本気の号泣」は紛れもない友情の涙である。「あんなに泣くかよ」と思うかもしれないが、泣く。

 

自分の話で申し訳ないのだけども、小学校からの友人の結婚式で、自分は完全なる他人なのに親族に近い席に配置され(それは小学校からの同級生で出席できたのが自分だけ、という事情もあるのだけど)、そしてバカみたいに泣いた。ああいう時は理屈もなく泣いてしまうんだ。若林のあの涙をカッコ悪いと笑う人もいるだろう。それはそれで正しい感想なのだけど、あの時泣いた若林の気持ちが本当によく分かる自分は、その若林の涙を見てまた泣いてしまった。

 

正直「モニタリング」という番組はあんまり好きじゃあないのだ。今のバラエティ番組の良い部分と悪い部分を煮詰めたような番組だからだ。しかしこういう番組がこういうホームランを打ってくるからやっぱり侮れないんだよなあ。オードリー以外では「なんか木下優樹菜がエロくなっている」ことと「小杉が明らかに一回り小さくなっている」ことが気になりました。とりあえず今週のANNは聴いてしまうだろう。久々にテレビでちょっと熱くなりました。

 

ギャル曽根の伊達メガネ学

「林先生の初耳学」のガチンコ化(あるいは林先生関係なくなっちゃった化)が加速しています。このまま林先生の存在は、撮影に成功したブラックホールに吸い込まれるがごとく無と化すんでしょうか。

 

完全に味をしめちゃった「アンミカのパリコレ学2」、そして何を思ったか、ただギャル曽根が番組の金でパティシエールを目指す(及び有名店「ピエールエルメ」のパリ本店に自作の菓子を置いてもらおうという、どうかしているオプション付)「ギャル曽根パティシエール学」、さらには以前林先生で好評だった高学歴のニートの前で授業を行う特別授業を古館伊知郎が特別講義。豪華三本立てで、林先生の存在はやはりブラックホール前の灯火である。

 

なかでも「古館伊知郎VS高学歴ニート」はなかなかだった。個人的な感想で言えばニートにクリーンヒットを一撃も食らわせることができないままTKO負けで終わった印象。

 

無駄に高学歴であるが故に、大人側の聞き飽きた正論をぶつけても、それに対する反論のロジックを構築してくるわけで、話は簡単にかみ合わない。そもそも相手のことをどう否定・論破するか、で始まっている議論は建設的な解決が出来るわけがないのだ。生まれたときからそういう環境で育っているのだから、そりゃそうなる。そして現に今「仕事をしなくても(なぜか)生活出来ている」という事実「のみ」が、彼らの「働かなくてもなんとかなる」という拠り所になっている。だからこそ生活に困窮するようになってから「それでも、なんとかなる」という議論をさせるべきだとは思う。それでもその自信が揺らがないのであれば、その理屈は本物だろうなあと。

 

とまあ実際の話はどうでもよく、これが番組で「こういう企画ですよー」となっている以上、傾向と対策を練るのは出演者の責務だろう。その点で古館伊知郎は「それなりに話してくることを考えていた」とは思うのだけど、その一方で「彼らに届く有効な話」が見いだせないままその勝負に臨んだような感じを印象として持った。講義中でとあるニートが「全然納得できない」と言っていたが、自分もテレビの前でそう思った。古館の言っていることは「仕事をしている社会人」としての自分はよく分かるが、「ニート的な自分」としての自分だったならばやっぱり「なんだか心に響かない」である。

 

番組では「古館の講義で気持ちが変わった受講者がいた」みたいな紹介をされていたが、おそらく変わったのは「そもそもニートではまずい」と最初から思っていた受講者一人だけで、古館の講義を聞いて何か心にあったわけじゃあないだろう。おそらく残りの受講者は何一つ心が動いてないだろうし、自分もあれを聞いていたニートならば、たぶん翌日から何もしないと思う。

 

ただまあこれに関しては「古館がショボい」という言い方も出来るんだけど、自分は「前回の林先生がスゴかった」という言い方のほうが正しいと思う。さすがにプロの予備校講師の講義と、言葉のプロフェッショナルではあれど講師ではない古館ではそこに差があって当たり前。はからずも古館のショボさが林先生の存在感を辛うじて残したことになった。ピアノが88鍵であることをドヤ顔で説明して終わった林先生にもっと出番を!ポツンと一軒家からの中継でもいいよ!

 

まあそんなことよりおじさんは「カラオケバトル」でまーりんこと佐々木麻衣ちゃんが完全優勝したことで涙で前が見えませんからこの辺で。またKBに関してガッツリ書きたい気分だよ。

 

 

見下さずにはいられない

「そんなコト考えた事なかったクイズ!トリニクって何の肉!?」というクイズ番組がテレ朝でスタートしたんですね。

 

平成生まれが「考えた事なかった」で済ますような、昭和生まれには当たり前のクイズを平成生まれに出題し、みんなで珍解答を嗤おうという性根の悪いクイズ番組です。もうこの説明が全てだと思うのですが、もうちょっと書きます。

 

本当はこんな番組見たくもないのですが、さすがに何も見ずには書けないのでおおよそ早送りで見ました。思ったほど酷い番組ではなかったですが、それでも書かずにはいられません。自分のような性根の腐った人間に「性根の悪いクイズ番組」と呼ばれてしまうのだから、そんなもん推して知るべしだろう。

 

ただ、実際の番組はそこまで平成生まれをバカにした感じではなく(ただしバカにしていることには変わりないとは思ってますし、司会のダウンタウン浜田に大きく救われている部分がある)、その基本的なお題から展開して手垢のつきまくった雑学系の話をするわけですが、根本にあるのは「バカを嗤おう」という感覚。性根が腐っている自分は根本的に「バカは笑われるもの」と思っているし「笑っていい」と思っている。しかしそれを「見世物にする」のは「もっと卑しい」と思う。バカは本来自ら恥じるべきものだけども、だからといってそれを他人が辱めるのはまた別の話だろうよ。

 

そもそもこの番組が一番酷いのは平成生まれを「モノを考えない世代」と勝手に決めつけていること。「そんなこと考えたことなかった」という物事は、平成だろうが昭和だろうが世代に関係のない話。この番組で出題される問題は、昭和では「考えるまでもなく分かる」身近なことだったものが、平成に入って「少し考えたら分かる」ものになっただけであり、平成生まれが「モノを考えない」わけでは絶対にない。じゃあ平成の当たり前だが、昭和生まれにとって「そんなこと考えたことなかった」という事象はないのだろうか?絶対にあるだろう。それをやらないのは不公平極まりない。まあそれをやったら「クイズ!年の差なんて」になるんだけども。

 

その出題された問題も、平成生まれだって普通に答えられる人も多いし、昭和生まれの中にも「そんなこと考えたことなかった」という人間は腐るほどいる。いいや人口の構造からいっても昭和生まれのほうが「考えたこともなかったバカ」は大勢いるんじゃないか。それを「若者はこんなことも知らんのか」という昭和老人マウンティングでもって平成生まれをバカにする。こりゃ若者がテレビ見なくなるわ。気分悪いもん。もう平成元年生まれは30代だぞ。若者でもない。いかに老人に向けてテレビ作られているかが分かる。暗澹たる気分だ。

 

自分にはこの番組のコンセプトが「どうにかして平成生まれをバカということにして、テレビ見ている老人たちに若者を見下させていい気分にさせたい」としか思えないのだ。書いているだけで自分は悲しい。謎の老人接待番組だ。

 

しかし冷静に問う。なぜ「平成生まれ」だからといって考えた事無いで済ましていると言えるのか。昭和生まれは「考えたことない」で済ましはしないのか。無知は「個人」のせいであり「世代」のせいではないだろう。「そうではない」のに意味の分からないカテゴリでもってひとまとめにされる迷惑。なぜ平成生まれが不当なバカ扱いをされなければいけないのか。昭和生まれはそんなに偉いか。こんな番組作ったおそらく昭和生まれは恥ずかしくないのか。

 

申し訳ないが自分は今後テレ朝というテレビ局を「こういう番組を平気で作る局」だと認識させてもらう。もちろんテレ朝には面白い番組や素晴らしい番組を作る人たちもいる。それなのに「テレ朝だから」という理由でそんな風に片づけられたのでは、「そうではない」番組にとってはいい迷惑だろう。しかし「平成生まれ」に対してそういう不当なレッテル張りをやっているんだこの番組は。無知は個人のせいであり、平成生まれのせいではない。性根の腐った自分だけども、見下さずにはいられない。

 

 

ストレスをためるために番組を見ているわけじゃないんだよ

しくじり先生」のレギュラー復活は、もうなんかイライラすることしかないです。

 

初回のクロちゃんは先生とは名ばかりで現在進行形にしくじりまくっているのに、なぜ先生として登場するのか謎ですよね。まあ見れば見るほど「ドッキリであんなに酷いめに遭っているのに、ちっとも心が痛まない」という意味で稀有なキャラクターであることを再確認できたので、それはそれでいいんですよ。面白いのが正義。

 

一方で二回目の元AKB西野未姫もただの残念な人感がぬぐえず、ファンからすれば面白かったのかもしれないけど、そうではない自分には消化不良もいいところで、「ああ、まだレギュラー2回目なのにもう弾切れてるよ。ということは最初から弾なんか入っていないのになんでレギュラー復活に踏み切ったんだろう。どうかしてるな」とか思うんだけど、それは個人の感想なので別にいいんです。

 

しかし何よりイライラするのが、放送内容が途中で端折られて、「見たかったらアベマ見ろやカスが」と言ってくることなんですよ。後半部分は自分にしか聞こえていないような気もするんですが、正直なところ本当にそう言われているような気がしてならないんですよね。アベマ広めるのに必死だから、地上波から誘導でも何でもしてやるよ感がアリアリでね。まあアベマとテレ朝はそういう関係だということは重々承知はしているんだけど、だからこそ余計にバカにされている感がありますわ。何のための地上波で何のためのネットテレビなんだよ。

 

ネットでも見られるし、地上波でも見られるよ、であれば別に文句はないのね。しかし地上波で途中の内容が端折られて「全部見たかったらアベマ」と言われ、ストレスがたまらないことがあるだろうか。そりゃあ熱心なファンならそう言われれば素直に従うとは思うのです。従うのだけど「いやあこのまま見せてくれればいいじゃん」って絶対に少しは思うわけで。それはどんなファンだっていくばくかのストレスを与えることになるのだから、さほど現在の「しくじり先生」を支持していない自分からすれば「うるせえんだよ今ここで見せれば解決だろうがよー」と思うわけだね。正直オマエラの事情なんて知ったことじゃない。

 

なんで面白い番組見て笑ってストレスを吹き飛ばしたいのに、わざわざストレスを小出しに与えてくるような構成にするのか。何の嫌がらせなのか。そりゃあアベマのほうは自分の敬愛するアルピーが出ているし見てもいいかなと思うことはある。しかしあのやり方は完全に自分の狭い小さい心をシャットアウトする。絶対に見ない。見てやるもんかよ、となる。

 

自分のような人間はテレビを見ることでしか何かを語れないしがない人間である。そんな自分が「なんか見たくねえなあ」と思うってことは、他の人はどう思っているのか。みんな素直にネット見るのかな。そうであれば自分はただ朽ちていくだけだな。テレビが消滅する前に自分が消えてなくなるわ。あー嫌いだ。嫌い。もう一本「そんなこと考えなかったクイズ」に関してはゲロ吐きそうだよ。もうテレビ終われよ。そう言われても仕方ないぞ。明日書く。たぶん。

 

けっこうに罪深い

ドラマ「ラジエーションハウス」1話を見ました。「面白めのドラマ」ではありますが、全く「面白み」はなかったです。

 

もはや医療ドラマというのは飽和状態であって、あらゆる角度から描かれ尽くされた感がある。それを今度は「放射線技師」「放射線科医」という重箱の隅をつつくような「まだあったか!」感でもってお送りするドラマである。原作は漫画のようだけども、もはや原作がどうこうではなく、自分には「HERO」の夢再びにしか見えませんでした。

 

まず登場人物が多く豪華なんだけど、その全てに「カタにはまった」感がある。それはキャラクターの配置もそうだけども、そのキャラクターを演じる役者も全てカタにはまった感じ。ベタな役割にベタな役者は決して悪いことではないと自分は思っているんだけども、それを凌駕する「これはどうなんだろう」感がある。言い方は悪いが「AIにデータを入力して割り出したらこんな感じ」である。まさか本当にAIに決めさせてるんじゃないか。これがフジ渾身のキャスティングだとするなら、キツい。豪華な分余計キツい。その分広瀬アリスの「あんまりかぶらない役柄」が救い。

 

そして前述したように「HEROの夢再び」にしか見えない構成。しかしどうもこれは「意図されたもの」らしい。公式サイトのプロデューサーのコメントに

今回の演出は「HERO」シリーズを手掛けた鈴木雅之監督なので、チームを爽快に描くのに、まさにピッタリです。

とある。やたらとチームを一緒の画面に収めようとしたり(しかも全員がかぶらないようにキレイに並んでいたり)、画面を切り取って白黒にしたり、音楽が服部隆之だったり、もうそれは殆ど「HERO」でしょうよ。あるいは「王様のレストラン」でしょうよ。「HERO」が見たかったら本物を見ればいいだけで、同じようなものを別のドラマで焼き直されることに、正直「えーと、平成終わるんだよなあ」と思ってしまう。最後に宇多田ヒカル流れるんじゃないかと思ってドキドキしたわ。

 

なもんで、重箱の隅をつついてまで新しい題材を持って来ようとしたにも関わらず、見せられているのは全く新しくないドラマだというこのワクワク感のなさ。これはけっこう罪深いと思うんだけどなあ。もう一度書いておくが、「面白めのドラマ」ではあります。例えば「王様のレストラン」や「HERO」を経ていない10代だったら充分に楽しめるドラマだと思います。しかしそうでなければ、「面白みのないドラマ」でしかないかなあと思う。いやあどうしてこうなった。そんな言葉が口を突く。