原体験

田村正和が死去していた。77歳。こういうニュースに触れるにつけ「ああ、また昭和は遠くなったな」と思うわけですね。

 

自分にとっての田村正和はやっぱり「古畑任三郎」なわけです。もちろん全シリーズ見ているし、どの話が好きか、なんて話題を振られれば逐一丁寧に話すことは出来る。どれか一本選べと言われれば古畑の面白さが分かりやすく詰まっている1stの「汚れた王将」(坂東八十助)かなあと思うし、見応えがあるのは「今、甦る死」(藤原竜也石坂浩二)だと思うし、やっぱり豪華だなあと思うのは「古畑vsSMAP」だなあと思う。なんにせよ古畑の話はたくさんできる。

 

古畑の原作者である三谷幸喜が手掛けたドラマ「総理と呼ばないで」も古畑同様主演は田村正和だった。後に三谷は「記憶にございません!」という映画を撮るが、これは「総理と呼ばないで」のリメイクだったように思う。映画の主演は中井貴一だったけども、もし田村正和があと10歳若くて健在だったならば、間違いなく田村が演じていただろうと思った。

 

自分の中での大部分はどうしても古畑任三郎なのだけど、もうひとつ挙げるとすれば「さよなら、小津先生」が思い浮かぶ。生徒として森山未來永山瑛太(当時EITA)が出ていた。当時はまだ両者とも無名なのだが、とても印象に残った。だからこそ今もって第一線で活躍している俳優になってるんだなとも思う。前田敦子の元旦那も出ていたのだが、殆ど記憶にない。

 

実際に自分がちゃんと見たドラマであれば上記の二つであるが、田村正和の原体験はこの二つではない。自分が田村正和田村正和として認識したのは、何を隠そう「とんねるずのみなさんのおかげです」における石橋貴明のモノマネである。

 

当時の「みなさんのおかげです」はドラマに限らず、色々なもののパロディをしていた。その中でも田村正和主演のドラマ「パパはニュースキャスター」や「ニューヨーク恋物語」は石橋貴明扮する田村正和でパロディにされている。自分が子供ながらに「田村正和という人がいる」というのを認識したのは、舌っ足らずでボソボソ喋る石橋貴明でしかない。もっと言えば「おかげです」の名場面集では必ずと言っていいほど放送される「それいけマサカズ」の「火事の現場から頭が燃えながら立ち去る田村正和」が、自分の中の田村正和原体験だ。そしてちゃんとあるYouTube。感謝しかない。

www.youtube.com

これ見て育っているんだから、30代と40代の大人はみんなとんねるずが大好きなのです。既に田村正和は火葬されているのだろうが、そのとき火葬場から頭が燃えたままふらっといなくなる田村正和を見た人がいるとかいないとか、そんなことを考えてしまうわけですね。ご冥福をお祈りします。

 

 

やっぱフジテレビだな

「お笑いオムニバスGP」を見たのですが、面白7の切なさ3。

 

「オムニバス」と銘打たれており「バク速-1GP」「ドッキリツッコミGP」「2億4千万のものまねメドレーGP」の3つのパートに分かれている。別々にやってもそれなりに番組として成立すると思うのだけど、千鳥をメインに据えて(MCは麒麟川島と白石麻衣だったようだが)まとめて放送して一貫性を持たせたかったのだろうか。逆にそれが「今一つパンチに欠けるものを合わせましたよ」感が少し出ていたような気がする。

 

「バク速-1GP」に関しては、これはもう「爆笑レッドカーペット」の焼き直しでしかない。作っているほうも見ているほうも分かっているのだから、言えばよかったのに。しかも悲しいかな「レッドカーペット」がショートネタブームの元祖であるのに、また最近ショートネタを流す番組が出てきていた(「爆笑!ターンテーブル」や「水曜日のダウンタウン」内で放送された30-1グランプリなど)ので、なんかこっちのほうが後追いのような感じがしてしまう。出てくるネタもあまり新鮮味がなかったような。

 

「ドッキリツッコミGP」は現在放送中の「芸能人が本気で考えたドッキリGP」の延長線にあるものだけど、ドッキリを受けた後の芸人のツッコミに照準を合わせたもの。それはそれでいいんだけど、最後のドッキリがまさかの「みなさんのおかげでした」の「全落」仕様。ロケ地も聖地東京ドイツ村。この後の放送順だった「2億4千万メドレー」と併せてそれはもう石橋貴明仕切りでいいじゃん、って話になると思うんだけど、予算が出なかったんだろうなあ。

 

カンニング竹山が深い落とし穴に落ちた所で「やっぱフジテレビだな!」と突っ込んだシーンと映像をポスターにしろとしきりに言われていた。浅い落とし穴から深い落とし穴に落とすこの攻め方こそバラエティのフジテレビだな、という意味での発言だ。そんなことを言わせるフジテレビであってほしい、という意味でポスターにしろと言っていたのだ。

 

しかし、自分はこのコーナーそのものを石橋でとんねるずで全落という形で出来ていないところが「やっぱ(今の)フジテレビ(の限界)だな!」と自分は思ってしまった。もちろん竹山にもスタジオの芸人にもその意図はないんだろうけど。ここがとても切ない。

 

そして「2億4千万のものまねメドレーGP」は見た人全員言ってると思うのだけど「バナナマンはいないんかい」に尽きる。そもそもこのコーナーの発端であるバナナマン日村がいないのにやる意味はあるのか、というところですね。もちろん裏かぶりとかスケジュール調整がきかないとか色々あるんだろうけど、最後は必ず日村が優勝というところまでが形式美のはずなのに、なにやってくれてんの、じゃないですか。

 

そりゃあ物事には事情ってものが存在しますから、今回の全てのコーナーのダメなところ全てに「何らかの事情」はあるんでしょう。作っているほうだって全落はやりたいだろうしバナナマンは出てほしいって思っているはず(思っていないのだったらもうこんな企画全部やめたらいいわけよ)。けどそれが出来ない叶わないというときに、妥協案を探りながら進めた結果こうなっていることも、いいかげんオジサンになった自分には分かる。しかしそれでも譲れない部分ってのはあってしかるべきで、特にバナナマン日村はそこの部分じゃなかったのだろうか。もちろんモノマネそのものは面白かった。しかし「純粋にモノマネメドレーを楽しめ」というコーナーだったかあれは。そうじゃないと自分は思っていたんだけど。

 

HPの番組紹介には

とんねるずのみなさんのおかげでした』で人気を博したものまね企画のアップデート版「2億4千万のものまねメドレーGP」

と書かれている。アップデートとは何を指すのか。日村要素を消しただけにしか思えなかったぞ。白石麻衣を優勝させることはアップデートじゃあなかろう。むしろ優勝の決め方が茶番である、というのは何も変わっていないということだと思うけど。

 

新しく大型のお笑い番組を立ち上げてくれることは何より嬉しいし、過去にやっていた企画を復活させてくれるのも嬉しいのだ。しかしその復活の仕方が「味が以前と違いぼんやりマズくなっている老舗」みたいな、マヌケ感があるんだよなあ。今一度繰り返すが、「やっぱフジテレビだな」ってのはいい意味で使いたい。だけどこの番組には肝心な何かが欠けていて、それが意図的なのかそうでないのか分からないところが「やっぱ今のフジテレビだな」って思う。何でこんなことになってるんですかね。

 

 

GWまとめ2021

今年のGWをどう過ごしたか、昨年のGWと比較して確認してみたいと思います。

nageyarism.hatenablog.com

〇テレビに関すること

普段見ている番組が軒並み総集編になっていきました。仕方ないことです。普段から見ている番組なので「総集編=見た事あるやつ」という図式がほぼ成り立ちます。なかには「こんな放送あったっけな?」というのもままあるんですが(正直一度見たものをはっきり細部まで覚えていることはほとんどない)、それでも「これは見たことあるなあ」というのものは、視聴時間短縮のためどんどん早送りもしくは見ずに消去、ということをしていきました。なのでどんどん新しいものが録画されてはいきますが、その新しいものが消化できない、ということはほぼなし。もちろん消化する時間が確保できるというのも大きいです。 

 

今年に関して言えば、番組の総集編はほぼなかったように思います。1年経っても何の進歩も感じない社会状況ですが、テレビラジオ業界は苦しいながらも通常営業をなんとかキープできていたんじゃないかと。その点はもうちょっと褒められてもいいと思うのですが、そうでもないのでしょうか。

 

3か月1クールという分かりやすい括りがあったドラマは、この1年でコロナによってかなりペースを乱された。その1年間のしわ寄せがあったのか今期は割と豊作で見るもの多い。しかし今年は昨年以上に片っ端から録画の消化に充てたので、GW中に録画したものはほぼ消化できています。

 

なもんでここぞとばかりに溜まっていた録画をガンガン消化しました。自分のHDの肥やしとなりがちな番組はいくつかあるんですが、今回は重点的に「ブラタモリ」を消化。半年ぶんたまっていましたが、なんとか2019年の放送は見終えました。HDの容量も残り50時間くらいまで空けることが出来たのは大きな成果。

 

ブラタモリ」は1年で1年分たまりました。つまりは1年間ほぼ消化できていなかったのです。よって今年もブラタモリを重点的に消化。ようやくタモリの相棒のアナウンサーが浅野アナに変わりました。HDの容量も同じく50時間くらいまでは空きました。ここらへん去年とほぼ同じ。

 

新たに収録される番組がないので、「おっ」と思う番組は特になかったですが、唯一あるとすれば「それって実際どうなの課」の森川葵総集編。普段寝る前に放送してたらなんとなく見てしまう番組のひとつで、録画してまでは見ない番組。今回総集編として放送されたのは「なんでも驚異的なスピードでマスターしてしまう森川葵」とその最新作。笑ってしまうくらい上達の早い森川葵の軌跡は本当に面白くて、これはちょっと録画して見ようかな番組に昇格かも。ちなみに森川葵以外もドラゴンボール芸人やタイムマシーン3号関のNo.1挑戦企画なんかも面白い。

 

「どうなの課」はこの1年、企画次第で見る見ないがはっきりする番組になりました。森川葵は相変わらず面白いですが、最近は難しい課題を与えられることが常態化し、「すぐできてしまう」から「すげえ難しいこともなんとか最後にはこなす」に変わってきて、本来の痛快さから少しズレてきているような気はしてます。

 

〇外出に関すること

不要不急の外出は自粛、ということで、なるべく出歩かないようにはしていました。それでも食料品の買い出しなんかで3日に1度くらいは外出していたように思います。ガソリンの値段が100円を切っていて思わず遠出したくもなりましたけども、ただ給油しておしまい。

 

でまあストレスがたまるかなあと思いきや、大して何も感じませんでした。リモート飲み会の誘いは1件もありません。そもそも飲み会にも殆ど行きませんし、リモート飲み会に誘ってくるような友人もいません。「リモート飲み会の止め時が分からない」とかいう話を見ても「そんなもん黙って回線切ればいいじゃねえか」と思うような人間ですから、そりゃだれも誘わない。つまりは誰からも誘われない状態が常態なので、飲みに行けないストレスもリモートによるストレスも一切無縁。自宅でひとり飲んでるだけ。世間の悩みは自分の悩みではない。本当に自分は社会人なのでしょうか。

 

昨年の今頃はガソリン100円切っていたんだな、と自分の文章を読んで思い出しました。今は全然普通の値段ですね。外出は昨年ほど引きこもってはいませんでしたが、かといってアクティブに何かするわけでもなく、ただ意味もなく自分の車で気分転換に流してみたり、あるいは目的地に向けて走り目的をこなしすぐ帰る、みたいな移動。去年よりは人出は多かったように思います。そりゃあそうなる。

 

いまだにリモート飲み会童貞です。まあ今年に関しては既に誰もやっていない気がするので、クラブハウス同様「そんなもの最初から存在していなかった」つうことにしておきましょう。twitterが急に似たようなことはじめようとしていますが、どうかしてんなとは思ってます。酒を飲んでないわけではなく、いつも通りに一人で飲んで楽しいです。

 

 

〇部屋の掃除を試みる

世間のみなさまもヒマにかまけて掃除をしているらしので、自分もやってみようと気合いを入れてみたものの、少しゴミを捨てたくらいで殆ど進みませんでした。これは由々しき事態です。これだけヒマがあったのに片付かないということは、これは永遠に片付かない気がします。

 

これは去年悟ってしまったので、今年は「掃除をしよう」という気にすらなりませんでした。ただ部屋の使用態様としての限界は迫っていたので、「一応生活できる」くらいまでには片付けました。でもそれ以上のことはしていません。これは仕事をやめてから考える問題にします。

 

ももクロちゃんを見る

GW期間中は21時からももクロちゃんがライブ動画を配信してくれるという非常に嬉しい措置を取ってくれましたので、毎日21時からPCの前に座って酒飲みながらライブ見てました。見た事あるライブ映像でも、全国で3万人前後が同じ映像を見ているのかと思うと、つい見てしまうわけですね。これがGW中唯一他人と繋がっているなあと感じた瞬間でした。裏を返せば、それ以外が殆ど他人と繋がってませんから(びっくりするくらいに知人からの連絡はありませんでした。もう自分が対外的に死んだことにしてもいいくらいです)21時近辺だけは生きてる実感がありました。

 

今年も5/1~5にかけて同じように配信がありました。ただ昨年と違ったのは「ももクロちゃんがライブ活動できないことにより空いた時間でテレビ番組にちょくちょく出演する」という事態になり(今までテレビ出演に軸足置いてないことがよくわかった)、出演番組との兼ね合いにより配信の時間がまちまちだったこと。5/4のミュージカル配信は23時開始終了25時半にも関わらず、自分を含めた2万人近くが最後まで見ていたことに驚きです。今年も唯一他人と繋がっている実感があった時間。

 

〇ストレスの程は

はっきり言って「一切ない」である。自宅で食事をするための買い物くらいは買う自由があり、自宅にこもっていてもやることはほぼ無限にある(正直GW前にやろうと思っていたことの100分の1もできなかった)状態で、ストレスがたまることなど一つもなかろう。テレビやラジオ見れているし、普段から他人にあまり会わないし連絡こないし、その事に関して疎外感など感じないし。これで最低限の収入さえあればまさに天国。とりあえず先月の給料はちゃんと出ていた。いまのところ何一つ不満ない。もう社会復帰できない気すらしてくる。

 

昨年同様、自粛状態に関するストレスはまるでありません。むしろ今年は「GW明けにやること山ほどある」というストレスがGWの終わりが近づくにつれて増していったことが一番不快でした。サラリーマンとしての立場は「なぜか業績が好調で去年より収入と仕事量が増えている」という他人から見れば順調な状況なのかもしれませんが、だからといって仕事に関して楽しいことは何一つないのです。昨年からずっと仕事辞めたいと思ってますけど、このご時世仕事辞めた時点でもっとヤバいというのが辛いですね。アラフォーで何の技量も資格もない無職は、それはもう死体だなと納言の幸ちゃんに言われるだけです。

 

 

来年のGWですが1年経っても日本を含めた世界の状況はさほど好転もせず、たぶん来年も「それほど変わらない」気がします。「何度目だ緊急事態宣言」というナウシカばりに繰り返される宣言にうんざりしつつも、ゆるやかな自粛ムードになってるんじゃないですかね。自分はまた淡々とブラタモリを消化し、ももクロちゃんのライブ映像を見て、そして仕事再開のストレスにさいなまれるのだと思います。

 

これからもセルフ自粛生活は続く。

 

今日の一問

 紀州ドンファン殺害容疑で元妻が逮捕。

 

紀州ドンファン」と自ら名乗り、金にモノを言わせてモテモテを装っていたじいさんが、その金に目がくらんだ若妻に致死量相当の覚醒剤を服用させられ死亡。そして殺害を実行した(と思われる)妻を逮捕という話。2時間ドラマばりの内容にそれ以上の感想がない。「どうでもいい」の一言で済ませてもいい話だけど、一応人が亡くなっている事件なのでそう言いたいところをぐっとこらえる。まあ書いてはしまっているのだが。

 

自分はこの手の事件は日本ゲスニュースの総本山(と勝手に呼んでいる)「ミヤネ屋」が扱うぶんには何の問題もないと思っています。日本のワイドショーの下世話さを正統に引き継いでいる「ミヤネ屋」は2時間ぶち抜きでやってもいいくらいだと思ってはいますが、このニュースを朝のワイド番組が取り扱うのはちょっと違うかな、とは思う。毎朝コロナの話題ばっかりはさすがにげんなりはするんだけど、かといってコロナの話題の代わりにやるのが紀州ドンファンってのはどうなんだろう。

 

そんな自分の思惑など関係なく、テレビではドンファンドンファンやってますね。あまりにドンファンドンファンとテレビで聴くと、自分の頭の中にはドンパン節が流れるんですよ。

www.youtube.comドンドンファンファンドンファンファン。

 

 

ここで問題です。以上のように物事とは一切関係ないBGMが、ダジャレを介して頭に流れる現象を何という?

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 正解:ハウフルス現象(佳夢音現象)

(注:ウソです。意味が分からない人は「ハウフルス」「BGM」で調べましょう)

 

 

最高の独身

アラフォーですが結婚してません。

 

いきなり悲しい告白から始まったな、と思われたかもしれませんが、果たして結婚していないことが悲しいことなのでしょうか。というのも、現在放送しているドラマ「リコカツ」「大豆田とわ子と三人の元夫」はともに離婚を扱ったドラマです。結婚しなければ離婚が出来ないので、そういう意味では自分はこのドラマの視聴者として不適合のような気もしますが、そこらへんは勘弁願いたい。それはともかく、好きなもの同士が理由あって別れる悲しさは、結婚していない悲しさとどちらが上なのでしょう。

 

離婚というテーマは今も昔もドラマになる「普遍的なテーマ」なわけだけど、一つだけ進歩がないのは「離婚を通じて人間関係や夫婦の絆を考える」という話になりがちなことだ。復縁するしないの違いはあれど、人間関係を見つめ直す題材としてはありふれている。しかし現実の離婚はそんなにドラマチックなものではなく、単に憎しみ別れることが多い。もちろんそれだけを描くのはドラマにならないのは百も承知。

 

「リコカツ」は典型的な離婚ドラマであり、「離婚活動、略してリコカツ」つう近年出現したワードを用いているものの、中身は現時点(2話終了)ではベタ中のベタである。いまのところ「出産明けでもこんなに北川景子は美しいのかよ」とため息をつくくらいしか見どころはないけども、今後話は面白くなっていくのだろうか。あんまりそんな感じがしない。

 

一方の「大豆田とわ子」はさすがの坂元裕二脚本(と言いながら現在3話まで放送しているものの、自分はまだ2話までしか見てない)。すでにバツ3の主人公と3人の元夫が織りなすファンタジーブコメとでも言えばいいのか。現実感はまるでないけども、「こういうドラマ」だと思えばとても楽しい。

 

ただいかんせん「既視感」は否めない。坂元裕二脚本の離婚ドラマといえばやっぱり「最高の離婚」が思い浮かぶ。このドラマの主演は尾野真千子瑛太(現永山瑛太)だったか。その永山瑛太は今「リコカツ」の主演だ。坂元脚本特有の会話劇で扱っているテーマが似通うと既視感がないというほうがおかしい。「最高の離婚」には市川実和子(姉)が出ていたが、「大豆田とわ子」には市川実日子(妹)が出ているあたりもわざとやっている。

 

松田龍平はああいう役やらせたら最高だよな。「獣になれない私たち」(脚本は野木亜紀子)は大して評判よくなかったけど自分はすごい好きなドラマだったのでよく覚えている。同ドラマで仕事をサボるOLをやっていたのは、「大豆田」でナレーションをやっている伊藤沙莉だ。どうせそのうち出てくると思っている。

 

というわけで目新しさはないけれどハズさないという意味では「見て損することはない」のが「大豆田」であり、「目新しさもないしハズレかもしれない」のが「リコカツ」である。個人的には坂元裕二松たか子を揃える余裕があったなら「スイッチ」の続編のほうが見たかったかなあと思う。

 

 

ちなみに離婚もできない独身アラフォー男性の自分であるが、「先日食べた弁当の回鍋肉があまりにもショボかったので、肉とキャベツを買ってきて自分で大量に作って杉咲花ばりにモリモリ食う」というこの上ない幸せを噛みしめているので心配しないでください。最高の独身です。今日10時間くらい録画見ました。既婚者には無理だろ。

 

 

正しくて嫌いだ

これは「正しい・正しくない」ではなく「自分の好き嫌い」の問題である。

 

 

 

 

こんなニュースが入ってきましたね。

 

脚本家の橋田壽賀子さんが、番組収録のステージで同業の江頭2:50さんから強引にキスされるわいせつ行為を受けたとして損害賠償などを求めた訴訟の判決が27日、東京地裁であった。

 裁判長はキスが「一方的かつ暴力的だった」と認め、請求通り1円の賠償を命じた。

 判決によると、2人は2001年7月、約300人の観客が参加した「笑っていいとも!」の収録に登場。江頭さんは上半身裸の黒タイツでステージに登場し、橋田さんがトルコの話をしようとすると、強引にキスをして口をふさいだ。

 裁判長は、橋田さんが当時、「気にしてない」と言いながらもいいとものディレクターを正座させていたと認定。江頭さん側は「口封じをするなら、自分の口しかない」と主張したが、ちょっと何言ってるか分からないなどとして退けた。

 その上で、キスは不法行為に該当するとして江頭さんは損害賠償として80万円を支払う義務を負うと判断。その一部として1円の支払いを命じた。

 

橋田壽賀子は先日亡くなりました。ご冥福をお祈りします。

 

自分は橋田壽賀子は全然好きじゃなかったし、江頭をいいとも出禁にしたのも大人げないとは思ったんだけど、それでもまだマシなのは「それで済ませている」ことなのです。これを「江頭2:50伝説」とするか「ふかわりょう裁判で賠償命令」とするかは紙一重だ。

 

ふかわりょうのやったことは「一般的な常識に照らし合わせれば」やってはいけないことなのは、ふかわ本人だってよく分かっているわけで、それが一般常識が通じない相手の岡本夏生だったからこそ、イチかバチかで勝負に出たわけだ。その結果惨敗だったとしても、だ。ふかわが不憫でならない。1円の賠償金で裁判した岡本夏生が凄いとか言ってるやつらは、たぶんマリエの話も信じているような人たちだ。

 

そのうち森三中村上がダウンタウン浜田に「ガキの使い」でがっつり乳揉まれていたことに関して「第三者」が目に見えるセクハラとして訴訟を起こす日が来るのかもしれない。もはや江頭のキスで笑うのも、事情がどうであれふかわに同情するのも許されない時代になっていくのだろうな。とてもいいことじゃないか。ただ自分はそんな時代は息苦しくて死にそうなので、そんな時代が来る前に死ぬと思います。それでけっこう。

 

 

やっぱそうじゃねえかよ

自分がテレビを長いこと見ていてずっと腑に落ちないもののひとつに「中年のオジサンやオバサンが若者の流行や文化を学ぶ」番組やコーナーがある。

 

昔「クイズ!年の差なんて」という番組があった。ヤングチームとアダルトチームに分かれて、それぞれの世代には常識である知識を出題しあうという内容。この番組の良いところは互いの立場で「こんなことも知らないのか」と言えるところ。どちらか一方を時代遅れとか常識知らずと揶揄するのではなく、世代が違えば常識も違うという「ごく当たり前のこと」を知らせてくれるものだった。若者に鶏肉が何の肉かを聞いてバカにするようなことはないのである。もっとも今は単なる芸能人格付けチェックになってしまったけども、それは今はあまり関係がない。

 

若者世代の流行や常識を学ぶ番組は、基本的に中年世代が若者のことを「学ぶ」わけですから、若者世代が「教える立場=偉い」になるわけで、本来であれば目上である中年たちが「教わる立場=目下」になるのが滑稽だったりする。普段は偉ぶっている大人が「そんなことも知らないのか」になるわけですね。

 

自分はこれがずーっと「なんかイヤだなあ」と思っていました。

 

自分も20年くらい前には「若者」だったわけですが、当時流行っていることとして扱われる内容も「本当に流行っているのかよ」と思うことが多かったですし(まあ実際に東京のほうでは流行っていたのでしょうけども)、それを大人たちが学ぶということに関し「わざわざ大人がすり寄ってこなくていいよ」と思っていました。大人たちが若者に「媚びている」ようで、全然面白くなかったのですね。けどこういうのがあることで大人たちが若者文化を学ぶ「需要」があるのかなあ、とかうっすら思っていたわけです。

 

時は流れ、自分もいいオッサンになりました。そしてオッサンになった今、YouTube発信の流行のコンテンツを若者が紹介し、それを自分と同世代の芸人とかが「全然分からない」とか言いながらヘラヘラして教わっている姿を見ると「あああああああああ」と思います。情けない。なんで若者に媚びながらわざわざオッサンが教わらなければ(そしてそれをテレビで見なければ)ならないのか。そりゃあ流行の先端なのかもしれないけど、それを知ることが必要なオッサンやオバサンはそれほど多くなく(仕事で必要な人はもうそれなりにしっかり知っている)、中途半端な知識をかじったオッサンが職場の若者にその知識を披露した結果、いいことなんてひとつもないことは明らかだ。結論として「学ぶ必要はない」である。

 

てことは、自分が若者だったときに当時のオッサンやオバサンは当然同じことを思っていたんじゃないか。若者のときに「オッサンには需要がある」と思っていた自分がオッサンになったとき、全くオッサンとしての需要を感じていなかった。じゃあ誰が必要なのこれ。

 

今テレビの視聴者が高齢化していて、若者をテレビに呼び戻すことを各局が模索しているという話は聞く。「噂の東京マガジン」が堅調な視聴率をたたき出していたにも関わらずBSに移行したのも、今後必要になってくる若者の数字が取れていないからだ(そんなもん当たり前だろ、とは思うけど)という話を聞いた。だからなんとか若者が見るような企画を、若者にフィットした番組をと考えるのは間違ってはいないだろう。かといって若者文化を扱うことが若者の視聴に繋がるのかはよく分からん。そういうデータでもあるんだろうか。

 

若いときに感じた「これ、オッサンになったときに必要になるのかなあ」は、オッサンになった今「いやあ、なんで若者文化をオッサンになって教えられなきゃいかんのよ」となった。結局自分は若者でもオッサンでも、この手の番組を必要としていなかった。やっぱそうじゃねえかよ。じゃあなんで廃れないの?っていうシンプルな疑問は「流行扱っておけばいいだろ」っていうテレビ局の悪しき怠慢だと自分は思いますけど、どうなんでしょうね。