思い込み

先日見た「世にも奇妙な物語・秋の特別編」の感想を。

 

脱出不可

坂口健太郎主演。目覚めたら監禁されている主人公。そこから脱出するには3つのパスワードを入力するしかない。その部屋はネット配信されており、視聴者の力も借りながらパスワードを発見しては解読していく。しかしパスワードを解読していくにつれ、自分がなぜ閉じ込められているか、そして何を意図しているかに気づかされていく。

 

始まったときは「安っぽいSAWが始まりましたよ」と思ったんだけど、終わってみたら激安すぎてびっくりした。いやあまあ脱出ゲーム的な要素とネットの怖さ的な要素をリミックスして中学生に脚本書かせたらあんな感じになるんでしょうけど、いい加減「奇妙=投げっぱなしでもあり」ってことではないというのは徹底してほしい。一発目の子供だましは困る。

 

あしたのあたし

国仲涼子主演。平凡な毎日を送る主婦の主人公。しかし突如スマホに送信されてきた自分の明日の予告動画「あしたのあたし」の通りに日々が進行していく。配信が最終回となった翌日、動画の煽りにある「予期せぬ結末」とは?

 

今回の秀作。ドラマの予告編あるあるを交えつつ、コメディ路線を進みながらも最後にシニカルに終わるという、いかにも「世にも」な作品。1本目のショボさとの落差に耳キーンとなるやつね。国仲涼子のくたびれ感は嫌いじゃない。

 

幽霊社員

佐野史郎主演。社内でも存在感が全くないいわゆる「幽霊社員」の主人公。大きな仕事を目の前に亡くなり、成仏ができない「幽霊の社員」の思いを託され、仕事に奮闘する。

 

これも「世にも」テイストたっぷりで、起承転結がしっかりしているところにオチもよく出来ている。演出がさすがの星護よ。佐野史郎と「世にも」は本当に相性がよい。「バカばっかりだ!」という名作がありましてですね、ええ。

 

マスマティックな夕暮れ

玉城ティナ主演。黒魔術書に書かれた数学を解読するために不良が数学を学んでいく、というお話。説明が雑。元はヨーロッパ企画の脚本。

 

まあ、テレビ界では理系の出番はないですから、こんなもんだと思います。不良が勉強して数学が出来るようになるだけの話。突飛な展開も何もない。エセ理系の自分が気になったのは「動物の血液を薄めてできる水溶液」の問題よ。血液はコロイド溶液なので水に混ぜても水溶液にはならんでしょうよ。まあいいんだけどさ。こういう煩いこと言うから理系の出番はないのだ。

 

クリスマスの怪物

川栄李奈主演。クリスマスイブにIT社長と食事をする主人公。そこでクリスマスの思い出として過去にイジメによって大怪我を負った同級生の話をするが。

 

分かりやすいホラー枠。サンタさんの赤い服は返り血なんだよ、くらいのホラーかと思いきや、IT社長のサンタさんとは発想は面白い。けど話の中身は凡庸。まあこのくらい分かりやすいほうが初心者は楽しめるかもしれません。おじさん何せ30年見てますからねえ。

 

 

久々に丸々5本というスタンダードスタイルの放送。5本もあれば佳作も駄作もそりゃあある。それなりに楽しめてますよ。次の「雨の特別編」も早いとこ見なければ。

 

 

 

 

 

 

 

………お気づきだとは思いますが、この感想は自分が「先日見た」昨年放送された「秋の特別編」の感想です。1年間HDDに眠っていたのを先日見たもので、感想もついでに書いた次第です。みなさんの記憶が不安になったのであれば申し訳ない。ただ、それは「奇妙な世界」への扉の第一歩かもしれませんし、ただこれを書いている人間の性悪さかもしれません。それでは、ごきげんよう

 

 

所詮は

なんだか「ひるおび」と「ミヤネ屋」でオリンピックのマラソンを札幌でやる事に関し、北海道マラソンのコースを引き合いにして札幌のコースをバカにしたような発言があったとかなかったとかで。中でも北海道マラソン優勝経験者の千葉真子あたりがかなり言いたい放題言っていたとか。

 

まああくまで関東ローカルの「ひるおび」と関西ローカルの「ミヤネ屋」ですから、そこで言いたい放題言っていても所詮僻地の、津軽海峡を渡った遥か遠くの北海道まではこんな情報は届くまい、とでも思っていたんでしょう。情報の発達した世の中ですら、極北の地までは届くのに最低1年、そうなりゃオリンピック終わった後だと考えていても不思議じゃないわけですね。お東京様とかお大阪様に住まわれる貴族芸能人なんてのはそんなもんです。

 

しかし残念ながら札幌市民でもある自分の耳にこの情報が入ってきてしまったということで、個人的には「ひるおび」も「ミヤネ屋」も田中義剛ばりに「あたしゃ許さないよ」ということになります。関東ローカルだろうが関西ローカルだろうが、聞こえてしまったものを無視するわけにはいきませんからね。

 

でもまあ人の悪口ってのは聞こえていないところで言うのが楽しいのであって、そういう魔がさすことはあることだし、あんまり強く責められないとは思います。相手に言うつもりもないのに聞こえてしまった、しかも誰かが余計なことして密告されたなんてことでモメるのもよくある話だしね。ええ。

 

え?両番組とも北海道で放送されてんの?半年遅れとかじゃなくて?リアルタイムで?

 

 

 

 

 

所詮はキー局の番組は「関東ローカル」だし、ミヤネ屋なんかは「関西ローカル」でしかやってないという非常に分かりやすい例だよこんなもん。関係者全員北海道に取材しに来たらカニの甲羅ぶつけてやるからな。二度と来るなよ北海道。

 

 

あたしゃ認めないよ

田中義剛が「踊る!さんま御殿」にて「ケンミンSHOWで北海道代表として呼ばれない」と嘆く。

 

最初にこのトピックを知ったのはネットの記事で、「ほう、それは確認しなければ」と思いネットで探して当該部分を確認した。確かに言っている。「青森は(高校を卒業するまで)18年間住み、北海道は(それ以降の人生)40数年住んでいるけども、いまだに北海道の代表で呼ばれない」と。

 

「当たり前だ!」と感情的に叫んだ北海道民は数知れないだろう。たぶん。

 

自分は5年前に今は亡き番組「ソロモン流」で取り上げられた義剛をこんな風に説明している。

北海道民にとっての田中義剛とは何か。それは「一応道民なのに道民扱いされない、したくない“逆名誉道民”」に他ならない。地場産業を盛り上げて北海道に多大な貢献をしているにも関わらず、道民から尊敬もされず、親しみも持たれない。それが田中義剛という男。

今改めて読み返してみても、あまりに身も蓋もない紹介であるが、しかしこれ以上他に説明しようがない。書いた自分が言うのもなんだが、酷い紹介だ。ちなみに続きはこんな感じなので、ヒマな方はどうぞ。

nageyarism.hatenablog.com

「ケンミンSHOW」が義剛を北海道代表として呼ばないのは単に「義剛を北海道民として呼ばなくても他にいくらでもいる」からに過ぎないだろうが、それを抜きにしても「義剛を北海道代表とは、あたしゃ認めないよ」という浅香光代ばりの道民は、道外の方が思っている以上に多いと思う。

 

道外の方からすれば「なんでそんなに義剛を道民扱いしないのか」と思うかもしれない。義剛の主張する「北海道に40数年住んでいる」ことを考えれば、それはもう殆ど北海道民ではないか、と。そう思われても不思議じゃない。しかしはっきり言う。そんな考えは義剛に「何の興味も持っていないから、どうでもいい」と同義であり、義剛に何の興味もないから言える戯言に過ぎないのである。

 

道民は少なからず「義剛と一緒にされたくない」と思っている。それは花畑牧場の生キャラメルを代表例とした義剛の商売にゲスい感じを指して「北海道民“は”あんなにゲスくないよね」と思ったり(実際北海道民はそこそこゲスいと思いますけど)、訛り丸出しで牧場経営していて「THE北海道」感を出していることに「北海道がみなあんな感じだと思われたくない」と思っていたり(もちろん訛っている人もいるし道東では酪農は基幹産業なんだけども)と、さまざまな理由から道民の「北海道アレジャナイ」を一身に背負う存在が義剛なのである。つまりは「非道民の誤解を全て体現している」ともいえる。あるいは単にゲスいオッサンだともいえる。嫌われる理由があらゆる角度にある。

 

ただそこには北海道民の「田舎者と思われたくない」というコンプレックスも内包しているのかもしれない。道外の人間から北海道民が義剛のように映っているかと思うと、それはもう嫌悪の対象でしかない。北海道はその広さからたくさんの有名人を輩出している。そもそもアイヌが住んでいた土地に入植してきた北海道民には「歴史上の偉人」がいるわけではない。だからこそ現状のスターが北海道の誇りなのだ。しかしそのスターを差し置いて「そもそも北海道の人間ではない」義剛が北海道代表みたいなツラをされると、これはカチンとくる。間違っても「北海道の人間だ」とは言いたくないのである。嫌いな道民はひとりもいないと言っても過言じゃない大泉洋はえらい違いだ。

 

ただ、義剛が北海道を愛し、北海道に住み続け、北海道に税金を納めていることは紛れもない事実である。出身は青森八戸といえど、そろそろ義剛を道民として受け入れる度量が北海道民にも必要なのでは?

 

………そんなことを考えながら自分は「さんま御殿」を見ていた。すると「オホーツクのホタテは流氷で運ばれたプランクトンを食べて育ちとても大きい」と発言した清水宏保(スピードスケート金メダリスト)に対し、義剛は

 

「ほぼロシアからの密漁だって聞いた」

 

と発言。そりゃね、義剛だって本気でこんなこと思っていない。東北VS北海道という構図のバラエティを盛り上げるための発言であることは百も承知している。しかしこうやって義剛はまた北海道民から嫌われていくんだなあとしみじみ感じた秋の夜。一生ケンミンSHOWに北海道代表で呼ばれることはないでしょう。これを読んでいる道外のみなさんは、北海道でうっかり義剛を北海道民扱いしないように。夜中に襲われますよ。

 

 

ニセモノであるから

「ノンフェイクション」という番組がテレ東で放送されましてですね。

 

ドキュメンタリーとして追いかける対象の中に、ひとつだけ(一人だけ)フェイク、つまりニセモノが混じっているという番組。今回放送されたのは「メンズ地下アイドル」がテーマ。3人の男性地下アイドルのうち一人だけがニセモノ。ケンコバ市川紗椰がVTRを見るという立場なのだけど、特にクイズ形式になっているだとかそういうことではない。見て感想を述べる。「ハイパーハードボイルドグルメレポート」の小籔と同じ立場。

 

でまあ、番組の感想としては「ただニセモノが混じっているだけ」なのは「面白いのかそうでないのかよく分からない」である。

 

今回のドキュメンタリーはフェイクも含めて全て本物のドキュメンタリー監督である岩渕弘樹が担当。だから本物もニセモノもドキュメンタリーとして普通の映像に仕上がっている。それゆえ本物はもちろん、ニセモノも「それなりのドキュメンタリー」に仕上がっているのだけど、番組の意図が「当てさせる(あるいは騙す)こと」ではないせいか「ヒントとなるものが題材の雰囲気でしかない」のである。

 

たとえば格付けチェックであれば「その道の巨匠」と「駆け出し」が撮影することで、その違いに気づくか?というコンセプトになる。しかしこの番組は両方とも同じ人が撮っているし、本当にただ単に「題材そのものが本当かウソか」なのだ。しかもヒントはなし。見終わったあと「騙された」という感じにもならず、かといって「これが嘘でよかった」という深刻な感じでもなく、ただ単に短編のドキュメント2本+フェイク1本を見せられたという感じ。まあそういう意図なのだろうけど、自分は思ったよりそこに面白さを感じなかった。

 

 

原因のひとつとして、「このドキュメンタリーの中にフェイクが混じるという構造そのものに何かしらのフェイクが混じってくるのではないだろうか」とかなり過剰な期待をして見てしまったこともあるのかもしれない。例えば「フェイクのアイドルはおらず、監督がフェイクだ」「最後のVTRでケンコバが別人に変わっている」「市川紗椰のユアタイムの1年間がフェイクだ」なんていう十重二十重のトリックがあるのではないか、くらいのことを見ていて漠然と考えていた。でもそういう仕掛けは当然ない。

 

そもそも自分の見込み違いとして「フェイクだと分かるようにフェイクを作っていたわけではない」ということ。例えばフェイクドキュメンタリーで自分が強烈にハマった「放送禁止」シリーズはそのドキュメンタリー内に「真実」が見え隠れするようにヒントが散りばめられている。それを見つけるのが楽しみであったりする。しかし今回「ニセモノが混じっている」んだけど「ニセモノを当てること」が主眼ではないため、ドキュメンタリーの中身に仕掛けがあるわけではなく、単純に「素材が架空で役者」というだけ。それが「そうやってドキュメンタリーって作れるじゃん」という皮肉であるともいえるんだけど、自分には「単にニセモノ混ぜて作ってみよう」レベルまでの意気込みしか感じなかったんだよなあ。惜しい。もっと企画を練りに練って、現実とフェイクの境界線が見えなくなるまでこちらの頭をゴチャゴチャにしてほしかった。

 

まあ来週の「熟女セクシー女優の私生活」は見ますけどね。バクシーシ山下監督とかフェイク混じってなくても見るよ。むしろフェイクいらないじゃん。企画的にはそういうことじゃないと思うんだけど、そう思われてしまう時点でちょっと失敗しているんじゃないかとは思う。

 

 

 

 

「フェイク」ついでに「クレイジージャーニー」打ち切りの件を再度。「やらせと演出の境界線」という論点で是か非か語られている感じがちょっともどかしい。「動物を置くくらいのことは演出の範疇じゃないか」だとか「川口浩探検隊が許容されてなぜ今回のはダメなのか」とかいう意見を見たり聞いたりして、「うーん」と思う。賛同できない。前書いたものと意見はあまり変わってないので置いておきます。

nageyarism.hatenablog.com

 

前にも書いたけども、加藤先生がこの「演出」を知っていようといまいと(知らないわけがない、という追撃記事が出たけどもあまり話題になってないのか)、加藤先生の信用は少なからず傷ついたと思います。無邪気な顔して捕まえていたけど、本当は知っていたんでしょ?と。それがタレントなら「演出」「仕事」で済ませていいのかもしれないけど、学者の加藤先生がやると意味合いが少し変わってくるような気がするんです。一応建前は「珍しい爬虫類を自らの手で捕まえる」なんだし。

 

そしてここを再度強調したいのだけど、信用を損なうのは加藤先生だけではなく、全てのクレイジージャーニーとして出演した人たちなのだ。これを許すわけにはいかないだろう。調査によって「(加藤先生の企画内では)他に同じような演出が見つからなかった」となっているが、裏を返せば「全部のクレイジージャーニーを調べているわけではないので、そこにはまだ何かあるのかもしれない」となるだろう。最悪加藤先生が演出に加担していて、加藤先生「のみ」の信用が落ちるのは仕方ないかもしれない。しかし「クレイジージャーニー」に出演していたという理由で、あらぬ疑惑のまなざしを向けられるように「してしまった」ことそのものは、視聴者ではなく今までの出演者に対する大きな裏切りになる。

 

これが「加藤先生の生き物バンザイ」という単独番組であれば「それくらいの演出はいいじゃん」と思ったかもしれない。けどバラエティといえども、人生をかけた生き様を映す「クレイジージャーニー」であれば、やっぱりダメだよなあと自分は思う。

 

 

我慢できなかった

ラグビー日本代表が負けてしまいましたね。

 

ワールドカップ開幕当初は「本当に日本勝てるのかいな」と思っていた大半の日本人の期待をいい意味で裏切り、予選リーグを全勝で通過。試合を重ねるごとにラグビー人気は過熱する。前回のワールドカップで奇跡的に勝利した相手である南アフリカとの試合は、残念ながら力の差を見せつけられる結果となった。そんなに甘くはなかった。

 

とはいえ、国内での盛り上がりは前回ワールドカップ、五郎丸フィーバーを超えた感がある。ラグビー業界にとってみればこんなに喜ばしいことはないだろう。しかしまあこの人気を定着させるには、ナショナルチームがある程度活躍し続ける必要があるわけで、なかなか難しい部分もあるだろう。

 

と、無難な導入を書きましたが、当然にこんなことを書きたいわけではないのですよ。自分が書きたいのは「あの替え歌が恥ずかしいんだけど、みなさんはどう思っているのかな」である。

 

ラグビー日本代表が自らを鼓舞するために歌っていた「カントリーロード」(映画「耳をすませば」の主題歌)の替え歌である「ビクトリーロード」。日本代表を取り上げるVTRでは必ずと言っていいほど「ビクトリーロード」を歌う選手たちの姿が放送されていた。自分は最初の1、2回は「おお、そんな替え歌歌ってるんだな」と特に何も思わなかったのだけど、これが繰り返し聞こえてくるたびに、ちょっとずつ「あれ?これ聴いているとなんだかすげえ恥ずかしい」と思えてきたのだ。

 

こんなことを書けば「ラグビー日本代表を冒涜しているのか!」とかすぐ言われそうなんだけど、もちろん歌っている人たちや歌そのものが恥ずかしいということではない。国籍や背景が違う人たちが「日本代表」という名のもとにひとつのチームとなって戦う、という事情を考えたとき、多少ベタでも分かりやすいこの替え歌は「気持ちを一つにする」という恰好の装置であり、欠かせないものであることくらいは分かる。

 

しかし自分は日本代表ではなく、そしてラグビーにそれほど思い入れがある人間でもないので、繰り返しこのベタすぎる替え歌を聴くたびに「うーん、ちょっと居心地悪いなこれは」と思ってしまったのだ。それが転じて「ちょっとこの替え歌の場になじめない恥ずかしさ」となった。だから「恥ずかしい」の原因は自分自身であり、自分が悪い。決してラグビー日本代表を貶める意図はない。

 

ただ敢えてもう一度言うが、やっぱり替え歌が恥ずかしい。でも、この恥ずかしさの起因が自分にあるということは、自分と同じような理由で同じように気恥ずかしさを感じている人は少なからずいるんじゃないのか?とは思うのだ。そして自分と同じ恥ずかしさを纏う人は、おそらくこの期間中「ビクトリーロード」を聴くたびに「あああああ」という気持ちになり、そして盛り上がっているところにわざわざ水をさすような「ちょっと恥ずかしい」という気持ちを口に出すことなく、ただそっとチャンネルを変えていたはずだ。

 

そういう人々はそんな自分の気恥ずかしさに少しだけ向き合い、そして気持ちに蓋をする。ここで「えー、この替え歌ダサくない?」とか言える人は「恥ずかしい」という気持ちを持ちうるはずがない。だから期間中ずっと恥ずかしかった人たちは、今ちょっとだけほっとしているんじゃないだろうか。

 

しかし自分のようなデリカシーなし人間は、日本が敗退した後にこういう事を言ってしまう。単に我慢が出来ない。いや、そういう我慢をしないようにずっとこの場所でそういうことを書き続けているのだ。あの替え歌が「恥ずかしかった」と思ったあなたはひとりじゃないです。安心してください。いやもしかしたら「自分がひとり」の可能性もあるんだけど、その時は自分だけ恥ずかしかったということで別にいいです。

 

 

「クレイジージャーニー」および「消えた天才」の終了が正式に発表されました。「クレイジージャーニー」に関してはやっぱり「勿体ない」という気持ちも大きいですが、少なくとも現状のフォーマットのまま続けるのには無理があるでしょう。仕方ないけど、これでいいんだと思います。これを糧に「次」につなげてほしいです。

 

地続き

教師間のイジメ問題に関して、他人とはうっすら違う感情を抱いております。

 

大前提として「そりゃあイジメは悪いし、イジメられていたほうはたまったもんじゃない」ことは当然です。被害者のほうからすれば憤懣やるかたないのは誰だって分かること。本来イジメを防止するために奔走しなければならない立場の人間がイジメを行っていたというのは、やはり恥ずべき事態であるとは思う。

 

しかし、この報道の世間の受け止め方が「教師失格の特殊な極悪人がやっている」という感じになっていて、自分はちょっと怖い。だってこれ、「教師」というフィルターを除けば「社会人の同僚に対するイジメ」でしょ?こんなもんどこかしこで行われていることじゃないのか。極悪人じゃなくたってイジメはする。むしろ普通の人間関係からイジメは起きてくるわけで。

 

この一連の報道を見て「被害は我が身に起こりうることだろうし、逆に自分も加害者の立場にならないように気を付けなければなあ」とは思えど、「こんなクズ人間は教師の資格なし!いますぐ名前と顔を出せ!クビ!」とか、とてもじゃないけど言えない。もちろん直情的な感情でたいして考えてはいないんだろうけど。ただそんな考慮もなしに叫んでいる人を見ると「ああ、こいつは将来被害者にも加害者にもどっちの立場にもなりうる人だなあ」と自分は思えてしまう。だって、想像力が足りていないんだもの。

 

誤解をおそれずに言えば、自分だって加害者にも被害者になりうると思う。それは現在進行形で誰かに暴力を振るっているわけでもなく、また集団で激辛カレーを食べさせられているわけでもない。しかし、今後どちらにもならないという確証はない。「今そうじゃないから、今後もそうならない」というのは想像力の欠如で驕りである。自分だって何のきっかけで暴君化するか分からないし、何がきっかけでセクハラメールを打つかは分からないのだ。

 

しかし加害者側を糾弾する人たちは決まって「自分はそうじゃないし、そうはならない」という自信に満ち満ちている。少なくとも自分にはそう見える。まるで、自分はその世界とは全く無縁の人間であるかのように。もちろん教職という狭い世界で捉えれば無縁の人も多いんだろうが、「社会人の人間関係」という世界で捉えれば無縁な人などどれくらいいるのか。

 

その自信はある意味羨ましくもあるけど、一方では物凄く怖い。「自分はそういう立場にならない」という自信があるがゆえに、最終的に「そういう立場になっていても気付かない」ってことにならないか。それって結局、今回のケースと同じじゃないのか。かわいがっていただけ。イジメとは思っていなかった。どこが違うんだろう。

 

念のためもう一度言うが、イジメは悪い。そりゃそうだ。しかし加害者を居丈高に集団で批判するその態度は、結局批判しているイジメと地続きのメンタルじゃないのかね、と自分はうっすら思ってしまう。教師じゃなければいいのかな。そんなことないと思うけど。

 

 

小手伸也爆裂応援宣言

「シンデレラおじさん」こと俳優の小手伸也が文春に過去の不倫をすっぱ抜かれる。うひょー!

 

自分は今日この文春の速報記事を見たとき、思わず職場で小躍りしてしまいました。だって、小手ですよ。昔からの友人みたいに呼び捨てしてますけど面識はないです。それでも、小手ですよ。あの小手が不倫!小手が不倫!もう一度言いますけど小手が不倫!これがわくわくせずにいられるかってんですよ。うひょー!

 

……とまあかなりロマンティック浮かれモードで始めてしまいましたが、少し冷静になります。小手伸也がブレイク前の2017年にtwitter上でナンパして不倫していたらしい。「真田丸」が2016年の話なので、少し注目された頃の話だ。分かりやすく浮かれていたんだろうなあ、小手。そして売れてきた今になって分かりやすく売られる。不倫の是非はここでは不問!分かりやすく売られた小手は可哀想!けど不思議と自分からこぼれるのは笑いのみ。なぜだ!

 

自分がこの小手不倫騒動に感じるのは「おかしみ」しかないのです。そりゃ当事者である小手を売った女とか小手の奥さんとかは別でしょうけど、自分は「45のオッサンの不倫がこうして話題になる」ことでちょっと元気が出るし、何より「小手が不倫している」ことが面白くてしょうがない。若い頃の小手はすさまじくイケメンですが、今の小手は完全なる「いい味出してるオッサン」である。そのオッサンが不倫しているというのは、自分のようなオッサンに「お前も頑張れよ」と言われているような気がしてならないのです。いや不倫しろということではないんだけども、小手くらい色気を持って日々生きろと言われている気がして。

 

小手はこの不倫で叩かれるんだろう。「あんなオッサンのくせに不倫するのか」と叩かれるんです。しかし違う!小手は「あんなオッサンだからこそ不倫する」んです!小手がいい味出しているのは、あの歳であんなオッサンなのに不倫するほどに色気があるからなんですよ。だからこそあの演技ができるしベレー帽が死ぬほど似合うのです(「なつぞら」より)。そんな小手を奥さん以外に誰が責めることができるのか!自分は小手が不倫をせずにつまんない演技をするならば、不倫をしてあれだけの演技が出来るほうが素晴らしいと思う人間です。「不倫は芸の肥やし」とまでは言いませんけど、小手は不倫しているほうが面白いとは思うわけです。誰にも賛同されなくていい。

 

だからこそ自分はここで「小手伸也爆裂応援宣言」をしたいと思います。もし小手がこの件であらゆる場面で叩かれようとも、自分は、このブログでは小手を必要以上に応援します。ただ、もちろん無条件に「小手さん!応援してます!」ではない。「小手!不倫してるじゃん小手!最高じゃん!」と、小手の不倫をあくまで小馬鹿にしながらも愛でもって応援します。そして最後にこの言葉を贈ります!

 

目に見えるものが真実とは限らない。
何が本当で、何が嘘か。
ベートーベンは、本当に耳が聞こえなかったのか。
オズワルドは、ケネディを殺したのか。
アポロは、月へ行ったのか。
小手は、不倫をしているのか。
コンフィデンスマンの世界へようこそ。

 コンフィデンスマンJP 第1話より