ギャル曽根の伊達メガネ学

「林先生の初耳学」のガチンコ化(あるいは林先生関係なくなっちゃった化)が加速しています。このまま林先生の存在は、撮影に成功したブラックホールに吸い込まれるがごとく無と化すんでしょうか。

 

完全に味をしめちゃった「アンミカのパリコレ学2」、そして何を思ったか、ただギャル曽根が番組の金でパティシエールを目指す(及び有名店「ピエールエルメ」のパリ本店に自作の菓子を置いてもらおうという、どうかしているオプション付)「ギャル曽根パティシエール学」、さらには以前林先生で好評だった高学歴のニートの前で授業を行う特別授業を古館伊知郎が特別講義。豪華三本立てで、林先生の存在はやはりブラックホール前の灯火である。

 

なかでも「古館伊知郎VS高学歴ニート」はなかなかだった。個人的な感想で言えばニートにクリーンヒットを一撃も食らわせることができないままTKO負けで終わった印象。

 

無駄に高学歴であるが故に、大人側の聞き飽きた正論をぶつけても、それに対する反論のロジックを構築してくるわけで、話は簡単にかみ合わない。そもそも相手のことをどう否定・論破するか、で始まっている議論は建設的な解決が出来るわけがないのだ。生まれたときからそういう環境で育っているのだから、そりゃそうなる。そして現に今「仕事をしなくても(なぜか)生活出来ている」という事実「のみ」が、彼らの「働かなくてもなんとかなる」という拠り所になっている。だからこそ生活に困窮するようになってから「それでも、なんとかなる」という議論をさせるべきだとは思う。それでもその自信が揺らがないのであれば、その理屈は本物だろうなあと。

 

とまあ実際の話はどうでもよく、これが番組で「こういう企画ですよー」となっている以上、傾向と対策を練るのは出演者の責務だろう。その点で古館伊知郎は「それなりに話してくることを考えていた」とは思うのだけど、その一方で「彼らに届く有効な話」が見いだせないままその勝負に臨んだような感じを印象として持った。講義中でとあるニートが「全然納得できない」と言っていたが、自分もテレビの前でそう思った。古館の言っていることは「仕事をしている社会人」としての自分はよく分かるが、「ニート的な自分」としての自分だったならばやっぱり「なんだか心に響かない」である。

 

番組では「古館の講義で気持ちが変わった受講者がいた」みたいな紹介をされていたが、おそらく変わったのは「そもそもニートではまずい」と最初から思っていた受講者一人だけで、古館の講義を聞いて何か心にあったわけじゃあないだろう。おそらく残りの受講者は何一つ心が動いてないだろうし、自分もあれを聞いていたニートならば、たぶん翌日から何もしないと思う。

 

ただまあこれに関しては「古館がショボい」という言い方も出来るんだけど、自分は「前回の林先生がスゴかった」という言い方のほうが正しいと思う。さすがにプロの予備校講師の講義と、言葉のプロフェッショナルではあれど講師ではない古館ではそこに差があって当たり前。はからずも古館のショボさが林先生の存在感を辛うじて残したことになった。ピアノが88鍵であることをドヤ顔で説明して終わった林先生にもっと出番を!ポツンと一軒家からの中継でもいいよ!

 

まあそんなことよりおじさんは「カラオケバトル」でまーりんこと佐々木麻衣ちゃんが完全優勝したことで涙で前が見えませんからこの辺で。またKBに関してガッツリ書きたい気分だよ。