実力があればなあ

和牛が来年3月をもって解散。

 

ちょっと前に「アキナ牛シュタイン」という3組(アキナ・和牛・アインシュタイン)からなるユニットの公演が中止になったというニュースがあり、「何かあったのでは」と少し話題になっていたが、どうやら和牛の解散が理由だったようだ。

 

和牛といえば、復活したM-1においてもっとも優勝に近づきながら優勝できなかったコンビ。その実力は誰もが認めるところであり、いうなれば「漫才やってる限り食いっぱぐれることはない」人たちだった。そんな人たちが解散というのは、にわかには信じがたいことだ。

 

解散の理由は本人たちのコメントによって語られている。水田の遅刻に端緒があるようだが、これもどこまで本当なのかは分からない。コメントを読めば、水田と川西の仕事、とりわけ漫才に関してのスタンスの違いが見えるが、これだってどこまでが本音なのだろうか。外野は想像でああだこうだ言うしかないわけだ。本当のところはどこまで行っても本人たちにしか分からないのだ。

 

だから和牛の解散において自分がこれ以上ここで書くことはない。ないのだ。しかし自分はこの解散を知って、なんだか深く考え込んでしまった。

 

生活のことを考えれば、お互いにある程度のことには目を瞑り、漫才を続けていく方法はいくらでもあったはずだ。前述したように漫才さえしっかりやっていれば食いっぱぐれることはない人たち。そんな状況を捨ててでも解散という道を選んだということは、お互いに譲れない何かがあり、安定した生活を捨ててでも解散という道を選ばなければいけない信念とか憎悪とかがあるんだろう。それでも、40歳前後でこの生活を捨てる。なかなかできる選択じゃあないと思う。

 

現に、自分が、そうだ。

 

ここ数年自分はずっと「仕事辞めたい」と言い続けている。現にこれを書いている今も辞めたい。先日も「なんかもう道理もへったくれもないな」という事態に直面して、完全に今やる気がない。たぶんちょいちょい仕事にそれが反映されている。2億くらい目の前にあったら、もうたぶんすぐ辞めている。

 

けど現に「辞められていない自分」がここにいるのだ。自分がまだ20代なら「次」があるのかもしれない。しかし悲しいかなもう40代。再就職しんどい。他業種に乗り換えられるほど潰しのきく仕事でもない。かといって同業他社に行ってもほぼ同じようなことになるのは目に見えている。今の会社には不満しかない。けど辞めたところで何の保証もない。自分に実力がないのがいけない。まあ人生にやる気がないのもいけないのだけど。どっちにせよ「辞めてやらあ」で辞められるほど人生甘くないことが数少ない人生経験で分かっているからこそ、辞められない。

 

けど自分の人生の残りもそう長くない。確実に折り返しはしたと思う。そんなことを考えたとき、このままさほどやりたくもない仕事にあと数十年従事し、その後残った人生を謳歌できるのか。できないな。じゃあ今すぐやりたいことやるべきじゃないのか、とか思うのだ。

 

オードリーの東京ドームライブに行きたいけど絶対無理、というのも、ここ最近よく考えることだ。

 

自分はリトルトゥースと言えるほどオードリーのラジオを聴きこんでいるわけではない。でもたまに聴くし、ラジオのいちイベントとして東京ドーム行きたいなあと素直に思ったのだ。しかし2月は仕事の繁忙期。普通に考えたら絶対無理。よしんば行けたとしても2月という天候に左右される季節に、東京北海道日帰りは無謀すぎる。諸々考えたら絶対無理。けど、こんな「行きたい!」と思えるものを、「仕事だから」の一言でスルーしていいのか。

 

そんなことを考えたら、今の仕事を続ける理由って「生きるための日銭を稼ぐため」くらいしかないんですよね。そうなった場合、他の手段で日銭が稼げればもはややってる理由などゼロに等しいのです。でも、他の手段がない。いや、本当はあるのかもしれないが、今の自分にそれができるのか。もう不安しかないですよ。

 

自分みたいな凡人はこんな風にクソみたいな現実を前にウダウダ言い続け、結局何もしないで終わるのです。最悪です。けど、和牛は違った。実力がある。今の生活を捨ててでも、先に進まなければいけない理由と覚悟があって、それができる実力があることがなによりも羨ましい。

 

何もできない自分が、惨めだ。