想像と戯れよ

アメトーーク」で熟女ドラフト会議っつうのをやってました。

 

以前から熟女大好き芸人という企画があり、その延長みたいなもの。お食事会を開くとして、そこに誰を招くかをドラフト形式で指名していく。同趣旨の企画「芸人ドラフト会議」はバラエティ番組を作るときの布陣を考えて指名をするので、どんな番組を作るかという構想が戦略を生むけおも、今回のは単なるほのぼの。それはそれでいい。あんまり面白くないかな?と思ったけどそこそこ楽しめた。

 

で、このドラフト1位にロバート秋山が夏井いつき先生を指名したわけですよ。

 

見ていて「誰?」と思った人も多いであろう「夏井いつき」の正体は「プレバト」などの番組に出演している俳人。芸能人の作った俳句をビシバシ添削していく姿、特に梅沢富美男との丁々発止のやりとりが面白く、「プレバト」の高視聴率に一役買っている。2018年には紅白の審査員もやったことがある。なので、そちらの方面では超有名人であるが、興味のない人は全然知らない。自分も夏井先生のファンである。

 

秋山は「プレバト」で夏井先生と共演しており、その存在を「たまらない」と評する。プレバトで俳句の添削をするときは着物なのだけども、ネット上には着物ではないときの写真も転がっており、そのエレガンスさがたまらないと秋山は続ける。さらにお食事会を開く設定なので、「お食事会はドレスコードで和服NG」とし、それに戸惑う夏井先生が見たいと話す。

 

自分はこれを見たときにすぐさま「夏井先生は着物は仕事でしか着ない人のはずだなあ」と思ったわけですね。夏井先生が着物を着るのはあくまで俳句の仕事の時だけ、言ってみれば「仕事着」なわけです。自分もサラリーマンなのでスーツ着ますけども、普段着でスーツを着ることは殆どないですから、それと同じ感覚。だから夏井先生は着物ではないことにそんなに照れたり戸惑ったりしないだろうとすぐ思ったわけです。

 

ファンではあるが決して夏井先生ガチ勢(夏井先生の句会ライブとかに参加する俳句を嗜む人たち、をそう呼ぶかどうかは知らないけど勝手に呼んでみた)ではない自分ですら「深イイ話」あたりでこういう情報を見聞きしているわけだから、夏井先生ガチ勢からすれば常識中の常識である知識。そんな見当はずれなこと言ったら「秋山わかってねえなあ」とネット上で誹謗中傷の嵐になってしまうのでは?と思いながらtwitterのワード検索を眺めていたら、全然指摘されてない。

 

よくよく考えたら夏井先生ガチ勢と想定される高齢者(もちろん若い人もいるだろうけど)が「アメトーーク」をリアルタイムで見ているわけがないし、見ていたとしてもそれを即座にtwitterでつぶやくわけがねえか、と思い直す。裏を返せば夏井先生の着物事情を知りつつリアルタイムでアメトーーク見てtwitterで呟く人間なんか、世の中にほとんど存在しないのだと認識させられた。

 

さて、ようやく本題。この話で何が言いたいのかと言えば「自分より秋山のほうが圧倒的に正しい」ということです。

 

番組を見ていたときは上記のように「秋山違うんだよなあ」という考えが自分の頭に浮かびました。夏井先生の普段着が着物でないことは「事実」であり、「普段が着物でそうじゃない恰好に戸惑う夏井先生」は間違った認識による想像でしかないわけです。言ってしまえば自分のほうが正しいということになる。

 

以前の自分ならこの件で「自分は夏井先生が普段着で着物を着ないことを知っている」ということで「そうじゃない」と悦に入りながら秋山に謎のマウントを取って、その流れをここで書いていた可能性もある。いや実際その流れをここに書いているのだから、ここまで読んでそう思っている人のほうが多いんじゃないだろうか。

 

しかし最近の自分は「その人にとっての認識を、他人が“事実”でもって指摘することの無意味」を考えます。

 

その人の名誉に関わることなど、絶対に外しちゃいけない認識ってのはあるわけですが、それ以外であれば、事実なんてのは「客観的に見てそこにあるもの」でしかなく、個々人がどのように受け止めていようと関係ないと自分は思います。

 

だから今回秋山が「夏井先生が普段着物を着ない」という事実を知らずに「夏井先生が着物を着ないことによって照れるところを見たい」という想像と戯れていることに対して、「いや夏井先生私服は洋服だから」と突っ込んだところで、何ひとつ面白いことなんかない。だったらその事実が間違いだったとしても「いやあ、秋山のその気持ちわかるなあ」と笑っていたほうが絶対に楽しい。

 

その間違いを一人だけ訂正できる人がいるとするならば、それは夏井先生ただひとりであり、自分のような夏井先生ガチ勢ですらないただのオッサンがその間違いを指摘したところで、そこに残るのは自己満足だけ。そんな正しさは必要ないんじゃないかと。今回の件でいえば、事実はどうあれ、夏井先生に対する妄想を炸裂させて笑いを取っている秋山が圧倒的に「正しい」のです。事実が正しいだけが正しいんじゃない。