関根勤の妄想は気を使う

アメトーーク」のKARA芸人は不発でしたねえ。


そもそもKARAに人気があるのか、という点はこの際置いておいていいと思うのです。アメトーークのすごいところは「さほど興味がないテーマでも面白く見られるように仕上げてくる点」であるから、興味がないから面白くないではなく、興味がないからこそどんなことやるんだろうと見るのが正解だと思うのです。当たり前ではあるが、その番組が真に面白いと、どんなテーマでも大概面白い。逆にテーマで選り好みするような番組は、個人として番組を楽しめていない証拠だ。


んでまあKARA芸人。カテゴリとしては「○○好き芸人」という特定の女性が好きという人たちが集まるタイプ。過去には上戸彩ベッキー、リアディゾンなんかで行われている。こう並べてみるとリアディソンの格下感は否めない。まあそれはどうでもいいか。で、このシリーズには必ず関根勤が登場するのだが、これが個人的には「いけない」んだと思う。なんていうか、関根勤の妄想は「個人に対する思い入れが薄い」ですよね。


こういうアイドルに対する熱量っていうのは、言い換えれば「のめりこみ具合」とも言えるわけで、のめりこんだ人にしか分からない視点や語り口ってのがあるわけです。もちろんそんな人ばかりが出てきたら番組のバランスを逸するので、もうちょっとライトなハマり方をしている人を配置しておきたいのはわかるんだけども、それが関根勤のポジションかというとまた違う。ひとりだけ角度が全然違っていて、誰であっても結局同じこと言うんだろうなあと思えてしまうわけで。もちろん妄想の中身は違うんだけども、結局自分の妄想が全てで、簡単に言えば「深みがない」んです。「コクがない」とでもいうのか。家電のときも同じ印象。


関根勤の妄想は芸の域に達しているので、それ自体を否定しているわけではないんだけど、こういう「○○好き」というカテゴリに組み込んだりするのは間違っている。もっと言えば関根勤アメトーークと相性が悪い。それは勝俣州和も同じことが言える。トークのスキルも話の中身も面白いんだけども、アメトーークとの相性は悪い。結局関根勤が自分の妄想でもって本筋の「熱さ」とはちょっと違った方向から話を持っていくので、なんとなく見ているほうが気を使ってしまうところがある。なんか面白いと言っておかなきゃいけないような感じがするんだよなあ、なぜかしら。


おそらくは関根勤の面白さを認めているからこそ、ここで面白くないとはっきり断罪できないせいなんだと思う。ここで関根勤をバッサリするには気が引ける。そう思わせてくれる芸人というだけで偉大だと自分は思う。だからこそ、アメトーークにはあんまり出てこないで欲しいと切に願う。


関根勤の話も書きたかったんだけども、同時にKARA芸人が不発だったのは単純に作り手が劇団ひとりを用意しなかったことに尽きることにも触れておきたい。最近のケンコバの使われ方は完全に昔の品川状態。それでもケンコバは確実に面白いしテーマに対する造詣も品川よりは全然深いんだけども、ここはガチファンの劇団ひとりがいて然るべきだった。トップにケンコバがいたこと自体が、KARA芸人の「ダメな部分」を象徴している気がした。