SHACHI or DIE

全然テレビ関係ない話なんですけどね、今とても迷っていることがありまして。

 

世界ではコロナウイルスが猛威を揮っており、自分が住んでいる札幌も例外ではない。北海道内でいえば4名の感染者が公表され、しかもそのうち1名が受診した病院はなかなか近所の病院らしく、かなりコロナウイルスに親近感である。たまったもんではない。

 

だからこの時期人ごみに飛び込むというのはある意味、いや結構リアルガチに自殺行為なわけだけども、おじさんは今「TEAM SHACHI」のライブに来週23日行こうかどうか真剣に迷っている。

 

「TEAM SHACHI(読みは「シャチ」)」はスターダストに所属するアイドルグループ。旧名「チームしゃちほこ」。自分が敬愛してやまないももクロちゃんの後輩グループにあたる。ずっと名前も存在も知っていたけども、あくまで自分には「ももクロちゃんの後輩」という位置づけでしかなく、特に興味はなかったのである。

 

しかし昨年10月にリリースされた「Rocket Queen」という楽曲がロックマン世代である自分の心にいとも簡単に直撃してしまい、昨年のヘビーローテーションでした。んでしばらく気にしていないうちに4人であり、みなさん大人になり、結構気になる感じに仕上がっていました。これは見ておいたほうがいいかもしれないと思い始めました。最近あんまりそういう気分になっていなかったし、ライブそのものからもしばらく遠ざかっていたので、いい機会かなと。

 

なので2月に札幌でライブがあることを知った時点で、心の中では8割がた「行くかな」とは思っていたのです。あまり祝日とか関係ない仕事ですが、運よく祝日が休みにあたっていたわけです。ただ一方で当日まで気分が変わるかもしれんし、また初めて出向くライブなので後方でもいいやという思いから、チケットはまだ押さえていなかったのです。売り切れなら売り切れで仕方ないや、という気分もありつつ。

 

そんな状況でコロナウイルス大流行ですよ。会場のペニーレーンはそこまで広くはないライブハウス。流行の言葉で表現するなら「濃厚接触の可能性濃厚」の空間です。そんな場所にリスクを承知で飛び込んでいいものなのか。自分がもし罹患しても1週間くらい隔離されて元気になるような体力も時間も持て余し気味の学生であるならまだしも、体力の衰えを徐々に感じ、繁忙期で仕事に穴をあけるのがかなり痛い社会人として振る舞うべき無難な判断とも思えない。もちろんそんなこと言ったら何も出来ないんだけども、時期が時期、やっぱり避けるべきじゃないのかと常識人のリトルハトヤさんが囁くのです。

 

けどアイドル好きのリトルハトヤさんが「大黒柚姫の「秘密のでえええええと」が聴きたくないのか?秋元帆華の笑顔が見たくないのか?満島ひかりみたいな咲良菜緒を見たくないのか?坂本遥奈の小動物っぷりを見たくないのか?」と囁くのです。

 

アイドルは見たいがウイルスも怖い。どうしたらいいんですかね。行くにせよ控えるにせよ、誰か迷えるオジサンの背中を押す一言をくれやしないか。もちろん最後に決めるのは自分ですけどもね。

 

 

育ってきた環境が違うから

どうも、コロナウイルス罹患者がいる札幌で今週末飲み会があるハトヤです。来週以降更新が途絶えたら、それはただの仕事の繁忙期とサボりです。

 

それはともかく、テレビの話。

 

しくじり先生」の打率が最近低くてしょうがない。まあAbemaで完全版を見てないという事情もあるのでしょうが、そこまで番組に義理立てする必要がないですから、そういう感想になる。

 

先生として登場したのはゆきぽよこと木村有希。過去に付き合った男が5人全員浮気をして、そのうち4人が捕まったという話。彼氏が捕まるのはみちょぱ池田美優)よろしくギャルあるあるなので、もはや何とも思わないけども、その突っ込み方がまあ浅い浅い。時間的にそんなに前の話ではないので、詳細を話すと何かと問題があるのだろうけども、じゃあネタにするなよとは思う。前にも書いたが、生乾きの傷を完治してないのに晒すのはやめろよ。

 

あともう「やんちゃ」って言葉もいい加減辟易だ。ただの素行不良なんだから。芸能界は薬物に甘いなんて言ってるけど、世の中はもっともっと「元不良」に甘いよなあ。元不良でなかった自分からすれば腑に落ちないことしかない。

 

まあそれも世の中の集合体の一部として確実に「そういう人たち」がいるのだから仕方ない。世界は多様性で成り立っているのであり、自分の考えと違う人たちが自分の考えと違う常識で生きているのだ。認めたくない部分はあるが、それを認めて「違うもんはしゃあねえ」と思うことは結構大事だ。

 

「みんなやっている」という価値観は難しいですよね。

 

水曜日のダウンタウン」でまんまと売り出されたアイドルグループ「豆柴の大群」のメンバーナオ(芸名ナオ・オブ・ナオ 個人的にはWACKの芸名のこのノリがとても苦手なので普通にナオさんで呼びたい)の未成年時の飲酒写真が流出し、謝罪する事態に。まあどう考えても身内が売ったんでしょうねえ。浅ましいですねえ。もっとも浅ましい身内と飲んでしまうところに個人の人生が透けるのだから仕方ないですけども。

 

未成年飲酒を「別に良い」とするか「絶対良くない」とするかは、その人の背景なり信条なりが見えてくる事案です。自身も飲んでいた人はやっぱり擁護するし、そうじゃなかった人は激しく糾弾します。「法律に反している」という意味では絶対良くない派に正義があるんでしょうが、正直あまり好きな論拠じゃあないです。

 

もちろんみんなやっているからそれが許されるわけではないですね。逆にみんなやってしまうからこそ法律で取り締まる必要もあるわけで。だからまあやらないに越したことはないけども、やってしまったことを必要以上に誇るわけでもないならば、未成年の飲酒くらいそっとしといてやれよ、とはオッサンの自分は思うわけですね。異論は大いにあるだろう。しかしこれは「個人の内なる良心」の話であるから、仕方ない。批判されても困る。結局こういう判断って法律どうこうより自分のおかれてきた環境の問題。

 

未成年の飲酒を糾弾できるのは、生きていて一切法を犯していないと言い切れる人間だけかなあとは思う。どんなに細かな法律も守っている人がいれば、の話だけど。いたとしたら怖いけどな。その程度の話だと思うよこんなの。世の中窮屈にしてもいいことない。

 

 

天才なのになあ

槇原敬之覚醒剤所持の容疑で2度目の逮捕。

 

このニュースを速報で見たときは「あー、そうかー」という気持ちとともに、本当に悲しい気持ちになった。「あー、そうかー」は30代以上の人であれば20年前の逮捕がやはり思い出されるわけで、その記憶が甦るだけ。そして悲しいのは、単に自分がマッキーのファンだということである。自分と同世代あるいはそれより上の世代の人間で、槇原敬之の好きな曲を挙げろと言われれば2曲や3曲簡単に思い浮かぶだろう。現代日本音楽史においては偉人レベルの紛れもない天才なのになあ。本当に惜しい。

 

逮捕そのものの事実も悲しいが、マッキーが逮捕されることによって、バカどもがマッキーの曲で薬物大喜利を繰り広げるのも本当に悲しい。どう贔屓目に見たってマッキーの音楽の偉大さの足元にも及ばないバカが目先のウケを狙って偉大な楽曲を冒涜するわけですよ。それもこれも悪いのは薬物に手を出したマッキーであることは間違いがないんだけど、その一方で「お前なんかがネタにしたところでお前は一つも面白くないし、オマエの価値なんてマッキーの楽曲の1億分の1にも満たないからな!」と叫びたくはなるんです。けど悪いのはマッキー本人であることは間違いなくて、それがやっぱりまた悲しくて。

 

20年前とはご時世も違うので、しばらくマッキーは表舞台から姿を消すのだろう。再犯だし実刑つくだろうからそれは仕方ない。けどマッキークラスの後世に名を残す大天才は絶対にまた戻ってくるし、それを望んでいるファンも数多く存在する。だからもうクスリはやってはいけないのだ。もういい歳なんだからセックスドラッグとか勘弁してくれよ本当に。そして不死鳥のように復帰してくれよマッキー。

 

「GREEN DAYS」聴いて寝る。

 

 

番組経費だろ

 

「10万円でできるかな」が10万円以上使っているとの報道が。「10万円でどれだけできるか」というコンセプトなのに、宝くじ(スクラッチ)購入の際には数十万円使っているし、さらに当たりが出そうなものとそうでないものを差し替えているとのこと。

 

当該記事およびテレ朝の反論を読んだけども、これは「演出の範囲内」だろうよ。以下説明。

 

デイリー新潮がドヤ顔で言うには「10万円でできるかな、と言っておきながら実際は10万円以上使っている!ヤラセだ!番組の趣旨に合ってない!」なんだけど、テレ朝は「いやいや、番組の演出でスクラッチの法則調べるために10万円以上購入はしているけども、それはそれで別枠で購入して使ってないから」と割と冷めた感じで述べているように思う。あと深夜時代の企画の過剰演出は認めているので、これは今回はスルー。

 

今回の件で唯一引っかかる部分があるとすれば「10万円の購入枠」と「法則を知るためそうでない枠」のスクラッチを、当たりが出そうなものに関しては交換しているのでは?という部分。これが本当ならば「それはヤラセって言われても仕方ないなあ」であるが、テレ朝側は否定しているものの、さすがに記事と反論だけでは判断がつかない。

 

しかし「法則を導くために実際には10万円以上購入している」は「それは経費じゃないの?」と単純に思う。さすがにそこまで純粋な人間ってもうテレビ見てないんじゃないのかなあ。それとももうそういう人しかテレビ見てないのかなあ。ちょっと不安になる。

 

たとえば「どこまでを10万円の枠に含めるか」という問題がある。スクラッチの企画であれば「10万円ぶんのスクラッチ購入」となるのだろうが、少し考え方を変えれば「そのスクラッチが当たりやすいという情報を得るためのリサーチ料や、スクラッチが当たりやすいという売り場に出向く為の交通費は含まれないのか」となるし、究極的には「出演者のギャラが10万円では出来ない」とか言い出したらもうお終いである。かなり強引な言い方をすれば「10万円では何も番組はできない」だ。

 

そして番組を少しでも見たことがある人ならばご存じだろうが「10万円」の枠はそもそもけっこういい加減である。番組の目玉企画でもある宝くじ企画(スクラッチではなく年末ジャンボなどの大型の宝くじ)では、購入するレギュラー出演者やゲストが複数人入り乱れての「ひとり10万円」であるから、トータルの購入額はちっとも10万円ではない。もっともジャンボ系は1枚300円なので、純粋に10万円しばりでは「まず当たらない」からゲストという「枠」を増やして購入額を増やし、なんとか当たるように仕向けるのはもはや必然ですらある。資金があるなら「1000人で1億円でできるかな」も可能なのよ。個人的にはやってほしい。単に面白いから。

 

自分が思うに、テレビにおいて「ひとつも当たりませんでした」はリアリティはあるがバラエティではないのです。もちろん今のご時世「全く当たらないことをエンタテインメントにする」ことは可能だ。実際YouTuberならそれも面白さとして提供している。だからまあ、「宝くじそのものに不正をしている」ならばともかく、購入額を多少増やして当たりを出すのは全然許容範囲じゃないのかなあとは思ってしまう。そもそも、そんなに厳密に期待値を検討する番組じゃないし。ただの「金を使った割とバカなお遊び」じゃないかよ。目くじら立てる意味が分からない。逆にこの番組をそんなに真剣に見ているなら、それはそれで頭が下がる。下げないけど。

 

「やらせ」と「演出」の境界線の問題は毎度毎度登場するが、この番組に関しては、その手前の「番組経費でしかない」で自分の中では決着した。そもそもの話題が小粒!どうせヤラセを指摘するなら「当たったクジを金銭を払って他者から購入していた」くらいのインパクトがないと記事にしちゃダメ。新潮は何の勝算があってこれ記事にしたんだろう。誰か10万円で調査してくれないですかね。お金は払いませんけど。

 

私刑という感覚

久々に二時間ドラマを見ました。「私刑人~正義の証明」です。2004年に刊行された森村誠一の小説が原作。法では裁かれない犯罪者に鉄槌を下す「私刑人」と警察の攻防を描く作品。

 

正直な感想としては「私刑っていまどきどう捉えられてるもんかね」とは思った。

 

悪人を正義の味方が懲らしめる、いわゆる勧善懲悪は日本人のみならず全世界共通の「盛り上がる話」である。なにせ構図として分かりやすい。しかものさばる悪を懲らしめるなんてのは見ているほうの溜飲が下がるわけであり、共感と賛美を生みやすい。

 

我々の社会では悪いことをした相手には「社会が制裁する」という形で刑罰が下る。決して人間対人間が勝手に手を下していいことになっていない。それを許すと秩序は瞬く間に乱れ、社会が立ち行かなくなる。しかし時には法の抜け穴をかいくぐった悪は存在し、その悪人に「私刑」という形でなんらかの制裁を加えるという物語は、これまた珍しくない。日本のドラマでいえば「必殺仕事人」シリーズが代表例だろう。

 

だからまあ「私刑」というのはダークヒーロー的に扱われることもあるのだが(今回のドラマも描き方としてはそのタイプである)、身も蓋もない言い方をすれば「法に頼れない場合の解決としての暴力」であり、実際は許されるものではない。物語の中だからこそこういう話は面白いが、実際にこんな事件が起きたら結構世間がザワつくと思うのだが。

 

しかしドラマの中の「世間」は、この私刑人をそれこそヒーロー扱いしていた。結果的に狙われたほうは悪人であるから齟齬はないのだけど、本当に悪人かどうか分からない状態で「狙撃された」という事件が起きたら、私刑をほのめかす犯行予告が出てきたときに本当にヒーロー扱いされるのか。いやそんなに今の世の中能天気じゃあない気がするんだけど。

 

特に今の世の中「法律しか判断基準を持たない人たち」がネットの中には多すぎる。このドラマの中の「私刑人」は法律よりも義憤(そして私憤)を判断基準に動いている。自分からすれば全然分からない話じゃないんだけど、今だったら「それは法律に反しているから悪いこと」みたいな流れになるほうが自然なのかなあ、と思う。それとも単純に「私刑はよくない」となるのか。なんにせよ令和のこの時代、私刑人のようなヒーローは存在を許されないんじゃないか。

 

だからまあ、ドラマとしてはそれなりに楽しめたんだけど「なんか時代には合ってないかな」とは思った。もちろん私刑は元来この社会では許されてないことであるから、「それを許さない社会」は普通だ。その一方で私刑人のような存在を世間が肯定するような世界が「今ある世間」として描かれているのは違和感があるけど、かつての世間の在り方として認知されていたのかなあ、と思うとちと複雑な気分になる。どこから世間の感覚はズレていったのか。それとも私刑人を許容する社会なんてのは元々日本になかったのだとしたら、こういう話はどうして生まれるのか。頭がぐるぐるする。

 

そんなことを考えつつ、何にせよ北村有起哉はいいよなあ、という平凡なおじさんの感想でおしまい。

 

 

 

余談。最近レコーダーに録画されっぱなしの「ボクらの時代」をちょいちょい見ているのだけど、捕まる前のエリカ様だとか、病気が見つかる前の笠井アナだとか、なんかちょっといろいろ去来するものがある。番組の定点観測ってのはこういうのがあるから続けてしまうんだよなあ。

 

 

 

嘘つきVS嘘つき

いきなりですけど、Yahooのコメント欄を見ていると「宮迫で笑ったことない」とか「面白いと思ったことない」とか書いてる人が目につくんですよね。

 

話の流れとしては「宮迫はYouTuberデビューしたけども、テレビでは復帰しなくていい。ずっと謹慎していろ。なぜなら宮迫で笑ったことがないから」みたいな感じ。もちろん全員が全員そういうことを書いているわけではないが、おおむね「宮迫つまらん」で占められている。そりゃ宮迫も動画内で「自分がどうやって今の位置にきたか考えてほしい」と言いたくもなる。実際言ってしまうのはクソダサいけども。

 

可能性はふたつあって、ひとつは「宮迫がネタやコントをやっているのを実際に見たことがない若者がイキっている」可能性、もうひとつは「自分の記憶を改竄して、そう思い込んでいる哀しい人」の可能性。もちろん本当に笑ったことがない可能性も僅かながらあるだろうけど、「一回も笑ったことがない」のは言い過ぎ。宮迫と同じレベルの嘘つきなのだと思う。

 

というわけで、嘘つき同士戦わせてみたい。「イロモネア」の特別版を宮迫VS自称宮迫で笑ったことない奴100人でやったらどうだろう。

 

宮迫は「自分がお笑い好きである」と動画で主張しているし、その地位を築いたのがお笑いであるという自覚があるならば、逃げるという選択肢はない。TBS全面協力で地上波に復帰させてやるから出てこい、と。一方でヤフコメで好き勝手抜かしている奴らにも責任を取ってもらう。宮迫で笑ったことないなら、イロモネアも完封で勝てるんだろうな、と。最初から笑わないという臨戦態勢で構わない。しかし笑った場合は「嘘ついてすみませんでした」と謝ることを条件にしたい。笑わなければ宮迫の賞金100万円山分けで。

 

ルールも若干の変更を加えたい。さすがに1分で宮迫が「笑わないつもりでいる」人たちを相手にするのは厳しいので、5分でどうだろう。5人のうち代表3人とかもなしで、途中までは100人中60人(通常ルール3/5を尊重)で、最後は笑った人数に応じて賞金出せばいいのよ。

 

「宮迫が復帰しなくていい、する必要ない」という意見は個人のものなので別にいいんだけど、「宮迫で笑ったことない」ってのはただの妄言だと思うんですよね。相手が溺れている犬なら石投げてもいいという思想は本当に嫌いで、だったらその発言にも宮迫ばりに責任取れよとは本当に思う。だから、こういう企画、TBSで無理ならAbemaでいかがですかね?まあTBSなら「こんなのヤラセだ」を逆手にとって「モニタリング」までワンセットにすることもできるんですけどね。

 

とにかく必要なのは「宮迫がちゃんとテレビでお笑いやれるのを示すこと」と「ネット上の嘘つきに嘘つきと自覚させること」だ。爆笑問題太田がずっと言ってるけども、芸人が復帰するときはネタやればいいのに、なんでやらないんだろうっていうモヤモヤはずっとある。しょっぱなからフルスロットルで轟さんやる宮迫見たら、さすがにちょっとは笑うんじゃないかっていう気はするんだよ自分は。

 

 

思念産廃処理場

不倫の何がいけないかって、不倫したほうには必ず「不倫されたほう」がいるわけで、「不倫されたほうの気持ちを考えろ」って叩き方をみんなするんですよね。だからそのうち逆手にとって「私の妻(あるいは旦那)はNTR(ネトラレ)属性があるので、逆に興奮しています!誰も迷惑していない!私を叩いた人たちは全員謝罪してもらいたい!」とかやったらいいんですよね。それがウソでも。

 

にゃんこスター破局したんですってね。コンビ解消するんですかね。是非してほしいんですよ。そしてスーパー3助がピンネタでアンゴラ村長のイヤなところをひたすらフリップで紹介していき、最後には性癖紹介して世の中に死ぬほど叩かれる、という流れを希望します。不倫よりも叩くべきはこっち!みたいな流れができるといいですね。

 

宮下草薙の草薙がちょっと苦手になってきました。あんまりたくさん見すぎると、どうしても「その人のイヤな部分」が見えてしまうじゃないですか。「ロンドンハーツ」のみやぞんとの二人旅もそうでしたが、オドオドしているだけで根っこの部分は自分勝手なんですよね。自分の周りにもそういう人間がいました。とても目上の人には可愛がられますが、自分と同じ立場かちょっと上の人間くらいまではなぜか上から目線なんですよね。それを「面白い」と思えるのは上の立場からだけで、同じ目線で見ている人間には「ただのワガママな奴」に見えます。今自分にとっての草薙はそれ。まあ起用されている草薙が悪いわけではないので、自分はそっと早送りをするだけです。ちなみに自分にとってのガンバレルーヤもこのジャンル。

 

ガイアの夜明け」の松下奈緒は意外に番組に寄せてこないなあ、と思っているんだけど誰か賛同してくれる人はいませんかね?単に番組に馴染んでないだけかな。

 

竹俣紅の生き方は紺野あさ美の生き方であり、要するにこの後プロ野球選手と結婚して退職します。みなさんは順風満帆っぷりを祝福してあげてほしいですが、自分だけは心の底で毒づいて軽蔑しておきます。悪者は自分だけでいいです。そう思っている人は自分にその思いを託してください。