名前負け

「トレース~科捜研の男~」初回録画確認。漫画原作の月9ドラマ。錦戸亮主演。

 

一言で済ませば「面白みのないドラマだなあ」である。「面白くないドラマ」ではなく、「面白みのないドラマ」。それなりにちゃんと話は作られているんだけど、科捜研を舞台にしたドラマは名作が多く、それらと比べて出色する部分があるわけではなく、さほど面白みがないということだ。だからまあ出演者が好きな人は見ればいいじゃん、くらいなもんである。

 

自分がこの手のドラマで思い出すのは鑑識が主人公の「臨場」だ。内野聖陽主演の人気シリーズで「俺のとは違うなあ」のセリフはいまだにマネしたりする(恥ずかしい)。そして何と言っても1999年から放送されている沢口靖子の代表作「科捜研の女」シリーズだろう。

 

このドラマのタイトル「トレース~科捜研の男~」は、もちろんのこと「科捜研の女」シリーズを念頭に置いたものだろう。もちろん主人公の錦戸は科捜研の男なのだから、分かりやすいタイトルで間違いはない、ということもあるだろうが、それ以上に100人いたら99人は「クソだせえタイトル」と思うはず。「科捜研の女」シリーズのタイトルがクソださいわけではなく、「科捜研の女」シリーズがあるにも関わらず敢えてこのタイトルにしてしまうことに「クソだせえ」と思うわけだ。

 

しかしこれは一種の賭けだ。たとえ「クソだせえ」と思われようとも、それがきっかけとなりドラマを見てもらえれば、そこから人気に火がつく可能性はある。あるんだけど、よほどのことが無い限り「クソだせえ」の評価で止まってしまう。ということは、こんなタイトルをつけても平気なくらいに中身には自身があったのだろう。これは期待するしかない。そんな気分で自分が見た結論が「タイトル負けの中身でクソだせえ」である。これ以上は何も言うまい。

 

ドラマの中で刑事役の船越英一郎がやたら怒っていたのも、主人公の錦戸亮がやっぱり劇中で不機嫌なのも、全ては「タイトルクソだせえ」からじゃないかと思えば納得する。原作マンガのタイトルが「トレース 科捜研法医研究員の追想」なんだから、素直にこのタイトルをトレースすりゃあ良かったのに、と思ったよ。安易なオチだな。

 

そういう意味ではない

人志松本のすべらない話」を久々にちゃんと見た。

 

芸人(あるいは単に芸能人)が集まって、自身の「鉄板ですべらない話」を持ちより、それを披露するという番組。気付けばもう15年。長いことやっている。

 

番組初期は限られた芸人が限られた人数でやっていて密度も濃かった。それが人気が出るとともに拡大路線へ。番組中期はゴールデンで放送し、出演者も大幅に増え、さらには謎の観覧芸能人が大量に発生するなど、あからさまにやりすぎた。ここ最近も出演者が多いことに変わりはないが、観覧芸能人は姿を消し、芸人に限らず話術が巧みな人間をゲストに招いたりすることで長寿番組としてあり方を探っている。

 

自分も割と律儀に毎回見ていたのだけども、ここ最近は「まあ時間があれば」くらいの優先度に格下げ。見れば面白いのは分かっているけども、そこまで熱心に見るもんでもないのかなあとなっていた。んで今回なんとなく「たまにはちゃんと見よう」と思って久々に録画して見たのだけど、単純に面白かった。やっぱり見れば面白いのだ。でも優先度がまた以前のレベルまで戻るかといったら、そんなこともなかった。理由はなんとなくわかっているんだけど、今回は書かない。

 

久々に見て思ったことが、いまだに「お笑いの総合格闘技」って表現使ってるんだなあということ。

 

これには「芸人が一切の小細工なしに自分の話芸だけで、しかも「すべらない」というハードルを上げたうえで笑わせにかかる」という、そのガチンコ感とストロングスタイルを表現したい意図がある。何となく言いたいことは分かるし、何より響きがカッコイイ。

 

しかし今やこの表現はただの足かせのような気もする。芸人側の緊張感からすれば、格闘技の試合前のそれに近いのかもしれないけど、番組内容からすれば「すべらない」という唯一のルールを守らんとするがために、話を聞いているほうの芸人には「なんとか場を成立させよう」という優しさに満ち溢れている。それは「総合格闘技」というよりは完全なる「チームプレイ」だ。それこそ松本がM-1のときに「会場の空気が重くて、出演者全体のチームプレイで笑わせようという雰囲気があった」という旨を話していたと思うが、今の、いやだいぶ前から「すべらない話」もそんな感じだ。それが悪いと言ってるんじゃなくて、そうであれば「総合格闘技」感はあんまないよなあというだけ。

 

いったんそういう表現をしてしまったから、いまさら撤回したり新しいキャッチフレーズをつけるのは難しいのかもしれないけども、「すべらない」という言葉がハードルを高くしている以上に、この「お笑いの総合格闘技」という言い得て妙でもなくなったキャッチフレーズが番組のバランスを失しているような気がしないでもない。

 

ただまあ改めて考えるに、自分の中での「総合格闘技」というコンテンツの位置づけは「積極的に見るもんでもないけど、見たら見たで面白いし興奮する」である。となれば現在の「すべらない話」も同じような位置づけになるのだから、それはそれで正しいと言えるのかもしれない。まあそういう意味ではないことは分かっているのだけども。

 

下品め

純烈の友井雄亮が自身のDV報道を受けて脱退および芸能活動を引退。

 

詳しい話はネットにいくらでも転がっているので、そっちを参照してほしい。普通の女性スキャンダルならまだしも、暴力が絡んでいるとなると、なかなか擁護するのは難しい。基本的には「やっちまったな」案件である。

 

それでもなお自分は「ひでえことするなあ週刊文春」と思いますよね。

 

そりゃ実際に暴力を受けた女性がいるのだから、酷いことしたのは友井自身であるし、責任は取らなければいけない。そりゃそうなのだ。しかし週刊文春は当たり前だが「このタイミング」でこの記事をぶつけてきたのだ。それはひとえに悪意しかない。純烈というグループが念願の紅白に出場したタイミングで、だ。

 

文春からすりゃあ「紅白出演まで待ってやっただろ」くらいの気持ちなのかもしれない。しかし実際のところ、グループの絶頂から谷底に突き落とすのを待ってたんだな。控えめに言って畜生ですよね。控えめに言わなければただのゴミクズですよね。

 

間違ってほしくないのだけども、友井が「女性に手をあげるクズ」なのは否定しようがない。しかし友井がクズだからといって、それを告発するほうがクズじゃないとは限らないんですよ。自分からすれば週刊文春は友井と同じくらいクズか、あるいは友井のクズを自分の商売に結びつけて高笑いしているんだからもっとクズだと思う。相手がクズだから何をやってもいい、ということではないだろう。今の週刊誌はそこらへんの節度がバカになっている。友井が批判されるなら、それ以上に「週刊文春のやり口」は批判対象じゃないのかね。あー下品だ。

 

下品といえばZOZOの前澤社長。新年から100万円を100人にバラまくという金持ちの遊び。金をバラまくほうも楽しいだろうし、何の苦労もせず金がもらえる。この関係性において双方winwinなのだから、他人がどうこう言う必要はないだろう。自分も別に悪いとは思わない。宣伝効果としては1億以上のものがあるだろうし、発想は素晴らしい。

 

ただ、いい悪いは別として「下品」であることを否定するのはおかしい。その結果や評価がどうであれ、やってることが下品には間違いないんだから。こんなもん下品に決まっている。上品なわけがあるか。「下品」=「悪い」ではないんだけど、今回の行動は間違っても上品じゃない。下品。下品と言われるのがイヤなら、それがいいことでも悪いことでもやらなければいいんだから。

 

前澤社長は下品でいいと自分は思う。だって一代であれだけ大きな会社を作ったんだから下品になるに決まっている。自分が同じ立場だったらもっと下品なはずだ。だから前澤社長は堂々と下品であればいいのだ。それでも「下品」と言われるのがイヤなら、金の使い方をもうちょっと考えるだけの話であり、今のままがいいなら下品を受け入れるべき。

 

今の日本は「法律に違反していないか」と「儲かるか」という下品な判断基準がはびこっていて、本当に下品だ。全裸で屁をこきながらこれ書いている自分のほうがよっぽど上品だと思う。

 

 

 

ソレデモシタイ

雑誌「SPA!」ヤレる女子大生ランキングが波紋を呼んでいるようで。

 

そりゃ当該大学に通っている女子大生からすればいい迷惑だ。そもそも大学という個人のパーソナリティの一部分にしか過ぎないものでもって大雑把に「ヤレる」というカテゴリにぶちこまれるんだもの。これが「モテる」だったら何の問題もなかっただろうに(とすんなり書いてはいるが、本当ならこれはこれで問題なのだけど、今は面倒なのでとりあえずスルーしておく)、わざわざ「ヤレる」だなんて書くから面倒なことになっている。

 

まず自分が思うことは「いやあ週刊誌ってこういうもんでしょうよ」ということ。何も今に始まったことじゃなく、ゲスいもんである。ただ今は昔より圧倒的に情報の拡散能力が高く、いとも簡単に悪い情報も良い情報も広まってしまう。だから昔は目くじら立てずに済まされたことが看過されないというだけのこと。週刊誌が昔から甘えていた「言ったもん勝ち」に待ったがかかっていると考えるべきだろう。

 

フェミニズムなんて観点を持ち出すまでもなく、分が悪いのは週刊誌側というのは誰でも分かること。自分も擁護するつもりはない。ただ、怒りより先に「なんだろうこれは」と思うことがいくつかある。

 

ひとつは、この記事誰に向けて書いてるんだろうということ。

 

以前にも自分は「週刊誌なんてもはやジジイしか読んでいない」と書いたことがある。

自分がマーケットにいない - 投げヤリズム

今回槍玉に上がっている「SPA!」にしても、正直自分には購買層が全く分からない。30代オッサンの自分は「SPA!」なんて年に1度コンビニで立ち読みするかしないかくらいに縁がない。自分より下の世代が読んでいるところなんて全く想像できない。となれば読んでいるのはやっぱり自分より上の世代になるんだろうが、そんな世代が未だに「ヤレる女子大生」の記事を読んでいるのか?いやもう意味が分からない。まだ女子大生とやろうと思ってるのか?

 

「あの大学の女はヤレる」という文言は、少なくとも同世代の大学生が友人同士で使う文句だ。ギリギリ20代くらいまでは使っているのかもしれない。それより上の世代の人間がこんな事言ってるとしたら、それはもう、ちょっと距離を置きたい感じになる。でも「SPA!」なんて読んでいるとしたら確実にその世代。週刊誌は読者を想定した記事を書いているんだと思うが、おおよそ女子大生とは縁がないはずの世代に向けて書いているとしたら、それは記事の中身そのものより怖くないか。ガリガリガリクソン風に言えば「おーこわ」だ。ヤケクソなのか。そっちに関しての抗議はしなくていいのか。

 

もうひとつ。大学側も大学側で抗議するより先に「そんな風に思われる大学になってしまったこと」への反省はないのか。あくまでヤレると思われているのは通っている学生に対してであり、大学そのものが原因ではないのだろうけど、大学のブランディングという意味では反省すべきところもあるんじゃないのか。そりゃ抗議も大事だが、自分が大学の中の人だったら「あれ、そんな生徒ばっか集めてしまっていたか」と思うような気がする。

 

まあ、色々と書きましたけども、結論としては「そんなにヤリたければソープへ行け!」という北方謙三イズムです。

 

 

あの娘ぼくが引退したらどんな顔するだろう

吉田沙保里が引退を表明。

 

「霊長類最強女子」の異名を持つ吉田。五輪3連覇など華々しい経歴と記録を持ち、国民栄誉賞も受賞している、日本のアスリートの中でもトップレベルの有名人。そんな彼女が引退となれば、それはちょっとしたニュースになる。テレビのニュースには街行く人へのインタビューが流れ「非常に残念だ」「東京五輪に出てほしかった」など、各々感想を述べる。見慣れた光景だ。

 

来年に迫った東京五輪まで現役を続行するのか注目を集めていたが、そこまでモチベーションを保つことができなかったのだろう。体力的な衰えも感じているのかもしれない。

 

また、

「後日、改めてみなさんの前で引退のご報告と感謝の気持ちをお伝えしたいと思います」

とも発表しており、吉田の正直な気持ちが語られる機会があるようだ。

 

ここで吉田沙保里が「引退の引き金になったのは栄コーチのパワハラ騒動です」と言ったら、マスコミはどんな顔して報道するんだろう。

 

無い話じゃないと思うのだ。もちろん長年バリバリの第一線で活躍してきて、マスコミ対応もお手の物の吉田がそんな大それたことをやるはずはない。しかし、引退の理由としても、そしてここで吉田が語る可能性もゼロではないだろう。

 

栄元コーチが伊調馨と、そのコーチであった田南部氏と良好な関係ではなかったゆえにパワハラ問題が起きたのは周知のところ。それと同時に栄コーチと吉田沙保里は良好な関係だろう。その栄コーチが追い出されるようにレスリング協会を去ったことが、吉田の去就に影を落としていてもなんら不思議な話じゃない。騒動の当時には沈黙を貫いた。

 

パワハラが認定されたとはいえ、今まで吉田の活躍を支えてきた栄コーチがいないのであれば、もうモチベーションが保てないというのは理由として、ごくまっとうだ。

 

マスコミは栄コーチのパワハラをこれでもか、という具合に報道してきた。しかしここで吉田沙保里が「マスコミのコーチ叩きが自分のことのように苦しかった。これではもう一度レスリングの試合に臨むような気持ちになれなかった」と言われたら、どうだ。マスコミはどんな言い訳するんだろう。

 

まあおそらくは「それ(引退)とこれ(パワハラ)とは話が別」論法でスルーして終わりなんだろうけど、そしたら今度はマスコミ叩きが始まるんだろうか。当時はあれだけ栄コーチを叩いていたはずの視聴者なのに。考えるだけで気持ち悪い。無論これは「if」の話であり、そんなことは起きないんだろうとは思う。全ては自分の妄想に過ぎないんだけど、なんかあまりにそんな光景が見えてしまったもんでつい書いてしまった。なにはともあれ、同い年のトップアスリートに「お疲れ様でした」と言いたい。それと同時にヨーグルドリンク「R1」のCMもどうにかしてくれと言いたい。

 

 

ちなみに同じタイミングで無期限活動休止を発表した西野カナさん。こんな事を言っている。

「来月のライブを終えたら一度活動を休止して、期限を決めずに色々と挑戦したいと思っています

なんか去年の今頃聞いたことあるやつー(涙)

ご自由にー!

 

 

百聞は一見に如かず

義剛ウォッチャーとして、今回また「坂上指原のつぶれない店」に登場した田中義剛の所業について色々書こうと思ったのですが、ちょっと今回はこの映像が全てを物語っていると思うので、見て頂きたい。

 

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どうやら「生キャラメル手造り事件」を反省していないらしい。

生き残るテレビ番組は

へいひの(濱田岳)がビッグサーモンを釣りに行ってたんですよ。

 

何事かといえば、「濱田岳が挑む!憧れのビッグサーモン~カナダ釣り紀行~」という番組のこと。「THE フィッシング」という長年放送されている釣り番組の35周年特別番組として放送されたのだ。まあこれが年明けに放送されたドラマ「釣りバカ日誌」の番宣を兼ねていることは言うまでもないのですが、それにしてもなかなかヌルい番組でした。

 

自分は正直なところ釣りには興味がない。やったことないし。だから「釣り番組」としての真っ当な評価をすることは難しい。ただ「釣り番組として面白い」かは分からないが、「テレビ番組として面白い」かと言われれば「完全にへいひのマニア向け」という評価を下すしかない。詰まるところ「誰が見るんだこの番組」という評価。まあこれを書いている時点で「誰」には「自分」があてはまっているのですが。

 

へいひのは年に1回、なぜかよく分からないがゴリラとふれあったり、ゾウとふれあったりという機会に恵まれる(どちらも特番として放送)。だから今回も「へいひの大自然ふれあいシリーズ」だと思っていたら、思いのほか釣り成分が強くて面喰ってしまった。もう本当に番組の感想としては「へいひのがサーモン釣ってご満悦、誰が楽しい」しかない。

 

まだ「釣りバカ」のSPも見てないので、これ以上この話は広がりようがないのだけど、思わぬところからこの話を展開してみる。

 

「新春テレビ放談2019」を今年も死んだ目で見ていたわけです。同じ日本の地上波のテレビを見ているはずの人たちなのに、なんか違う世界のテレビの話を聞いているようだったのが印象的。あれなぜなんですかね。テレビ好きなんだけど疎外感ありまくりでした。

 

まあ細かいことは気が向いたら書くこととして、今回は「出演者おすすめのテレビ番組」に話を続けたい。

 

出演者の2018面白かった番組として挙げられていたのが「かたせ梨乃が進駐軍の前で踊り狂った時代…とマツコ」や「ハイパーハードボイルドグルメリポート」、「99人の壁」など。いずれの番組も自分は見たのだけど、その推しポイントとして「今のテレビ番組でここまで出来るのは凄い」というもの(99人の壁は該当しない)。確かに「マツコ」のほうは飛田新地の料亭にカメラが入っていたし、「ハイパー」のほうは放送されるものが全てぶっ飛んでいる。確かにこれは「攻めたテレビ」だろう。

 

また、「ワイドナショー」で松本人志は「水曜日のダウンタウン」を「いまスピード違反をしている唯一の番組」として、ルールスレスレ(あるいはアウト)の中で戦っている番組だと表現した。新年になったこともあり、ネットの番組がどんどん台頭していく中で、テレビとネットの在り方から「面白いテレビ番組とは」という話を偶然であるが立て続けに見た気がする。

 

もちろん自分もこれらの番組は面白いと思うし、元気がなく規制で縛られているテレビ番組において戦っている番組だと思う。そこに異論はない。ただ、自分は「最終的に生き残るテレビ番組は、実際こういう番組なのだろうか」とちょっとだけ違和感を覚えたのだ。

 

地上波で面白い番組は、ネットで放送しても面白い。当たり前の話だ。「テレビ放談」で前田裕二(石原さとみの彼氏かどうか審議中)が「今後テレビは視聴者から直接お金がもらえる仕組みを構築していくことになる」と語っていた。となれば、ネットと同じように直接課金するのが一番手っ取り早いわけで、テレビ局が作った番組をネットで課金して収入を得る、というスタイルに変わっていくことは充分に考えられる。だから面白い番組はネットへ全て流れていく、なんてことがあるんじゃないか。もちろん自分はそんなことを望んではいないが、そうなることは有りうるだろう。

 

じゃあそうなった場合、地上波に残る番組は何か。それは「誰が見るんだこんな番組」じゃないのか。今回の「へいひのビッグサーモンを釣る」は、自分のような物好きが不埒な目的でうっかり見てしまうことはあるけど、ネットで一部の釣りマニアが課金して見るまでの番組ではなかろう。となれば、居場所は地上波ど真ん中じゃないか。誰が見るかよく分からん番組が誰に見られているかよく分からないけど地上波にあふれる。それは一見地獄のようでもあるが、もしかしたら物凄く面白い現象かもしれない。地上波で生き残る番組は「面白い番組」ではなく、「最大公約数的でもない、地上波じゃなければ誰が見るかよく分からない番組」なのかもしれない。だから何だと言われても困るんだけど。