自分がマーケットにいない

自分もけっこういい歳になりました。昨年三十路になったんですけどね。精神年齢は一切変わっておりません。


小学生のときに思い描いた大人、中学生のときに感じた大人、大学生の時分から考える社会人という大人、そして現在30歳の自分。あの頃思い描いていた「大人」の年齢ではあるんだが、結婚もしていなければ10代から趣味嗜好もほぼ変わっていないという現状を鑑みれば、ちっとも大人じゃない。いまだにこうして駄文をつらつら書いていることからも明らかだ。


まあ自分が大人になりきれていない「年齢だけは大人っぽい人」だという話はさておき、それとは別に、自分が子供のころに「大人がたしなんでいたと思われるもの」に対して、自分はどれだけあてはまっているのかということを最近考えることがある。


たとえば分かり易い例で言えば「ゴルフ」。オッサンという人種はゴルフをやるものだと思っていた。まあゴルフそのものは自分が幼少のころと価値観が変わり、オッサンの社交スポーツであると同時に「若い時からエリート教育受けて一攫千金ウッハウハ」という側面が出てきたので、特別にオッサンだけのものという感じでもないのだけど、それでもオッサンといえばゴルフ。そんな感じがしていた。まあまだ30代になりたてなので、今後ゴルフに触れる機会もあるのかもしれないが、現時点ではそんな気配は一切ない。


自分が最近大きく違和感があるものは「週刊誌」だったりする。最近の週刊ポストやら週刊現代やらの中吊りやコンビニに並んでいる表紙を見たりするたびに「えええええ」と思ってしまう。並ぶ言葉は「死ぬまでSEX」だもんなあ。文春や新潮で話題になるのはAKBのときだったり、なんかこう自分が「大人になると読むようになると思っていた週刊誌」のあり方とは全然違う気がするわけですよ。


もちろんこれらの下世話なネタが昔からなかったわけではないし、アサヒ芸能やら週刊大衆あたりはここらのネタが得意なわけで、そこらへんの週刊誌がそういう特集しているぶんには全然驚かないし「日本のお父さんはまだまだエロくて元気だ」と思ったりするわけですが、文春や新潮、そしてポストや現代ってここまで下世話だったかなあと思ってしまうわけですね。子どもごころに「なんか小難しい話題が書いてあってつまらんけども、大人はこれを読んで色々考えるんだなあ。それが大人なんだなあ」と思っていたような気がする。少なくともここらへんの雑誌で子供のエロ心を刺激する内容が頻発されていた記憶はない。


要するに、週刊誌という媒体自体が購買層である「あの頃のオッサン」をずっとターゲットにしているからこそ、「自分が読むものじゃない感」がずっと続いているということなんだろう。じゃないと「60代からのセックス」とか「死ぬまでセックス」なんつう発想にならないもんな。今週刊誌を購入しているのは紛れもなくその世代なんだろう。でもそれっていいことなのか。絶対によくないだろうよ。


確かに自分もこの手の週刊誌なんか買ったことがない。だってつまんないんだもん。けど、子どもの頃描いていた「大人」になったら、「大人」が興味を惹くような話題が載っていて自然と買うようになるもんだと思っていた。週刊誌が有り続けるのは「読者層が常に入れ替わっている」からだと漠然と思っていたが、そんなことは全くなかった。相変わらず週刊誌は「自分よりちょっと上のオッサン」のものだし、AKBなんかを話題にしている雑誌たちは相変わらず「下の世代がワーワー騒ぐもの」である。まあ文春や新潮は「オッサンでも分かるAKB」なんて感じもあるけど。


じゃあ我々30代は何を見ているのか。まあネットなんだろう。2ちゃんとか類するまとめサイトとか。自分もそうだし。でもこの手のまとめサイトがまとめている話題って週刊誌の記事からも多かったりするわけで、決してその手のゴシップネタを自分と同世代の人間が欲してないわけではない。けどその手の話はネットで無料で拾えるから「金を出す対象」にはなってない。それは商売するほうも同じで、「金を出してくれるオッサン」たちに向けての記事が多くなる。けど最終的にそれって首を絞める行為なんじゃないかと思うわけです。ネットで記事読んでいる層に金を出させる必要があるよなあ、絶対に。


自分はこの状態を「週刊誌に相手にされていない」と感じるわけですわ。潜在的な需要はあるはずなのに、安易に金になるほうへなるほうへ向かった結果が「死ぬまでセックス」でしょ。そりゃ金払わないって。だって30代が「死ぬまでセックス」の特集はやっぱり買いたくないよ。エロ本買うより恥ずかしい。


そろそろ自分も立派なオッサンになりたいと思い始めたので、手始めに週刊誌さんは自分のような30代男性の食指を動かすような特集を組んではくれないだろうか。いつまでたっても「自分より年上のオッサン」のものでは、我々は何を楽しめばいいというのか。



とまあ、週刊誌の「死ぬまでセックス」という、こんな見出しで小躍りする老人はセックスする前に早く死んでほしいと思うと同時に、本当に言いたかったことを最後にボソっと書いておきたい。昔ならいざ知らず、出てた本人たち以外はW杯出場であんな喜ばなくてももういいんじゃないか?いつまで「出場することそのもの」を喜べばいいの?サッカー詳しい人はどう思ってるんだろう。