職業選択の自由アハハン

TOKIOが再びバンドとして活動することはあるのでしょうかね。

 

長瀬智也が事務所を退所することに伴い、残りの3人もジャニーズ事務所の完全子会社である株式会社TOKIOを設立することで独立。山口達也が脱退する前から今後をどうすべきか相談をしていたとのこと。実質的な引き金になったのは間違いないのだろうが、それでもTOKIOというグループがどのような「閉じ方」をすべきか、をそれ以前から模索していたのもまた事実なのだろう。

 

この実質的な独立が山口達也復活かつバンド活動復活の布石だという声も強いのだけど、自分は「そんなにとんとん拍子ってことにはならんだろう」とは思っている。事件が事件だけに山口達也に対する風当たりが強いのだけど、かといって今復活するとなれば反対の声よりも歓迎の声のほうが大きいのではないか。しかし本人が希望した復帰を誰よりも厳しく律したのは他ならぬメンバーたちだったわけで、そこを曲げるような形で復帰を赦すのだろうか、という気持ちがある。もちろん自分が勝手に思っているだけで普通に復活するかもしれんけど。

 

TOKIO個別の話よりも、自分はジャニーズのアイドルたちが「アイドルの閉じ方」を模索し始めたことのほうが気になる。

 

ジャニーズ事務所の生みの親ジャニー喜多川が亡くなったことで、堰を切ったように事務所を退所するタレントが増えた。これをマスコミは無責任に「ジャニーズ帝国の崩壊」だなんて報じるわけだけど、自分には「ジャニー喜多川が亡くなったことが一区切りとして分かりやすいタイミングだった」というほうが正しいんじゃないかと思う。

 

TOKIOも述べていたが、30も半ばを過ぎるとアイドルに限らず「自分の人生はこれでいいのだろうか?」と人生を見つめ直す時期が来る。そして所属していた会社を辞め、独立する人間も出てくる。それはアイドルに限ったことではない、と。これは今の自分にも当てはまる話であり(もっとも自分の場合は単に仕事辞めたいって言ってるだけだなのだが)、とても身につまされるものがある。事務所を退所することは現行でのアイドル活動の非継続を意味するものであり、それを悲しむファンがいるのは仕方ない。しかしだからといって、長年続けてきたアイドル活動の非継続が必ずしも「仲違いによるもの」だとかネガティブな感情を生むだけのものでもないということも、そろそろ理解すべき時期に来ているのかもしれない。

 

先日活動自粛からの退所をした手越祐也も根っこは同じなのだと思う。彼の場合はアイドル活動そのものに不満はなかったのだろうが、アイドル(あるいはジャニーズ)というカテゴリが自分のやりたいことの足かせになっていると感じてはいたはずだ。手越のやりたいことの是非はともかく、肩書が自分の人生にとって不自由になるのなら、その肩書きを棄てるというのは理解できない話ではない。

 

こんなことを書けば「アイドルを続けないこと」を支持しているように思われるかもしれないが、モノノフとして元緑推しとしては「理解はしつつもその後を知る限り手放しで支持はできない」という立場でもあるので、なんだか中途半端な言い方になってしまうが、つまるところ「アイドルも長いこと続ければ、他の仕事と同様に続けないという選択肢は出てくる」ということではないか。長く続ければ続けるほど辞めにくいのも間違いない。ファンも惜しむ。ただまあ、ジャニーズに関して言えば「今がそういう時期」なのだろう。ジャニー喜多川の死は「大きなきっかけ」であり、ここで新陳代謝が進むというのは必ずしも悪いことだけではないはずだ。石原プロがその役目を終えるように、「そういう時期」ってのは必ず訪れるというだけの話と書いてしまうのは無責任な感想でしょうかね。