自粛と言われても

 

アンジャッシュ渡部健が自身の出演番組への出演自粛を申し入れ。

 

詳細は明らかにされていないが、「視聴者が不快に思うようなスキャンダルを起こしたこと」を理由に自粛を申し入れたという。自粛する前にまずスキャンダルの中身を明らかにしろよ、とは思うが、そこらへんは数日経てば明らかになるのだろう。おおかた不倫とかそんな話題だろうが、食べログに関する不正だとかそっちのほうが面白いと勝手に思っている。

 

なんにせよ「不快に思うようなスキャンダル」の中身が分からないまま勝手に自粛されても「はあそうですか」としかならない。昨今のスキャンダル対応の鉄則として「嘘をつかずに即座に謝る」は間違いではなく、この件も完全に先手先手を打った「いかにも渡部らしい」対応だと思う。ただ何も分からないまま自粛だけ申し入れされても困る。たぶん渡部以外の関係者全員が「うーん」ってなってると思う。そういう意味ではあまりに自分勝手な自粛である。

 

そもそも「番組出演自粛」って何なのだろう。番組に出演するかどうかは本人の意思ではなく番組を作る側が決めるんじゃないのか。「番組出演辞退」とか「番組降板」は分かるけど「出演自粛」は違和感がある。今は騒ぎになってるから大人しくしているけど、ほとぼりが冷めたらまた戻ってきますよ、という意味なのだろうか。そんな都合のいい出演形式ってあるのか。そんな考えのほうが自粛してほしい。

 

出演自粛といえば箕輪厚介。自身の女性問題の報道に対して開き直りでしかない釈明動画を自身のオンラインサロンで垂れ流し、それをまた文春に報道され結局謝罪。ついでにメディアのレギュラーを降板するという、「クソダサい」の一言で済まされる失態を演じた。まあ「死ぬこと以外かすり傷」でしかない箕輪氏にからすれば、この失態もかすり傷でしかない。化膿して死ななければ、だが。

 

一連の報道があったとき、「この件について書こうかなー、どうしようかなー」と思っていた。書きたいことは山ほどあるが、「クソダサい」の一言に集約される話をどれだけ引っ張っても「クソダサい」の結論にしかならないわけで、そんな「クソダサい」話を書いて何か楽しいのだろうかと思っていた。

 

そして何より自分は箕輪氏のことがあんまり好きじゃない。結局批評ってのは批評する対象にどれだけ愛があるか、にかかってくるわけで、その点自分は田中義剛にはありあまる愛(憎さ100倍だけど)があるので批評したくなるが、箕輪氏には一切の愛がないので批評するのも憚られる。前述したように「クソダサい」と直球で書いたり、「化膿して死ななければいいね」とか皮肉を書くくらいが関の山である。何より書いている自分があまり面白くない。

 

面白くないといえば渡部だ。それはバラエティにおける渡部が面白くない、ということではなく、もちろんネタが面白くないわけでもない。今回の「なんかよく分からないけどとりあえず自粛とか言ってやりすごそうとする態度」は間違いなく面白くないだろう。この対応は完全に芸人ではなく、俳優とか文化人のソレである。芸人だったら「のんちゃんごめん!」と泣きながら会見でもしてほしかった。あるいは有吉に2時間ずーっとなじられるとかやってほしかった。佐々木希にしても「何もなければ安泰すぎる」渡部がこんなことになって、それこそ泣きたいくらいだろう。(追記:自分は渡部と佐々木希の結婚に関しては「佐々木希してやったり」だと思っている。記事参照)

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とにかく人力舎の芸人は「何かあったら10年間コンビ活動しない」という前例をアンタッチャブルが作ってくれたわけで、渡部も10年後「渡部がコントの相手をザコシだと思っているが本当は児島」というネタで「脱力タイムズ」で復帰すればいいと思うよ。