ずっと付き合っているいことをはぐらかしてきたが、先日スポーツ新聞に結婚がすっぱ抜かれると、本日の「行列」において結婚を生報告。まあこれに向けて外堀を埋めていたところ、話が漏れたのだろう。結果嘘でもなんでもなかったのでまあいいか、という感じだろうか。
この話題の矢面に立っていたのはずっと渡部であり、また芸人が見目麗しい女優と結婚するという意味でも「佐々木希がずっと守られていた」=「佐々木希が丁重に扱われていた」というイメージが強く、「渡部羨ましい」「よくやった」的なイメージになるんだろうけど、自分の感想はまるで逆である。
佐々木希してやったり、である。
もちろん恋愛・結婚は打算だけで行われるものではない。ゼロと言えば嘘になるが、もちろん本人同士の気持ちが一致するからこその結婚だ。だからこの後自分が書くことは「あくまで独身で結婚の予定がない人間のやっかみ」と捉えて頂きたい。それを承知で「佐々木希してやったり」であると。
芸人と女優の結婚といえばtake2深沢と田中美佐子の結婚や陣内智則と藤原紀香(離婚)がやはり思い浮かぶ。どちらも「格差婚」なんて形容でもって、「芸人が女優をモノにした」なんて感じで報道された。まあこの2組に関しては間違いでもない。しかしこれら2組と今回の渡部佐々木を同列に考えていいのだろうか。自分は違う気がする。どう考えても渡部のほうが「芸能人として格上」だろう。
佐々木希が美しいことはおそらく日本人男性の98%は肯定するだろう。もちろん自分も否定しない。しかし「芸能人としてどれほどのもんか」と自分が問われれば「この後は徐々に仕事が減っていくわけで、ピークは緩やかに過ぎた人」と答える。それは彼女の女優としての実力を軽んじているわけではなく、彼女の女優の、芸能人としての最大の武器である「美貌」は、当然に加齢によって徐々に衰えていくことを考慮に入れているからだ。いやそりゃ齢とっても美しい人はゴマンといるんだろうが、佐々木希の美しさはやっぱり若さが基本だろう。
なもんで、佐々木希が芸能人として、女優としてこれ以上何か突き抜けるのは自分からすればなかなか考えにくい。その一方で渡部はこれ以上の大ブレイクこそないものの、今の仕事を確実に続ければ今と同じ稼ぎはあるわけだ。これを安定と言わずして何という。どう考えても向こう10年の芸能人としての活躍具合は渡部のほうが上だ。
だからこそ佐々木希はここで売れてしまって本当に大正解なのだ。芸人と結婚するというのも好感度としては悪くなく、今後のママさんタレントとしての活路も開けてくる。悪いところがまるでない。「佐々木希してやったり」と書くのはこういう理由だ。
自分がこの文章を書くにあたり念頭にあったのが伊東美咲だ。彼女も女優としては完全に頭打ちであったけども、美しいうちにパチンコ屋の社長と結婚して収まるべきところに収まった。パチンコ屋に比べれば金銭的には敵わないけども、渡部の嫁という収まりは、実は伊東美咲以上なのかもしれない。
結婚は打算ではない。しかし打算が透けてみえる結婚はある。そういう意味では「おめでとう」の言葉がこんなに相応しい結婚はないだろう。独身の僻みと思って、許してほしい。