虚無

久々に更新して書くことじゃあない気がする話ですけども。

 

今年の「キングオブコント」も相当面白かったです。もう酒飲みながら見ていたら面白すぎてほとんど覚えていない。録画しているから見直せばいいんだろうけど、見直してしまったら自分の中の面白さが損なわれてしまうような気がして、とかいう言い訳を用意して再度見ない。いや本当に見ればいいんですけどね。

 

そんな気がしないのは、翌日の円楽追悼大喜利の放送をしていた「笑点」を見たからかもしれない。「笑点」における円楽の存在の大きさと喪失はもちろんのこと、やや久々に見た高齢笑点メンバー、特に小遊三の衰えっぷりが、それこそかつての先代円楽の司会における衰えっぷりに重なるものがあって、円楽がいないことよりも「いまここにいなくなりそうな感じ」のほうが強烈で、とっても切ない気持ちになった。

 

自分がかつて見ていた「笑点」はそれこそ先代円楽が司会で小遊三、好楽、喜久蔵、歌丸、楽太郎、こん平がパワフルに大喜利をしていたもんだ。当時からもうそれほど若くはなかったはずだけど、それでも今の昇太やたい平よりは若く、宮治くらいの年齢だろう。追悼大喜利でも木久扇や小遊三がもう半分スイッチが切れているのに対し、哀悼と笑いをがんばって捧げていたのはどう考えても若手メンバーだ。その中で好楽だけは一人気を張っていたように思う。

 

これを見ちゃうと「ああ、もう一気に代替わりしたほうがいいんでないのかな」と思えたのだけど一気に変わる、変えるわけにもいかないんだろうというジレンマ。笑点代替わり問題はむしろここから始まるんだな、と思うと悲しい気持ちになる。

 

テレビなんて基本的には楽しい気持ちになりたいがために見ているのだけど、予期せず悲しい気持ちになったときに、やり場のないストレスがたまる。

 

「おるおるオードリー」という特番。「こういうやついるよな」という人間あるあるをVTRで紹介していく番組。座組も豪華。「わざわざオードリーでやらなくてもなあ」とは思いながら、特に何の感情もないまま見ていた。すると最後にどうだ。

 

ああ、こういうことやってくるんだなこの番組、と思ったし、正直悲しくなりましたよ。いやまあ自分みたいな鼻クソテレビ視聴者なんてものは批評をしているつもりなんてないんだけども、テレビを作っているずいぶん徳の高い方々から見ればこんな風に思われてるんだろうなあ、という本音が見えましたものね。そう思われているのはいいんですよ。テレビ批評家気取りは自分含めて間違いなく存在するし、そういう滑稽な部分は間違いなくあるからさ。

 

でもね、なんでテレビ見ていてテレビにこんなこと言われなきゃいかんの。

 

テレビ見てただ楽しくなりたいだけなのに、テレビのほうから冷や水ぶっかけてくるわけだ。どうせこの番組もこんな風に批判するんでしょ?ほれ先にやりましたからお好きにどうぞ、的なね。

 

この件に関してはテレビ批評家気取りとしてはずーっと根に持ちたいと思う。忘れねえからな。

 

やる気なくしたので、これが年内最後の更新になりそう。あーいやだいやだ。