10年前に吉本を解雇され、「めちゃイケ」の降板を余儀なくされた山本をそろそろ赦してもいいのではないかということで、「岡村が山本をどつく」というていのもと、山本が「めちゃイケ」に姿を現した。出演者のむき出しの感情があらわになる、見応えのある番組だったと思う。こんなもん逆に見応えがなかったら嘘だろう。
自分なりに今回の放送内容を解釈すると「山本はずっとめちゃイケが自分の復帰を取り上げてくれるのを待っていた。けど、本来であれば降板して迷惑をかけた山本自身が何かをすべきだったのに、結局何もしちゃいなかった。都合の悪いことから逃げていた。しかし10年という長い期間ずっと待ちっぱなしで、色々な大人が動くことでテレビの前で正式に謝罪することが出来るこの機会を逃すともうチャンスはないと加藤がキレた。そこでようやく山本は「事の重大さ」に気づいて涙ながらに謝罪した」ということ。要約すると「山本、やっぱり今もってクズ」である。そして、これは「芸人山本」にしてみれば決して悪いことではないと自分は思うのだ。
もし仮に山本側からめちゃイケに、吉本に何か働きかけるようなことがあれば、もしかしたらもっと早い段階で完全復帰とはいかなくてもどうにか形になったのではないか。番組を通じて「めちゃイケ」はそう言っていたような気がするのだ。にも関わらず何もしてこなかった山本に「しびれを切らした」という言い方が正しいのかもしれない。番組では「夏の宿題」なんて言い方をしていたけども、「番組が終わる前に山本との関係に決着をつけなければ、二度と山本が復帰できることはない。加藤のためにもなんとかしてやりたい」なんていう思惑だったんじゃないのか。
最終的には加藤の魂の叫び(まさに「吠え魂」!)が山本を謝罪に突き動かしていたような演出だったけども、実際のところ山本がどこまで反省と謝罪の気持ちがあったかなんて分からない。むしろ本格的に復帰するつもりなら反省していてほしくないくらいだ。そもそも、よく言えば「いい加減な」、あけすけに言えば「社会人としてどうしようもないクズな」人間だからこそ山本は面白かったんじゃないのか。自分の10年以上前の記憶はそう覚えている。他の人がどういう評価をしているかは分からないけど。
もちろん事の重大さを考えれば真摯に反省すべきなんだろう。けども、やっぱり「これで済むなら土下座くらい屁でもない」と考えているんじゃないかと思う。むしろ思っていてほしい。そうじゃなかったら、復帰する意味がないんじゃないか。あの反省は番組として、社会としては正しいけど、「芸人山本圭壱の持ち味」としては正しくない気がする。だって、クズだからこそ山本は輝いてたのだから、反省なんかしたら面白くないだろう。けど、山本を本格復帰させるには必要な通過儀礼ですから、番組としてはやらなければいけなかった。
そんな風に考えると、今回の番組が「クズの山本は10年経ってもクズの山本でしかなかった」という結論を図らずも(いや、図ったのかもしれない)導いたことで、自分は「山本が復帰しても万が一かもしれないけど面白いものが出来るのかもしれない」とちょっと思えた。周囲の必死なお膳立てに対する山本の完全受け身の姿勢は、「番組・スタッフの熱さ(マジメさ)」と「山本のどうしようもなさ(クズさ)」が見事なコントラストを描いている。世間が今の山本を以前のように受け入れはしないと思うのだけど、「今後破壊的に面白い」可能性だけはあると思うんだなあ。だってあの時のままのクズだから。加藤が未だにあの時のまま「一緒にやりたい」気持ちが分からないでもない。
「ポケモンの演出や金スマの演出おもしろいと思ってる?」とか「これで数字を取ろうもんなら番組の寿命が延びてしまってイヤだなあ」とか「テレビの前で泣いてる奴がいると思っているならそれは大間違い」とか「軍団山本に関しては芸能界のダメな部分が凝縮されているようでいまだに超気持ち悪い」とか、細かい部分で色々言いたいことはあるんだけども、とりあえず今回に関しては素直に「山本がいまだにクズだったことにより、復帰はアリなのかもしれない」と思えた自分がいることを記しておきたい。別に期待しているとかそういう話ではないのだけど、可能性として。