天然の自覚

オセロの松嶋尚美(白いほう)が苦手なんです。


自分が思っている以上に松嶋って世間に認められているというか受け入れられているような気がするんです。なんだかんだでテレビにもよく出てますし、「きらきらアフロって面白いよね」と言うと「あぁ、そうそう」とかなりの確率で賛同を得られるという印象があり、自分の中で「無難な話題」のカテゴリに入る。もっとも自分は殆ど見たことはないんだが。なぜなら苦手だから。


そしてつい先日の結婚報道における扱いの大きさでますますそう感じた。もちろん一面トップなどという大きさではないけども、各局割と大きな扱いで祝福。松嶋の結婚にそんなバリューがあるのかと思う自分からすれば、充分に大きな扱いだった。


でまあ、早速本題に移るけども、松嶋って実際そうであるかはともかく、画面上から「天然であることを自覚して、多少は何やっても許される」と思ってる感じが伝わってきませんか。自分はどうもそのなんだかよく分からない自信満々の図々しさがイヤなんです。


「天然」という言葉は今では誰でも当たり前のように使うが、元々は萩本欽一ジミー大西のことを指して「天然ボケだね」と使った言葉。本人が自覚してボケるつもりがないにも関わらずボケが量産される様をこう表現した。つまり、「天然(ボケ)」という言葉は「無自覚」であることが定義として含まれている。


にも関わらず松嶋って「しゃあないやん天然なんだから」って言ってるイメージが自分の中にあるんです。これも自分のイメージであり、本当に言ってるかどうかは不明。多分言ってない。ただ、織田裕二世界陸上で「モーリス・グリーンがはぇえんだ!」と実際に言ってないけど世界陸上における織田裕二の滑稽さを端的に表現しているのと同じで、松嶋の自信満々の図々しさを端的に表すとこうなるのではないかということだ。


得てしてこういう人間って「愛され上手」だと思いませんか。周囲に不思議と可愛がられるタイプの人間です。相手の懐に入るのが上手いとでも言うのでしょうか。自分はこの手のタイプの人間が実生活でも非常に苦手で、その図々しさに面食らって損するタイプの人間です。だからこそ、テレビの中ですらこういう人間がのびのび自由にやって、しかもある程度支持を受けているという状態になんだかげんなりする。


なんだか自分の暗さを露呈しただけの文章になってしまった。書かなきゃよかったな。でも一人でも賛同してくれる人がいれば、それはそれで嬉しい。