七回忌に寄せて

ナンシー関が亡くなって6年が経った。つまりは今年で七回忌。


渋谷のパルコでは15日まで「ナンシー関 大ハンコ展」なるものが開催され、彼女が残した全てのハンコが展示されていたという。自分も東京在住ならば間違いなく行っていただろう。そして「ナンシー関 全ハンコ5147」というこの開催に合わせた書籍も刊行され、死してなおナンシー関という存在の偉大さを感じさせる。


以前からナンシー関については一度書かねばならないと思っていたのだが、書くタイミングを逃していたというか面倒だから書かなかったというか、まあつまりは書いていないということなのだけど、今回ちょっとだけ書いてみようかなと思う次第。


これは以前から何度も書いているけども、自分が「ナンシー関の影響を受けていない」とは口が裂けてもいえないが、その一方で「ナンシー関に憧れがある」というのもまた違うということは改めて表明しておきたい。断言するが、今テレビに関する文章を書いている人間でナンシー関の影響を受けていない人間はいないと思う。それこそ「ナンシー以前・以後」という表現が出来るのではないだろうか。だからナンシー関は影響を受けた存在ではあるし、尊敬すべき存在でもある。これは間違いない。但しその一方で、自分の中でナンシー関は絶対の存在でもないのだ。正確にいえば「絶対の存在にしたくない」である。彼女を絶対にすることは、今後面白いテレビ評を生むことの邪魔になっている気がするからだ。


なぜ自分がテレビについて書こうと思ったか。それはナンシーの死後、自分が面白いと思えるようなテレビ評を読む機会が減り、不遜ながらも「この程度の文章なら自分でも書けるんじゃないのか」という気持ちになったからだ。裏を返せば、ナンシー関が面白いテレビ評を書いているうちは自分で書こうなんていう気分にはならなかったということ。読むだけで満足だった。


しかしナンシーは死んだ。ナンシーの書く文章はもう読めない。そしてナンシーの後釜になるような人物もまだいない。だったら自分でテレビに関した文章を書いてみようじゃないか。単純にそう思ったのである。だから自分はナンシーには遠く及ばないだろうけども、テレビについてああだこうだ書いてみることにした。そうすることでしか自分の中のナンシー不在に対するもやもや感を埋めることが出来る気がしなかった。そして自分のように思う人間がいない限り、ナンシーの後釜なんて絶対に現れないだろうと思ったし、今でもそう思っている。そうじゃないと前に進まない。


にも関わらず、未だにナンシー関の幻想に取り付かれている人は「ナンシー関がいたら今のテレビをどう批評しているのだろう」とか言うのだ。もちろんifとしてのこの言説を否定するつもりはない。ナンシーがどんな文章を書くかを想像するのも悪くない。でも、6年経った今でも「ナンシーがいれば」「ナンシーだったら」とか言ってるだけでは虚しくないか。ナンシーの存在がテレビ批評を人任せにして、そしていなくなってもやっぱり批評は人任せ。そして後釜の出現だけ願っても、そりゃ出てこないだろ。結局ナンシーナンシー言ってるだけで、何もしちゃいないのだ。そのくせ「ナンシーには到底及ばない」とか抜かす。いいかげんナンシー依存から逃れたらどうだ。書き手がナンシーを意識するしないに関わらず、それ以上に読み手がナンシー関の呪縛から逃れられていないのではないだろうか。


この先50年はナンシー関を凌駕するコラムニスト(及び消しゴムハンコ職人)は出現しないだろう。美化される記憶と比較されても絶対に勝てない。にも関わらずこの先50年ずっと「ナンシー関を凌駕するテレビ評は現れない」と言い続けるのは不毛じゃないだろうか。少なくとも自分は不毛だと思う。今の状況を打破するには、面白いものを書くことが出来る人物の登場も必要だろうが、それと同じくらいにナンシー関を絶対視しない読み手の意識改革も必要なのではないかとここ数年ずーっと思っている。


ナンシー関の偉大さを忘れる必要はないが、そろそろ「ナンシー関だったらどう書いていたのだろうか」というナンシー依存はやめませんか、と敢えて七回忌の今言いたい。



こんなこと書いたら「自分の文章がつまらないことを正当化しているに過ぎない」とか言われそうだな。ま、半分はその通りだけど。