いいともレギュラーの不思議

さて、テレビも秋の改編時期を迎え各種さまざま番組が変わり、その節目でSP番組なども放映されているが、「笑っていいとも!」もレギュラー交代の時期がきた。いいともレギュラーは芸能人のステータスともいえる番組のひとつであり、歴代にレギュラーを務めた大物は明石家さんまダウンタウンなど、挙げればキリがない。

そんな中で今回も新レギュラーが誰になるのかは見ているこっちとしても楽しみな部分ではあるが、今クール、とくに水曜までに限ってみれば大きな変化がない。せいぜい放送日の移動くらいで、前のクールでレギュラーが終わったひとは結構いたが、今回少しも増えていないのである。おかしい。しかし冷静になって考えればこの理由も少しづつ見えてくる。

今回いいとも!の人事は単純にオーディション終了ということだ。どういうことかと言えば隔週レギュラーが減ったのである。これ、要するに「要らない部分を切った」ということだ。その代表がこのふたり。

和泉節子そして浜田幸一

「セッチー(元彌ママ)」と「ハマコー」は、いいともレギュラーにおける2大不要老人であった。この不要老人の代表格だったのが橋田壽賀子であるのは言うまでもあるまい。橋田は「年寄りだから丁重に扱わなければならないが、どうも扱いにくいので放置(勝手にさせておく)」という「いいともの悪習」を作った先駆けであり、この風習がセッチーにもハマコーにも適用された感じである。しかし、スガコにはなくてこの二人に共通する部分があった。それは


専用のレギュラーコーナーを任されていたが不評によりコーナー打ち切り


である。確かセッチーは人生相談、ハマコーは「ハマコー怒りのベスト10」というコーナーだったと思う。しかしセッチーに相談しようとは誰一人として思わないしハマコーようわからない理不尽な怒りを聞かされてもただただ視聴者は不快になるだけであり、自然と画面にはみのもんたが変わっている可能性のほうが高い。

このコーナーの評判が単純に悪かったのであろう。なにしろこのコーナーがどれだけ放送されていたかすら定かではない。で、扱いにくい老人二人のコーナーが終わってしまえば彼らは用無しなのだが、契約(いいともは半年か3ヶ月だと思う)っていうものがあるので無理やりこの老人を使わねばならなかったのだ。

ハマコーは得意?の歴史コーナーに出て、相当ウザかったもののまあ役目的にはそんなに違和感なくコーナーに出現してその役割をなんとかまっとうした。しかし和泉セッチーの場合はそれこそ何のために存在しているのかわからない具合が満点だった。それこそ元彌の世話でもしてろよ、という感じだ。まったく意味不明。それは視聴者にも、勿論制作サイドも十分わかっていたので満を持しての契約終了である。


以上の主張より導き出された結論として、いいともは


老人に無駄な金を与え過ぎである。


ただでさえどうでもいいレギュラーもどきの「○瓶」がいるのに(鶴瓶じゃねえぞ)、その上あの老人チョイスのセンスは本当にどうかしている。裏番組のおもいっきりテレビの視聴層(つまりオバハン)層を引き込もうとしているのはなんとなく判るが、それも完全に裏目に出過ぎ。それに今回はようやく気づいての判断であると思いたい。

あとはやっぱり「三○」(三井ゆりじゃねえぞ。レギュラーじゃないか)と飯尾は要らないだろうなぁ。飯尾は完全に浅井企画関根勤所属)のコネなんだけど、やっぱりウケているのは関根氏だけで、残念ながら面白くない。それはともかく、いいともの人事がいい感じで縮小されたのはいいことである。それはスタッフが「老害」を反省したからならいいが、単に予算削減の帳尻合わせだったなら、今後もガックリは続くのかもしれない。勘弁。