あれから1年

北海道胆振東部地震から1年。正確に言えば明日9/6で1年だが、自分の記憶には「木曜の朝」という印象がとても強いので(それはインフラでも何でもないのに翌日金曜から仕事してたなー、というクソみたいな記憶とセットで)今日で1年だなあと感じるのだ。その時の記憶は忘れないようにブログに書いてある。

nageyarism.hatenablog.com

札幌在住の自分としては、「住んでいる地域の停電復旧が若干遅かった」ことが切なかった(電気が使えなくて辛いというより「ウチはまだかよ」という感じ)くらいで、1年前の感想のタイトルにもあるように「ちょっとだけ被災した」という感じ。だからまあ厚真町のように甚大な被害を受けた地域からしたら、ほとんど何もなかったに等しいと言える。

 

コンビニに入れば「ああ、商品がまだ少ないな」と感じるくらいで、あとは喉元を過ぎた熱さのように忘れていき、少しずつ元の生活に戻っていった。もちろん余震の恐怖はあるのだが、これも大きな地震経験したあるあるだが「ああ、余震で震度3かあ」と、地震に対する感覚がマヒしていくような気はした。けっこう揺れても「物が倒れてこないから平気平気」とか。本当は危険だけどね。

 

先日映画「サバイバルファミリー」を見たのです。矢口史靖監督。「ウォーターボーイズ」の、そして個人的最高傑作「スウィングガールズ」の監督で「好きな女優の趣味が似ている」ことでも信頼を置いている映画監督。

 

日本で突如起こる大停電。電源からの電気も、そして電池からの電気も使えなくなった世界のとある家族を描く物語。主演の小日向文世とその妻深津絵里がテッパンなのはともかく、その息子役として「ひよっこ」で三男を演じた泉澤祐希、娘役として「わろてんか」主演の葵わかなが出演している。どちらも今ほど知名度がなかった頃の抜擢なので、やはり矢口監督のキャスティングは信頼がおけると改めて思う。

 

でまあ改めて映画の感想なのだけど、正直あまりピンとこなかった。矢口映画といえば「終わって楽しかった」の娯楽映画が多いのだけど、この映画は決してそういう類のものでもない。もちろん娯楽映画じゃないからダメだということではないのだけど、なんとなく映画全体からくる「なんだかそうじゃないよなあ」が自分にはあまり合わなかったのかもしれない。

 

矢口映画の主人公(たち)はいつもすっとぼけており、それが娯楽作品だと映画にいい味を与えるのだけど、今回は「非常時にそんなすっとぼけたことやられてもなあ」という感じがする。それが市井の人間の愚かさといえばそれまでだけども、ちょっとだけとはいえ、なまじ被災し停電を食らった身分としては「いやいや、それはダメだよ」という気分になってしまったのかもしれない。見ている自分が冷静すぎた。なもんで、冒頭で自分の感情がつまづいてしまったもんだから、最後まで乗り切れなかった。矢口監督の最新作「ダンスウィズミー」は大丈夫だろうか。

 

話を戻す。これから自分は毎年この時期が来るたびに「ああ、地震あったなあ」と思うのだろう。阪神大震災が、東日本大震災が「見てきたもの」(東日本大震災は札幌も結構揺れたけども)だったことに対し、胆振東部地震は「感じたもの」だった。分かってはいてもやはり意識が違うものだ。

 

あれから自分の防災意識も若干ながら変化した。枕元に防災グッズを置いていたりはしないのだけど、少なくとも全裸で寝ることはやめた。だってもしまた夜中の地震が起きたとき、逃げるのに困る。そしてスマホの充電だけはどうにかせんといかんと思いモバイルバッテリーは買った。カバンに入れっぱなしで殆ど使う機会もないが(普段から携帯の充電が切れるような事態にはならない)。

 

あれから1年、もう1年か。まさか1年前有安さんがtwitterでブロック祭りを開催しているとは誰が想像したか。いい加減元推しでも笑えないレベルに来ているんで、本当に誰か止めてあげてほしい。まあ止めてあげようとしてtwitterで苦言呈すとブロックされるんですけどね。なんだこのオチ。

 

これが愛じゃなければ

金スマ」で和田アキ子特集。

 

なぜ今更このタイミングで(歌手生活51年)和田なのか、というそもそもの疑問を取り払えれば番組としてはまあまあ面白かった。和田の生い立ちを見るにつけ、有吉のつけたあだ名「リズム&暴力(R&B)」が秀逸すぎて涙が出る。

 

というわけで内容そのものは自分が改めて書くほどのことではなかったので(しいて言えばヒロミがインタビュアーとして登場することにあまり意味はなかったことが気になったけど)さらっと流すのだけども、それよりも書いておきたいことがある。年に数回「気になる」テーマだけ録画して見るこの番組において自分が確認すること、それは「ベックはまだ出演しているのか」だ。

 

そもそもベックとは誰よ、という話からすれば、元々「金スマ」のレギュラーとして出演していたのはベッキーだった。それが不倫騒動で休業を余儀なくされ、その間にレギュラーとなったのが韓国人モデルのベックである。誰から何の説明がなくても「ベッキーの代打(特に名前)」的なことは分かるわけで、それは番組から「ベッキーの復帰を待ってますよ」というベッキーと視聴者へのメッセージだったことは想像に難くない。

 

だから本来ベッキーが芸能活動を再開したときにベックのお役はご免となっても何ら不思議じゃなかった。現にベッキーは「金スマ」でテレビ復帰をしていたわけで、ここでベックとベッキーがそのまま入れ替わるのが自然だったのかもしれない。

 

しかし昨日放送された「金スマ」でもちゃんとベックはスタジオに座っている。ベッキーの不倫騒動が2016年のアタマで、テレビ復帰したのは約半年後。もうベッキーが復帰してから3年が経過しているわけだが、依然としてベックはそこにいる。

 

これが愛じゃなければ何と呼ぶのかハトヤは知らなかった。

 

このまま曲を作ればラグビーのドラマの主題歌になりそうな言い回しになってしまったが、これはもう愛としか言いようがない。それは金スマスタッフというより、たぶん中居正広の仕業なんだろうと思う。

 

スタッフはたぶん「ベッキーが戻ってくるまでのつなぎで」と思っていたはずだ。そしてそれは中居とて同じだっただろう。しかし「名前が似ている」というだけでイタズラに番組出演を決めた挙句、本人が戻ってくるときにハイサヨウナラ、はさすがに酷い。だからベックはいまだにそこにいる。これは愛だ。これが愛じゃなければ(もういい)。

 

いやもちろんこれは自分の勝手な想像でしかないんだけど、そういうことが出来るからこそ中居正広という人間はSMAP亡きあとも未だに第一線で活躍しているんじゃないのか。そんな気がするというだけの話。これで来週いなくなっていたら笑うな。これは愛じゃない。

 

好感度強盗

ここ数年「24時間テレビ」は感動ポルノとか言いだす輩がいてとっても不愉快ですよね。

 

まず「24時間テレビ」に失礼。もうここ10年くらいは「24時間テレビは批判して当たり前」みたいな態度がスタンダードになっていることにも腹立たしい。別に自分は募金とか一切興味ないですし、番組趣旨に賛同しているわけでもないのですが、番組の存在そのものは肯定し続けています。それは「偽善だろうが何だろうが、これで救われている人や助かっている人がいる」ことに何の文句があるのか。

 

これも何度も書いたけども、「出演者のギャラを募金しろ」というのは、本当にバカの発想ですよね。それはテレビ局のやることではないの。テレビ局がチャリティ番組を盛り上げて何が悪い。海外ではみんなノーギャラでやってるって?だからどうした。番組出演の対価をもらうのは当然のこと。海外ではチャリティを行うことがひとつのステータスであり、日本ではその意識が薄いことが若干悲しむべきことではあるけども、かといってチャリティ=ノーギャラでなければいけないことはないだろう。

 

そして24時間テレビは「障碍に対する啓蒙」の役割も果たしているんだぜ。それの度が過ぎて「感動ポルノ」と揶揄されることにもなるんだけど、1年に1回そういう機会があったっていいんじゃないかとは思うわけだ。NHKEテレのように恒常的に行っているほうからすればいい気分はしないのだろうけど、Eテレの視聴率が束になっても24時間テレビには敵わないわけで、そういう意味での強さは尊重して認めなければいけないだろうよ。間口の広さってのは大事。

 

手放しで絶賛されるものではないのかもしれないけど、かといってなぜこんなに叩かれなければいけないのかも自分はよく分からない。自分はゴミクズのような人間なので、こういう番組を直視するのは照れくさくも恥ずかしくもある。しかしこういう番組が下らない批判によってなくなることのほうが自分はいかんと思う。なぜ本来「マラソンいとうあさこのおっぱいが揺れていたなあ。ババアだけど揺れていたなあ」とだけしか書きたくない人間がこんなマジメなことを書かなければいけないのか。由々しき事態でしかないよ本当に。

 

タイトル全然関係なくなってしまったけど、本当は水卜アナの話が書きたかった。マラソンでもちっとも崩れない表情、そしてマラソン走った後に普通にこなす総合司会。随所随所で感動する姿。揺れるおっぱい。歴代女子アナの頂点に君臨するであろう鬼好感度。「24時間テレビ」が感動ポルノなら、水卜アナは好感度強盗である。こちらの好感度を根こそぎさらっていき、そしてイヤミがない。最強すぎる。こんなことなら水卜ちゃんの好感度を募金すりゃあいいんだ。どうやって。

 

シンデレラフィット

東京タピオカランドに不満が続出しているようで。

 

東京タピオカランドは1ヶ月限定で原宿にオープンしたイベント。1200円の入場料で4店舗のタピオカを飲み比べることが出来ます(ただし別途ドリンク代は必要)。

 

してまあ、このイベントの評判がすこぶる悪い。「施設内にトイレがない」「そのくせ再入場禁止」「グッズがぼったくり」など、不満が出てくる出てくる。よくもまあこんな不満が続出しかねないようなイベントをやるなあ、とは思う。思うんだけど。

 

それだけ入場者はナメられているということです。もっと身も蓋もない言い方をすれば、「こんなイベントに来るような奴らはこのくらいの扱いで構わない」と主催側が値踏みしているんです。

 

そもそもこんな扱いがイヤなら行かなければいい。なんだか自己責任論みたいになってしまうんだけど、こんなことが予め分かっているなら誰もいかない。まあ最初のほうに行った人は不満が出るような事実が告知されていない(知りえない)状態で行ってしまったのだろうし、その点に関してはお気の毒としか言いようがない。

 

しかし、こんな批判が出るであろうことは誰だって簡単に予測がつくのに、なぜそれを最初から是正しようとしなかったのか。そこを考える必要がある。可能性はふたつあり、ひとつは「イベント運営スタッフが揃いも揃ってボンクラである」こと。もちろんこの可能性も捨てきれない。もうひとつの可能性は「それでもいいとスタッフが思っている」ことだ。おそらくこっちの可能性が高い。

 

トイレに関しては「タピオカをトイレで流す不届きものがいるので、最初から作らないつもりだった」という話がある。自分もこれなのではないかと思う。再入場禁止も外部にタピオカを流してからまた戻ってくる奴らを防ぐためだ、という話すらある。本当かどうかは知らない。

 

ひとつ言えることは、これが本当ならば「入場者は、タピオカを流行に乗っかってむさぼるような人間は、その程度の民度しか持ち合わせてない」と、あろうことかタピオカランドを運営している側からそう認識されているということだ。別にタピオカを文化として根付かせたいわけじゃあない。ただ儲かるからやる。しかも客はその程度の認識でしかない。本来的には悲しいことだが、自分は「間違ってないなあ」と思う。

 

そもそもこのイベントは1ヶ月限定なのである。多少の不満が出たっていいのだ。どうせ1回来たらもう来ない。リピーター狙いのイベントではない。であれば話題作りに訪れる、もっと言えば話題作りで来るような人間から一発入場料をかすめ取ることさえ出来れば万事OKだ。そういうカモになっている自覚がないから、「自分がお客様である」ことを声高に叫んでしまう。

 

もう日本人は「お客様は神様」意識があろうことに客側に根付いてしまっているので、何か不当な扱いがあると、それだけで「お客様は神様だろ!」と怒る。うんざりである。お客様はお客様でしかない。そのくせ不当な扱い(と客が考えること)があったときに「なぜそんな扱いを受けるのか」についてはあまり考えられない。考えたくもないんだろう。神様だから。

 

タピオカランドに不平不満を言う前に、「なぜタピオカランドはこんなに杜撰なんだろう」と考えたほうがいい。タピオカブームが生んだ歪みを全て体現しているのがこの施設でありこの運営じゃないのか。そこに安易に乗っかるような人間を搾取しようという意図を隠していないだけ、逆に良心的じゃあないのか。バカがバカに対してバカを怒っているのは全体的にバカだろう。あ、全部言ってしまった。

 

 

レベルE

欅坂46平手友梨奈が右ひじの負傷を理由にアリーナツアーを欠席。

 

あんまり知らないことにクビを突っ込むと怒られそうな気がするんですけど、毎度毎度あんまり知らないことにクビを突っ込んでしたり顔で書いているのでまあいいか、という感じで書きますね。だから熱烈なファンで寛容な心を持ってない人は読まない!予め警告!

 

とまあ卑怯な予防線を張ってから書き始めますけども(卑怯という自覚があるのか)、平手さん休みすぎですよね。いや正直な話。

 

自分は48グループも坂道グループも全く興味がないので、平手さんに関しては「コンテンポラリーダンス踊る人」くらいの印象しかないわけですが、何かにつけて「体調不良」「欠席」という記事を見る気がします。ファンがそれで納得、満足しているならいいんですけど、傍から見る分には「よく休んでるねえ、ハンターハンターの富樫なみによく休むよねえ」という感想が出る。そりゃ出る。だって休んでるもの。

 

今回の「アリーナツアー」も「右ひじの負傷」としか理由が発表されていない。どの程度のけがでどの程度安静にしなければいけないもんかは全く不明。完全なパフォーマンスは出来ないだろうけど、歌うことはもちろんツアーに帯同し出来ることはいくらでもあるだろ、とは思う。それを「右ひじ負傷したからツアー参加しませーん」という理由は、水商売を「飲食店勤務」、合コンを「友人の紹介」という言ったもん勝ちの言い換えくらいテキトーだなあと思う。ファンがそれでいい、つうならそれでいいんだろうけど。自分がファンならちょっとつらいなあ。

 

それでもファンは「平手さんはカリスマだからそれでいい!」と言うのかもしれないし、自分みたいに「働けよ平手」と思っているのかもしれない。別にファンの言葉が知りたいわけではないので調べる気にもならないのだけど、こんな殿様商売(に自分は見える)やっていたら、内部から刺されるんじゃないのかね。いやまあファンがいいならそれでいいんだけど。

 

自分はあくまで「よく分からないし興味もない人間」なので、ずーっと「ファンがいいならそれでいい」と書き続ける。ファンにしか分からないことってのがある。平手さんが休むことが欅坂の何か超大事なことを握っている可能性があるかもしれない。それは自分には分からない。あくまで、ファンがよければそれでいい。

 

ただ、裏を返せば「ファンが良くないと思っているなら、周りの人はもっと「なんだこいつ~」とジョイマン池谷ばりに思っており、あんまりいいことじゃないよ」とは言いたい。少なくとも自分はそう思っている。自分の好きなことだけやっていると、ガラガラのzeppツアーだったのにまた来春にツアー発表しちゃう人みたいになるぞ、とは思う。余計なお世話だった。

 

 

敵塩

マツコデラックスが国会議員に絡まれている。

 

さきの参院選議席を獲得したNHKから国民を守る党、略称N国の党首立花孝志に対してマツコが自身のレギュラー番組である「5時に夢中!」で

「この人たちがこれだけの目的のために国政に出られたら、迷惑だしこれから何をしてくれるか判断しないと。今のままじゃ、ただ気持ち悪い人たち」「ちょっと宗教的な感じもあると思う」「(票数には)冷やかしもあって、ふざけて入れた人も相当数いるんだろうなと思う」

 (引用「Abema Times」N国・立花党首のマツコ・デラックス突撃に弁護士「喧嘩の仕方が上手い」 | AbemaTIMES

 

と発言したことに立花氏が激怒。「5時に夢中!」の放送局であるTOKYO MXのスタジオ前で抗議。今後マツコの出演する月曜には毎週来るという。

 

 

一連の騒動、自分はどう思ったかを情報を整理しながら書いてみたい。

 

まず、マツコの発言は案外保守的である。

 

言いたいことを歯に衣着せずズバズバ言うマツコなので、古い価値観に対しても否定的なのかと思いきや、年を取ったこともあるのか保守的な発言が多い。N国に対しても「NHKなんてやっちまえばいいのよ」とか言いそうなもんだけど、言わない。それは立花氏が「NHKの犬」と揶揄したように、NHKの仕事もしている立場であるわけで、積極的な否定ができないという事情はあるのかもしれない。

 

しかし単にマツコは「NHKを壊す必要性を感じない」と思っているのだろう。余計なことやってくれるな、と単に思っているんじゃないだろうか。だからこそ余計に「それだけのため」に国政に出て、しかも議席を獲得したN国および立花氏に対して嫌悪感をあらわにしたのは、なんら不思議ではない。だから世論におもねって「そういうのもアリよね」と言うより、こうやって「気持ち悪い」と発言しているほうがしっかりマツコらしいと自分は思う。

 

一方で立花氏からすれば「それのみ」(ワンイシュー、言ってしまえば一点突破)で当選した人。もちろん個人的に(投票してくれた有権者をバカにしている、なんてことも言ってはいたが)頭に来たこともあるんだろうし、何よりマツコにかみつけばまた話題になり、雪だるま式に話が大きくなっていくことを期待しているのだろう。何も考えなしに抗議をしているわけじゃあない。そこまでバカならさすがにここまで来ていないとは思う。

 

自分は「NHKの在り方はおかしいし見直す時期だろうなあとは思うけども、かといってそれのみで国会議員になられてもなあ…」とは思う。ただし議員になる目的は人それぞれで構わないし、国会議員になることそのものを否定するわけではない。冷やかしで入った票だとしてもそれは「そういうことにしか政治の意義を見い出していない」という民意と考えることもできる。だからマツコの発言が全て正しいとも思わないし、かといってN国を応援する気にもあまりなれないかなあ、とも思う。

 

その上で今回の立花氏の行動は「気持ちわりいなあ」と思った。

 

立花氏のこの行動はおそらく「今までやってきた方法」なんだろう。話題になるためにはどうすればいいか、を考えていけば、この行動はある程度「理にかなった」作戦であると思う。

 

しかしそれが「国会議員の振る舞い」となると、それはちょっと気持ち悪い。いちいち政治信条に合わない発言をした人に対してこうやって抗議活動をするのか。「するな」というルールはないのだろうから、しても構わないと思いますよ。しかしその代わりとして自分は「気持ち悪い」のレッテルをやっぱり張ってしまうんだろう。それも自由だ。

 

「気持ち悪い」と批判されていて、それに対する抗議の仕方が気持ち悪かったら、それはもう「気持ち悪い」というマツコの主張を補強しているに過ぎない。マツコが放った「気持ち悪い」と自分が感じた「気持ち悪い」の種類は違う。しかしそれらをひっくるめた「気持ち悪い」が全体のイメージとしてつくことがマイナスじゃないのか、とは考えないのだろう。N国側は抗議しているようで、「自分たちは気持ち悪いですよー、あっちの言い分は正しいですよー」と喧伝しているようなもの。敵に塩を贈りまくりである。争う前にもう結論は出ている。

 

立花党首は「民意」っていうけど、N国に投票した民意が全てじゃあないからねえ。マツコのような「気持ち悪い」と思っている民意が、もしかしたら投票した民意の10倍くらい大きかった場合、それは「民意」として自分たちに襲い掛かってくるんじゃないのだろうか。まあそのときは上杉隆丸山穂高がどうにかするんだろう。どうにもならんな。

 

キヨンセ

氷川きよしが隠すのに疲れたらしい。あるいはもう隠さなくてもいいと思ったらしい。

 

画像もなしに、そして詳しい説明をしないことで色々察してほしい。気になる人は「氷川きよし 始球式」で検索してほしい。twitterで「キヨンセに改名してほしい」というのを見たときは鼻水出た。

 

氷川きよしくらいのキャリアと実力と人気があれば、もう色々「いいかな」と思うときが来るのだと思う。ファンのほうも今更「もうきよしのファンやめます!」とか「もうズンドコする気がしない」とかはならんだろうし。むしろ面白みが5割くらい増してもっと楽しめるんじゃないかと思う。こうなればもう無敵だ。MUTEKIではない、念のため。

 

自分が一番危惧しているのは、このままキヨンセ化が進行していき、キヨンセがKABAちゃんばりに「声も変えたい!」とか言い出しかねないことだ。逆にそれさえなければもう何でもアリだと思う。声を変えてしまうのはさすがに商売道具だし、しないとは思うのだけど、もうあそこまで情熱があふれている場合は言い出しかねないから怖い。じゃなかったらもう取ったりするのも自由。何を、は言わないけど。

 

20年後とかオーラが見えているような気がする。気がするけど、とりあえず今は毎年始球式で投げてくれればそれでいい。