実感として

ジャニーズ事務所社長のジャニー喜多川氏が死去。87歳。

 

数週間前から入院していることが報じられ、一時は死亡説も流されたりしたのだが事務所側が否定。嵐が記者会見の場でそのことに触れるなどして、あくまで経過は良好であることをアピールしていたが、帰らぬ人となった。

 

個人的にはなんら実感のない話である。別に個人を悼んでいないわけではない。もちろん「ジャニー喜多川」という人が存在し、ジャニーズ事務所を率いているカリスマであることは知っている。しかし自分は直接はもちろんのこと、テレビの中で動いているジャニー喜多川を見た記憶がない。だから「いるんだろうけど、その存在が定かじゃあない」という位置づけにしかならない。

 

もちろんガチガチのファンならジャニー喜多川を目撃したことはあるんだろうし、テレビをくまなく見ている人はテレビにて動いているジャニー喜多川を見たことがあるのかもしれない。一応自分もそこらへんの人よりはテレビを見ているという自覚はあるんだけど、特段ジャニーズを中心に追いかけているわけではないので、その画面に入ってくることはなかった。

 

だからテレビの中でジャニー喜多川追悼一色になったところで「いやあ、あんま実感ないなあ」という気持ちになる。そもそも存在している実感がないのに、亡くなったところで急に実感が沸くというのも変な話じゃないかと思う。

 

例えば先日高島忠夫も亡くなった。自分の中で高島といえば「ドレミファドン」の司会であったり、芸能一家の高島ファミリーの人であったりと、もちろん直接会ったことはないけどもテレビの中の高島忠夫のイメージがあり、ここ数年は闘病でテレビで見ることはなかったけども、「ああ、高島忠夫が亡くなったのか」という実感がなんとなくはある。

 

もう一度書くがテレビの中で(あるいはネットの中で)死去を惜しむ声を否定しているわけじゃあない。だってテレビの中ではジャニーズ事務所の人間が多数いるわけで、実感を伴った死があるわけだ。自分とは違って実際に会ったことがある人間も多いわけで、そうなることは分かる。もちろん芸能史に偉大な足跡を残しているという側面からも、である。

 

自分はそのことを認識しつつも、やはり実感がない。このまま死去したことを隠され、所属タレントが「ジャニーエピソード」をしれっと語り続け、年齢が「ジャニー喜多川(92)」くらいになっていても、自分は「本当に生きてるのかよ」と思いつつも、そもそも実感がないからそこまで疑いもしないだろう。さすがに「ジャニー喜多川(135)」は気付くだろうけど。

 

つうわけで、自分は今回のこの報道に関しての感想がとてもふわっとしている。日本一うすっぺらい感想だと思う。けど、本当に世間の人はこの死を実感できているんだろう、という気持ちはある。なにはともあれ合掌。