え、まだ通用すんの?

水曜日のダウンタウン」のクロちゃんアイドルプロデュース企画「MONSTER IDOL」が一応の決着を見せたわけですね。

 

「継続」「クビ」「クビ+罰」の処遇を視聴者がCDを購入することで投票するという制度。大方の予想通り「クビ+罰」が最多となり、さらにはクロちゃんが「自分の彼女にしたい」という理由で脱落させたカエデさんが最終的にメンバーに加わることで大団円ですよ。

 

自分は「キモいクロちゃんを観察する」というそもそものコンセプト含めて、かなり白けた気分でこのコーナーを眺めていた。そして今回決着がついたときも「ああー、こんな方法でよく盛り上がるよなあ」と思っていた。

 

「クロちゃんキモい」に関しては正直もうお腹いっぱいなのである。何度か呟きもしたけども、「キモいものをキモいと思いながら気持ち悪がる」ことに「怖いもの見たさ」という要素はあるんだろうけども、少なくとも自分はそれを何度もわざわざ見せられるほど欲していない。簡単に言えば「クセにはならない」ものだ。なんでウンコみていちいち「いやー、臭いなー」と思わなければいけないのか。

 

それより自分が色々困惑したのが「こんなに分かりやすい筋書が書かれているものが、令和の時代にまだ堂々と展開されている」ことだ。

 

アイドルが選ばれる過程を見ることで感情移入をし、応援したくなる。そしてその応援を形にするためにCDを購入する。今回の場合は「CDを購入することで運命を決める」という要素もある。そして最終的に皆が望んだ形になる。「皆」というのは「視聴者」であり「当事者のアイドル」であり、そして何より「作り手」である。

 

CDを購入することが企画の参加になる、というのはかつて「ウリナリ」でポケビブラビがやっていたことであり、あるいは「5日間で5万枚売るとメジャーデビュー」という試練を課されたモーニング娘。であり、この手法は「自分が平成に見ていたテレビ」そのものだ。なんならそこらへんのオマージュ(あるいは単にパクリ)でやってるんじゃないかとすら思える。言ってしまえば、古い。時代遅れのテレビのやっていたことだ。しかしふたを開けてみれば、そこそこ盛り上がっている。おいおいマジか、と思った。この手法まだ通用するんだ、と。

 

さらに自分があまり乗り切れなかったのは「完全なる筋書通りに動いていること」だ。ポケビブラビもモー娘。も「たぶんこうなるんだろうけど、最終的な着地点は見えていない」のが楽しかったわけで、だからこそ応援の意味も込めてCDを購入しに走ったわけだ。もちろん今回の企画も同じことは言えるけど、やっぱり「クビ+罰」を最初から想定して作っている感じは受けた。まあそりゃそうなるよね、と。もちろんバラエティだからそれでいいんだけどさ。

 

なかでも気になったのは「これってWACK(BiSHなどを擁する事務所)のアイドル売り出しをTBSがやってるだけじゃないの?」という感じがヒシヒシしたところ。もちろんそれもそれでいいんだけど、自分は「ゴールが決まっているものに誘導されてゴールを決めさせられた感」がやっぱり苦手だ。作り手の思うつぼ。これって昭和で平成で終わっていたと思っていたのに、そうじゃなかった。こういうのを嫌ってテレビ離れが進んでいたと思っていたんだけど、違う。全然見ているほうは乗せられている。終わってない。こういうのまだまだ出来る。テレビの影響力強い。

 

そしてこの現象は「テレビまだまだいけるんだ」という気持ちよりも「こんなんでまだ乗せられるってことは、見ているほうの意識は何ら進歩していないのか」という気持ちになった。あれだけ「テレビつまらん」とか言ってる人間が増えているはずなのに、平成のテレビ番組の手法を丁寧にトレース(もちろん現代風の仕掛けは施してはいるけど)した企画でちゃんと盛り上がるんだから、「テレビつまらんっていったい何なのだろうね」とはちょっと思ってしまった。「面白いものはいつやっても面白い」っていう話じゃないと思う。年末に少し考えさせられた。