ハロプロ的価値観

ドラマ「武道館」を5話まで一気に見たわけですが。


原作は浅井リョウの小説。ハロプロの実在するアイドル「juice-juice」が劇中で「NEXT YOU」となり、無名のアイドルが武道館でライブを目指すアイドルの成長と苦悩を描くというもの。


まあ、特別つまんないということもないのですが、やはりバックボーンとして「アップフロント全面協力」というところが、良くも悪くも、やや悪い寄りに働いているような気がします。浅井リョウが原作でどこまで仔細な描写をしているかは分からないのですが、別に浅井が小説で描くまでもない、いわば「ありきたりなアイドル像」を「アップフロントが描くアイドル」としてドラマ化されているだけで、どこに何の価値を見出せばいいかはちょっと疑問ではある。


これを「実在のアイドルjuice-juiceとオーバーラップさせつつも、juice-juiceに興味を持たせる」というマーケティングとして見たときに実在の彼女らに興味を持てれば、あるいは彼女らの元々のファン目線で見れば眼福な部分もあるのでしょうが、どちらにも当てはまらない自分からすれば「うん、まあ、そうですよね」的な感想しか出てこないんだよなあ。その時点で見る資格はないのかもしれないんですけども。


たぶん自分が現役のハロプロファンであれば見るべき部分も違ったんでしょう。アイドルのストーリーとして見どころもあったのかもしれない。しかし自分は既に「ももクロ的価値観」になってしまっているがゆえ、「武道館を到達したあとのアイドル」だとか「アイドルをやめても生きていかなければいけない」だとか、旧来のアイドルであるハロプロ的価値観をすでにブレイクスルーした人たちを現役で追いかけているがゆえ、そこに面白みや苦悩を少しも見いだせないわけですなあ。そんなものより面白いストーリーを既に知っているぞ、と。もちろんそれが面白い人がいるのも分かるんですが。


ストーリーの随所にはももクロを意識した部分もいくらか見受けられるのですが、それは本当にストーリーの枝葉として組み込まれているだけで、別にももクロをなぞろうとはしていないのでひっかかりも少ない。モー娘。における「ASAYAN」が、ももクロにおける「ももクロChan」がそうであるように、アイドルのストーリーは本物が一番「ドラマチック」であり、それをドラマで、小説で描いてもやっぱり魅力的じゃないんだなあと再確認。


そしてこのドラマで一番やってしまったのが、5話で矢口登場させちゃったことね。色々思うところはあるんだけど、矢口さんあんなに演技できなかったっけか。あんなにセリフくさい日常会話ないだろうよ。「銭湯の娘?!」のときはそんなに下手じゃなかったと思うんだけどなあ。このドラマの一番良くない部分を現時点で挙げるとすればここ。「矢口を出しとけば自虐も含めて面白いんじゃねえの」というアップフロントのゲスい価値観が一番古くてしょうもない。ここは本当に褒めてない。