愛情過多

「ロンドンハーツ」を見ましてね。

 

番組の企画としては女性タレント10名による相互格付け(かつて番組でやっていた「格付けしあう女たち」は一般人に聞いていた(とされる)ランキングを予想しあうコーナーだったので、ちょっと違う)で、手堅い面白さでした。

 

今回の収録は騒動後だったようで、謹慎中(だか何だかもうよく分からない)ロンブー亮に代わり、宮下草薙の草薙がアシスタントとしてロンブー淳の隣にいました。

 

「ロンハー」「アメトーーク」のゼネラルPである加地倫三は草薙ちゃんが大好きすぎる。それは「佐久間宣行のANN0」に出演したときにも明言しており、もうひいきの引き倒しが過ぎる感もある。来週もみやぞんとさし飲みの企画で登場するくらいにして。もちろん「面白い」と感じたものを作ればいいのだから、それがひいきと言われようとそれでいいのである。

 

実際番組中での草薙はメインの女性10人に負けずいい仕事をしている(ように見せるサポートをしてくれる有吉とザキヤマの功績も大きい)わけで、しっかりピースのひとつとして機能していたわけです。単なるひいきと言われないように面白く見せる、というさすがの仕事としか言いようがない。草薙愛が過ぎる。抱いてるんじゃないか加地。

 

その一方で今回の編集には強烈な「ロンブー亮愛」を感じました。

 

草薙が何かしようとするたびに有吉、ザキヤマ、そしてもちろんロンブー淳が「そんなことしなくていい!」「立ってるだけでいいんだから」など、普段ロンハーで亮がしている(であろう)仕事を揶揄しながらツッコミを入れるわけですね。それは「普段亮が何もしていない(ように見える)」ことを笑いとして機能させるとともに、「そこに普段亮がいること」を見ている側に意識させてしまう作りになっていた。

 

普段の編集を考えれば、亮は「いてもいなくても大して変わらない」わけで、その存在を意識することはあまりない。しかし今回の編集は「いないことを草薙にかこつけて笑いに変える」ことで逆にいることを意識させる、普段とは逆の編集。つまり編集する側にそういう意図があったんじゃないかなあと思う。

 

もちろん草薙イジリとしてそれがハネた、ということもあるんだろうけど、やっぱり亮に対するエールであるとかメッセージみたいなものを勝手に感じてしまった。

 

そしてテレビマンの矜持として「編集によって消さねばいけなかったことに対する反抗心」みたいなもんがあったんじゃないだろうか。編集で「いたものをいなかったものにする」のは、今の技術では可能だし、実際にそのように編集されたものが放送された。ただ、現場でテレビを作っている人間としては不本意だっただろうし、悔しかったんだろう。だからこそ今回の放送で「いなかったのにいたような感じを受ける」という、真逆の方法で一矢報いた、という感じだろうか。

 

というわけで次回のアメトーークでは全員がオフホワイト色の衣装で登場するんじゃないですかね。和田に怒られそう。