こまらせたい


30代も後半になると、極力他人に迷惑をかけないように生きて行こうと思うようになります。

 

世の中は多様性を認める方向に進みつつあります。だから自分のような結婚もしていなければ当然のように子どももいない独身男性も何とか生きることは許されていますが、詰まるところ自分のためにしか生きておらず、微々たる額を納税することくらいしか世の中の役に立っていません。だからせめて他人の役には立たなくても迷惑はかけちゃあいかん、とは思うわけですね。わざと他人を困らせるようなことなんて、もってのほかだ。

 

しかし、多部未華子だけは別。

 

NHKで「これは経費で落ちません!」つうドラマが始まったわけです。小説が原作。

 

ドラマの主人公である経理の森若さんを演じる多部ちゃん。「経費で落ちる」「経費で落ちない」をしっかり見極める有能さんなわけだが、当然のように中には「こんなもん経費で落ちるか!」みたいなものが混じっていたりして、そこから話が転がっていくというやつです。初回は面白かったです。

 

とまあドラマの中身そのものにはそんなに語ることはなく(ないのか)、それよりも自分は「こんなもの経費で落ちない」と分かりつつも「いやなんとか落としてくださいよ」と懇願したものの「やっぱり経費では落ちません」と多部ちゃんに冷たくあしらわれ、それでも粘りに粘って「なんとかしてくれないと困るんだよお」と泣きついて多部ちゃんを困らせたい、いや正確に言えば困る多部ちゃんの顔が見たい、とドラマを見て思ったわけです。何言ってるんだと言われても仕方ない。

 

多部ちゃんは日本で指折りの「困り顔が似合う女優」だと思っている。

 

世の中にはいろんな女優がいます。問答無用で美しい女優、薄幸が似合う女優、演技がヘタでもそこにいるだけで圧倒的な華がある女優、すべて必要です。その中で多部ちゃんに何か肩書きをつけろ、と言われればもう間違いなく「困り顔が似合う女優」でしょう。困り顔が似合う、というのは「困り顔が可愛い」という意味もありますが、それ以上に「困った顔が見たいとこちらに思わせる」という意味です。

 

多部ちゃんはめちゃくちゃ美人というわけではありません。これは「多部ちゃんブサイク」と言いたいわけではなく、多部ちゃんの魅力は美人のベクトルをまっすぐ向いているわけじゃあないと言いたい。だからこそ困らせたい顔になる。多部ちゃんが困ったときになる「うー」とでも言いたげな顔。さらに追い打ちをかけるような困らせてさらに「むー」とでも言いたげな顔になってくれれば、それだけでごはん3杯。

 

もはや経費で落ちようが落ちまいがどうでもいい。自分は困る多部ちゃんが見たい。

 

 

 

……てなことを自信満々に書き終えて、傍証のために、さあ画像の一枚でも載せたろうかいなと思ってちょいと検索してみたのだけど、自分が頭の中に思い描いていた理想の多部ちゃんの困り顔は、一枚も存在しなかった。それどころか多部ちゃんはそもそもドラマの中で困り顔をしていないのではないのか。そんな疑念が沸き上がってきた。自分の中では確かにある多部ちゃん。これは一体なんなのだろう。

 

自分は多部ちゃんの何を見たのか。全ては幻影か。そもそも自分はこの世に存在するのか?てか、今まで書いた文章は誰も読んでいないのでは?アクセス履歴もコメントも全て自作自演なのでは?

 

多部ちゃんの困り顔も自分の存在も、すべては闇の中。

 

 

 (追記)

twitterで困り顔の多部ちゃんいただきました。いつもありがとうございますmen's6さん。

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困り顔の人

たぶんこういうことです。この顔が見たくて多部ちゃんを見ている。