芯を食う

しくじり先生」に格付けがあるとするならば、今回の「亀田大毅」はB、「川口恭吾」はAランクというところでしょうかね。


ゴールデンに昇格してからも切れ味が衰えることがない「しくじり先生」。いまだに「ゴールデンに行くと番組が面白くなる」という旨を平気で唱えるアホがいます。もちろん過去にそういう番組は少なからずあったし今もないわけではないけども、「ゴールデン昇格が悪い」ということを何の思慮もなしに言ってるのを見ると「おまえの鼻毛2mm伸びろ」とか思います。


それはともかく、「しくじり先生」はそんな批判をものともせず巧みに面白さを保っている。毎週放送せずに3時間SPなどを度々ぶち込んでくるという変則編成には賛否があるだろうが、長時間でなければまとまりきらない放送があることを考えればやむなしなのだろう。今回の亀田大毅がそれにあたる。川口恭吾だけでは1時間持つか持たないか、というところだったので、2人合わせて3時間でちょうどいいのだろう。


さて相変わらず面白いと言ってる割に、冒頭で書いた亀田の評価がBなのは「こちらが頭の中で描く先生が犯したしくじりに対して、芯を食った授業が出来ているか」という点でいささか怪しい部分があったからだ。


しくじり先生」の面白さは、しくじりを犯した人間がどこまで自分をさらけ出して自己分析をするかだろう。この自己分析が的確であればあるほど、授業のフックが利いてくる。逆にここらへんの分析が甘いと「あれ、そんなんで授業していいの?」「そんな授業を聴きたいわけじゃないんだよ」となる。今回の亀田は、この点が多少甘かった。


亀田親子が世間に嫌われたのは、非常に分かりやすいしくじりである。それは内藤戦の敗戦によるものが大きいのは言うまでもないが、かといってその原因の核を「反則行為」に置いて話を進めたのはやっぱりちょっと芯を食っていないように感じた。


もちろん亀田親子の振る舞いが行き過ぎであって反感を食ったのだけど、それとは別に実績だけ見れば本当に輝かしい戦歴ではあるのだ。今回の番組ではその点に関して誰も異を唱えるものはいなかった。しかし当時からの批判のひとつとして「ちゃんとした相手と戦わずにベルトを獲った」というものがある。強い相手を意図的に避け、どこから見つけたのか分からないような挑戦者を倒してチャンピオンになったという経緯はボクシングに明るくない自分でも聞いたことがある話だ。この点が亀田親子を素行面だけではなくボクシングそのものの評価を下げ、反感を買っているという点に関しては一切触れられていない。


番組の構成上、この話を入れ込んでくるとまた話がややこしく複雑になるということもあるのかもしれない。「反則行為が一番のしくじりだった」という話を軸に据えるならばこの話は不要だったのかもしれない。しかし亀田親子(大毅)のしくじりの核としてやはり避けてはいけない部分ではあったんじゃないのか。ボクサーとしての名誉は守りつつ、父親の、兄弟の名誉も守りつつも、しくじりを晒すとなればこのような形しかなかったのかもしれない。


けどそれはこちらが期待する「しくじり」の構図ではないのよね。厳しい言い方をすれば、内藤戦の後マスコミから逃げ隠れしたように、ボクサーとしての名誉を守るために「強い相手と戦っていない」という「しくじり」から目をそらし、逃げたんじゃないのか。そんな芯を食ってない授業をされても「でもまだ何か言わなきゃいけないことあるんじゃねえの」と思ってしまう。もちろんスタジオでは誰もそんなこと言わない。自分だってその場所にいたら言うわけない。けどテレビの前の無責任ないち視聴者はそう思うのだね。


その点「桜ソングなんて歌うんじゃなかった」と言って、割とあけすけにぶっちゃけた川口恭吾の授業は悪くなかった。番組側としては亀田がメインだったんだろうけど、自分は川口のほうが面白かった。亀田大毅は「しくじり先生」に出てくるにはまだ背負う物が多すぎた。簡単に言うと時期尚早。その点「桜」のヒット以降10年泣かず飛ばずの川口恭吾は失う物がない。時間が経てば言えることもある。10年後番組が続いていれば「あの時言えなかったしくじりを言いにきた先生」として登場し、芯を食った授業をしてくれればいいんじゃないかい。