3日経ってもなお

ももクロちゃんのことをずっと考えてます。「わろてんか」を見ているときもずっと(ちゃんと見ろよドラマ)。


有安杏果卒業の発表があった日、自宅には年明けのセール品で購入したツアーグッズの緑色のタオルが届きました。自分はそれを白い眼をしながら確認したわけです。水曜日には昨年夏に行われた「ももクロ夏のバカ騒ぎ」のブルーレイが届きました。今年はライブビューイングにも行くことが出来なかったので映像を全く見ていないのです。なのでこれが届くのを結構楽しみにしていたのですが、無論今の心理状態では見る気すら起きず、届いたものの未開封という状態です。


発表から日にちが経ち、少しずつ感情の整理をしてきたつもりなのだけど、冷静になるにつれ自分が爆発させた「納得できない」の感情の正体が見えてきた気がするのです。


そもそもの話になると、有安さんは夏の時点ではもうももクロ脱退を視野に入れていたのです。もちろんライブに気持ちが入っていないということを言うつもりはないんだけど、今「もうこの時は」という事実を知ったうえで見ると、何も知らなかった当時とは全く別の見方にしかならないことは目に見えている。そんなものが見たいわけじゃないんだから、そりゃ見られない。


それと同じことは、彼女のソロ活動にも言える。初のソロアルバムが出ることを知ったモノノフとしては「これから始まる彼女の第一歩」だったはずなのだが、当の本人が「悔いの残らないようにやってきた集大成」だと思っていたのだから、結果としてそこにあったのは「埋めようがないほどの意識の乖離」だったのだ。これはただ正直に「そりゃねえよ」って思えてしまう。


もちろん本人としては「言いたいけど言えない」ではあったんだと思う。しかし現在の発言を追う限りでは「もう芸能活動を辞める肚は決まっていた」わけで、それが武道館の最後で暗示されるとはいえ、「これから(ももクロは分からないけど少なくとも)ソロとしての活動を続けていく」と思っていたファンの心を、悪く言えば「踏み躙っていた」ことになりはしないのだろうか。まあ自分は「なると思う」からこそ「そりゃねえよ」って思うんだけども。


発表を終えた今、当の本人は驚くくらいにスッキリしている。まるで「せいせいした」と言わんばかりに。けどそれを「今」聞かされた我々は驚くくらいに戸惑っている。でもこの「意識の乖離」は今に始まった話ではなかったのだ。遡って考えれば考えるほど、我々モノノフと有安杏果の間には、ここ1年くらいずっと「意識の乖離」を抱えたまま進行していたのではないか?という恐怖が沸いてくる。これってどう受け止めればいいんだろうか。


様々な大人の事情がある。説明できないことも多々あるんだろう。しかし説明できない事情を乗り越えて「説明してほしい」ことがある。「普通の女の子に戻りたい」ことは分かった。けど「普通の女の子に戻りたい」と思ってから、ここに至るまで、特にソロ活動とのかかわりに関しては「説明されなければ納得が出来ない」ものがやっぱりある。その説明を果たさずにいなくなるのか、はたまた最後に本人の口から語られるのか。有安杏果が歌に対する愛を、ソロ活動に対する希望を、そして「ももいろクローバーZ」に対する誰よりも深い愛を炸裂させてくれないと、たぶん、自分は最後まで納得が出来ない。